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 何だか最近暑いよねェ・・・今年は、もうこの何日間で「夏日」が何回登場したのかなァ?ボクは、いつもの年なら今頃は絶対に短パンなんだけどね。去年も4月の途中から10月の中頃くらいまでの半年間くらいは見事に、ほぼ毎日短パンを穿いていたしさ。 
 だけど去年、コラムニストの"いであつし"くんが、雑誌で短パンをテーマにしたコラムを書いていたんだけど、その後半の部分で「短パン3傑」って言うようなクダリが有ってね、何とそこにボクも入れて頂いていたワケ。それはとっても嬉しくて有り難い事だったんだけど、基本的にボク「あまのじゃく」だから、その事自体に何だか抵抗を覚えちゃってね。それで今年は今のところグズグズと短パンを穿くのをためらっているんだよ・・・。まァ、そのうち暑さに我慢出来なくなって結局穿くんだろうけど、相変わらずボクはどこか屈折しているよ。 
 そう言えばこれからジメジメとした梅雨が始まるんだよね。全身にカビが生えちゃいそうだよ。そして、そのあと毎年お約束の・・あの強烈な暑さが訪れる夏に向かおうと言うようなこの時期に、実はボクのアタマの中では以前からずっとイメージしていて、今年の冬にこそ絶対に着たいと思っているアウターのイメージが既に固まっちゃっているんだよ。 
 何を隠そう・・・MIGHTY MAC往年の名品、ARO DECKっていうフーデッドパーカの事なんだよね。 
 あ、この瞬間に「前にも聞いたぞ!オマエ、また同じ話しかよ。ちょっと、大丈夫なのか~?」という声が、今いっぱい聞こえたよ・・・
 確かに以前自分の本にも書いたようにMIGHTY MACのARO DECKが、かなり好きだからねェ。ただ今回はここ数年気に入って着ているチェックの裏地が付いたARO DECKの話しだよ。裏地がWOOLRICHのグリーン×ブラックの伝統的なバッファローチェックを装着したヤツでね、BARACUTAもそうだけど、こういう裏地にチェックを使ったアウターが昔から何だか大好きなんだよ。おまけに同じ素材で、やっぱりバッファローチェックの裏地を付けたARO PACと呼ぶオプションのバッグまでセットで持っているんだもんね。 
 コレをたまに着ていると、それと同じモノが欲しいのですが・・・と尋ねられた事も2度や3度じゃ無いという、ちょっとだけ自慢のアウターなんだよ。 

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ところがこのバッファローチェックを貼り付けたフーデッドパーカ、暖かくてボトムスがチノやコーデュロイ、そして勿論大好きなデニムの時なんかは相性が良くってバッチリなんだけど、ちょっとだけ贅沢を言うとテイストが「ガチ」のヘビーデューティをイメージさせるから、例えばグレイフランネルのパンツを穿いてラムウールのカーディガンを着るような少し大人っぽい(本人は、もうジジィだけどね・・・)格好には、何だかアウターだけが浮いちゃう気がするんだよ。おまけにアウターシェルのカラーもちょっと白っぽいから余計そう思うんだよね。そして一番残念なのが、長年のボクの皮膚とも言うべきホワイトジーンズに合わない!と言うか、寒い時期に着るのに上下が繋がっちゃったみたいになって全身真っ白な感じになっちゃうんだよ。それじゃ寒々しくてちょっとマズいもんね・・  
 それでここ何年かぼんやりと考えて居たんだよ。裏地がダークな色調のブラックウォッチタータンなら全然違和感無く着れちゃうのにねェ。勿論それでチノやデニムだとかも十分行けちゃうし。それにアウターシェルも、カラーコーディネートを考えると、もうちょっと濃い目のベージュの方が確実にこなしやすいよなァ、あ、ネイビーのアウターシェルもブラックウォッチタータンと相性がバッチリだから、こちらも間違いなく必要だよなァ・・・「う~ン、絶対にベージュもネイビーも欲しい!ホワイトジーンズにも両方バッチリ行けるもんねェ・・」などと、超ワガママな事を考えていたんだよ。  
 それで久しぶりに"35サマーズ"さんに行って相談をしてみたんだね。自分用にサンプルを作るような感覚で特別に1着ずつ作ってくれないかなァ・・などと思ってさ。結果は「物理的には勿論作る事は可能だけど、そんなオーダーメイドみたいな注文はちょっとイヤです。」「アハハ・・・汗」当たり前だよね、ピシャリと言われちゃったよ。  
 そこで、ハタと思い付いたんだよ。そうか、着たいヒトみんなで着ればいいんだよね!そう思って聞いてみた。  
 「じゃァ・・この際、パーカとバッグをセットにして数量をまとめて2色で別注という形にすればいいんだよね?裏地は共通のブラックウォッチにして・・」  
 「そうです、その代わり幾つかハードルが有って、生地や資材の買い付けロット、そして工場サイドの生産ロットの条件に最低限見合うような数量にしてくれれば十分検討は出来ますよ。」  
 「せっかくの機会だから表地は、絶対に打ち込みの良い日本製のT/Cウェザーを採用しようと考えているんだけど、裏地は本格的なスコットランド産のハリス・ツイードのブラックウォッチにしようと思ってさ。」  
 「本気ですか?表じゃ無くて、裏地に・・ですよね。裏地の方が確実に高くなるんですよ!それに、まさかポケットの中にもハリス・ツイードを貼るんですか?」 
 「ピンポーン!中途半端なのは、イヤだからこの際・・・それと、オプションのバッグも作ってセットにしたいんだけど・・・バッグの裏地もハリスで。」  
 「マジですか!アレも・・・?」  
 「何かマズいの?」  
 「バッグはアパレルと違って、バッグ工場の生産ロットが基本だから数百個単位で出来ちゃいますよ。それに裏地もハリス・ツイードなんでしょ?」  
 「そこを何とか、おチカラで・・・」  
 「あ、そうだT型スライダーの付いたジッパーは日本式の右差しじゃ無くって、アメリカ式の逆(左)差しにしたいんだけど・・。ねェ、聞いてる?」  
 「・・・・・」  
 と、まァそんなような当初の話しから、あーでもない、こーでもないという紆余曲折を経て何とかようやく実現の方向に向かってようやく進み始めたんだよ。そして細かい修正は、これからしなくちゃならないけれど、やっとファースト・サンプルも上がって来た。

