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第127回「シェー!ミーのは、おフランスのお洋服だからカッコいいざんす!」

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 今でこそ、ボクも「このLACOSTEはフランスメイドで・・・」だとか「フランスのd'Arvorにダブルネーム別注をして・・・」「有名なアビーロードのジャケットでジョンが履いているのが実はSPRING COURTのスニーカーで・・・」などとエラそうな事を言っているけれど、アメ横に勤め始めた頃、ボクはADIDASのスニーカーは別にして、トップスやボトムはアメリカ製一辺倒だったから"る~ふ"ではフランスやイタリア等のヨーロッパ製品(SASSONのジーンズやFILAのポロシャツみたいなアイテム)も一部扱ってはいたけれど実際には何がカッコいいんだか余り良く分かっていなかったと思うんだよね。 
 そもそもアイビーから始まったアメリカのファッションにどっぷりと浸かりきった半生が今現在のボクを形成しているのだからアメトラのルーツであるイギリス物は別にして、ボク自身のスタイルは今でも余りヨーロッパの香りはしないんじゃないかと思っている。  
 だけど一応、フランス製やイタリア製のアイテムも持っているし、ちゃんと着る事も有るんだよ・・・。 
 そう言えば、以前どこかに書いたと思うけれど、最初ボクはLACOSTEよりMUNSINGWEARの方が好きだったんだよね。理由は至ってシンプルでアメリカのLACOSTEである"IZOD"が登場する以前はMUNSINGWEARこそがアメリカのブランドだと思っていたからなんだよね、それだけだよ。本当に単純だった。 
 一方LACOSTEに関しては従兄弟が、よく着ていたから何となくフランスのブランドだという認識はしていたけれど、当時のフランスのメンズファッションに付いては全然イメージも出来なかったし、たぶん余り興味も持って無かったんだよね。 
 ただ母親が洋裁の仕事をしていた時「今年パリで流行のオートクチュールがこんなカンジで・・・」とか言いながらお弟子さんに「ドレスメーキング」という雑誌を見せながら教えたりしていたので、さぞかし男も女もオシャレな国なんだろうなァ・・などとボンヤリ思っていた。 
 そもそも小学校の頃、ボクにとってフランスという国のイメージは?と言うと、近所のお金持ちの女のコが一緒に遊ぶと時々一個くれた不二家の「フランスキャラメル」そして従姉妹のネーちゃんが部屋に写真を貼って入れ上げていた「アラン・ドロン」。(彼が来日した時に京都に来て、その時に立ち寄ったという立命館大学近くの「ピエール」という喫茶店に後日連れて行かされ、彼が座ったというテーブルで記念写真を撮らされた。)そして当時、子供達に大人気だった「おそ松くん」に、やおら登場した「イヤミ」だった。 

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 特に「イヤミ」は今考えれば、かなり屈折したフランスのイメージを強烈にボクに植え付けた張本人で、キザでお金儲けが大好き、大概いつもスーツを着て登場し、そしてヒトを小馬鹿にしたようなキャラクターは、当時の子供達の中では瞬く間に人気に火が付き「自分の事」は「ミー」そして「キミ」の事は「チミ」、そして何かにつけて「おフランスでは・・・」と洋行帰りを鼻にかけ、語尾に「ざんす」を付けるという話し方は、学校中でみんながマネをするようになり、ボクなんか給食の時間に「残さず全部食べなさい!」と注意した先生に「ミーはニンジンが大嫌いなんざんす!」と言ったらクラス中が大爆笑する中、こっぴどく叱られた事が有った。 
 そして一世を風靡した「シェー!」に関しては当時、日本全国の小学生で「シェー!」の出来ない子供は一人も居なかったと思うよ。 
 ちょっとネットから画像を拝借して来たけど一番左のオリジナルに続き、何と皇太子殿下、そして来日中だったジョン・レノン、一番右側はゴジラ・・・当時、日本は大変な事になっていた。 

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 ちょっと話しがそれちゃったけれど、あまりにもテキトーなフランスのイメージを持ったままアイビーの時代に突入したボクは、高校生になった頃VANがライセンス生産を行っていた"SPALDING"というブランドを実は、しばらくの間アメリカの製品だと思い込んでいて、よく商品を見に行っていたんだよね。ところが"SPALDING"は普通のVANショップには取り扱いが無くて、地元の京都では"TEIJIN MEN'S SHOP"か"KENT HOUSE"のようなお店でしか売っていなかったんだよ。(・・・と、思うんだけど。) 

