トップ > 入荷情報

新着情報

tamakiblog

 ボクの生まれた年、55年に製作された伝説の名画「理由なき反抗」でジェームス・ディーンが着ていた赤いジャンパーは、最近でこそアレはMcGREGOR社の"ANTI FREEZE JACKET"だという事になっているよね。
b9_91_01.jpg
だけど昔は同社の"DRIZZLER JACKET"だという事になっていてボクもある年代まではそれを信じていた。そしてモノもボンヤリとしか知らないクセに知ったかぶりをして友達や後輩達にもエラそうにそう言って受け売りをしていたんだよ。みんなゴメンね~・・・多分高校生の頃に読んだメンクラだか何かにそんな話しが書いてあったんだと思うんだよ。

 映画そのものは高校生の時に一度リバイバル上映で観てはいたけど、当時その赤いジャンパーは多分ボクの目に余りカッコいいモノに映らなかったんだろうかね、赤い色ばっかりが印象に残っていてディテールなんかに付いては割と印象が薄かったんだよ。それよりもブルージーンズに丸首の白いTシャツだけでどうしてあんなにカッコ良く見えるんだろう・・とか、ナタリー・ウッドの可愛さばっかりが記憶に残っていてさ。
 その後80年代に入ったらようやく様々な映画のビデオが市販されるようになって、街中にポツポツとレンタルビデオのお店が出来始めたおかげでやっとボクもその「理由なき反抗」をあらためてじっくり観る事が出来たんだよね。ビールを飲みながらテレビの前に座り込んで最初は一回ちゃんと通して最後まで観たら、今度は巻き戻してビデオデッキのボタンに指を置き、画面を見ながら何度もテープを送ったり止めたり戻したりを繰り返し、やっとこさその赤いジャンパーの全貌を掴む事が出来たんだよ。ついでに映画の中でジェームス・ディーンが穿いていたジーンズは何とLevi'sじゃなくてLeeだったという事まで発見しちゃったよ。
b9_91_02.jpg
ちょうどその少し前の70年代後半頃だったかにLevi'sのイメージキャラクターとしてジェームス・ディーンと、そしてLevi'sのデカいロゴが胸に付いたTシャツをピチピチに着た映画評論家の水野晴郎が合成画面で共演してLevi'sを語るCMがテレビでオンエアされていたから、最初映画の中でLeeを穿いているのを発見した瞬間は「え??まさかね・・」、もう一回見直して「えェ~!Leeじゃないか・・コレは世紀の大発見、きっとオレしか知らない事件だァ!」なんて思って何度か映像を止めて再確認をした後に、この話しも友達や後輩なんかに随分と得意になって言いふらしたような気がするよ。まァ、「ジャイアンツ」ではちゃんとLevi'sを穿いているんだけどね。

最近何かで読んだ話しではこの「理由なき反抗」、最初は白黒で製作される予定だったのが何だか偉い方の突然の意向で急遽カラーで製作される事になり、それならば・・と主役のジャンパーも急遽、キャラクターを強烈に印象付ける為に赤い色のものに変更されたんだと書いてあった。そう言えばボクの持っているDVDのジャケットの写真では何故か紺色だよね、どうしてわざわざ赤いジャンパーじゃ無いんだか不思議だったんだよ。これ最初の白黒用衣装で撮った宣伝用のスチル写真なのかなァ。
b9_91_03.jpg

画像のものは古着屋さんで購入した"DRIZZLER JACKET"、襟の形状やタグ(Cravenette ⇒ イギリスの素材メーカーによる生地で防水加工を施したギャバジンの事・・だと前に教わった事があるよ。)などから恐らく60年代のものだよね。
b9_91_04.jpg
実は最近袖を通した事が全然無いんだけど、この60年代後半頃のトレンドカラー「マスタード(カラシ色)」のカラーがとても気に入っているんだよ。それにいつものマニアックな話しだけどジッパースライダーの先っちょに付いているクレストっぽいデザインのプルトップがいかにもMcGREGORらしくて好きだなァ・・すごくカッコいいと思っているんだよ。
b9_91_05.jpg
b9_91_06.jpg
ただ古着屋さんで初めてホンモノを手にした時に思ったのは「あれ?このデザイン知っているよ・・。」そうなんだよね、昔のメンクラの「アイビー特集号」にVANのスウィングトップとしてこのデザインのものが登場していてね、いつも食い入るようにどのページも見ていたから、いちいちデザインを覚えちゃっていてね。「わァ、コレVANのにソックリだァ・・」ってさ、表現が真逆だったよ。
b9_91_07.jpg
b9_91_08.jpg