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嬉しいなァ、コレ、思い通り完成したら絶対カッコいいよねェ、こんなの着てるヒトあんまり居ないよ。これだと、大人っぽいスタイリングが確実に出来るもんね。  
 早く木枯らしが吹いて、雪でも降らないかなァ・・  

 【注:別注とエラそうに言っても、実はあれこれ計算しているととっても悲しい事に大幅な予算不足(汗)になってしまった為、そんなにも沢山生産出来ない事が判明しちゃいました。結局最低数量の入荷予定になってしまいます。それで、今回はうちのWEB担当マネージャーの前田くんにお願いして予約を取らせて頂く事にしました。詳細は近日中にサイト・アップになります。】

 気が付いたら、ボクのこのブログも100回目なんだってさ・・ビックリするよね。うちのストア・マネージャーの小山くんに言われるまで、ボク自身が知らなかったもん。だけど、よくもまァ毎回こんな内容のブログを思い付きと勢いだけで100本も書いて来たよね。読者の皆さん、いつも根気良くお付き合いを頂いて本当に有難うございます。あ、でも、まだまだこれからもネタが有れば機会を見付けて書くからね~!!  
 ところで、もう既にご存知のヒトが多いと思うんだけど、あのSHIPSがとうとう40周年を迎えたんだよ。ただただ一言・・スゴい!40年だよ!めちゃくちゃにカッコいいよね。本当におめでとうございます。これからもずっと、ずっと、とびきりカッコいいアイテムとスタイリングを世界中の感度アンテナの高いヒト達に提案し続けて欲しいなァ・・何せ、SHIPSはボク達インポート・セレクト業界の言わばパイオニアだもんね。  
 つい先日の事だけど、その昔ボクがアメ横の「る~ふ」に入った時には既にお隣の「ミウラ」に居て、当時は超ロン毛で花柄シャツにフレアパンツだったけど、今現在は業界の大重鎮になっちゃった仲良しの友達とゴハンを食べながら話していたんだよ。 
 思い返してみれば、ボク達の居たアメ横の何軒かのショップも元々は本当に一握りのトガッた連中が、周囲からは「かなり変わったヒト達」と言われながら現在進行形のアメリカンカルチャーを体現したくて、巷では入手はおろか目撃さえも結構困難だった様々なアメリカ製品を1坪くらいの小さなお店で、それこそ宝物のように積み上げて取り扱っていたのが今やこんな業界になる原動力の一つになっちゃったんだもんねェ、ホントにビックリだよ。2人で、何だか40年くらいでスゴい事になっちゃったよねェ・・ってさ。  
 ところで、ここ最近の雑誌やネットの記事を見ていて、あらためてSHIPSの生い立ちや創業時の記述に触れる事が出来たんだけど、ちょうどボク自身が高3になった頃VANのアイビーからどんどん気持ちが離れ始めてもっとリアルなアメリカを意識し始めた頃の事でも有るんだよね。本物のアメリカを求めてあちこちウロウロし、随分と時間やエネルギーを使った色々な事を何十年振りにとっても懐かしく思い出したよ。  
 高3の頃なんて当然インターネットなんか無いからアメリカンカルチャーの情報源は主にテレビや映画、そして一部の情報誌や音楽誌くらいだったけれど、その頃の情報量は恐ろしく少なかったからファッションでも音楽でも本当にボクは生のアメリカの情報にスゴく飢えていたんだよね。当時ファッション誌はと言うと「メンズクラブ」と「男子専科」しか無かったし、それよりは「平凡パンチ」や「アサヒグラフ」なんかで時折見る事が出来たアメリカの風俗紹介ページなんかの方が俄然興味が持てたような気がするもんね。 
 そして更に具体的なブランドやアイテムの情報となると本当に数少ないショップやショップスタッフ、そしてアメリカ物に詳しい先輩等に頼るしか無かったんだよね。ところがその後の2~3年の間にそういったファッションを扱う雑誌等の登場によって情報源も急激に変化し、東京以外の地域にも全く同じ情報が送り込まれるようになった頃、渋谷に「ミウラ&サンズ」はオープンしたんだよ。1975年5月・・・丁度40年前の事だね。   

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い機会だからボク達インポート業界の黎明期と言うか夜明け前、あの猛スピードで駆け抜けた一瞬の時代を思い出して書いてみようと思うんだよね。  
 40年前というとボクが上京して来た翌年の1975年という事になるんだけど、実は今や伝説と化してしまった業界ジジィ達のバイブル"MADE IN U.S.A CATALOG"が発刊された年でも有るんだよね。そして翌年1976年に増刊号の"MEN'S an・an"として、あの"POPEYE"が創刊され、原宿にBEAMSがオープンしたんだよ。そしてこの辺りから突如全国区となった西海岸ブーム、そしてスポーツカジュアルやサーファースタイル云々に付いては色々なヒトがあちこちで書いているからここでは割愛するね。  
 ところで余り話題になった事が無いのだけど"MADE IN U.S.A CATALOG"が出る1年前の74年春に創刊された"CHECKMATE"が、実はアメリカ製品やそれらを取り扱うショップを割りと積極的に紹介していたんだよ。考えてみれば当時、京都から出て来て東京の右も左も分からないボクにとっては貴重な情報源のひとつだった。 
 そんな時代背景の中、アメ横の「ミウラ」が渋谷で昭和20年代から営業している「さかえや」の有った袋小路の向かい側、「麗鄕」の横の階段を上がって行った左側に「ミウラ&サンズ」をオープンしたのが1975年だった。でも本当はアメ横の「ミウラ」って、もっと古いんだよ。(↓ 画像はアメ横のミウラ 商品からするとたぶん73~74年辺りかな?)   

