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「ボク、やっぱり雑誌が大好きなんだよね!」  

 いつも何かある度にお世話になっている、枻出版社の「2nd」が近日、再び雑誌として復帰し、また書店に並ぶ事が決まったみたいだよね。「良かったァ、やったね~!」って感じだ。ボクずっと愛読者でも有ったから、無くなるって聞いた時は本当に残念でね。やっぱりWEBだけじゃ無くて、雑誌というカタチの存在と、そして基本的に誌面を眺めながらページをめくるという動作が本当に好きだし、何だかいいなと思うんだよ。 

 先日、ある方から仕事場の事務所の雑然と積み上がった本棚を見て「本や雑誌についても、かなりのコレクターなんですねェ・・・」言われたんだけど、本人はコレクターだなんて思った事は一度も無くてさ。ただ好きなだけで溜まってしまっているんだよね。 
 今でも書店に行くと、ついつい気になった雑誌やムック本などを見つけては買って来てしまうしさ。 

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 更に最近は神保町に有るヴィンテージマガジンのセレクトショップ「マグニフ」さんのご主人の中武氏にもお世話になって、時に希少な洋書や、その昔誰かが持ってっちゃって行方不明のままのムックや雑誌をあらためて買い直したりした事も有ったからねェ。そりゃあ増え続ける訳だよ。

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 大半は、長年買い続けた(それでも、その都度ずいぶんと処分しているんだけどね)ファッション誌なんだけど、ほかに音楽関連、洋画関連、アメリカのカルチャー関連、自分が若かった昭和の時代の風俗関連などで、本当に気に入った本や雑誌は時に服や靴と同じようにダブル買いしたりするから自宅でも仕事場でも雑誌が際限なく増殖し続ける訳だよ。バカだと思うね。

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 特にメンズのアメカジに特化したファッションに関しては、一応自分の仕事柄お客様に話したりブログを書いたり(最近サボっていてゴメンなさい・・・)する事も有るから、「元々は・・・」とか、「当時のスタイルは・・・」などと言ったり書いたりする際のある程度ちゃんとした裏付けを取る為にも雑誌の情報はとても助かる事が多いんだよね。 
 基本的にボクの記憶なんて結構いい加減だと思っているから、仮に80年頃なんて言ってもざっくりとした固まりで記憶している事も多いし、細かくは前後関係もかなり怪しいと思うからね。実際に今考えれば78年と82年じゃファッションがかなり変化していたのも事実だもん。 
 思い返せば、ちょうど30年ほど前に一時アメリカに住んで居たんだけど、その頃にまた大きく変化し始めた東京のアメカジファッションの流れ(バブルの時代に突入し、ちょうど渋カジが出て来始めた頃)が全然アタマの中でイメージ出来ないから本当に色んな雑誌が見たくてね。 
 それで住んでいたアパートの近くに有った日本人向けのスーパー「ヤオハン」の隣が「紀伊国屋書店」だったんだけど、直輸入価格にもかかわらず入荷すると誰かがすぐ買っちゃうのか「POPEYE」や「HOTDOG PRESS」なんか有ったり無かったりでなかなか手に入らなかった。だから日本からスタッフが出張して来る時にはリストをFAXで送って成田空港で雑誌を買って持って来てもらったりしていたし、中に混じっていた「BOON」なんて最初は存在すら知らなかったもんね。
 同じ頃ニューヨークに駐在していた友達は「マンハッタンの紀伊国屋では、ちゃんといつも買えたよ~」後でぬかしやがった。こちとら西海岸の田舎で苦労してたんだよ。
 ファッションを扱う日本の情報誌には、その時代ごとに流行していた(もしくは、流行らせようとしていた)アイテムやスタイリングが写真と文字で表現され、ブランドやアイテム名に加え価格は幾らでどこで買えるのかという情報と共に、更にはどういったスタイリングでどんなアイテムとコーディネートするのかという事が流行りのアクセサリーやヘアスタイルと共に分かり易く紹介されている事も多いんだよね。 
 おまけにコラムや情報ページでは、その時期に流行っていた音楽や映画、人気のテレビ番組やタレント、スポーツ選手。はたまたクルマの新車情報や旬なグルメなどが網羅されていたりするんだよ。そういった部分は現在もあまり変わらないよね。 