因みにDRIZZLERのDRIZZLEは例えばロンドンの天候に象徴されるような「霧雨」とか「シトシト雨」の事なんだよね。以前アメリカ人の友達にカタカナ発音で「ドリズル」と言ったら全然通じなかった。それでそいつに発音させてみたら「リ」にアクセントを置いて「ドゥリゾー」って聞こえた。毎度の事ながら英語は難しいやね。

b9_91_09.jpg
ボクのと同じカラーのものが掲載されている広告なんだけれど、多分Billy Casperって言う当時の著名なゴルファーなんだろうね。だけどこの写真だとどう見てもちょっとお父っつぁんクサく見えちゃうねェ・・ボクも今同じのを着たらこんなふうに見えるんだったらちょっとだけヤだなァ・・めちゃくちゃカッコいいディテールを持ったジャンパーなんだけどねェ。

ところでアメ横の「る~ふ」に居た頃はMcGREGORのDRIZZLERを一度も取り扱った事は無いんだけど、一度「マルビシ」さんで当時の"現行品"のDRIZZLERを見た事が有ってね、でも襟がやたらデカいロングポイントでタグのデザインもちょっと変わっていたから試着だけさせてもらって結局は買わなかった事が有ったよ。

そんなこんなで結局ジェームス・ディーンの赤いジャンパーはどう見ても"DRIZZLER JACKET"じゃ無いのは分かっちゃったんだけど、この映画をじっくりと観ているとちょうどプラネタリウムの建物のところでナイフゲームをやるシーンで周りを囲む悪ガキ共の中の一人がダークグリーンのDRIZZLERっぽいジャケットを着ているんだよ。

ところが更にもっと良く観るとどうもベージュ色の裏地が付いているっぽいのとそして背中のヨークが無いという所からアレは同じDRIZZLERのバリエーションか、もしくは違うモノのような気がするよ。ただ、もしその時代に既に別のメーカーが作ったソックリさんが存在していたんだとすれば、ご本家McGREGORのDRIZZLERはおそらくよっぽど売れたんだろうねェ・・・。

だからアメリカでは、いつの日からかあのようなデザインのジャンパーをあれもこれも総称的にDRIZZLERと呼ぶようになったんじゃないだろうかと想像したりもするんだよね。そしたらジェームス・ディーンのDRIZZLER JACKETもあながち大間違いでも無かったかも知れないよね。
ところでDRIZZLERが衣装として使われている映画って、実はあんまり思い付かないんだけどパッと思い出したのが例えば"CAPE FEAR"(邦題「恐怖の岬」)という62年の白黒作品だけどグレゴリー・ペック主演のサスペンス映画が有って、
b9_91_10.jpg
その中でグレゴリー・ペックが紺色だか黒色だかのDRIZZLERらしきモノを着て出て来るシーンが有るんだよ。おまけに良く観ていると、途中でチラっと出て来る端役の学校の警備員のオジサンらしき人も白っぽいDRIZZLERらしきモノを着て登場する瞬間があるよ。

たまには袖を通してみるか・・とも思うけどやっぱり、お父っつぁんクサくなっちゃうのかねェ。(実際、間違いなくお父っつぁんじゃね~か・・苦笑)若いコが着ると本当にカッコいいのにね・・

 70年代の幕開け・・大阪万博も大盛況のうちに無事終わり、めでたく高校生になれた頃ボク達悪ガキ連中は生意気にも少しずつ色気が出て来てね。無事滑り込めた高校は制服が無くボク達は私服で通学出来たんだけど、だんだんとアイビーの洋服や靴そして整髪料の匂いをプンプンさせた7:3分けのケネディカットだけじゃ満足出来なくて、あれこれ更に格好付ける事を考え始めた。何か競ってみんなで背伸びしちゃってね、出来るだけ年齢が上に見えるように色々と悩むんだよ。

 それでも入学して最初の頃だけは一応緊張して割と真面目?に過ごしていたんだけど、だんだんと慣れて来るとまず学校から脱走して通りの向こうの喫茶店に行く事から始まってね。