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ラッキーな事にボクはSHIPSの原点、商店時代の「ミウラ」をかろうじて知ってるよ。最初は、まだ高校3年だった時。73年に初めて東京のアメ横に行き、「ミウラ」や「る~ふ」「守屋」「マルビシ」辺りを中心にアレコレ見て回ってね。「る~ふ」では靴を買ったんだけど、「ミウラ」ではネルシャツか何かを買ったよ。(↓右側は懐かしい守屋のオジサン) 

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とりわけ「ミウラ」は衝撃的だった、関西ではまだまだ珍しかったCONVERSEのカラースエードや直輸入のLee、LEVI'Sも揃っているし、初めて見るような様々なアメリカの服が積み上がっていて、そこにはお行儀の良さそうなアイビーなんかじゃ無い現在進行形の、もっとバタ臭い本物のアメリカが存在していてね。そして何よりも上から下まで全身アメリカ製で固めたヒッピーっぽいと言うか本当にアメリカのロック・ミュージシャンみたいな風貌のヒト達が販売スタッフをしていて、かなり異質な空気が漂う空間だった。ちょっと攻撃的?な接客はガキのボクにはおっかなかったけど、やっぱりアメ横は全然スゴいや!と思ったよ。そして地元では結構アメリカンを気取って頑張っていたつもりでも、まだまだアイビーっぽさが残る自分の格好がとても中途半端で幼稚に思えた程だったもんね。  
 それまでボクはアメリカ製品がなかなか手に入らない京都のショップに飽き足りなくなって先輩に教えてもらった大阪や神戸のショップに足を伸ばすようになっていてね。心斎橋の「シンコー」や「ROKU」。三宮の「RED」元町の「Mr.BOND」辺りが割りとアメリカ製品を扱っていて一時は通ったりしていたんだよ。だけどその頃、関西のトガッた連中の間ではニュートラと呼び始めたスタイルがだんだんと本流になって来て、ボクも初めて大阪の阪急ファイブのショップで買ったFARAHのフレアパンツを皮切りにニューアメリカンスタイルを気取って髪を伸ばし始め、そんな格好を追いかけ始めたんだよね。 

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ところがその後ニュートラはネーミングこそ新しいトラディショナルとは言うものの、どちらかと言うとアメリカンと言うよりは、ほんの1年も経たないうちにヨーロッパのブランドなんかも混ぜ込んだテイストに進化して行き、関西独特のガラパゴス的な無国籍ファッションに走り始めていてアメリカンテイストからはどんどん遠ざかって行ったんだよね。 
 そんな頃、アメ横に一度行った事が有るという先輩から聞いた「アメ横には、アメリカのホンマもんが、その辺にゴロゴロうなってるで~!こっちとはスケールが全然ちゃうわ。」という言葉に背中を思い切り押されて、アメ横日帰り弾丸ツアーを強行したんだった。  
 初めてのアメ横探索では、現在進行形の若いヒップなスタイルの「ミウラ」と少し年令が上のアメリカンメンズスタイルが主流の「る~ふ」がスタッフのスタイリングもカッコ良くて突出していると思ったけど「マルビシ」と「守屋商店」の物量にも本当にぶったまげてしまったよ。だって、あんなに沢山のアメリカ製品を目の当たりにしたのは生まれて初めてだったからね。そして翌年に上京してからは、お金も無いクセにアメ横は勿論のこと、バイト先の先輩から教わって下北沢や渋谷を始め都内のそれらしいショップに片っ端から行ってみたり、また先輩のボロボロの窓が開かないシビックに乗せてもらって横須賀や福生、横浜にも連れて行ってもらった事も久しぶりに懐かしく思い出したよ。 

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 ほぼ毎週くらいに色々な所に行ってアメリカンな服や靴などを見ると、たとえ毎回は買えなくても触るだけで本当にワクワクしてそれだけで楽しかったんだよね。だけどテレビ局のバイト代が入ってもすぐ服やレコードを買っちゃうから、自慢じゃ無いけどボクはいつも貧乏だった。だからその頃は彼女が出来ても女の子を誘って行くようなオシャレなエリアや、それこそカッコいい喫茶店も美味しいレストランも何も知らなかったし、デートの時の話題もファッションと音楽と洋画以外は何も無いという、今考えると偏りが激しくて興味の無いコに取ってはかなりつまらない(苦笑)ヤツだったのかも知れなかったねェ。 
 そして当時住んでいたアパートが大井町の「みどりや」(現 「キャシディ」の原点)のすぐ近くだったから、給料前で全然お金が無い時はお店の前をわざと避けて遠回りをしたりしていたんだよ。もし運悪く店の前を通って不用意にマスターと目が合っちゃったりすると絶対に手招きされるし、結局モノを見ると必ず何か買いたくなっちゃうし・・で「給料日まで取り置きしてあげっから!」と言う言葉に、マジで何度も深~い墓穴を掘った。 
 そしてそんな事を繰り返しながら76年の暮頃かな?どうしてもインポートの業界に入りたかったボクはちょうど原宿店(現HOMEGROWNの所)を新しく出した「みどりや」に入社したいと思ってマスターと話しを進めていたんだよね。ところが年が明けて少し経ってからマスターに呼ばれ何も聞かされないまま、いきなり電車に乗ってアメ横に連れて行かれて着いた所は「る~ふ」の事務所だった。そして「る~ふ」の社長を交えて3人、「東京苑」という近くの焼肉屋さんで話しをしている時に「とにかくBARACUTAが大好きなので、アレを販売する仕事をしたいんです!」って言ったら、何故か突然ボクは「みどりや」では無く「る~ふ」に入る事になった。そして同じ日に「る~ふ」の面接を受けに来ていた別の人が「みどりや」に入る事になった。  
 その「みどりや」に入った別の人と言うのが実は、業界の至宝・・八木沢博幸さん。ボク達は本当に77年のあの時、大人の事情?で入れ替わってしまい、今こんな風になっちゃった。 
 ありゃァ・・だけど、考えてみたらちょっとマズいねェ、このままだと・・・ボク、もっと頑張らなくっちゃね。 
 そして、そんな事件の有った同じこの年「ミウラ」は銀座にSHIPSという、更にカッコいい強烈なショップをオープンした。そしてSHIPSの快進撃はまだまだ続く・・・ 