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 そしたらある時に"SPALDING"と並べてディスプレイしてあった"HAUSER SPORT"というブランドが目にとまってね、スタッフの方に「これは、何ですか?」って聞いてみたらフランスの有名なスポーツウェアのブランドだって言うんだよ。 
 3色(トリコロールの事ね)のニワトリのワッペンが付いていたりするアイテムも有ったんだけど、当時スキー部だった友達の間で流行っていたスキーウェアのブランドに似たマークにも思えてね。(現在流通しているブランドにも、やっぱり似たのが有るよね?)それに何だかやたらに値段が高かったんだよ。 
 だけど基本的にはボクの欲しいテイストのモノでは無かったから結局一度も購入した事は無かった。 

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 そんなこんなで、なかなかフランスに縁の無かったボクが"る~ふ"に入って何となく「これなら、行けそう・・・かなり、カッコいいもんね。」そう思ったのがSt.Jamesのバスクシャツだったんだよね。その頃は、まだ先輩達もみんな「セントジェームス」では無くて「サンジェームス」って呼んでいたよ。 
 ある時にお客様の中でSt.James をペインターパンツにとっても上手に合わせているヒトが居てね、STAN SMITHとかJACK PURCELLを合わせて履くんだよ。早速ボクもマネをさせてもらった。 
 写真はちょうどその頃の"る~ふ"の店頭。良く見るとウィンドウの左下にSt.Jamesが見えるよね。 
 ついでに言うと突き当りのウィンドウが金沢食品さんのウィンドウ。そしてそのすぐ前が1メートルくらいの幅のT字路になっていて、ちょうどJALのショルダーバッグ(コレも懐かしい!)を持ったお兄さんの向いている方が"ミウラ"の方。そして更に真っ直ぐ4軒ほど行くと左側に"ヤヨイ"さんが有ったんだよ。 

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 ところでSt.Jamesにヴィンテージだとか旧タグだとか言う概念が有るのかどうか良く分からないんだけど、画像のモノは8~9年くらい前に一度シャレで代理店さんとつるんで少量復刻したお馴染みのピースネームが懐かしい小文字のヤツ。ネックラベルもプリントしたペラペラした白いタグでプリント部分がすぐ消えてしまうチープな古いタイプのモノを付けたりしたんだけど、お客様には全然ウケなくてあんまり売れなかった。 
 そう言えば以前「フント二モー」のいであつし君に「St.Jamesってピカソも着ていたのを知ってた?あの、ほらNAVALって言うヤツ・・・やっぱ、パリと言えば芸術の都なんだもんねェ・・・さすがオシャレだと思わない?」って言ったら「今はさ、ご当地フランスのパリでボーダーのバスクシャツを素肌に一枚だけで着ているのは本当に作業服として着ている肉屋さんとかくらいなんだよ!だから玉木さんもピカソの真似してパリでセントジェームスを着るのは絶対にやめた方がいいよ。」ってさ。(下のイラストは、バスクシャツを着た、いであつしくんを描いた綿谷画伯の作品ね。)  

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 まァ、そんなこんなでもう40年近くもSt.JamesのOuessantは愛用し続けているし、当店でも創業以来の定番としてずっと扱い続けているんだよ。そして、このアイテムのスゴい所は、どんなファッションの流れになっても、ちゃんとカッコ良く時流に沿ったコーディネートが出来るという事だよね。  
 そしてボクの場合は、さんざん着倒して、さすがにビロビロになって来たら(と言いつつ、古くなっても捨てられないから何枚も溜まっちゃっているんだけどね・・・苦笑)今度はパジャマになったり、意外に快適なのが枕にかぶせてカバーにすると個人的には、この硬めの素材感が気持ち良くってね・・・。  
 そして最後はハサミを入れられてクルマの窓拭きとか靴磨き用になっちゃうんだけど、最後までスゴいアイテムだといつも思うんだよ。 
 「チミ達もミーとかピカソのように、おフランスのオシャレなセントジェームスを、どんどん着てカッコ良くなるざんす!」

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