それで何人か集まると必ず誰かがタバコ(大概は当時人気だったセブンスターかハイライトだったんだけど、一人いつも母親の買い置きをくすねて来るヤツが居て、そいつは一向に人気の出ない「峰」だった。)を隠し持っていてね、そしておもむろに出して吸い始めるもんだから本当はまだちゃんと吸えもしないのにカッコ付けてオレにも一本くれよとか言って一服目から涙目になってゲホゲホやるヤツが居るかと思えば、本当はこの間までコーヒー牛乳を飲んでいたクセにサイフォンで点てたコーヒーを頼み見栄を張ってブラックで飲もうとするヤツとか、先月までカバンに入っていたのは少年マガジンだったクセに突然兄貴の部屋から持って来ちゃった平凡パンチを「じゃ~ん!」とか言ってみんなに見せびらかして、そのヌードグラビアのページをぎこちなく足を組んで眺め始めるヤツなんかが居てね。

ボクはボクでお店のマッチの中身を全部出しちゃって隣のヤツとマッチ棒クイズをやりながらカウンターの中に居るお姉さんとMG5とブラバスだったらどっちの匂いの方が女のコは好き?なんてやっていて、みんなバカみたいだけど結構それなりに真剣だった。でも時々おっかない上級生達がいきなり入って来るとみんな店の奥の方にサッと詰めてタバコを消し、足を揃え直して下を向いちゃったりしてね。

 そんな事を日々飽きもせずにやっていたある時に友達の一人がサングラスをかけて来たんだよ。何かカッコ良くてさ、大人っぽく見えるワケ。「わァ、どうしたの?それ・・」聞いたらそいつの兄貴がスキーに行く時にかけているヤツだとか言って見せてくれた。メタルフレームのティアドロップ型のヤツ。「カッコいい~!ちょっとかけさせてよ~」なんて言ってたらみんなで取り合いになっちゃって代わる代わるトイレの鏡を見に行っては「コレ、行けてるよ~オレも欲しい・・」ってなっちゃってね。

 早速家に帰ってボクも従兄弟に尋ねてみたら一応ちゃんとサングラスを持っていて「絶対に失くすなよ。」言われながら一時的に借りる事が出来た。でもデザインがちょっと行けて無くってさ、何かちょっとだけ形がオッサン臭いんだよ。当時は少ない情報の中でアメリカ人⇒サングラス⇒ダグラス・マッカーサーみたいな分かり易いイメージが有って、友達とやっぱりメタルフレームのティアドロップ型のヤツが絶対カッコ良いよねってな話しになってさ。それで早速買いに行こうという事になったんだよ。
マッカーサー.jpg
 それでまずはいつも行っていたVANショップのお兄さんに聞きに行ったらちゃんと知っていて「あァ、RAY-BANね」って教えてくれたんだけど、ボクは最初「零番」ってお風呂屋さんの下駄箱の番号みたいなのを想像しちゃって最初はメーカー名だと全然分かって無くってね。「え?」って聞きなおしたらお兄さんがそういう名前のアメリカのメーカーでたぶんマッカーサーのかけているヤツがそうだと言うから、「やった~それで決まりだね!」なんて思って教えてもらったデパートの特選売り場に行ってみたんだよね。

 「ひェ~、た・高い!」値段を見て、瞬時に検討のキャパを超えてしまったボクと友達はビビってサッサと帰って来ちゃった。だからそれから暫くはデザインに不満は持ちながらも何かあるとその度に従兄弟のサングラスを貸してもらっていた。

【注:後日、中田商店さんで教えて頂いたんだけどマッカーサーがかけていたのは、RAY-BANじゃ無くってやはり軍用グラスのサプライヤーAMERICAN OPTICAL(AO)のモノでは無いかという事だった。】