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 そして最後にとっても懐かしいボクの古巣、アメ横の「る~ふ」の画像だよ。75年だから、ボクはまだその頃は商品を触ってばかりいて余り買えないお客さんだったんだけどね。 

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良く見てみると、おデコの狭いTOP SIDERやPRO KEDSが見えるし、ADIDASの扱いも「る~ふ」は早かったよね。下段にうっすら見えるのはスクエアビットにタッセルやモンクストラップのBASS WEEJUNSで、下の写真には懐かしいミッキーのバックルとかハワイのプカシェル(ネックレス状のモノ)が写っているよ。そして店の奥に見えている棚の背中のちょうど壁板一枚反対側が「ミウラ」だったんだよ。 「る~ふ」は80年代の初め頃に大人の都合で突然無くなっちゃったんだけど、まァ、長いこと生きていれば、そりゃァ時間と共に多少なりともそれなりに色んな事があるもんだよね。だからこそSHIPSの40周年は、本当にスゴいと思うんだよ。  
 一応は常にトレンドを追いかけているつもりでも、さすがにボクもトシを取って来るとファッションに対してある部分では段々頑固になって来てね。スタイルやコーディネートも勿論だけど、特に自分自身が長年愛用しているようなお気に入りのアイテムに対しては、あくまでボク個人の尺度の中での話しだけど、どうしてもディテールや素材などに自分だけの理想を求めてしまうと言うか現実的には納得が行かなくて、なかなか安直に妥協しにくくなって来るんだよ。(勿論、自分の体型やサイズは全く納得してないよ・・だけどここは仕方が無いんだよ。) 
 長い間着ている同じアイテムでも、都度買い替えながら着用しているとド定番のアイテムと言えども時代と共に様々な部分において微妙に変化をしているのが、その都度分かっちゃってね。 
 それこそシルエットは以前はこんなで今は・・とか、パターンは、素材感は、タグは、ジッパーの仕様は、ボタンは、裏地は、縫製糸の番手や色は・・キリが無いや。 
 ただ単純に良いとか悪いとか言う客観的な尺度では無くて、あくまで個人的な嗜好に裏付けられた主観による極端な好き嫌いの尺度に基づいて、あれやこれやとコダワリが生じるんだよね。仮にそれが博物館級の著名なヴィンテージ・アイテムだとしたら時代が古ければ古いほど価値は有るんだろうけど、ボクは別に何でもかんでも古ければ古いほど素晴らしいと思っているワケでも無いから更に厄介なんだよ。 
 ギターが好きなヒトならこの感覚が分かるかなァ・・ヘッドストックの形はこの時代が好きだけどロゴはもう1代前が好きとか、ペグのメーカーやピックアップは?とかブリッジの形状・・トップやサイド&バックの素材、更にはポジション・マークだとかピックガードの形や色や厚みに至るまで各パーツごとに好きだとか嫌いだとか、全然興味の無いヒトにとっては「だから、それがどうしたんだよ。似たような音は出るんでしょ?」みたいなチンプンカンプンの世界観だよね。 
 だけどファッション・アイテムにおいても時にこういう感覚はとても大切なファクターになるとボクは思っているんだよ。 
 そんなボクの幾つかの定番アイテムの中で、とにかく大好きなのが#G-9。もう慢性的な持病みたいなもんで、何度もダメにしちゃ買い替えながらもう40年以上は着続けているんだけど、中でも裏地がブルーのチェックのヤツは特にお気入りなんだもんね。 
 当然、今現在もそうだけどアメ横に居た時代も同じように毎シーズン取り扱っていたから自ずと細かいマイナーチャンジを含む微妙な変化や進化?を毎回、入荷の度に目の当たりにして喜んだりガッカリしたりしていたんだよね。 
 そんな事を長年考えながら、随分前に廃番になってもう後が無いからと思ってとりわけ大切に着ていた一番お気に入りの#G-9が、昨年くらいからとうとうあちこち穴が空き始めて末期的な症状が顕著になって来たんだよね。確かにその#G-9も細かい仕様に付いては全く不満が無くはなかったけれど、とにかくヒトと同じモノを極端に嫌がるというボクを基本的には十分満足させてくれていたコンビネーションカラーのサックスブルーのヤツで、ライニングは"ROSE"というブルー系のタータンのヤツ。70年代中頃から暫くの間、本当に少量だけど流通していたアイテムなんだよね。 