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 そして一番のポイントは雑誌の裏表紙の背中部分を見ると必ず発行日の記載が有る事。「当時は・・」とか「あの頃は・・」じゃ無くて、その時代のある瞬間を特定出来るという事がスゴイと思うんだね。その時代ごとに若者を取り囲む風俗の概要を切り取って、有る程度俯瞰的にイメージ出来るんだから。それも月刊誌なら毎月だし「POPEYE」なんか2週間に一回出てたんだよ。それこそ若い頃は、一生懸命お小遣いで買って毎号読み倒していたもんね。(毎号ファッションばっかりでも無かったけど。) 
 だけどボクなんかよりも年上のいわゆる団塊の世代(同居していた従兄がそうだったけど)の人達くらいになると、テレビでさえまだ若者向けの情報番組があまり無く、60年代当時のファッションや海外の情報などは更に少なかったから「平凡パンチ」なんかをそれこそボロボロになるまで隅々まで読み、そして友達と貸し借りをしたり回し読みをしたりしていたのを僕も傍で見ていたのを思い出すし、お駄賃をもらって近所の「貸本屋」さんにお使いに行かされたりもしていた。時々ボクもお駄賃が貯まると少年マガジンを借りたりした。 

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 別の従兄の家にはボロボロになった「メンクラ」が20冊くらい有って、それは中学の時に全部頂いて来たんだけど、ほとんどが表紙は外れているし、ページの端を折って有るわ、切り抜きや書き込みが有るわと、こちらもなかなかにワイルドな取り扱いを受けていた。だけどちゃんと何度も繰り返し読んでいたからなんだろうなァ・・・と思ったりするよ。
 もうずいぶん前からインターネットがもっと進化すると雑誌は世の中から無くなるかも?なんて言われていたと思うけど、そんな事無いよね?そりゃァ全盛期の「BOON」や「HOTDOG PRESS」みたいな部数を売り上げる事はもう無いだろうと思うし、中には姿を消す雑誌だって有るとは思うよ。
 だけど色々と大人の事情で出版業界が苦しい中、それでも雑誌を愛し続け、試行錯誤を繰り返しながらも制作や編集をしている人たちには本当にこれからも頑張って欲しいと思うんだよ。
 ボクも頑張って買うから・・・  
 トラッドやアイビースタイルといったアメリカンクロージングを語る際に、絶対に外すワケにいかないアイテムが、まずネイビーのブレザーで・・・って、別に今ここで説明しなくてもいいよね。
 先日ブログに書いたけど、ボクが初めてブレザーというものを買ってもらったのは中学1年生のクリスマスの時でね。そう、勿論VANのヤツだよ。当時の大人達は何故か「ブレザー」では無く「ブレザーコート」と呼んでいる時代だった。 
 色はネイビーでピーコートみたいに少しモサモサしたメルトンっぽい厚めの素材だったけど、何故か裏地にはロイヤルスチュアート風?の赤っぽいタータンチェックが貼り付けて有るという、今考えればちょっと「なんちゃって系」のアイテムで背中のベントが無いという不思議なシロモノだったんだよね。 
 でもボクは十分嬉しくて「やった~!VAN のブレザーやで」ってなもんだった。 
 サイズは、どうせすぐに成長して着られなくなるからとMサイズを着せられたんだけど当時のボクには、まだ袖も長く、ちょっと大きかったから最初は学生服の上に防寒着として着る事も出来たぐらいだったんだよね。
 ただ本人はかなり気に入っていて、周りも褒めてくれたりするもんだから、調子に乗って色々な所に行く時には必ずと言っていいほど着ていたよ。 
 ところが正月にそれを着て父親の実家に行ったら、父親の兄貴が父親に向かって「お前んとこは何や?中学生の子供に背広を着せとるんか。」嫌味たらしく言ったのが聞こえたから「背広ちゃうもんね、これはブレザーやで。おっさん、知らんのか?」こっそりと聞こえないように言ってやった。 
 その後高校に入る頃になったら、さすがにもうサイズが合わなくなってしまい(注:当時のVANのMサイズは今の感覚と違い、割と小さめだった。)ヒジや袖口も生地が薄くなってスリ切れそうになっていたから通学用としても新しいブレザーが必要になったんだよね。 
 そしてその頃にはすでに「メンクラ」を読んでいたから、いわゆるアイビースタイルのスーツやブレザーの定義は、大体認識していたし。

