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 最近は、別注アイテムと言っても別に何も珍しく無い・・と言うか、海外のメジャーブランドにおいても大概の輸入代理店やショップがあれこれ創意工夫した別注アイテムをシーズン毎に発表するよね。 
 ボクも時々復刻アイテムや仕様変更程度の別注をやらせてもらったりするけれど基本的に当店のレベルでは、大抵の場合数量的なギャランティーが難しいから、何か思い付いてもアイデアだけでボツっちゃう事が多いんだよ。だから大手セレクトさんなんかの別注を見て、ちょっと羨ましいなと思う時も少なからず有るよ。 
 通常別注と言うのは例えば既存のアイテムがプロトタイプ(原型)として有るのだったら、それのどこをどうモデファイするのかというのがバイヤーさんとかデザイナーさんの腕の見せどころなんだよね。上手く行くと雑誌にドーンと取り上げてもらえたりするし・・・

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 だけどボタンだけチョイチョイと変更して別注だと言われても今の業界レベルからすると、ちょっと芸がなさ過ぎると思うし(ボクもヒトの事はあんまり言えないけどね)、かと言っていじくり過ぎて、アイテムが全然別のデザインに化けちゃってコレって元々何だっけ?それとも全く新規のデザインなの?みたいなモノも時に生み出されてしまうから、確かに自由と言えば自由なんだけど、その辺りのサジ加減はものすごく難しいと思うんだよ。当然だけど成功を約束するマニュアルなんか有る訳無いし、感性に頼るだけだからね。 
 ただ一番大切な事として、ブランドタグを付けて市場に出すワケだから、そのブランドが従来培って来た確固たるポリシーやイメージを基本的には損なうワケに行かないし、いじくって所々何か変えれば良いんじゃない?というような安直な発想では、仮に1度くらいマグレ当たりが出たとしても基本的には通用しないと思うんだよね。 
 まして新規のデザインなら尚の事マーケットの評価ハードルも上がるし、ギャンブル性もどんどん高まるからね。勿論、そんなのを生み出す際には担当者との戦いも更に熾烈になるし時間も掛かるようになるんだよ。 
 やってみると分かるけど、まず担当者と同じフィールドに上がれるだけのファッションの様々な基本や流れが分かっていないと、本当はお話しにならないし、(まァ、実際は利害が生じるからお話しはしてくれると思うけど・・・)相当ストレスも生じるから本気でファッションが好きで、自分なりに相当掘り下げていないと出来ないよね。 
 なのに時々、誰も欲しがりそうも無いようなモノを一生懸命に時間と手間とお金を掛けて粗大ゴミをせっせと作り出したりされてもねェ・・などと言うヒトが居てさ。だけどそれは、あくまで結果論なんだよ。 
 バイヤーさんやデザイナーさんが持ち前の感性に加えて知識と情報、そして知恵と経験則に基いてあれこれ考え、そして先方の担当者と戦い?ながらサンプリングをしている最中は、彼らの100人が恐らく100人とも内心は必ず「実現する為に、こんなに苦労しているんだからきっと売れるよね?・・イヤ、絶対に売れるに違いない・・参っちゃったなァ、話題になって大ブレイクしちゃったりして・・そうだ、雑誌に載って商品が足りなくなったら困っちゃうかも・・・追加のタイミングはどうしようかなァ?」などと思っている。 
 そして何ヶ月か後、そのうちの結構な人数のバイヤーさんやデザイナーさんが思い知るんだよ、世の中そんなに甘くは無かった(苦笑)・・・と。勿論ボクも例に漏れずそのお仲間の中に指定席がちゃ~んと用意されていたりする事も有るからねェ。一体何年やってるんだよ・・・自分でそう思いながら、またやらかしちゃうんだけどね。