 そんなこんなでその後の月日の経過が少し曖昧だけど、ある時に友達が「たまちゃん、テイメンにRAY-BANが半額くらいで売ってるよ。」って教えてくれてさ、「え~!」ってなもんで早速そいつと見に行ったんだよ。そしたらズラリとガラスケースに並んでいてね、でも良く見たらデザインはほとんど似ているんだけどSPALDINGって書いてあってさ。(当時のVAN繋がりのライセンス商品だったんだろうかね。)まァ要するに日本製のそっくりさんだったワケ。だけどSPALDING、それはそれでボク達はアメリカのスポーツブランドだって知っていたからその時はSPALDINGでも全然OKだった。だってRAY-BANは値段が高くてとても手が出なかったからね。
b9_88_04.jpg
 めでたくボクはSPALDINGのグリーンレンズのティアドロップ型のサングラスを手に入れて暫くご機嫌だったんだけど、たまたまある時に新しモノ好きの友達がRAY-BANのイエローレンズをかけているんだよね。でさ、そいつが言うにはこれからのニューアメリカンスタイルはRAY-BANのイエローが絶対オシャレだとか言うワケ。

ちょうどその頃ちょっと遅れて観に行った映画「イージー・ライダー」でイエローレンズをかけて誰かが出て来るシーンはボンヤリと認識はしていたんだけど、あんまりカッコ良くも思わなかったからまさかそんなのにそいつが飛びつくとは思っていなかったんだよね。だけどあんまり自慢するもんだから一応それを借りて空を見上げたら何か更に眩しいような気がした。
easy rider.jpg
 後で知ったのだけど、「イージー・ライダー」の中で出て来るRAY-BANのイエローレンズのモノはSHOOTERという名前で黄色い色のレンズは射撃専用のモノだと言う事だった。要するに曇天や暗がりでも標的がクリアに見え易いように開発されたレンズだという事で間違っても真夏の快晴の昼間に太陽を見上げるようなモノじゃなさそうだった。因みにSHOOTERのブリッジ部分に取り付けてある丸い「輪っか」は初期型は直径が数ミリ程小さくて後期型と見分けが付くんだよと後日先輩から教わった事があるよ。

また「イージー・ライダー」の中でブローカー役?としてイエローレンズで登場するのが、あのWALL OF SOUNDの鬼才、63年の大ヒット「BE MY BABY」を唄ったロネッツのリード・ヴォーカル、ヴェロニカ・ベネットの元亭主「フィル・スペクター」だったというのは随分後になって発売されたビデオを観て知った事だったけどね。
フィルスペクター.jpg
 その「イージー・ライダー」が発端なのかどうか分からないんだけど73年頃から関西で急に増殖し始めたニュートラスタイルのフレアパンツを穿いたお兄さん達がセミロングでソフトリーゼントの髪型に時々RAY-BANのイエローレンズをかけているのが目立ち始めてね。ボクはやっぱり、ありゃァ変だ・・なんて思っていて最後まで買わなかったけれど。

b9_88_05.jpg
 結局ボクがRAY-BANを手に入れたのは74年に上京して来た時で、例によってアメ横で買ったんだった。SHOOTERの濃いスモークグリーンレンズのヤツでね、フレームに「10K」って刻印が有った。ちょうどその頃だったのかな?ロックバンド「キャロル」が「キャロルファースト」というレコジャケでRAY-BAN?のOUTDOORS MANというタイプをかけて登場したり、
キャロルファースト.jpg
その後「ダウンタウンブギウギバンド」の宇崎竜童なんかが「続・脱どん底」というレコジャケにミラーレンズのティアドロップで登場したり(アレはRAY-BANじゃ無かったと思うけど。)と、
脱どん底.jpg
何だかあの手のサングラスはボク達だけじゃ無くってアウトローを気取る連中達のものにもなり始めていてね。アメリカンな連中もクールなアウトロー気取りの連中もみんなRAY-BANだから週末に新宿とかで遊んでいると、一時はRAY-BANだらけだった。
b9_88_06.jpg
 白黒写真はちょうどその頃で、どこかの楽屋だったっけかなァ?RAY-BANのSHOOTERに当時はご自慢だったCONVERSEのTシャツだよ。(禁煙と書いてある場所でタバコ吸うなよって、やんちゃだったねェ。)
b9_88_07.jpg
カラー写真の方はもう少し後だと思うけど多分LAのどこかだね。当時お約束の#646コーデュロイのサックスブルーにPRO KEDSのメッシュだね。そしてRAY-BANのSHOOTER。その後も何か有るとサングラスって買っちゃうから何だかあれこれと増えちゃってね。