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 そんな事も有って自分も次に着る新しいのが欲しいもんだから、一度同じモノを復刻出来ないかと思い数年前に当時の代理店からイギリス本国に掛け合って頂いた事も有ったのだけど結果的には実現出来なかったんだよ。 
 そんなある時、近年登場したJAPAN MADEの逸品"TRAFALGER SHIELD"のハリントンジャケットをプロデュースしている社長にこの超ワガママな相談をする機会が有って、コストはかなり掛かるだろうけどせっかくの機会だから別注企画の"COLLECTOR'S EDITION"として日本製で各ディテールやパーツもボクが出来るだけベストだと思う仕様を網羅した復刻のお手伝いをしましょうか、と言ってくれたんだよね。いやァ、嬉しかったねェ・・まずは自分のが欲しいからだけど絶対に頑張って作っちゃお!と思ったもんね。 
 素材は日本製で過去の#G-9に使用されていたモノにかなり良く似た打ち込みの良いコットンポプリンが見付かったから何だかそれだけでも嬉しくなっちゃってね。で、現行のカラーとは少しニュアンスの違う70年代にボクが特に好きだった3色を作る事にした。(前出のサックスブルーに加え、少し明る目のネイビーとカーキ色に近いタンの3色) 
 そして少し着込んだ感じにする為に原反の段階で水を通してみたら程よく表面のツルツル感が消えてかなり良い顔つきになった。 
 こだわったのはやっぱりジッパーだよ。63年のLIFEの表紙を飾ったマックイーンが着ていた#G-9にはメタルジッパーが装着されているんだよね。旧モデルの金属のジッパーが廃止されたのは恐らく67年頃のモデルからなんだけど、ちょうどマックイーンの着ているモデルに使用されているのはスライダーの形状からLIGHTNINGもしくはKYNNOCKというブランドだと思うんだよね。 

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それでどうしてもオリジナルと同じような形状のスライダーのメタルジッパーを付けたくてあっちこっち探していたら、WALDESというブランドで見つけちゃった。扇型のクラシックな顔つきがやっぱりいいよねェ、気に入ってしまったよ。ところでこのWALDESというブランド、一説によると40年代のTALON社の傘下に存在していたという話しを聞いた事が有るんだけど本当なのかなァ?(画像は左からオリジナルに装着されたLIGHTNING とKYNNOCK。そして今回採用したWALDES) 
 ところでボク、スライダーの形状はクラシックな扇型のをどうしても付けたかったんだけど、実はダブルスライダー機能がとっても好きなんだよね。だから今回はクラシックなルックスで有りながら、ダブルスライダーというのを強引に実現してしまった。 
 実際はご本家#G-9でダブルスライダー仕様が登場したのは最近も最近、2000年代に入ってからだったんだけどね。 
 それから今回どうしてもコダワり抜いて再現したかったのが背中部分のベンチレート・スリット。これは74年モデルを最後に廃止され、#G-9においては失われてしまった最大の機能だと思っているんだよね。実際にちゃんと裏地側から外部に貫通していて本当にこの部分で通気性を持たせていたんだよ、自分で着ていて違いが分かるもんね。 
 #G-9が本来はゴルフ用のスポーツアウターだった所以がこの部分に集約されていたのに多分コスト削減の為に強引に省略しちゃったディテールなんだよ。左側がオリジナルね。 

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 ところで細かい話しなんだけどヴィンテージ感溢れる袖口の長めの2段リブも実は70年モデル以降、廃止されてしまってね。これもボク大好きなディテールだったから何とか再現したくってメーカーさんがキレる寸前位まで随分苦労を強いてしまった。でもお陰でカッコいい2段リブが実現したんだよ。この長さのリブだと折り返す事も出来るもんね。(左側がオリジナルの2段リブで長さは8cm。) 

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 まァ、他にもポケットの袋布やら内ポケットの仕様、フロントの裾部分の仕様だとかも細かく言うとキリが無いんだけど、結果はかなり満足の行くヤツが出来上がったよ。 

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 やったねェ~、「いいとこ取りの美学」だね!これで各色2着ずつ購入したら、もう一生心配しなくていいよ・・と思いながら、実は以前存在したコットンギャバジンやツイード素材のヤツなんかもコレと同じ仕様で出来るのだったら、と思うとそっちもメチャクチャ欲しくなって来ちゃったよ。 
 やっぱり・・全く懲りてないや・・



 最近トシを取ったせいか物忘れが増えて来たような気がしてね。いや、事実かなり増えていると思うんだよ。
この間の雨が降る朝にね、家を出てバス停に向かって歩いていたら途中で財布を忘れた事に気が付いてさ。それで家に電話をしようと一度携帯を手にしたんだけど雨も降っているから自分で戻った方が早いや・・なんて思って結局歩いて家に戻ったら、案の定財布が玄関の棚の上に乗っかっているじゃない。
 「ヤだね~、オレもとうとうボケ老人だ・・」などと自分を罵りながら財布を掴んで再度家を出て歩き始めたら、今度は財布を取る際に手にずっと持っていた携帯を棚に置いて、そのまま置き忘れて出て来た事に気が付いたんだよね、ほんの2~3分の話しだよ。
 で、度重なる自分のバカさ加減に呆れ果てながら、また歩いて戻ってるの・・それでようやく今度は無事にバス停に付いたら、バスは既に行っちゃった後でさ。実はこのバス、都内のクセに祝日の朝なんかは1時間に2本の路線なんだよ。もう、寒い中カサを持ったまま朝の早くから世界一カッコ悪いヤツになった気がして最悪の気分だったもんね。
 最近は、以前から良く知っているんだけど暫く会っていないヒトの名前がすんなり出て来ない事が時々有るし、何回かは観ている洋画のタイトルが突如出て来ない。久しぶりに降りた代々木駅では何度も歩いていたはずの道を見事に逆方向に歩いちゃっているしね。
 先日などは、よくギターで弾いていた曲のコードが突然出て来なくなっちゃって、思い出せないんだよ。少し後で「あ、何だ・・そうじゃん・・」とか言って結局思い出すんだけど、それもスゴい簡単な基本コード・・何だかとても悲しくなっちゃうんだよ。
 と、ここまで書きながら、ちょっと一服・・なんて思って今、コンビニにコーヒーを買いに行って戻って来たら、まだ半分位残っている同じコーヒーが何故か目の前に有るんだよ。「あれ?誰のコーヒー?これってバック・トゥ・ザフューチャー?」とか言って、誰も聞いていない無理矢理のボケかましが、自分で虚しくなって結局自己嫌悪に陥るんだよね。
 だけどボクは若い頃の記憶って割りと鮮明に覚えているつもりだったんだよ。ところが全部が全部そうでも無かった事がこの何年かで見事に露呈し始めちゃったんだよね。以前、アメ横時代の先輩と話している時に当時お互いに良く知っていたはずの「東京カントリー」っていう喫茶店の有った場所の認識がどうもそれぞれに違うんだよ。「オマエ違うよ!」「あれれ~?本当にそこですか?」ってなもんでいまだにお互いに謎のままだしね。
 おまけにアメ横に通い始めた頃からたまに顔を出していた「宇佐美」っていうオバちゃんが一人でやっていたPX流れのモノばっかり売っているお店の場所が具体的にどこだったのかが今になって釈然としないんだよね。実は最近、実際に歩いてみたらやっぱり「あれれ~?どこだっけか?」だった。
 あの頃は御徒町の駅の方からアメ横に入ると、まずGパンの「マルセル」さんの店頭の戸板に積まれている特売品(お宝が見つかった事も何度か有るよ。)のGパンの山の中に古いLEVI'SやLEEが無いかチェックしてからその脇の所をガード下に入るんだよね。

