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 去る11月18日のちょうどお昼頃に友達からの連絡で知ったんだよね。「健さんが死んじゃった!今、YAHOOのトップに出ているよ・・」「ウソ~!!」もう半信半疑でYAHOOの画面を見たボクは一瞬自分の目を疑ってしまったんだよね、でも残念ながら事実だった。 
 ボクは普段余り健さんの事を気にした事は無かったのだけど、健さんは、健さんという不死身の存在みたいにボンヤリと思っていてボク達凡人とは違って年を取ったりしないんだよ・・くらいに思っていたから、今度ばかりは超ショックだった。
 もうかれこれ40年近く前にアメ横の「る~ふ」に入りたての鼻たれ小僧だったボクはフラリと現れた想像よりもはるかに長身の(当時は、まだバラックだった「る~ふ」の天井も低かったんだよね、きっと・・苦笑)健さんを見上げて思わず「わァ、本物だ・・」とか言っちゃったんだけど、黙って立っているだけで無条件にカッコ良かったよ。 
 健さんとお付のヒトには主に先輩がいつも対応していたんだと思うけど、自分の記憶が間違って無ければ、その当時まだ日本の輸入元ではラインナップされていなかったBARACUTA #G-9のブラックが本当は有ると思うので探してくれますか?というような事をボクの方を向いて言ったと記憶しているよ。当時は時々お付のヒトから電話が有って、「BARACUTAは今どんな感じで在庫が有りますか?」って。それで在庫帳を見ながら、アレとコレと・・と1着づつ確認しながらお取り置きをしていくんだよね。
 健さんが着るサイズは当時44。だけど、他に38とか40とか色違いも含めて時に何着も買って行くんだよ。最初は、スゴいなァ何かの衣装にでもなるのかなァ?・・と思っていたら他のサイズは気に入ったヒトにプレゼントしちゃうんだって聞いた。 
 今でこそBARACUTA #G-9の一番似合うスターは当然のようにスティーブ・マックイーンって事になっているけどボク達の時代、本当は健さんだったんだと思うんだよね。以前、当店のサイトで連載?していた、いであつしくんの 「メイドイン フント二モー」でもBARACUTAの巻が有って、いであつしくんがちょうどボクが「る~ふ」に居た頃くらいに放映されていた「あにき」というドラマでBARACUTAを着て出て来るクールな健さんを熱く語ってくれていたんだよ。そしてその原稿の中では、CASSIDYの八木沢さんもやっぱり「BARACUTAと言えば、我々の世代はマックイーンじゃ無くて健さんですよね。」と仰っていたと書いてあった。 
 久しぶりに、いであつしくんに電話をして健さんの事を話していたら彼曰く、「今回の訃報を聞いて、あらためて映画の作品や人柄に付いて何人もの著名な方が熱くコメントしているんだけど、実は健さんのハイレベルなファッションに付いて語っているヒトが誰も居ないんだよ!」。事実、ここ2,3日ボクも同じ事を思っていたんだよね。実際ファッションに深く携わっていれば時に感動すらおぼえる健さん独特のUNDERSTATEMENT(誇張せず、さり気なく控え目な主張・・実はこの言葉、今日いであつしくんが教えてくれたんだけどね。)の精神に基づくアイテムの選定やツボを押さえた着こなしは、いつ見ても超カッコ良かったもんね。 
 聞けば今もなお、いであつしくんの所にはそれこそ現在ボク達のインポートやセレクト業界の重鎮である、聞けば驚くようなビッグネームの方々が、その健さんのファッションと具体的なアイテムや着こなし、そして実際の接客等での自分との関わりに付いて熱っぽく語るコメントが殺到していて大変な事になっていると言っていた。 
 ここで、当時連載?していた「フントニモー」に掲載された、あの綿谷画伯のイラストをもう一度再掲載してみるね。当時「あにき」に出演していた頃の健さんのBARACUTA #G-9の着こなしなんだよね。そう言えば、一昨日綿谷画伯からも連絡が来て「ボク達の昭和は遠くなりにけり・・だね。」と寂しそうに言っていた。

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 様々なメディアが健さんの訃報とそして著名人からの賛辞の言葉を伝える中、唯一11月19日付けの東京新聞朝刊の記事くらいがきちんと、ボク達の言う健さんのそのストイックな哲学に裏付けられたファッションに付いて触れていたのでここに紹介するね・・と言いながら良く読んで見ると、そうそう・・そうなんだよね、スゴく良い事書いて有るよ。 と思ったら、なァ~んだ、ちゃんといであつしくんが絡んでいるんじゃないか。サスガだ。 