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 ブレザーの場合、フロントはメタルの3つボタンで段返り、胸ポケットがパッチポケットで脇ポケットはパッチアンドフラップ。背中は背抜き仕立てでベントはセンターフックベント。袖口のボタンは2個。そして肩やラペル、ポケットにウェルトシームと呼ばれるミシンステッチが入る・・・正しいアイビーブレザーの定義だった。 
 そして待ちかねたお休みの日にVANショップに行き新しいネイビーブレザーを買ってもらう事が出来た。 
 今度はちゃんと、あちこちディテールをチェックしてね。「よっしゃ、完璧やん!」一応KENTのブレザーも試着してみたんだけど、顔見知りのスタッフのお兄さんに、「KENTのはアイビースタイルじゃ無いからフックベントのブレザーは無いんだよ。」言われて「へ~」と思いながら、実はまだそこのところ(注:トラッドとアイビーの概念の違い)を良く分かっていなかった。 
 下の画像のモノがそうなんだけど、今のモノと変わらないよね。(痩せれば、まだ着れるんだよなァ・・・) 

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 ある記録が有ってね、VANが本格的にアイビースタイルのブレザーを発表し流通させ始めたのは60年頃の事で、それが徐々に全国に広がり、雑誌「男の服飾」が「メンズクラブ」と名前を変えた同年の63年に一挙にアイビーの大ブームとなったという事のようだった。 
 「モノマガジン」で63年製のVANのブレザーの写真を見つけて来たよ。上2つ掛けの時代のアイビーブレザーだけど他のディテールは現在と同じだよね。 
 実際に、もう半世紀以上前のモノなのに古さを全然感じないのは、ビートルズの音楽と同じで、ずっと長い間同じモノが変化をせず世の中に常に存在し、そして機会有るごとに見聞きし続けているからだと思うんだよね。 
 一方、どんどん変化するから以前のモノに古さを感じるようになるのが例えば家電やクルマだったりするような気がするんだよ。
  因みにその頃のテレビやクルマはご覧の通りで、やっぱりレトロ感満載だよね? 

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 サンヨーテレビの広告には「日本では一生にいちどしか無い"東京オリンピック"」とコピーが有って、この新型テレビでその歴史的な人類の祭典の素晴らしい映像を観ましょう、という事だったんだろうね。ところで59,800円ってかなり高価だと思うんだけど、今の幾らくらいになるんだろうか。 
 そしてお隣のクルマは大衆車の優等生、日産ブルーバードだよ。当時うちのクルマはスバル360だったから、ブルーバードがとても大きく見えてさ、それを停めている近所の家がすごく羨ましかったんだよね。 
 そして高校に入る年に買ってもらったブレザーの頃がこんな具合かな? 