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そして右側にある靴屋の「丸福」さんの、両足をビニール袋に入れて通路の床に直接並べてマジックで大きく袋の上からサイズだけを書いてあるKEDSだとかの特売品をチラリと見た後、シーブリーズだかセッチマだか忘れたけど何度か買った事がある「カナリヤ化粧品」のポニーテールをしたヤンキーっぽいとってもキレイな、ちょっと好きだったお姉さんにご挨拶しながら泣く子も黙る名店「玉美」さんとマンシングウェアの宝庫「林実業」さんのひとつ手前の超狭い通路を右に入って、もう一回右に曲がるんだっけか・・・のはずだったんだけど今となっては何だか良く分からなくなっていたよ。

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そして当然の事ながら古いブランドやアイテム名に至っても残念ながら同様なんだよね。特に、70年代のあの一瞬を一度だけ駆け抜けたブランドなんてのになると思い出すのにやたら苦労するんだよ。いまだに思い出せないままのモノも本当はいっぱい有るしね。
 ちょうど今年のまだ秋頃だったと思うけど、そう言えば昔「る~ふ」で取り扱っていたカッコいいラグジャが有ったよなァ・・何だっけか?と、考えても、考えても思い出せないブランドが有ってね、確かサンフランシスコってタグに書いて有ってさ。
 ところが日にちが経っても全然思い出せない・・仕方が無いので、その頃隣の「ミウラ」でも売っていたから「ミウラ」に居た古い友達に電話をして「タグにラグビーとかサッカーをやっているイラストが描いてあるラグジャって何ていうブランドだったっけ?」「あ~有ったねェ!え~っと、分かんないや。何か丸いワクの中に文字が書いてあるヤツでしょう?」「そうそう、それ!」さすが友達も同年代だったよ、症状はボクと大差無かった。
 そしたら突然「そうだ!そう言えばクルーネックのヤツが確かどこかに有ったよ、何年か前に家で見た記憶が有るもんね・・」なんて思い出してあちこち探してみたんだけど、残念ながら不安は的中し全然見つからないんだよね。そして今現在も行方不明だ。
 そうこうしていたら、何かの拍子にようやく思い出したんだよ。ブランド名じゃ無くて、そのアイテムが古い雑誌に紹介されていた事を。それからが大変、年代を絞りこれと思う古い雑誌を何冊か引っぱり出してあっち見たりこっち見たり・・それが、コレかな?と思う雑誌に全然出て来ないんだよね。そしてようやく見つけたのが画像の記事。

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何だ、「サーズ&シングス」だよ。クレジットは、下北沢の「る~ふ」だね。そうだそうだ、そうだった、懐かしいなァ、高かったけど結構売れたよねェ。なんて思い出してみれば何て事は無く「な~んだ。どうしてコレが思い出せなかったんだろね?」ってな感じだったけど、それはそれでようやく気が済んだ・・つもりだった。
 それから季節も変わり、つい先日の事。来期のアイテム構成を考えるのに古い雑誌をあれこれと見ていたら、出て来たんだよもっとクリアな画像のタグの写真が・・。

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「あ、ここにもカラーで出ているじゃないか。」秋頃に写真を探し回った事を思い出しながらよく見てみると、「あ~っ!!マジ?」ブランドのスペルが「THREADS&THINGS」なんだよ。ひょっとしてカタカナにすると「スレッズ&シングス??」・・「サーズ&シングス」じゃ無いの?多分、当時はちゃんと文字なんかまともに読んで無かったんだよね。
 恥ずかしいを通り越して、自分の愚かさに呆れ返ってしまったよ。今頃気が付いたんだもんねェ・・いったい何年経っているんだよ~。まァ確かに当時は先輩もそう呼んでいたと思うけど、全然違っていたね・・。当時購入して頂いたお客様全員に間違って言っちゃったよ。皆さんごめんなさ~い!
 まァ確かに考えてみれば40年近くも前の事だし、当時は雑誌の表記も怪しいのが多かったから仕方が無いのかも知れないけど、今回ほど自分の記憶や思い込みなんて、相当いい加減なもんだと思い知った事は無かったよ。きっと本当はボクのアタマの中に、まだこんなのがいっぱい有るんだよ・・。
 ところでラグジャそのものの画像が無くてゴメンナサイ、ずっと探してはいるんだけど多分そのうちどこからか発掘されるような気もするから、発見されたらここにアップするね。だけど、確か一度見たんだよ・・という記憶、きっとこれがまた絶対怪しいんだよね。