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 ボクがアメリカのメーカーに自分で初めて別注というのをした80年代に入った頃はMAGICというコンベンション(手品の事じゃ無くって年に2回、現在はラスベガスで開催されているアパレルの大規模な展示会の名称)がまだロスで開催されていて・・だけど、別注と言ってもただ単にムートンのジャケットの袖丈を短くしてもらっただけでね。だからこういうのを今は別注と呼んじゃいけないんだよ・・(苦笑)。 
 でも当時アメリカのメーカーは、日本のバイヤーに対してまだロクに相手にもしていないような時代だったから、何かをちょっと変更して欲しいと思っても首をヨコに振りながら「We can't do that!(嫌だ?)」と言われるか、大量の数字や前金の条件を突き付けられて意思表示をされるような時代だったんだよね。 
 でも、たまたまその時は話の分かってくれるセールスマンが居て、その場でボスに相談してくれ「色を2色に絞って、サイズも2サイズだけにするのなら、この数量で何とか受けて上げるよ。」言ってくれた。トータルの数量は予定よりちょっと増やされちゃったけど、ボクも「Ok Ok!」なんて言って無事発注出来た。現地のスタッフと握手をしながら「やったぜィ・・」なんてね。今、思えば可愛いもんだったよ。 
 「だけど30年も経つと海外ブランドの連中のスタンスも仕事のやり方も、随分変わっちゃうもんだねェ・・考えてみたら、何だかスゴい時代になったよね。」先日、古い友達とそんな話しを電話でしながら、その日入荷した商品の入った段ボールを開けて中を見ていたら目に留まったのがミリタリーパーカの傑作、#M-51モッズコートタイプのダッフルコート。 
 今も一向に人気の衰えないモッズコートの凝ったディテールを何とダッフルコートに上手く落とし込んで有るんだよね。それを、またそこら辺のブランドでは無く、あのコンサバのイメージが強い老舗のGLOVERALLがやったというのが何だかスゴいなと思ってね。

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 だけど、よくこのデザイン(合体案)を思い付いたよね、誰がやった仕事なんだろう?・・意外と思い付きそうで実は誰も手を付けて無かった死角だったかも知れないね。 
 聞く所に依ると、この合体デザインのプロトタイプ(原型)は何年か前に英国現地のGLOVERALLで一度サンプリングされた事が有るらしいんだけれど当時は全くウケなくてあっさりボツになった・・というような事だったらしいんだよね。それを古くからボクと仲良しの、あるベテラン・バイヤーがちゃんと憶えていて「今なら行ける!」と思ったんだろうなァ。既存のサンプリングパターンに何ヶ所か手を加え別注アイテムとしてこの秋、晴れて日本市場に登場する事になったという事だった。 
 あくまでボク個人の私見だけど、久し振りに見たレベルの高い仕事だよねェ・・そう思ったよ。みんな分かるかなァ?このカッコ良さ・・・ドローコードやポケットが違和感無くトッグルとバランス良く巧みに配置され、加えて更にはこういうのが、本来メンズのコートなんだよと言うような、このガバガバのシルエット。(2年前ならこういうシルエットは絶対ウケなかっただろうしね。)そして、今シーズンに仕掛けるというタイミング。 
 「上手だなァ、コレは、かなり本気でカッコいいんじゃ無い・・?」と感心しながら、段ボールに手を突っ込んで、まずは自分のサイズを探して居たんだけどね。



 ロールと言っても今の若いヒト達には何の事だか分からないかも知れないなァ・・画像のポール・ニューマンやジャック・レモンのボタンダウンの衿を見ると緩くカーブを描いているよね。この部分がロールと呼ばれ、それが正統派ボタンダウンで有る所以なんだと当時のアイビー小僧は、バイブル「メンクラ」に都度記載されている記述によってしっかりと叩きこまれていたんだよ。 

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 せっかくなので、ちょっと古いけど65年のアイビー特集号のディテール紹介やQ&Aに記載されたロールに関するお約束事をお見せするね。本当にこんな感じだったんだよ。ついでに「街のアイビーリーダース」というそのお約束事を制定したアイビー伝道師の先生方が登場している粋な企画も有ったよ。    