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 スタジャンねェ・・もう何年も着た事が無いんだよ。って言うか肝心のスタジャンそのものが手元に残っていなかったんだよ。昔、ダメだって言うのに「帰りに寒いから貸してよ~」とか言って友達が着てっちゃって結局戻って来なかったり、気に入っていたGOLDEN BEARなんか、全然着て無いじゃん・・という理由だけでボクが知らない間に#MA-1と一緒に教会のバザーか何かに出されちゃったりしてね。  唯一奇跡的に残っていたのが、もうサイズが小さくて着られないんだけど高校生の時に初めて買ったSPALDINGのスタジャン。

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これ、実はVAN JACKETの国産ライセンス製品だったんだけど、ショップのお兄さんが「アメリカのSPALDINGだよ、知ってる?」なんて言うし、袖もレザーで値段がVANのヤツよりも2倍くらいしたから最初の1年間くらいは完全にアメリカ製だと思い込んでいてね。それでよせばいいのに友達とか後輩に自慢しては、見せびらかしたりしていたんだよ。だけど後でVANの作った国産スタジャンだったという真相が判明してメチャクチャにバツの悪い思いをした事が有るよ。みんなゴメンね~!ホントに知らなかったんだから・・

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 でもコレを見ていると思い出すのは、貯めこんだお小遣いやらバイト代を握りしめ母親や兄弟にも内緒で「日帰りアメ横初見参弾丸ツアー」を強行した日の事だよ。あのアメ横に行くんだから!って思って、その日の勝負アウターとしてこのSPALDINGを着て行ったんだよね。その頃ご自慢だったスエードのCONVERSEを履いてさ。 
 ちょうど高3の冬が近かったのかな?世の中は第一次オイルショックの真っ只中、狭い玄関に母親が買い集めたトイレットペーパーの段ボールやら洗剤が積み上がっているのを音を立てないように、そうっとどかしながら明け方に出かけたのを懐かしく思い出すよ。京都から早朝の新幹線に乗って東京に行き、ゴハンも食べないでアメ横中をうろつき最終の新幹線で帰って来るという超呆れた強行軍だった。一応途中で買ったパンを帰りの新幹線の中で食べたけどね、まァ・・若かったんだよね。 
 初めて行くアメ横には本当に興奮したよ。だけど平凡パンチで見た記事以外には全く情報が無かったから、アメ横に行った事が有るという先輩が喫茶店の紙ナプキンに書いてくれた乱暴な略図を唯一の生情報として大事に折りたたんで財布に入れて行ってね・・・だけど先輩の書いてくれた略図には「守屋」や「る~ふ」「ミウラ」とかの名前は書いて有ったと思うけど全然間違っていたから実は全く役に立たなかった。
 その後、上京して大井町の「みどりや」で買ったのがGOLDEN BEARのスタジャンだったんだよね。ボディがダークグリーンでスリーブがクリームのヤツ。そしてその袖口が傷まないようにレザーのプロテクトガードが付いているのがいかにも本場モノという感じで、一発で気に入ってしまってね。そしてその瞬間から主役の座は入れ替わり、SPALDINGはお蔵入りになってしまったんだよ。
 ちょうどその頃アメ横でもアメリカ製のスタジャンはチラホラと売っていて、GOLDEN BEARの他にEMPIREやDELONG、亀のマークのHOLLOWAYなんていうブランドを見る事が出来て、店頭で触ったりタグを見たりするだけで本当にワクワクしたよ。

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 また、「る~ふ」か「マルビシ」だったと思うけどCALIFORNIAのALBIONっていうブランドが有って、それがまたメチャクチャにカッコ良くってさ、襟と袖口のニットがダブルで折り返しが出来るんだよ。そのディテールにスゴく憧れちゃってねェ・・・ボクのGOLDEN BEARは残念ながら襟がシングルだったからね。ところで今回あらためてタグを見ていたら住所がGARDENAなんだね。そうか、そうだったGARDENAに有ったんだよね、ボク後年隣のTORRANCEとGARDENAの境目に住んでいたからきっとご近所さまだったよね。。

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 ってな事を思い出していたら拙書「超B級アーカイブ」の編集担当者として、その節はとってもお世話になった方が先日突然電話を掛けて来られて「クローゼットを整理していたら昔若い頃アメ横で買ったモノで多分玉木さんが良くご存知の懐かしいアイテムが出て来ましてね、もう自分はこういうのを絶対着ないので(注:その担当の方、現在はかなり気合の入ったガチのハイエンド・イタリアンスタイル。)処分しようかと思ったんですけど、もし保存資料として何かのお役に立つようでしたらと思いお電話をしてみました。宜しければ一度お持ちしてみますけどご覧になられますか?」 
 実は自宅がすぐご近所なので数分後に現れたその担当の方、手に持っていたのはあの70年代の名作FOX KNAPPのスタッグジャケット、そして何とALBIONのスタジャンだったんだよね。シュニールレターは付いて無いけど、襟と袖口がお約束のダブルのヤツ。ほとんど着用感が無くってスゴくキレイなの。驚いちゃったね。「え~、ホントに頂いちゃっていいの?」「どうぞ、どうぞ。あんまり美しく無いですけど・・」で、有り難く頂戴する事にしたけど何だか妙~に嬉しかったよ。 
 試しに着てみたら、「あれま!」サイズがちょうどなんだよね。保存資料じゃ無くてボクが着られるよ。ひょんなところから今になって往年のALBIONが向こうから転がり込んで来たみたいでさ、長く生きていると面白い事に遭遇する事もあるもんだと思ったね。 
 ところでALBIONと言えば、今でも思い出すのはその昔先輩が得意気に着ていたUCLAのロゴが付いたALBION。