 ここ何日か、少し時間があるとつい眺め入ってしまうのが古いメンクラなんだよね。

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 実は、ボクやうちのスタッフ達がいつも社員食堂みたいに使わせて頂いている三茶イタリアンの名店「イルピアット・カチャトラ」のオーナーシェフ「カドハマさん」にお願いしてドサッとお借りして来たものなんだよ。(そろそろお返ししなくちゃいけないんだよね・・汗)伺ったところによると、最近ちょっとした縁が有ってまとめて入手する事が出来たんだって。正直言ってかなり驚いたんだよね・・初めて見たよ。半生記以上前の雑誌、それもメンクラだよってなもんで一般的な価値は、まァ・・確かに古雑誌だったりするのかも知れないけれどボク達みたいなメンズアパレルの業界に長く居る者に取っては計り知れない程の希少な、そして相当貴重な情報価値が有るモノだと思うもんね。 
 「イルピアット」・・ボク達、いつもいきなりドヤドヤと押しかけて行ってあれこれ食い散らかして帰るんだけど、お料理はシェフのお人柄そのもののとってもハートフルな美味しいお店で我々の業界にもここのお店のファンの方がスゴく多いんだよ。ハウスカードもセンスが良くてスゴくオシャレだよねェ、ボクこういう画風も大好きだなァ。

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あ、そうそう、このイラストは"AMERICAN TRAD HANDBOOK"でもお馴染み、現在超売れっ子のイラストレーター「ソリマチアキラさん」の手によるモノなんだよね。 

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そうそう「イルピアット」の店内の壁にはこのハウスカードの原画が飾ってあって、そしてソリマチさん直筆のサインも有るんだよ・・おっと、その左側には綿谷画伯が・・(笑)
 他にもアパレル業界等を中心にメディアや雑誌で著名な方やタレントさんのサインが紹介しきれないくらい店内の壁にびっしりと書かれていて、それだけでも一見の価値が有ると思うよ。因みに綿谷画伯のサインはトイレの入り口の脇というなかなかに鋭く計算された小粋なポジション、そしてその隣をバッチリ狙った巧者のソリマチさん・・おまけに右隣りは政近準子さんだよ・・なかなかに考えたねェ!なんて、そんなワケは無いか。 
 ところで今回お借りしてきたメンクラ、この中でも古株の第10集、1958年だってさ。スゴいよね、56年前だ。その時ボクはまだ3才だよ。おまけに表紙が何と石原裕次郎だもんね。おまけに中面に登場する専属モデルは菅原文太だし・・驚きを超越して何だか手を合わせて拝んでしまっちゃいそうだったよね。

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ボクは、今までにも色々な所で「昭和のアイビー事情」を語る際には事ある毎に「昔のメンクラでは・・」なんて言う言い方をしていたんだけど、本当は昔先輩の家に有った65、66年辺りくらいからしか知らなくて、こんなに初期の時代のメンクラを何冊も見る事が出来たのは今回が初めての事だったんだよね。 
 実はボクの手元には前にメンクラの付録だった創刊号からの表紙を並べてあるポスターが今でも有って、それぞれの号の表紙は何となく認識していてね。だからずっと前から、もし機会が有れば何としてでも中味を見てみたいものだと思っていたんだけれど、ようやくこの年齢になって思いが叶う事になったんだよ。シェフから最初話しを聞いた時はあんまり嬉しくて、興奮して声が裏返しになっちゃったんだもんね。 

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当時のメンクラ、どれもこれも内容はとても興味深いものだった。これまでボクは遡れば遡る程にメンクラはアイビー一辺倒だと思っていたんだけど実際は少し違っていてね、アイビーというスタイリングは他に当時の呼び方でトランス・アメリカンやコンチネンタル、そしてアンバサダーなど様々なスタイリングと一緒に紹介される中の一つのカテゴリーとして扱われている事も多く、VANの商品も紹介はされているんだけどアイビーっぽく無いアイテムが数多く存在していたのが目からウロコの大発見だった。このVANのオープンシャツが1000円だってさ・・ 

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そう言えば前に穂積先生とお茶を飲んで話している時に先生は「石津さんの始めたVANの服、最初の頃は新劇の俳優さん達が好んで着るようなちょっと尖ったファッションで全然アイビーじゃ無かったんだよ。でもその頃はアイビー自体が何だか誰も良く分かってもいなかったからね。」って仰っていた。

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確かに11集夏号の表紙なんか見ると56年前の58年にこの格好だよ。かなりヤバいよね・・リゾートスタイルとは言え、新劇の俳優さんと言うよりどう見てもそこいらの遊び人だもんね。きっと当時うちの近所にこんなヤツが居たりしたら絶対いけないウワサが立っちゃったかも知れないよ。だけど現実的には当時メンクラには何人くらいの読者が居たんだろうかね?この本を買ったヒトがどんなハイカラな人種だったのか・・すごく知りたい。 
 ところでVANがアイビーに徐々に変化し始めて行ったきっかけは当時まだ一般的には入手が困難だったアメリカの"MEN'S WEAR"を定期購読していた穂積先生が、そこで紹介されているアイビーファッションに目を付け「これからはこのアイビースタイルがカッコいい!」と当初よりメンクラにイラストを描いていたのが縁でVANの石津先生に持ち込んだ・・というのが真相のようだった。因みにアイビーの教祖様くろすとしゆき先生は最初穂積先生の教えるスタイル画講座の生徒さんで、そこで互いに服好きが分かり意気投合し行動を共にするようになったんだって。更には最初くろす先生にアイビーの細かいディテールを絵解きしながらレクチャーをしたのが穂積先生だったと、とっても貴重なお話しを伺う事が出来たんだよね。もう、どれもこれも昭和の伝説・・感動してしまったよ。 
 メンクラは56年の第6集で「アイビー・ルック」特集を組んだのを皮切りに徐々に「アイビーのメンクラ」の体を成して行ったみたいだった。そして63年には最初の「アイビー特集号」と銘打った33集が発刊され、それが後のメンクラの立ち位置を決定したんだね。

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せっかくなので特に興味深かった部分をあれもこれもと、ここで紹介したいと思うんだけどスペースの都合が有るから幾つか選んでみたよ。 

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まず27集と書かれた62年の春号には「アイビーのすべて」っていう特集が組まれていてここに貴重なカラー写真の見開きが有るんだけど、どう?50年以上前のファッションカットだと思えないよね?