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 アイビーにどっぷりとハマり始めた頃ボクは、とにかく勉強もしないで「・・ねばならない!」「・・なくちゃいけない!」という様々なアイビーのお約束事を必死に丸暗記してね。 
 まァ、ある意味当時のボクは石津謙介氏(上画像左端)率いるVAN JAC.がくろすとしゆき氏や穂積和夫氏という伝説の伝道師のもと、メンズクラブやVANショップという媒体を使って遠隔操作をしていたアイビーという新興宗教?の洗脳教育みたいなのにまんまとハメられていたみたいなもんだった。 
 だけど、あの「はしか」のような数年間が無かったらボクはたぶん今この仕事をしていないよ。 
 後日と言うか、あの頃から40年程経って穂積先生にその時代の話しをしたら先生曰く「そのもう少し前までの頃は誰もアイビーなんてちゃんと知らないし、デパートでさえもデザイン的には何となく似ていてもどこかおかしいモノばかりでさ、またそういうのをアメリカで流行っているからって持ち込むメーカーが有るんだよ。だから誰かがルールをあれこれ作んなきゃってなって、そしたらVANのアイビーが絶対に正しいみたいな神話が出来てね・・・だけど、その後ガタガタと崩れたけど。(苦笑)」って話してくれた。 

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 高校の2年くらいまで(その後、3年になったら受験勉強を始めたワケでは無くて自分のファッションがアイビーから離れただけね。)は自慢じゃ無いけどボクは勉強なんかそっちのけで、友達の誰よりもメンクラに書いてあるアイビーやトラッドに関する大概のお約束事はアタマに叩き込んで居たつもりだった。そして通い詰めていたVANショップの仲良しのお兄さんや、時には何度かアメリカに行っていたオーナーさんからも持ち帰って来た服やアメリカの雑誌、メンズショップのカタログなどを見せてもらいながら様々な事を教えてもらっていたんだよ。 
 そしてメンクラや平凡パンチなんかに時折紹介されているファッション以外のアメリカ文化にも興味が出始めると、もっと詳しく知りたくて当時京都市内の教育会館に有った図書館に何度か行ったりもしてね。特に60年代中頃までのアメリカ映画や音楽の世界観はとってもステキで全てが輝いていて興味が本当に尽きなかったんだよね。(本当はベトナム戦争の激化や反戦運動、そしてカウンターカルチャーとしてのヒッピー文化の事も少しずつ分かってはいたけどね。) 
 だけど、そのエネルギーをもっと学業に向けていればボクも、きっと違うバラ色?の人生が約束されていたかも知れないのにねェ。もうだいぶ遅いけど・・・ 
 ところで、ちょっと話しが脱線しちゃったけれど昭和の昔、ワイシャツというのは糊をきかせてパキパキにアイロンを掛け、そして特に衿の部分は更にボール紙のようにカチカチに仕上げるのが割りと普通だったんだよ。だから中学に入った時に買わされた安物の学生向けのT/Cの混紡素材のワイシャツだって衿の部分には厚地の接着芯が張られていてアイロンなんか掛けなくても衿だけは妙にピンとしていたからね。 
 ところがVANのボタンダウンを着始めたら、あの衿腰部分のクニャクニャした感じが何とも心地良くってね。内緒で制服の下に白いオックスフォードのボタンダウンを着て行っては生活指導の先生に時々見付かって怒られていた。 
 ところがVANのシャツは洗濯をするとコットン100%だから結構シワになっちゃうんだよ。それで母親がアイロンくらい教えてやるから自分で掛けろ、と言われ最初はしぶしぶやっていたのだけど、何だかそのうちにアイロン掛けが楽しくなって来てね、暫くすると結構上手にアイロン掛けが出来るようになったんだよ。 