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 今度は「万国博をサンカラーで見よう!」ってさ。まだまだ、カラーテレビはとっても高かったもんね、195,000円だって。そしてクルマはトヨタの初代「セリカ」。たぶん同じ頃だったと思うんだよね、近所のちょっとアイビーでヤンチャなお兄さんが、昼間はいつもピカピカにワックスを掛けていて夜になると派手な音のクラクションを鳴らし、デカい音を立ててぶっ飛ばしてたのを憶えているからね・・・ 
 まァ、こんな事を書き出すとキリが無いからこの辺りにしておこうと思うけど、その後もボクはニュートラを経て、ウェストコースト、プレッピー、アウトドア、デザイナーズ、ヴィンテージ、渋カジ等と、BROOKS BROTHERSを始めRALPH LAUREN など様々なブランドのブレザーに袖を通して来てね。(済みません、本当はこの10数年は、あまり着た事が無いんだけど。) 
 でもやっぱりここに来て、結局は原点回帰というか最後にやっぱり究極のアイビーディテールのモノが欲しくなったんだよね。 
 で、全ての仕様の条件を満たし、更に現在手に入る本場アメリカ製のモノと言えば、やっぱりSOUTHWICKの"CAMBRIDGE"にトドメを刺すと思うんだよ。そしてボクのブレザー遍歴は、たぶんここで終止符が打たれる予定なんだけどね。
 まだ高校生の頃にね、どなたかのエッセイの中で「カシミヤのセーターはとても高価なモノだけど成功した大人のセーターだ。」というような事が書いてあってさ。だけど今と違ってカシミヤのセーターなんてその辺りで売っているワケでは無く、ボクは見た事も触った事も無かったから、一体どんなモノなんだろうとずっと思っていたんだよね。周りには誰も知っているヤツ居なかったし。  で、結局何も分からないまま上京して来て、ある日たまたまバイト先の先輩に日比谷の三信ビルの中の「ワールドサービス?」でハンバーガーをご馳走になったんだよね。


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 そしてその並びだかに有った輸入物を扱うお店(お店の名前忘れちゃった)で先輩が派手なストライプのARROWだかMANHATTANのロングポイントシャツを買った帰りに銀座のテイジンメンズショップに寄ったんだよ。まだ2階にVAN SNACKが有ってね。

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そして色々と見ていたら先輩が急にガラスケースの中を指さして「お~!イギリスのカシミヤ(のセーター)が売ってるぞ。」言うから「え?ホントに!」聞いた途端、ボクが一挙にボルテージを上げたまま中を覗いたら何か黒いタートル?みたいなのが置いて有ったんだよね。「そうか、これがカシミヤのセーターか・・・」

だけど、どう見ても当時のボク達の風体では、買わないのが見え見えなのに思い切って店員の方に、恐る恐る聞いてみた「ちょっと手に取って見る事は出来ますか?」そしたら「はい、はい、こちらですね」とか言って、ニコニコしながら意外にもあっさりとケースから出して上のガラスに広げて見せてくれたんだよね。

そしたらもう大変だった。その軽さとふわふわした柔らかい手触りに感動して「ひぇ~!スゴいや!」本当にビックリしてしまったんだけど値段を見て更に、もう一度ビックリしてしまった。「こんなにするの・・・」

ブランドもデザインも全然覚えていないけど、ボクのカシミヤ初見参だった。

その後、気にしてあちこち見ているとイギリス製のセーターは丸善や伊勢丹にも売っている事が分かって来てね。だけどカシミヤに至っては、みんなガラスケースに入れられていて、その辺の棚にひょいと置いてあったりしないからガラスの外側から凝視してデザインを見たりブランドを覚えたりしていたんだよね。時々、白い手袋をした店員のおネーさんにブランド名の読み方を聞いたりしてさ。

BALLANTYNEROBERTSON、そしてALAN PAINE・・・どれもこれもイギリスのメーカーで素晴らしくステキだった。

そんな事をしている一方でアメ横にも相変わらず行っていたんだけど、最初は全然気が付かなかったんだよね。実は「る~ふ」にもカシミヤのセーターが売っていた。大体アメ横のお店にはアメリカの製品しか無いもんだと思い込んで居たから、イギリスのセーターが有る事自体が、ずっと分かっていなかったんだよね。(一方、大井町の「みどりや」でMcGEORGEPETER STORMのセーターは目撃していたけどね)

「る~ふ」では、そんなに多くは無かったけど、ガラスウィンドウの中にはカシミヤのROBERTSONだったかな?のアーガイルやALAN PAINEのカーディガンやシャギードッグなんかが入れられていてね。そして他の棚にもよく見てみるとMc.GEORGEPETER STORMなんかがアメリカのLORD JEFFWOOLRICHなどとごちゃ混ぜに置いて有った。

結局その日購入したのはPETER STORMのオイルドセーターだったんだけど、カシミヤのセーターはいつか絶対に欲しいと思っていたんだよね。特にALAN PAINEのヤツ、何だかブランド名とタグが一番格調高くてカッコいいと思ってさ。