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右側は基本に忠実なヘリンボーンのアイビーモデルのスリーピース。古さが全く感じられないのがスゴい事だよね。傍らにはコットンギャバジンと思しき素材のVANのバルカラーコート。一方左側は2トーンジャケットにボタンダウン、オフホワイトのコットンパンツ、そしてハイカットのバッシュー。そしてカレッジストライプのマフラー。昭和37年も52年後の今も基本は変わっていないんだよね。ただただ驚くばかりだよ。

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32集は63年の夏号。これを見てボクは今回腰を抜かす程驚いちゃった記事を見付けたんだよね。

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何と現在もボクの定番、ピケ素材のWHITE LEVI'Sの紹介記事が有ったんだよ。まだ当然直輸入物の時代で因みに表記は「リバイズ」だってさ。おまけにボクが自分の本でも書いたけどWHITE LEVI'Sのキャペーンソング♪WHITE LEVI'S♪の初めて見るレコジャケが紹介されていて更には唄っていたグループが女の子の4人組「Majoretters」だと今回初めて知る事になったんだよね。ボクそこまで知らなかったから、もうビックリだった。 
 そして更に左側のモデルのトップスが何とこれもボクのお気に入り、MUNSINGWEARのポロシャツなんだよね。㈱デサントさんがMUNSINGWEARとの契約をスタートしたのがこの号が出た翌年の64年だから、これも完全に直輸入品だろうと思うけど、やっぱりアメ横で買ったんだろうか、いやァ・・参っちゃったねェ・・「何だ、このペンギンのマークは?」とか言って気が付いたヒト何人居たんだろうね。第一「マンシングのポロシャツ」なんて何人くらいのヒトが知っていたんだろうね。興味の無いヒトには、それがどうした?みたいな話しだろうけどボクはブッ飛んだよ。50年前に一体どれくらいの読者がこれを真剣に読んで認識したんだろうかと思って想像すると楽しくなっちゃうよね。 
 そして今でもボクはWHITE LEVI'SとMUNSINGWEARのポロシャツの組み合わせという日が普通に有るよ・・それこそが本当に素晴らしい事だと思うんだよね。 

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記事の中に写真が無いから説明が難しいけど20集は60年の春号。アメ横に関する記事が有ったよ。「国電の御徒町駅」だってさ!若いヒト分かるかなァ・・JRがまだ国鉄と呼ばれていた時代だね。因みにJRでは国電を「E電」と名付けて愛称にしようとして大々的にキャンペーンをやり、ものの見事に浸透しなくて大失敗した事が有ったんだよ。「イーデン」ねェ・・やっぱ少し違和感あるなァ・・

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ところで内容はどうしてアメ横には舶来品(死語?・・輸入品)が集まるのか、どういうルートを辿るのか、そのからくりは?税関の抜き打ち手入れの事や、安いヤミ値の納税証紙が有って・・などと結構詳しく触れて有って、読んでいて楽しくなっちゃった。昔アメ横の長老から聞いていた話しだよ。当然、ボクが居た70年代なんかよりもっと以前のアメ横はそれこそお金さえ有れば何でも手に入るという宝の山だったみたいだよ。是非行ってみたかったなァ。 
 そして更にアメリカのセコハン(SECOND HAND 死語・・中古)衣料の流通に付いても触れてあってね。売っている場所が渋谷の百軒店の店なんて書いてあるから、あァこれは後に「ミウラ」が「MIURA&SONS」を出した場所の階段の下の「麗鄕」の前の袋小路を入った右側の「さかえや」左側の「みどりや」の事だろうなァなんて懐かしく思ったよ。

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29集は62年の秋号。ここで見つけたのは何とBROOKS BROTHERSの紹介記事。これもビックリしたよ。50年も前に、もうブルックスの紹介記事が有ったなんてメンクラはやっぱり先見の明が有ると言うか、スゴいの一言だよ。

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今ではアメリカも随分近くなったけど、ボクが初めて行った頃だってそりゃアメリカに行くと言うだけで周囲は大変な騒ぎだったから62年当時の感覚からするとアメリカって遥か彼方の宇宙旅行に行くくらいの感覚だったんじゃ無いのかなァ。 
 そして記事の内容がふるっているんだよね。ブルックスの洋服は30年は変わらない、だとかアメリカへの入国の際の税関検査はトランクを開けた一番上にブルックスのシャツを何枚かバサッと入れて置けば、それが身元の確かさの証明になってすぐパスしてくれるだとか書いてあるワケ。この頃から既にブルックスの神格化が始まっていたという事なんだよね。参りました!って感じだもんね。 
 本当はもっといっぱい興味深い特集や記事が有ったんだけど、また何かの機会にここで紹介するね。あれもこれもと結構な量の画像を撮っておいたから。 
 メンクラは1954年の創刊だという事だから、今年で何と60周年だよ。だけど現在もちゃんと書店に並びメンズ誌の長老として様々なファッションやライフスタイル情報を発信し続けてくれている事実がやっぱりスゴいよね。確かに現在は感覚的に別テイストのメディアにはなっちゃったけど、ボク達の昭和の時代・・VANのアイビー、そしてメンクラの神格化されたバイブル的存在とその洗脳教育?によって見事に信者さんとなり、人生を変えられてしまったのは多分ボク一人だけじゃ無くてボク達の業界に君臨する?長老達の中にもいっぱい居るんだろうなァ・・。
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