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 その頃ボクは、まだガキだったから洋服をクリーニングに出すという習慣が無かったけれど、当時はボタンダウンでさえクリーニング屋さんに出すと必ず糊を付けて手が切れそうにピンピンに仕上げられてしまうような時代だったから、自分ではアイロンなんか絶対かけない無精な従兄弟は「糊を付けないでね」と自転者で集配に来るオジさんに念を押しながら出しているのを横で見たりしていた。 
 そしたらある時に近所に出来た新しいクリーニング屋さんに従兄弟が買ったばかりのKENTのボタンダウンを出したら衿腰の内側の所に消えないペンで「ノリなし」って書かれてスゴいけんまくで怒っちゃってね(書く方にもかなり問題が有るけどね)アレその後の顛末はどうなったんだっけかなァ。まァ、そんなステキな昭和の時代だった訳だよ。 
 そんな事を繰り返しながら、その後ボクはだんだんと色気づいて来て、好きな女のコにどうしてもモテたいが為にネイビーブレザーに合わせるレジメンタルストライプのネクタイをVANショップで初めて買ったんだよ。それまで持っていたのは、従兄弟からのもらい物の細身で剣先にワンポイントの入った無地で、実は最初から結び目が作ってあってフックで引っ掛けて留めるインスタントのネクタイだった。 
 だからもう嬉しくてね、ヒマが有ると何回も結んだり解いたりしてようやく長さやノットの作り方のコツをつかみ、そして同時にメンクラに載っていたアメリカ人の写真を見ながら鏡の前でいかにボタンダウンの衿のロールがキレイに出るかという事を研究し始めたんだよね。これはね、トップボタンを留めてきちんとネクタイを締めるのでは無く、トップボタンを外してちょっとだけネクタイを緩めると出る衿のロールの感じの研究ね。そういう着方がバタ臭くて絶対にカッコいいと思っていたんだよ。上のジャック・レモンの写真みたいにね。 

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 画像は74年発行の伊藤紫朗氏の「トラッド&アイビー」。その中にも同じような記述が有ったよ。そして隣のページで書かれていた「アメリカ製のボタンダウンはボタンがXのクロス掛けになっている。」という記述を読んで当時「二の字掛け」になっていた国産のVANやKENTのシャツのボタンをわざわざクロス掛けに付け直したり、またある時は衿のロールの出方が微妙に変わるからなどと言ってボタンダウンの衿先のボタンの付け位置を少し動かして変えてみたり、また戻したり・・とボクは、今考えてもなかなかに困ったガキだった。 
 ただ、その後何年か経って判明したことは、いくらアメリカ製のボタンダウンでもボタンをクロス掛けにしてないシャツも結構存在したという事だった。おいおい・・・って感じだ。 

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 その後随分年月も経ち、そして本場アメリカ製のボタンダウンシャツも数え切れないくらい袖を通して来たけれど様々なブランドそれぞれにちょっとしたパターン(型紙)の違いが有ってひと口にロールと言っても出方が違うんだよね。 
 勿論基本中の基本はBROOKS BROTHERS、これがプロトタイプだよね。独特の柔らかいロールが出るように絶妙に設計されていると思うんだよ。ところが飯野高広くんのようなマニアックな連中が"GANT ROLL"と呼ぶ、ややシャープなカッティングの衿先が作り出すGANTのロールもカッコ良くてコチラもボクは好きだなァ。並べて比較すると衿の形がだいぶ違うのが分かるもんね。 

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 ボクは基本的にボタンダウンシャツでトラディショナルスタイルのプロトタイプは当然BROOKS BROTHERSだと思っているんだけど、一方アイビースタイルのボタンダウンシャツのプロトタイプというとJ.PressやGANTあたりにそれを見出だせると個人的には思っているんだよ。衿の形もロールの出具合も違うしね。 
 画像のGANTはHuggerというテーパードボディの典型的なアイビーシャツなんだけど右の広告は1964年のモノだよ。Huggerってどういう意味なのかなァ・・着ると魅力的な男に見えて女性に対して「抱きしめちゃうぞ!」みたいな意味だろうかね?とボクの勝手な想像だけど。 
 ところで、典型的なアイビースタイルのボタンダウンシャツの資料として手元に保管しているのが画像の"ENRO"のシャツ。実は一度も着た事が無いんだよ。 