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 最初POPEYEの創刊号で見たんだよ、もうヨダレが出る程カッコ良くてね。強烈に憧れたよねェ・・アイビーのアイコン、東のYALEなんかに対して西のUCLAの登場は言わばウェストコースト・スタイルの新しいアイコンだったからね。とにかく先輩と同じスタジャンがメチャクチャに欲しかったんだよ。だけどその後も機会が無くて結局最後まで買えなかったけど。 
 それで、せっかくだから今回そのALBIONの画像をブログに載せられないかと思って、先輩に電話をしたら何とまだ普通に着てるよって言うんだよ。それで先輩に無理言ってそのALBIONを撮影用に借りて来ちゃった。

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スゴイよね、もう40年近く経つのにほとんど傷んで無くって全然現役なんだよ、ビックリだった。 
 ところでボクが働いていた「る~ふ」ではGOLDEN BEARの他にALBION、そして更に高級品だったシカゴのメーカー、KAYE BROS.というスタジャンも扱っていてね。これは価格が高い分ボディのメルトンが分厚くて裏地もモノグラム入り、そして袖のレザーも柔らかくて高級感が有ったから、ちょっと年配のアイビー卒業生の人達がとても気に入ってくれたんだよ。

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 そのKAYE BROS.のスタジャンで忘れられないのは当時、既にミスター・タイガースと呼ばれ始めていた阪神タイガースの掛布が来てボクが一生懸命薦めたKAYE BROS.のスタジャンをスゴく気に入ってくれて買ってくれた事だった。

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ところが、事あるごとに筋金入りの阪神ファンを自称していたボクだったのに、あんまりハシャギ過ぎて実はサインをもらうのを完全に忘れちゃったんだけどね。 
 そう言えばGOLDEN BEARは最初ボクが買った頃は布製のタグだったんだけど、80年頃だったのかな?「る~ふ」にはレザーにエンボスのロゴのタグのモノが入って来てね。

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それを「る~ふ」の先輩は絶対今度のタグがカッコいいって言うんだけど、ボクは何だか全然好きになれなくって密かに嫌っていたのを久しぶりに思い出したよ。倉庫に行って布製のタグの付いた古い在庫の中から自分のサイズを一応確認に行ったりしてね。どれかを買ったのかどうかはもう忘れちゃったけど。

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画像の派手なベタベタワッペンのスタジャンはマニアだった「る~ふ」の後輩からブログ用に写真を撮りたいからと言って借りたヤツなんだよね。実は自分のモノが手元に何も無いからと思って撮影用に何着か貸して?って言ったら、アイツはデカい段ボールいっぱいのスタジャンをこれ見よがしに送って来やがった。 
 ところで映画の中のスタジャンと言うと、すぐ幾つか思い出すんだけど強烈に存在を印象付けた感じがするのは、87年頃に公開されたエディ・マーフィー主演の「ビバリーヒルズ・コップⅡ」なんかはそうだよね。アメリカの刑事は本当にスタジャンを着たあんなカジュアルな格好で拳銃をブッ放すのかどうか知らないけれど、あの映画を観て初めて"DETROIT LIONS"って言うNFLのチームを知ったんだもんね。そしてその頃はまだフランス製だったADIDASのCOUNTRYもエディー・マーフィーが確か「ビバリーヒルズ・コップⅠ」の中で履いてた事によって再注目され、リバイバルヒットのようになった事が有ったんだよ。

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 あのスタジャン、映画の公開直後にアメリカでも人気が出ちゃったんだろうね。ちょうどMAGICという当時はまだL.A.で開催されていたアパレルのコンベンションに行ったらCHALK LINEというスポーツウェアのブランドのブースでその"DETROIT LIONS"のロゴ入りスタジャンが展示されていてね、調子に乗ってボクは結構な枚数を発注して帰った気がするよ。 
 そしてスティーブ・マックイーンのファンの間ですら余り話題にならないと言われる、知る人ぞ知る59年製作の日本未公開作品「セントルイス銀行強盗」。

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まだ若々しい20代後半の彼の姿が観られるとても貴重な作品なんだけど、確か問題を起こして退学になった元大学の花型フットボウラーという設定で"O"(ゼロじゃ無いよ)のイニシャルレターの付いたスタジャンを着て出て来るんだよね。ストーリー的に派手さは無い作品だけれどザラついたモノクロの映像の中、マックイーンのスタジャン姿や、そしてそれを着た彼の若々しい身のこなしはうっとりするくらいヤンキー臭くてカッコいいんだよ。やっぱりスティーブ・マックイーンは特別だよ、無敵だね。