画像は、後日RAY-BANのSHOOTERはレンズの口径が少し大き過ぎると思いあらためて買いなおしたOUTDOORS MAN。
b9_90_01.jpg
ジョン・レノンに憧れ、
ジョンレノン.jpgギターを弾く時にカッコいいかと思って真似して丸いブルーレンズのサングラスをNYの雑貨屋さんで衝動買いしちゃったりね。
b9_90_02.jpg

そして形はWAY FARERっぽいんだけど、このファンキーなグリーンのカラーがとっても気に入ってパリで買っちゃったCREEKSの安物とか相変わらず懲りないよねェ。
b9_90_03.jpg

何か気が付いたら今は家の中のあちこちに有名無名のサングラスが幾つもゴロゴロと散乱しているよ。
最近数年はようやくRAY-BANのWAY FARERやCLUB MASTERにとりあえずは落ち着いていて今の所は結構気に入っているよ。
まァ、もう今さら年齢が上に見える必要は全く無くなっちゃったけど(むしろ、逆だ。)、またボクは突如衝動的に何か買っちゃうんだよ。そしてまた一つ確実に増やすんだろうね。

 今はエラそうにうちのお店でRAY-BANを並べて売っているけれど、ボクもここに辿り着くまでには、それなりに色々悩んで来たんだよ。

ボク達の超B級アーカイブ

新品価格
¥1,890から
(2013/8/30 09:46時点)

何かブログを中断してから随分と時間が空いちゃったねェ。長い間すみません!皆さん本当にご無沙汰しちゃいました。

いやはや初めての経験とはいえ本一冊を出すのに想定外の苦労をしました。何がって、元々国語の成績は悪かった(国語に限らずだけど)上にちゃんとした原稿を書く仕事なんて人生の今まで一度もやった事が無かったからねェ。だから最初㈱光文社さんからお話しを頂いた時には簡単にあのブログをコピペしてそのまま本になるんだと思っていて「やった~!楽勝だね・・・早く出ないかな~」なんて簡単に考えていたら現実はそんなに甘いもんじゃ無かったよ。と、言うか世の中を知らな過ぎたんだよね。


確かに考えてみたらボクが書いていたブログは、どう考えても文章自体がヒドいし言葉遣いも乱暴で写真なんか超テキトーだから、そりゃァ天下の㈱光文社さんが、それをそのまま本にして世の中に出そうとするワケが無いよねェ?ってな事で基本的には写真を全部プロのカメラマンさんに撮り直しをしてもらって、そして原稿は残念ながら誰も手伝ってくれないから原文の使える所は無理やり残しながらもかなりの部分を自分で書き直しをするハメになっちゃった。ところがギリギリのスケジュールの中、担当の方がなかなかOKを出してくれない事も多くてねェ・・・。使っちゃいけない言葉とか表現も有ってさ、何回も書き直しをしながら一時は半分眠りながら夜中や明け方にキーボードをパチパチやってたよ。


だけどいざ終わってみたら、何か達成感みたいなのが有ってね。振り返ってみれば割と楽しく書けた時も有って、とってもいい経験をさせて頂いた。所々書き直しを繰り返した結果、自分の書いた文章じゃ無いみたいなところも有るけど仕方が無いよね。元々文章力が有るワケじゃ無いし、ましてや独自の文体やスタイルが有るワケでも無かったからね。だけど書籍になって世の中に出て書店に並ぶという事はそういう事なんだと今回大いに勉強をさせてもらった。本当にこんな機会を与えて頂いて自分は何て幸運なヤツなんだろうかと思っている。


ところがどうしてもひとつだけ悔やまれる事が有ってね。せっかく75年当時のモノも有って、絶対に写真を載せたかったアイテムだったのに色々と大人の事情が有って載せる事が出来なかったモノが有るんだよね。だからこのブログであらためて紹介する事にしたよ。きっとこういうのが本当の意味での超B級アイテムだと思うんだよね。
MICKY BELT.jpg

だけどこの手のモノは本当に取り扱いが難しいんだって・・・ボクがこのアイテムの掲載について何か言いかけた時も担当の方は議論を先回りして「玉木さんが何と言おうが㈱光文社的に断じてNGです。アハハ、絶対にコイツはダメですからねェ~」「え~、どうしてェ?」「だって、ほらァ・・・怪しいじゃないですかァ~」だってさ、残念だった。当時を語る上でアイコン的なアイテムでもあるのにねェ。あの頃る~ふで5,800円もしたんだよ。