その後「る~ふ」に入る事になったんだけど、ちょうど1月くらいだったのかなァ、店頭にはもう余りセーターは残ってなくてLORD JEFFPETER STORMなどが何枚か有った程度でALAN PAINEなんてかけらも残っていなかった。

で、その年の秋冬は社長や先輩の仕入れでカシミヤ製品の入荷というのは無かったんだけどWILLIAM LOCKIEのラムやMcGEORGEのシェットランド。そしてBYFORD, DALESt.JAMESALPS等といった初めて見るブランドなんかが有って毎日触りながら楽しくて仕方がなかった。おそらく、この頃からボクのセーター好きは形成され始めたんだと思うんだよ。

そして、その翌年から一部仕入れをさせてもらえる事になり、1社だけはどうしても自分が担当したくて社長に直訴してOKをもらったのがデスモンド・インターナショナルという当時のBARACUTAGRENFELLの輸入代理店だったんだよね。

「やったァ!」ってなもんでスゴく嬉しかったよ。だってデスモンドはALAN PAINEBYFORDの代理店でも有ったからね。

それからボクはデスモンドの担当の方からALAN PAINEの資料を頂き、1907年の創業で20年代には当時のエドワード八世(ウィンザー公)の着ているレジメンタルストライプ入りのVネックのセーターがALAN PAINE製だとか、50年代には、あの有名なテムズ川で行われるオックスフォード大学とケンブリッジ大学が競う「ザ・ボートレース」でオックスフォード大学の選手のチームストライプ入りのケーブルニットを供給していた話しだとか、また英国女王より授与されるQUEEN'S AWARDを受賞するという栄誉に輝いた事なんかを教わったんだよ。

当時のデスモンド・インターナショナルの代表だった中牟田久敬氏の著書(81年発刊)にも詳しく記載が有るね。


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そしてしばらく経ち、展示会が開催された際に、めでたくボクはALAN PAINEのカシミヤを、自分が買うのも1枚入れて少量だけど発注出来たんだよね。ショールームであれこれ触りながら悩んでいると、どれもこれも良さそうに思えて、なかなかその場から離れる事が出来なかったよ。79年の秋冬のコレクションだった。

え?どうして79年ってしっかり覚えているのか?って。実は、翌年80年の春頃に受けた雑誌「JJ」の取材写真が残っていて、ちゃんと806月号と記載が有るからなんだよね。


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この日ボクは一番のお気に入りのBARACUTAを着て、そしてちょっとしか見えないけど、インにはしっかりと勝負ニットとしてALAN PAINEのカシミヤのVネック(右画像=もうかなりボロいけど、やっぱり捨てられないんだよね)を着ているんだよ。

そして画像の中で僕の左ヒジの下辺りに積んであるのがALAN PAINEのコットンのクルーネックなんだよ・・・って誰も分かるワケ無いよね。

でも、その頃一番売れたのは、ちょうどプレッピースタイルがピークに達していた頃でも有ったからだと思うけど、実はシェットランドのクルーネックやアーガイルだった。


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まァ、そんな事が有ってからずいぶん経ったけど、今回思う事が有って久しぶりにカシミヤのニットを発注してみたんだよね。それも正真正銘、英国製ALAN PAINEのヤツ。何だか嬉しいよねェ。

形は今の気分なら絶対クルーネックだよね・・・って結局自分が何着か欲しかっただけなんだけどね。

それとも、どなたかお付き合い頂ける方が居たりするのかな?