 今はいいよねェ、何がって・・・バッグの話しね。ブランドもアイテムもありとあらゆるカッコいいのが一杯有るからスタイリングや用途に合わせて選び放題だもんね。  

 ちょうど高校生になった頃ね、私服通学がメチャクチャ嬉しくてさ・・・毎日寝る前に次の日着て行くアイテムを考えていたよ。ところがね、困った事に学校に持って行くカッコいいバッグを持って無かったんだよね。中学の時は制服だったし、通学バッグだって黒い合皮の醜悪なヤツを持たされていて、とにかくスゴく嫌だった。 

ところが高校に入って「やった~、アイビーで学校に行ける!」なんて思った途端、通学バッグに困っちゃってね。だから最初は仕方が無いから父親が時々使っていた小型のボストンバッグみたいなのを内緒でちょいと拝借して持って行く事にした。恐らく安物だったけど部分的に怪しいタータンチェックみたいな柄が使って有って、かなり無理して言えば家中で一番アイビーっぽいテイストのバッグだったんだよね。でもタバコ臭くて、中なんかショートピースの粉だらけだったから裏返しにして干して、一応叩いてキレイにしてさ。  

 多分それを暫く使っていたと思うんだけど、何かアイビーっぽいカッコいい新しいのがずっと欲しくってね。だけど行きつけのショップに行っても、KENTのコーナーにディスプレイしてある007のジェームズ・ボンドみたいなアタッシュケースだとか旅行バッグみたいなデカいのしか売って無いしデザインだって正直言ってあんまり好きになれなかったんだよね。アイビー好きの仲良し悪ガキ連中もスチールの赤い工具ケースにVANのステッカーを貼って使っているヤツ以外は、みんな本当に超適当だった。 
第一、TAKE IVYを見ても写っているアチラの学生達はキャンパスの中だからほとんど本をハダカで抱えているだけだし、かと言って日本の高校の教科書なんてハダカで持つには余りにもルックス的に最低だったしさ。当然メンクラの「アイビー特集号」を見たりしても通学やカジュアルに持てるバッグの紹介や定義なんて、ほとんどなされていなかったから結局どういうバッグならカッコいいのかも全然分からなかったんだよね。あ、そうそうメンクラ見てブックバンド(みんな知ってるかなァ?)を買って時々使っていた事も有るよ。

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 そんなある日、友達が新しいバッグを持って来てさ。ネイビーカラーのスポーツバッグで何と英語で"MADISON SQUARE GARDEN"って書いてあるんだよ。ボクは6年生くらいの時からプロレスが好きだったから「ゴング」とか読んでいてね、すぐピンと来て「スゴい!ブルーノ・サンマルチノやペドロ・モラレスが出ているニューヨークのWWWFの総本山だ!」ってなもんで、その時は咄嗟にアメリカ製の輸入バッグだと一瞬思い込んじゃったんだよね。ところが友達に値段を聞いたら「え?そんなので買えるの?」って言う位高いモノでは無かった。  

 友達が買ったと言うお店の大体の場所を聞いてすぐに買いに行ったらね、京都市内の四条に有る寺町通りだか新京極辺りの全然普通の「カバン屋さん」なの。店頭に様々なカバンがドヤっと積み上げられて居て、軒下からもヒモで繋いだカバンがぶら下がっていてさ、果たしてその「マジソンバッグ」もその中の一番目立つ所にくっついていたんだよね。「あれれ、コレひょっとして日本製なの?・・・」などと思いながらもデザインが気に入っていたから早速買って来ちゃった。

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 それから、その「マジソンバッグ」は結構な期間をボクと共に過ごしたんだけど、その間に持ち始めるヤツが増えて来て、学校中で色んなヤツが持ち歩くちょっとしたローカルブームになっていたよ。 
ところが「マジソンバッグ」、ボクにとっては、ちょっとサイズがデカいという難点が有ったんだよね。だからTAKE IVYと2,3冊の教科書しか持って行かない土曜日に、ブックバンドじゃない時は「みゆき族」のお兄さん達みたいに行きつけのショップの紙袋に入れて抱えて持って行っていたんだよ。その紙袋も急な雨で濡れたり、スリ切れて破れないようにSPALDINGのスウェットが入っていたビニール袋を外側に被せてカバーにするという涙ぐましい努力をしていた。  