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 余り知られていないブランドだと思うんだけど、現在もケンタッキー州のルイビルに存在していて創業が1919年だそうだから100年近くもの歴史の有る老舗シャツメーカーなんだよね。現在の製品ラインナップも検索すれば出て来るよ。でも、ちょっとボク達のテリトリーでは無さそうなんだけどね。 
 だけど画像のこのシャツは60年代初め頃のアイビー時代ど真ん中の製品で、学生向けに細身のシェイプに加えて衿型はややシャープでロングポイント気味のボタンダウン。勿論センターボックスプリーツにロッカールーム仕様の細身のハンガーループ。そしてお約束のバックボタン。ナロータイのノットを小さく結ぶと現れる絶妙なカーブのロール。一度だけ試着して衿周りをチェックしてみたけどボク個人的にはとても気に入っているんだよね。 
 うちのオリジナルのボタンダウンの衿は、もう少し小ぶりにして有るけれど、どちらかと言うとこの辺りの型紙をお手本にしているんだよ。 
 ただね、ボクは今ネクタイをする事もほとんど無いし、当店で取り扱っている"SERO"のショートポイント気味のボタンダウンシャツなんかも往年のモデルとは違い、現在はほとんどロールとは無縁だけどGジャンやカーディガンなんかのインにとても衿の収まり具合が良く、実にいい味をしているから結構気に入っているんだよ。 

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 要するにボクは身頃のきついシャツがとにかく苦手なだけで、最近衿のロールなんか実はあんまり気にして無かったりするんだよ・・・
 いやね、ずっと前から思っていたんだけれどアイビーの時代、60年頃のアメリカ人ってきっとオフホワイトや明るいベージュが好きだったんだよね。真っ白でもカーキでも無くってその中間くらいの色。モノクロ時代の写真を見てもひと目でそれと分かるようなアイテムをポール・ニューマンやらスティーブ・マックイーンなんかが身に付けて写っているのがザクザク出て来るもんね。 
 ボクもホワイトジーンズやコットンパンツが大好きだから、今でもやっぱりコーディネートの基本色として外す事なんか有り得ないと思うよ。特にオフホワイトに付いてはアイビーの時代のアメリカを強烈に感じる独特のカラーとしてボクは認識しているんだよね。  
 画像の上段右端はハーバード大卒のアイビーリーガー、ジャック・レモン。そして下段の左端は「くたばれ!ヤンキース」のタブ・ハンター。そしてTVドラマの名作「逃亡者」のリチャード・キンブルでお馴染みデビッド・ジャンセン。そしてジェラード警部ことバリー・モースも居るね。みんなオフホワイトや明るいベージュだ・・・ 

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 そう言えばそんな話を確かどこかで、たぶん著名な方が書いていたんだよなァ・・と、以前から思いながらどうしても思い出せなくてね。そしたらようやく先日見付かったよ。 
 81年に中牟田久敬(なかむたひさゆき)氏によって著された名著「トラディショナル ファッション」の中に記述が有ってね、そうそうここに書かれていたんだった。 
 スタンフォード大に留学された50年代後半当時の事を書いておられるのだけれど、そりゃァ、あの時代にご当地アメリカで既にパイプドステム・シルエットが主流のアイビーパンツに周りを囲まれたらアジアの島国から持ち込んだマンボ・ズボンはかなり目立つよね。笑ってはいけないけれど中牟田氏が恥ずかしかったのも良く分かるような気がするよ。 

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 因みにここに書かれている「マンボ・ズボン」と言うのは50年代に全米はおろか世界中で大ヒットを記録し人気絶頂の渦中、1956年に初めて来日した「マンボの王様」ペレス・プラード楽団が着用していた今で言う「サルエル」みたいなワタリ周りがダブダブで裾に向かって極端なテーパードがかかったパンツの事なんだよね。 