 以前にも自分のブログのどこかに書いたと思うんだけど、とにかくボクはBARACUTAの#G-9を始め、チェックの裏地が付いたアウターが昔から大好きなんだよね。

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 ボクがまだ子供だった昭和の時代には、大人たちの間で「ハイカラ」という表現が残っていて、当時京都の「大丸」に有った特選売り場のガラスケースに入れられた直輸入物のMc.GREGORやMUNSINGWEAR、BURBERRY等の「ジャンバー」(注:ブルゾン)とか「オーバー」(注:コート)などと不思議な和製英語で呼ばれていた上っ張りや防寒外套に鮮やかな格子柄の裏地を付けるなどという、和装の世界観には無いような西洋趣味のしゃれた様を見て、時々デパートに連れて行ってくれた母親がよく「ハイカラやねェ・・・」言っていたけど、ボクも「外人が着る洋服はホンマにカッコええなァ・・・」ガキのクセにそう思っていた。
 中学生になってVANの洋服を買ってもらうようになった頃もタータンチェックの裏地が付いたブレザーをおねだりしながら、やっぱり同じように思っていた。「絶対オシャレやん!」
 今でもそう思っているよ、そんなアイテムを眺めているだけでワクワクするもんね。
 そしてその後もそういったアイテムは必要以上に増え続け、アメ横時代に買ったウールのタータンチェックを張り付けたWOOLRICHのマウンテンパーカや、裏がブラックウォッチタータンのGLOVERALLのダッフル、名もない薄汚い柄としか言えないようなチェックの裏地が付いたMAVERICKのGジャンとかね。何だか他にもいっぱい有るよ。

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 何かね、裏地にチェックを使ったアイテムを見るとすぐ欲しくなっちゃうんだよ、悪いクセだよねェ・・・いまだに全然治らないけど。
 だけどね王室御用達の栄誉にも輝いた、あの大英帝国を代表するチェックの裏地のアウターと言えば・・・のBARBOURの場合は状況が少し違っていた。
 実はボクのBARBOURデビューはだいぶ遅かったと思うんだよね。当時アメ横の中には売られて無くて、たぶん広小路の松坂屋付近に有った「●●銃砲店」だったかな?というお店のウィンドウにディスプレイして有るのを見て、なんとなく存在は知っていたという程度だった。
 だけどオリーブ(SAGE)グリーン色のシェルにブラウンのコーデュロイの襟、そしてタータンチェックの裏地という組み合わせには、紳士の国の大人っぽい品格が感じられて、さすがイギリスのアウトドアアウターらしく、とってもカッコいいと思っていたんだよね。  
 ところが実際に手に入れたのは80年代の後半くらいだった。
 コーデュロイの#G-9との交換要員として先輩から譲り受けたのが最初で、ニューヨークのマディソンアヴェニューに有るBROOKS BROTHERSの通りを挟んで反対側に有るORVISで買ったという先輩の必要以上にくどく、そして有難い?お話しだったけど、1~2度着てみたらやっぱり何だかベタベタした表面と機械油のような匂いがどうしても馴染めなくて、あんまり好きになれなかったんだよね。友達と一緒に電車に乗った時も、そいつは何だか離れて立とうとするし・・・。で、着るのを止めちゃった。
 それで、結局たたんで他のモノに密着しないようゴミ袋に詰め込んだままかなりの期間放置された後、アメリカに引っ越す時にいろんなモノと一緒に実家に送ったままになっていたんだよ。 そしてそのまま忘却の彼方に追いやられていてさ・・・
 そしてその後おそらく10年ほどが経過し、再びそのゴミ袋が何かの時に実家で発見され、そして開封されたのは何と21世紀に入ってからだったからね。タイムカプセルみたいなもんだった。
 恐る恐る引っ張り出してみると見事にペッチャリと貼り付いていてさ、所々カビだか何だか正体不明の粉みたいなのも付着してるんだよ。「ありゃァ~参っちゃったねェ・・・どうすんの、コレ」で、お世辞にも高価なアウターには程遠い景色で、真空パックのオイルサーディンみたいなもんだった。但し、かぐわしい機械油の香りは見事に健在でさ。
 仕方が無いから、「どうせ忘れてたんだから、もうこの際どうなってもいいや!」と思い、台所用洗剤をボトル半分程たっぷり振りかけて洗濯機で長時間ぐるぐる回して洗ってみたんだよね。
 途中洗濯機の中を覗いてみると想像を超えたレベルの、かなりえげつない色の水になっていて焦ったけど、洗い上がってみると意外にもいい感じで再生していて、ちょっとホッとしたよ。
 問題の匂いも有る程度消えていて、形を整えて干してみたら全体的に色も白っぽく変化しコーデュロイの襟やポケットの周りのアタリ感もなかなかの顔つきになっていた。
 かくして、ボクに嫌われていた問題児BARBOURは、再びめでたくワードローブに加わる事になったんだよね。
 そんなこんなで、その後BEDALEのBLACK(これもBLACKWATCHタータンの裏地が超カッコいい)を買い足し、そして本命カラーDRESS GORDONの裏地のSAGEもあらためて買い直さなくちゃね・・・と思っていたら、10年ほど前だったかに突如裏地のタータンチェックが変更になっちゃったんだよね。「え~!」だった。