 そんなこんなで3年の頃だったかな?母親が仕事でハワイに行った事が有ってね、少しアイビーから気持ちが離れ始めてニューアメリカンスタイルを目指していたボクは、ここぞとばかりにCONVERSEやKEDSを始めSWEATやTシャツなんかをあれこれ頼んだんだけど、それとは別にお土産に沢山のチョコレートやそして「洋モク」のカートンなんかをみんなのお土産に持って帰って来たんだよね。そしたら免税店でカートンを複数買いするともれなく付いて来るプレミアムの塩化ビニール製でLARKやMARLBOROのデカいロゴが入った小型の手提げバッグが付いているのを見つけちゃってね。またそれがやたらにカッコいいんだよ。プレミアムの言わばおまけグッズとは言え、やっぱりテイストはバリバリにアメリカンしていてさ。で、結局2つ共頂いて自分のモノにしてしまった。  

 本当にカッコ良かったよ、おまけに文字という文字が当たり前だけど全部英語で書いてあるから友達も欲しがっちゃってね。"DUTY FREE"なんて書いてあってもほとんど悪ガキ連中は意味なんて分からないから「全部英語?カッコいいっ!」ってなもんだった。実は今考えてみたら、それがボクが一番最初に手にした「インポートのバッグ」と言えば、間違い無くそうだったよ。  

 上京してからも暫くその「洋モクバッグ」や神戸の骨董屋さんで買った中古のレザーのショルダーバッグなんかを使っていたんだけど、ある時発刊されたばかりの「MADE IN USAカタログ」を見ていたらバックパッキング・ギアの紹介ページが有ってデイパックが載っていたんだよね。確かにアメ横でも、それらしいアメリカンな格好をして持っていたヒトの記憶が有って最初は「え?リュック?子供の遠足みたい・・」って、かなり違和感を覚えたんだけど、何か友達も買うって言うし、結局ボクも欲しくなってバイト代が出るのを待って友達と一緒に買いに行ったんだよね。 

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 ところが、アメ横に行ってみたらSIERRAとかKELTYとか思っていたより全然値段が高いんだよ。で、結局ビビってバッグじゃ無い他のモノを買って来ちゃった。それで結局ボクがグリーンのデイパックを買えたのは、何だかんだでそれから1年以上経ってからだったと思うんだよ。画像のオレンジのデイトリッパーは、かなり年期が入ってるけど実は長いこと友達から借りっぱなしのヤツだったよ。(一体、何年借りたままなんだよって・・・) 

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 その頃にはデイパックもアメ横辺りに行くと「ミウラ」や「る~ふ」だけで無く、ようやく周辺の登山用品のお店やスポーツショップに国産モノなんかも登場して様々なブランドが並ぶようになっていたんだよね。ところがこの「デイパック」という名称がまだまだ正しく浸透していなかったんだろうね、「デーバッグ」「D-BAG」などはまだ惜しい方で、もっと怪しい名称を書いたPOPがあちらこちらで横行していたよ。中でもボクは「ヤンキーリュック」が一番気に入った呼び名だった。あれは、どこのお店だったんだっけね?  

 でも信じられないかも知れないけど、実際にボク達は75年くらいまで、デイパックもトートバッグも存在すら知らなかったんだよ。 
 
 ちょうどそれくらいの頃だったのかな?"POPEYE"が創刊されて、それまでアメリカンを気取っていた尖った連中がみんな西海岸スタイルにどんどん変わって行った時期でね。アイテムでは、とりわけボクの中ではラグジャーがカッコ良くて、実はソレ風のNORMANの太いボーダーのポロシャツにコーデュロイのブッシュパンツ、そしてPRO KEDSのスエードを履いてデイパック。自分は世界一カッコいいと思っていたもんね。

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 そしてもっとチープなイージーアイテム「サイクルパック」というのを"る~ふ"で初めて見てね。文字通り向こうの大学生なんかが自転車に乗る時にヒョイと背負うヤツね、やっぱり"UCLA"のロゴがカッコ良くってコレは安かったから秒殺で買っちゃったんだけど、こいつは中にちゃんとモノを形を整えて入れておかないとクニャクニャとしていて自立してくれないからルックスとは裏腹に実際はかなり使いにくかった。変にそのまま喫茶店のテーブルの上に置いたりすると中身が全部出ちゃったりするしね。

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 画像のモノは先輩が当時の新品のまま奇跡的に保存していたモノなんだけど、今存在している事自体がスゴいよねェ・・一体取っておいて、後日どうするつもりだったんだろうね。そこのところを聞いて来なかったけど、今更聞いて機嫌損ねちゃうとちょっとおっかないから聞けないや。      
  昭和の時代の話ね。いつも古くてゴメンなさい!あの頃まだまだ遠かった憧れの地、アメリカのプロゴルフのスーパープレーヤー、アーノルド・パーマーの人気は、日本でもそりゃァ凄かったんだよ。テレビにバンバン出て来るからボク達みたいな子供でさえN.Yヤンキースのミッキー・マントルは知らなくても普通にアーノルド・パーマーの名前は知っていたもんね。
当時、もはや戦後では無い・・と言う言葉を旗印に高度成長期に突入していた日本でも東京オリンピックの頃くらいか、もう少し経ってからだったのかな?カラーテレビやクルマ、クーラーの三種の神器に加え、少しずつ出て来たレジャーを楽しむというささやかな経済的余裕の中、ゴルフも結構なブームになったんだよ。