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 当時は、日本でも太陽族と呼ばれた若いヤンチャ系のお兄ちゃん達を中心にかなり流行していたと、昔母親から近所のお兄ちゃんのズボンを何本か裾に向かって極端に細く直してあげたという話しと一緒に聞いた。(まァ、太陽族のファッションは?と言うと下に有る画像のような、いわゆる不良っぽい格好でマンボ・ズボンにアロハシャツ、そして慎太郎刈りにサングラスというお約束だったのだけれど、真面目な慶応大の学生だった中牟田氏にまで波及するほど流行っていたという事なんだろうねェ・・因みに「慎太郎」は「石原慎太郎氏」の事だからね。) 

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 更に余談だけど中牟田氏は70年代初頭に日本で初めてBARACUTAの代理店契約を締結され、その独占販売権を獲得した"DESMOND INTERNATIONAL"という会社の社長をされていた方なんだよ。(氏が留学されていた50年代後半当時、アイビーと共にモダンジャズも全米的に隆盛を極めていてちょうど59年に発表されたデイブ・ブルーベック・カルテットがヒットをさせた"TAKE FIVE"という曲の作曲者でも有りアルトサックスの名プレーヤーだったポール・デスモンドから社名にちゃっかりと名前を頂いたんだよと、過日中牟田氏本人より直接伺ったよ。) 

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 ちょうどその中牟田氏の本が発刊された81年頃ボクは、たまたま取引先の1つだった「る~ふ」の仕入担当者として、大した用事が無い時も五反田に有ったその会社に足繁く通ってはショールームのBARACUTAをあれこれといじくり回していたのがとても懐かしい思い出なんだよね、長時間先方の担当者を質問攻めにしたり、時々内緒で珍しいサンプルを譲って頂いたりもしたよ。 
 そして何年か前に当時"DESMOND INTERNATIONAL"の社員だったある方を介して中牟田氏にお会い出来るような機会が偶然出来たので連絡を取らせて頂き、何十年振りに懐かしくお話しを色々とさせて頂く事が出来たんだよね。 

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 ちょっと懐かしい話しにどんどん転がっちゃったけれど、ちょうどその"DESMOND INTERNATIONAL"の当時BARACUTA担当だった方がある展示会の時に「この#G-8と言うコットン・ギャバジンのバルカラーコートのこの色はアメリカ向けの色なんですよ。あちらじゃこの色はコートの定番カラーですからね。」って教えてくれたのが左端の画像の白っぽいコートなんだよね。(色の呼び名は忘れちゃったけれど・・何だっけかなァ?) 

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 そして右側のもう一着のコートは名門"LONDON FOG"だけど、これもオフホワイトだよ。一方イギリス本国では"BURBERRY"や"AQUASCUTUM"に代表される、もう少し濃いベージュと言うか、いわゆる「イギリス風のカーキカラー」が基本でオフホワイトというカラーはロンドン辺りでも、まずなかなかお目にかかれないように思うからちょっとした違いだけれども、とても興味深い事だよね。 
 そしてボクの大好きな映画の世界では「ティファニーで朝食を」の中でカッコいいアイビーを見せてくれたジョージ・ペパードや「シャレード」のケーリー・グラントなんかが明るいベージュかオフホワイトのコートを本当にカッコ良く着ていたのを思い出すね。  
 そしてコートじゃ無いけれど名作「野のゆり」のシドニー・ポワチェがオフホワイトのお馴染み"LEE"の"WESTERNER"の上下で出て来るのがボクはとっても気に入っているんだよ。極端なジャストサイズ?で窮屈そうなんだけど、やたらカッコいいんだよ。またポール・ニューマンも"WESTERNER"のジャケットを着たプライベート写真?が有ったよ。プレスのパンツもきっとオフホワイトだよね・・・。 

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 そして好きな方々の間で良く話題に上がるのだけど#G-9を着たカッコ良すぎるスティーブ・マックイーンの写真。だけどこれ、どう見ても定番カラーのNATURALじゃ無くてオフホワイトだよね?でも昔から#G-9にオフホワイトというカラーの設定は無いんだよ。おまけに写真を良く見ると素材もコットンポプリンのツヤでは無さそうだもんね? 
 実は、下の画像はもう少し後の#G-9で当時もレギュラーアイテムでは無かったけれど実際にコート地のコットン・ギャバジンを使ったモノは別注品として存在していた事が有るんだよ。(これは確かBRITISH TANというカラー名のコットン・ギャバジンだった。)  