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 これは、良いとかダメとかいう事では無くて、あくまでも個人的な好みの話しなんだけど、ボクはドレスゴードンの裏地のモノの方がやっぱり好きだったし。
 「あれ~?どうして・・・やっぱりイギリスのアイテムらしい、あのドレスゴードンの裏地が良くて欲しかったのにィ。」思ったけど、まァそのうちに輸入元にでも聞いて、古い在庫を探してもらうから・・・なんてやっていたら、在庫などとっくに完売していて本当に世の中から姿を消しちゃったんだよね。
 下はちょっと古いカタログだけど、代表的なアイテムは全部SAGEグリーンにドレスゴードンの裏地のモノで紹介されているんだよ。

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 そんな事が有って「アレ、やっぱり欲しかったなァ・・・失敗しちゃった。」ずっとこの何年か思っていてね。
 そしたら同じような事を考えているヒトは必ず居るもんだよね、とうとうドレスゴードンの裏地が装着された復刻BEDALEが、細っこくない昔ながらのオリジナルフィッティングで限定着数ながら、この秋1度だけ発売される事になったんだよね。やったね~!嬉しいなァ・・・ボクみたいな小デブのオヤジには「待ってました!」って感じだよ。

注:今回の復刻はオリジナルフィッティングのBEDALESAGEカラー1色でドレスゴードンのライニングを装着したものとなっています。

またブログ中で触れております表面素材のベタベタとした感じや匂いに付きましては、現在のインラインのアイテム同様当時よりも大幅に改善されたものとなっております。

別売りのデタッチャブル・ウォームライナーも当時のスナップ止めのモノでは無く、現在販売されているウォームライナーがそのまま装着出来るようになっております。

 

 





第132回 「レタードカーディガン」

 最近は、日々着実に忍び寄る年波のせいか、ちょっとだけ照れ臭いから着る機会が減ってしまったんだけど、シェニール(CHENILLE)というモール糸で刺繍されたデカいイニシャルがフロントに付けられたレタードカーディガンやクルーネックなんかも有るよね? ああいうの、昔から大好きなんだよ。 
 同様のスタジャン等も含め、カッコいいレタリングのイニシャルレター等を付けたアイテムって本当にヤンキー臭いと言うか、カッコ良くってアメリカの服って感じがするんだよね。 
 事実、アメリカの映画を観ていても目撃する事が結構有るし、それが単なる衣装じゃ無く、時に登場人物の生い立ちや現在の生き様を表現するちょっとした小道具の1つになっていたりしていると感じる事も有るからね・・・って、少し深読みし過ぎかも知れないけど。 