 そんな中で「帝王」と呼ばれたジャック・ニクラウスやゲーリー・プレーヤーなんかも人気は高かったと思うけど、庶民派ムードでいつもニコニコしているアーノルド・パーマーの人気はやっぱり突出していたと思うよ。何とかアーニーズ?だっけか・・っていう親衛隊の存在も有名でパーマーの後ろにくっついて一緒にコースをぞろぞろと団体で移動して行くんだよ。

パーマーは実際にゴルフの実力は勿論ピカイチだったと思うけど、それまでのアイビースタイルをルーツとするアメリカンファッションとは、また別の生い立ちを持つそのカラフルで躍動感のあるカッコいい彼のスポーツファッションを次世代の新しいアメリカンスタイルだと解釈してボクの従兄弟なんかも良く真似ていたもんね。パーマーの出演しているテレビ番組を何度か無理やり一緒に観せられたりしていたよ。
その従兄弟が打ちっぱなしの練習に行く時には、わざわざハイネックに着替えてカーディガンを羽織り、そしてベルトレスのパンツを穿いてそれっぽい格好をして行くんだよ。その時は、一応身内だけど割りとカッコいいかなと思っていた。ただ乗り物がちょっと残念でさ、スーパーカブなんだもんね。器用に何本かクラブを持って乗っかって行くんだよ。
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ここに当時のMUNSINGWEARの広告があるけど、従兄弟が目指していたのはこんな感じの格好だった。ボクも何度かスーパーカブの後ろに乗せてもらって練習場について行ったけれど格好とは裏腹に従兄弟の腕前はとんでもなく下手だった。

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画像は握手をするジャック・ニクラウスとアーノルド・パーマー、パーマーはお約束の「カサ」のマークだけど、ニクラウスは・・おっとコレは「GOLDEN BEAR」じゃ無くって、まだMUNSINGWEARのペンギンだねェ。
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 その「カサ」のマークのポロシャツをボクが認識し始めたのは多分中学3年の頃だったと思うんだよね。でもボクはどうしても従兄弟が着ていたMUNSINGWEARの方が欲しくて、結局買ってもらわなかったけど友達が黒い学生ズボンに合わせて得意になって着ていたような気がするよ。

実は自分の本にもチラッと書いたけど、そのアーノルド・パーマーも最初はMUNSINGWEARを着ていたんだよ。本には色々と大人の事情で掲載が出来なかったけど画像はこれ。多分当時はパーマー自身が着てテレビを初めあちこちのメディアに散々露出するもんだからアメリカ本土でもMUNSINGWEARは爆発的に売れたんだろうねェ・・。
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 だから勝手な想像だけど、MUNSINGWEARがあんまり売れるもんだからアーノルド・パーマーのワンポイントを作ったら、きっとバカバカ売れるよ~ってな感じになったんだろうなァ。確かに日本では当時爆発的に売れていたもんねェ。

 ところでずっと以前から気になっていた事が有ってさ、このLACOSTEを着て爆笑しているオジサンと一緒に写ったMUNSINGWEARを着ているパーマーの写真をよく見るとね、向かって左側にポケットが付いていてワンポイントはいつものポケットじゃ無くて、向かって右側のポロシャツ本体に付いているという、かなり不思議なポロシャツになっているんだよね。

 どうしてなんだろうねェ?なんて思いながら前に色々と推理をしてみた事があった。まずポケットは大概普通は向かって右側にあるんだけどパーマーは右利きだから何かポケットにモノを入れた時にスウィングの邪魔になるんじゃないか・・・と。だからスウィングの邪魔にならない左側にきっと移動させたんじゃないのかなァって思ったんだよね。だけどペンギンの場所が不思議だよねェ・・きっとMUNSINGWEARのマーキングコンセプトだか何かが有って、ワンポイントは向かって右側に付けるってお約束だったのかなァ。ポケットにくっついた状態でそのまま左に移動しても全然変じゃ無いのにね。

 まァあれこれ考えて一旦はそんな理由でアレはきっとパーマー用にカスタマイズしたスペシャルな特注MUNSINGWEARのポロシャツなんだよ・・とか勝手に決めて納得していたんだよね。