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 それで、ボクの仮説なんだけど・・・(あくまで想像だよ) 
 63年の"LIFE"の表紙になったこの白っぽい#G-9はおそらくサンフランシスコの"CABLECAR CLOTHIERS"で購入した可能性が高いと思うんだよね。これは、マックイーンに付いて、かなり詳しいある方の「スティーブ・マックイーンは当時ケーブルカーの上客だった。」という話に基づいているんだけど、当時のBARACUTA社の取引高が全米でも上位だったと中牟田氏の記述も本の中に有るしね。(CABLECAR社のBARACUTAの取り扱いは1951年にスタートしたと記録も有ったよ。) 

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 そうすると毎シーズンかなりの数量を発注するCABLECARm社に対してBARACUTA社は、ちょっとした素材変えの別注くらいは難なくこなして居たのでは無いか?と想像するんだよ。そして元々BARACUTA社はレインコートメーカーだから工場にコットンギャバジンの生地は山と積まれていて、当然アメリカ向けのコート用にオフホワイトの生地も普通に積んで有ったんだろうね。 
 そこで、それに目を付けたCABLECAR社の担当者が、「このコート用のオフホワイトのコットン・ギャバジンで#G-9をうちの別注として作ってよ。」そしたら、それをスティーブ・マックイーンが買ってっちゃった。 
 まァ、そんな事を考えながら今回は、TRAFALGAR SIELDでオフホワイトを含めたカラーでコットン・ギャバジンのコートやジャケットを作ってもらったワケだよ。


 「る~ふ」に入った77年の初め頃まで、実はボクSIERRA DESIGNSというブランドをちゃんと知らなくてね。でも後からよく見たら76年のMADE IN USA CATALOG 2 にも紹介されているし、それまで時々見に行っていた麻布の「SPORTS TRAIN」なんかには恐らく売られていたと思うから完全にスルーしていたんだよね。
 その後アメ横の店頭に立つようになってから先輩やお客様が「ロクジューヨンジュ-」と呼んでいるのが、実はSIERRA DESIGNSの事だと判明したのは商品が入荷した時だったんだよね。今でこそ60/40の素材はレトロ・アウトドアの象徴みたいに言うヒトが居るけれど(まだゴアテックスなんて全然認知されて居なかったからね。)当時は、かなり画期的な素材だと先輩から教わって、ボク達も感心しながらそれを信じていた。(まァ、雨や風を「通しにくい」という事で「通さない」という事では無かったんだけどね。)  
 ちょうどそれまでボクが着ていたのは「る~ふ」に入る前に買ったCAMP7のダウンジャケットだったんだけど、何だかアメ横に居るとサスガに着ているヒトもやたら多くてさ、だから何か他に無いのかなァ・・なんて思って居た頃、突然入荷したSIERRA DESIGNSの60/40クロスの生地感とかツヤがCAMP7に比べて断然ハイテクな感じがして超カッコ良く見えてね、コレは絶対に欲しい!と思ったんだよ。それもグリーンのヤツ。"60/40 TOIYABE"(トイヤべ)という名前だった。(画像は79年のカタログだよ。)       

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 そしたら、前から「今年はダウンジャケットを買うから入ったら電話してね・・」と言っていた仲良しの友達が呼びもしないのに、偶然お店に来てボクの欲しかったTOIYABEのグリーンをさっさと試着して気に入って買って行きやがった。「え~!ウソォ・・」と思ったけど、遅かったね。同じモノはまだ在庫が有ったけど、基本的にボクはそいつと服がカブるのが絶対イヤだったからとうとうそのシーズンは買えなくなっちゃった。で、そのまま気が付いたら40年近く経ってしまっていたよ。  
 ところでその頃幾らくらいしたんだっけ?・・と思ったら当時の代理店のカタログを後輩が持っていてね。TOIYABEは49500円でCAMP7のCASCADE-2と大体同じ価格だった。とにかくアメリカ製品はまだまだ高かったんだよ、おまけにフードは別売りで確か6900円だったからね。(このカタログは81年だから多分77年頃TOIYABEは48000円くらいだったのかなァ・・)  