そんなこんなで今回とてもお世話になった㈱光文社のご担当をして頂いた方は平山さんと仰って、何も知らなかったボクは本当に短期間の間に出版に関する色々な事を教わったんだよ。まァ、ド素人のボクをある時はおだてたり、そして時になだめたりと様々な陽動作戦に陥れて(苦笑)ついに最後まで原稿を書かせちゃったんだもんね、ともあれ本当に有難うございました。滅多に無いような体験をさせてもらったのに様々な面倒を掛けちゃったからごめんね。


この平山さん、ボクより年齢はほんの少しだけ若いんだけど実は元「JJ」の名物編集者だった方なんだよね。最初は知らなかったんだけど、途中で話しを聞いて「へ~!」ってなもんだった。おまけに学生の頃からアメ横に入り浸っていて、同級生が守屋商店やミウラでバイトをしていた事もあって結構当時のアメ横に詳しいんだよ。


そしてBARACUTAの話しのところに、ちょうど80年の「JJ」に掲載されたる~ふの取材記事が載っているんだけどこれは㈱光文社の持出厳禁の社内資料として保管してあった膨大な量の「JJ」の中から探し出してくれたページなんだよ。掲載時期等についてもボクは何となくボンヤリとしか記憶が無かったんだけど、実は何を隠そう後で分かったら平山さんがまだ新入社員時代にその時の「JJ」編集部で、その「アメ横特集」の担当編集者だったというオチが付いていたんだよ。だから探す時に何となく狙いが付いていたのかなァ。だけどあの山のような資料の中から本当に良く見つけたよねェ、ビックリしたよ。長い事生きていると色んな事があるけど、こういうのもヒトとの縁だよねェ・・・ホントに。感動的だったよ。


そのほか、本当に色々な方にお世話になった。元SHIPSのファッション番長、「キューピーくん」こと中澤芳之さん、当時のアメ横の話しをして居る時はいつも懐かしさでいっぱいだよ。本当にボク達はあの頃何もかもが楽しくて、そしてお互いにまだ若かったよね。

そして綿谷画伯と「フントニモー」のいであつしくんもボク達の依頼に二つ返事で引き受けてくれて最高に楽しい鼎談の原稿にしてくれたしね。

また業界の黎明期を知る数少ない重鎮でボクのアメ横時代からの大先輩、土屋正彦さんにはとっても貴重な当時の「お宝」を快くお貸し頂いた。初めてお目に掛かった時から数えてあと何年かでそろそろ40周年を迎えるんだよ。だけど、いつも本当にカッコ良くて時折シャレで見せてくれるスタイリングではKENNINGTONの所に書いたけど、そのヒネリの効いた70年代スタイルに「本日も参りましたァ~、アハハ・・・降参!あれ~・・許して~ぶたないで~!」ってなカンジで本当にいつも有難うございます。


他にも、当時隣のミウラのスタッフで毎朝アメ横のヒビ割れだらけのコンクリート通路の掃除をボクと一緒にやっていた面来洋行さん、そしてる~ふの後輩の三上哲生くんも含め本当に色々な方のご好意を頂きました。そして何よりもこの本の完成を応援し、心から楽しみにして頂いた方々にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。

皆さん本当に有難うございました。繰り返しますけど、ボクは本当にラッキーなヤツです。

 

ボク達の超B級アーカイブ

新品価格
¥1,890から
(2013/8/30 09:46時点)

SEPTISホームページで連載しておりましたオーナー玉木朗のブログが本になりました。

「ボク達の超B級アーカイブ」という書名です。

ブログの内容をベースに写真を撮り直し、迫力ある文面に仕上がっています。

いで・綿谷両氏との対談、元SHIPS中澤さんとの対談も掲載、読み応えのある本になりました。

当時、アイテムを手に取り、販売し、どのように着るのが格好良かったか、そんな空気が伝わってきます。

服好きなら必読必携です。

 

SEPTIS店頭では販売しております(運が良ければ本人もおります)。

残念ながら通販は、大手の本屋さんにお任せです。

 

楽しめること間違いなし。どうぞよろしくお願いします!

前の5件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10

features

SEPTISオーナー玉木朗の超B級アーカイブ

SEPTISスタッフのブログ