 そしたら最近になって後輩がこんな古着を手に入れて持ち込んで来たんだよ。
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最初見た時にはびっくりしちゃってねェ・・ヒェ~!本当に有るの??ありゃァ、参っちゃったねって感じだった。仮に古着として発見されるという事は当時市販品として相当量が流通していたと考えられるよね。タグを見ると60年代の前半のモノのように思えるんだけど確かに写真の中でパーマーの着ているポロシャツとディテールが同じなんだよ。
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 それで、当時のアメリカンスタイルにとても詳しくて実際にゴルフが趣味のアメ横時代からの先輩にたまたま会った時に「どう、思われます?」って聞いてみたんだよね。それで一応ボクの仮説を話したら先輩曰く、結論から言うとポケットはどちらに付いていてもスウィングには邪魔だと思うからオレはもっと違う意味の当時のアメリカ的発想、奇をてらうとかウケを狙うとかそんな感じだろうと思うよ。見るヒトに、えっ?て思わせておいて、茶目っ気たっぷりに、どうよ?・・みたいな、そんなふうに思うんだけどなァ・・・って、そんなご意見だったよ。 

 それで他にも同じ場所にポケットを付けたMUNSINGWEARじゃないポロシャツを着たパーマーの画像の存在も教えてくれてね。画像の通り、確かに向かって左側なんだよ。
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 そうか・・色々な推理が出来るよねェ、などと思いながら明日の生活に支障が出るような事でも無いし、別にどうでもいい事のように思えるんだけど、いまだに何となく釈然としなくてボクはやっぱり気になって仕方が無いんだよね。

 う~ん・・真相がどうしても知りたい。今度㈱デサントさんの偉い方にでも聞きに行ってみるかね。ところで去年だったかに㈱デサントさんの方に伺ったんだけどMUNSINGWEARが登場したのは1955年の事なんだって。要するにボクと年齢は同じだったよ。これも、ヒェ~!って感じだね。来年で60周年だってさ・・・


 ヴァンプってペニーローファーとはまた少し趣が違って別のカッコ良さが有るよね?なんて言っていて最近は横着をして短パンばっかり穿いているからちょっとだけご無沙汰しているけど、時々テーパードシルエットのパンツを穿くとやっぱり無性にヴァンプを履きたくなる時が有るんだよね。アイビースタイルの学生っぽさよりも、もう少しヤンチャで大人っぽく見える所が大好きだなァ。
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 やっぱり何と言っても王道はFLORSHEIMのコブラヴァンプだよねェ、このYUMAと呼ばれているヴァンプは超シンプルなデザインだけど押しの強いコブラの頭の形のような独特の顔付きでかなり完成度が高いと思うんだよね。ボクなんかデニムやショーツだけじゃ無くってスーツ(今は、まず用事が無いけどね・・苦笑)までコレ履けちゃうもん。1足持っているだけで、かなり守備範囲が広いのにはあらためて驚くよね。
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 ところでFLORSHEIMとは別に最近メチャクチャに気に入っているヴァンプが有ってね。昨年だったかな?下北沢にあるヴィンテージ・ショップの名店"SANKA"の高野さんの所に、あんまりやる事が無いからうちの店からママチャリこいでヒマつぶしに喋りに行ったら「今、ちょうどこんなのが・・」と言いながら画像の THE"AZTEC"と名付けられた"JARMAN"のヴァンプを見せてくれた。見た瞬間に「あっ!コレ欲しい!」で、本当に久しぶりに一期一会の秒殺買いをしてしまったよ。サイズもちょうど良くって本当に「やった~!」って感じですごく嬉しかった。
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 こんな顔付きの、いかにも60年代を感じさせる尖ったトゥのシェイプでスコッチグレインのブラックのヴァンプもずっと欲しかったんだよね。おまけに底が減りにくくて少しくらいの雨でもOKな合成底のヤツ・・・久しぶりにドンピシャの100点満点だったよ。
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 画像は65年のSEARSのカタログからなんだけど、テーパード・トラウザーにヴァンプを履くボクの基本イメージはこんな感じね。メチャクチャにカッコいいよね~、ファッション的にその頃のアメリカはアイビースタイルがベースにはなっているんだけど、それが次第に成熟期を迎え始めた頃のとっても完成度が高いボクの大好きな時代だよ。それに靴やシャツのページを見ても欲しいモノだらけ!おまけにめちゃくちゃに安くってね(苦笑)。ボタンダウンなんて、3ドルか4ドルだし、シェルコードバンのウィングチップだって18ドルだよ!タイムマシンに乗って「大人買い」をしに行きたいよね。

ボクが最初に買ったヴァンプはブラウンのSEBAGOのスコッチグレインのヤツ、だけどNEOLITEという合成底だった。一方仲良しの友達が前後して買ったのはSEBAGOよりも、もっと高級品だった革底のBOSTONIANのヴァンプで一緒に駅のホームとかを歩くと「歩く音が全然違うじゃん。」と、そいつにバカにされていた。ボクはボクで「じゃァ、雨の日に履いてみろよ。チャリンコに乗れる?」などと言い返していた。が、基本的には負けていた。
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ちょうどその頃もボク達はヴァンプという呼び方をしていたけど時々冗談で「のっぺらぼう」なんて呼んでいた。「のっぺらローファー」と呼んでいるヤツも居たよ。