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 まァ、昔そんな事が有って、ボクはずっとこのTOIYABEが今さらながら夢に見る程欲しかったんだよね。だから何年か前から代理店の担当者には顔を合わせる度に「ねェねェ・・TOIYABEを復活させてよォ・・ボク絶対欲しいんだよォ。」言い続けて来た。そしたらとうとう今年50周年記念アイテムのひとつとして、ようやくアメリカ製で復活する事になった。サンプルが今手元に有るからチョコっと紹介するね。TOIYABEの特徴は形の似ているINYOと違いキルトステッチが表面に出て居る事。そして脇ポケットは2ウェイのパッチ・アンド・フラップ ポケット、そして画像では見にくいけどお馴染みのショートダウンジャケットと違ってラグラン・スリーブになっているんだよ。オーソドックスだけど、コレぞ鉄板アイテム!という顔つきだよね。あ、今はフードは付いているからね。  

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 早く入って来ないかなァ・・さっさと雪でも降ればいいんだよ。  
 コレねェ・・何だかずっと捨てられないんだよ。だけど誰が見てもゴミだよねェ・・もちろん自分で見てもやっぱりゴミにしか見えないや。だけど、けっこう愛着が有ってどうしても捨てられないんだよ。  
 
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見るヒトが見れば分かるんだけどコイツはPF時代のJACK PURCELLだよ。当時、ボクのかなりのお気に入りだったこの変わり種というか突然変異種のようなのは、いつ頃まで売られていたんだっけかねェ・・。  
 いつもの事なんだけどボクは極端にヒトと同じモノを嫌うと言うか、いわゆる「あまのじゃく」なのでこういう珍品?みたいなのを見つけると、もう大変!すぐ自分のモノにしたくなるんだよね。  
 買った時は多分もう生産中止になっていて「る~ふ」だか「マルビシ」辺りに残り物がバラバラと有ったんだと思うんだよ。どっちで買ったのか忘れたけど、まずこのアイテムの存在が当時はあんまり知られていないというのが何だかマニア心を思い切り刺激されてね。  
 更にはこのJACK PURCELL、実は、わざと仕入れたのか間違いだったのか分からないんだけどサイズの大きいレディスなんだよ。でもそこがまた更に気に入っちゃってね。大きく違う点としてはメンズはアイレットが5列なんだけどレディスはアイレットが4列なんだよね。だけど個人的にはトゥのシェイプがレディスの方がメンズよりも細身で断然カッコいいと思っていた。オデコが狭くてね。メンズはもう少しポテっとした丸いフォルムだったんだよね。まァ、どこまで行っても好みの問題だけど。 

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もう印字が消えちゃっているけど確かレディスの10というサイズを買ったんだと思うんだよね。そしてちょっとだけ時代に逆行してアイビーっぽくホワイトジーンズとかコッパンに良く合わせていたんだよ・・HANG TENのボ-ダーTなんかにカッコいいんだよね。だけど何だかFARAHのホップサックとか#646のデニムみたいなフレアパンツには、どうしても合わないような気がしてさ。だけどOSH KOSHの生成りのペインターパンツには相性バッチリだったよ。 
 当時、ボクTOP SIDERのキャンバスオックスフォードはネイビーしか持っていなかったからホワイトと言えばコイツの出番が多くてね。ところが、気に入って履き過ぎて末路はご覧の通りになっちゃった。 
 でもね、大好きなんだよねコレ。だから捨てられなくってさ。コレ最後はどうなっちゃうんだろうねェ・・写真を撮って、とりあえずまた段ボール箱に戻しておいた。次にお目にかかるのはいつなんだろうかね・・・
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