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画像の黒いスコッチグレインのモノは先輩から以前撮影用に借りて来たその当時のSEBAGOだけど、ボクのはコレの色違いだったんだよ。でも随分前にゴミになって捨てられちゃったけど・・・。これは先っちょが少し丸くなっているデザインでヤンチャなムードが少し影を潜めている感じだね。

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一方、アンティークブラウンのモノは60年代っぽいトゥのシェイプで、実はL.L.Bean(ファクトリーはおそらくG H BASS やSEBAGOなんだろうけどね)のモノなんだけど細身のホワイトジーンズには本当に泣けちゃうくらい強烈に合うんだよね、上にボールドストライプやマドラスチェックのボタンダウンなんか着るともう最高の60年代ムード・・・と言いつつ最近までこのヴァンプがずっと行方不明だったんだよ、こないだようやく家の中で発見された時、実はカビが生えていたよ。

ところで、ボク達が普段使っているヴァンプという呼び方ってどこから来たんだろうね?アメリカではヴァンプって呼ばないみたいだもんね。そう思って久しぶりにAll Aboutでもお馴染みの飯野高広くんに電話をして「ねェ、アメリカではヴァンプって呼ばないよねェ?向こうでは何て呼ぶの?」聞いたら「ヴェネシャンだとか、ヴェネシャン・ローファーと呼びますよォ。多分ヴェネチアのゴンドラの形状あたりから由来しているネーミングなんじゃないでしょうか?」だってさ。「だとすればヴァンプは日本独特の呼び方になるワケ?」「おそらくそうなります。ですけど、基本的にヴァンプとは本来革靴の甲の部分を覆い隠す部位の呼び名ですからね、だから思い付きのテキトーな名前を付けてしまったワケでも無いんでしょうねェ・・。」

そうか、なるほどねェ・・などと思いながらどこかにそれを裏付ける何かが無いかな?と思いながら色々とあっちこっち調べていたら意外な所から面白い事実が出て来たんだよ。

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実は最近、イラストレーターの綿谷画伯の家に行ってたまたま60年代ファッションの話しをダラダラとしていたら彼がちょうど65年から66年くらいの古いメンクラを持っていて何冊か出して来てくれてね。「うわァ、スゴいねェ・・・」なんて言いながら一緒に見ていたんだけど結局あれこれパラパラと見ていても話しは尽きないしキリが無いのでお願いしてドサっと借りて来た。それをここ何日か端から端まで眺めていたらあの伝説のVAN REGALの広告が出て来たんだよ。65年なんて言うと、考えてみたらもう半世紀近くも前なんだよね。
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「ヴァン・リーガルの新しいクツ・VAMP」だって。何だそうか、そういう事だったんだよねェ。(ペニーローファーをコインシューズと表記してあるあたりが何だか時代を感じるよね)要するにVANによる和製英語?のひとつだった。スィングトップやトレーナー、ニューポートジャケット等のお仲間なんだね、へェ~全然知らなかったよ。でもこれでスッキリしたもんね!

ついでに色々と見ていたらタウンシューズの紹介記事も有って、そこにはヴァンプの事を「ロースイム(低く縫った)スリップォン」と表記してあったよ。この言い方も随分懐かしいよね、当時行きつけだったVANショップのオーナーさんがヴァンプの事を「ローシーム」って呼んでいたんだよ。どういう意味??なんて当時は思って居たけど要するに甲の部分を広く見せる為にモカシン縫いを低い位置に持って来るデザインの事なんだね、正しくはLow Positioned Seam って言うんだろうかね?
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カッコいい写真も見つけたよ、創刊50号(66年2月号)の中のフットボール観戦中のアイビーな本場ヤング3人衆がテーパード・パンツにヴァンプの理想的な履き方。う~ん、参りました、って感じだね。
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ライアン・オニールのこんな写真が"HOLLYWOOD AND THE IVY LOOK"という写真集の中に有ったよ。カッコいいけどテキストにはFLORSHEIMのコードバンのYUMAだと書いて有るんだよね、えっ??って思ったけど、まァいいや。
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最後のアイテムはちょっと異端児だけどFLORSHEIMの通称(と言うか先輩や自分達が呼んでいただけなんだけど)「ロケット・ヴァンプ」。コレはジーンズなんかよりは、もっと大人っぽいテーパード・スラックスやスーツにカッコいいんだよね。スーツと言ってもアイビースーツなどよりはもっと黒人のジャズマンが着ていたようなジャイビースーツやR&B好きのヤンチャなお兄ちゃん達が好んだコンポラ(コンテンポラリー)スーツに合わせるのがカッコいいんだよ。ボクは最後までコンポラは着なかったけど当時トップと呼んでいた細身のプレスパンツにモヘアのカーディガンを着たりする時にはこのヴァンプを履くのが好きだったよ。
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