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 ちょっと紹介すると、左上から「のっぽ物語」のアンソニー・パーキンス。そして右は「スケアクロウ」のジーン・ハックマン。一番右は「アメリカン・グラフィティ」のローリーことシンディ・ウィリアムス(やっぱり今見ても可愛いね!)だよ。 
 そして下段左はジョン・ベルーシのハチャメチャ作品「アニマル・ハウス」に出演していたチア役の女のコで、その右は「追憶」のバーブラ・ストライサンド。そして最後は「イージー・ライダー」のチンピラ弁護士役、怪優ジャック・ニコルソン・・・・・まだ他にもきっと有るよね。 
 基本的にシェニールで作られたイニシャルや数字等は、スクールカラーを現すボディと袖のラインと共に、学校や所属チーム、功績、卒業年度等を表現していると思うのだけど、時に着用者のチームの中での地位や個人名等までが入っている事も有るんだよね。 
 ところが、それがボクには着用者の出自や所属を表現する記号と言うよりも、全体的な「カッコいい景色」として、きっと見えているんだよ。(基本的に、ボクは意味合いを深く考えていないという事だ) 
 渋谷の老舗ヴィンテージショップ、"FOVOS"の和久井さんに教えて頂いたのだけど、東海岸の方では比較的オーソドックスなレターワークのアイテムが多く発見される反面、あれこれと「これでもか?」と、ベタベタくっつけたモノは大概、西海岸の学校のモノだと言う事だった。東京と大阪のファッション感度の違いみたいな事がご当地アメリカでもきっと有るんだよね・・・へェ~!って感じだ。 
 そもそもアルファベットがくっついた洋服が何だかカッコ良く思え、そして欲しいと思った一番古い記憶は昭和30年代のボクがまだ幼稚園の頃にテレビで観た「ディズニーランド」という番組の中の「ミッキーマウスクラブ」の映像で時折出て来るアメリカの子供達が着ている名前入りのセーターだったんだよね。ああいうのが欲しくてさ・・・ 
 その時にボクはそれが何なのか分からないので一緒に観ていた母親に聞いたら「あれは英語で自分の名前が書いてあるんだよ。」と教えてくれた。 
 ちょうど当時は毎週金曜日の夜8時から(関西は読売テレビ放送【YTV】の10チャンネル)三菱電機の冠提供枠で「三菱ダイヤモンドアワー」という番組が有って、その頃絶大な人気を誇っていた力道山の「日本プロレス中継」と、そして「ディズニーランド」が隔週テレコで放映されていたんだよね。 

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 記憶がずれていなければ、だけど・・・確か金曜日の夜8時になると、番組のトップで遥か東京の銀座の交差点(当時は、当然銀座なんて知らなかったけど)に有るこの円筒形の三菱のネオンがグルグル回る様に輝くのを、ずっと離れた京都の太秦の大映撮影所の隣りに有った雨漏り長屋の白黒テレビで毎週眺めていたワケだよね。東京という所は果てしなく遠い所だと当時は感じていたよ。 
 最初の頃、プロレスが有る日は近所の人達がうちにテレビを観に来るからって、晩ごはんを早めに食べさせられてさ。そして母親は、それからそわそわとお茶とか座布団の用意なんかしたりしてね。映画"ALWAYS 三丁目の夕日"でそういったシーンが再現されていたけど、本当にあんな感じで、実にのどかな昭和のひとコマだった。 
 "メキシコの巨像"と呼ばれたジェス・オルテガに空手チョップを浴びせる力道山(59年の第一回ワールドリーグの時の写真かな?)と、かたや妖精のティンカー・ベルの組み合わせは、どう考えてもスゴい落差だけど、今も銀座の三愛ビルの前を通る度に屋上付近を見上げては子供の頃の記憶を思い出すよ。 
 隔世の感深し・・・という感じだ。 

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 ところで、ずいぶん後になってから知ったんだけどこの初代「ミッキーマウスクラブ」にあの、元祖ディズニーアイドルのアネット・ファ二セロが居たんだよね。 
 分かるヒト居るかなァ、日本では田代みどりが昭和36年にカバーして大ヒットとなった「パイナップル・プリンセス」のオリジナル曲を唄っていたのがアネットで、右の画像はその数年後に、おネーさんになったアネットが、あの"ザ・ビーチボーイズ"と共演したコメディ映画(萩原健太氏によると、とても「くっだらない内容」らしいけど・・・)「モンキーズ・アンクル」の主題歌を唄っているシーンだよ。 

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 ありゃァ~・・・話しが、全然違う方向にそれちゃったね。 
 まァ、そんなこんなでボクも人並みに成長して大きくなるんだけど、アイビーのカッコ良さにハマり始めた中学の頃には、まだVANのお店でも、そういったレタードニットは売られて居なかったように思うんだよね。それとも気が付かなかっただけなのかなァ・・・ 
 因みに、メンクラでレタードニットが初めて紹介されたのはいつ頃なんだろうか?と思い古いメンクラをあれこれ見てみたら、こんな画像が出て来たよ。  

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 昭和38年(1963年)のメンズクラブ"アイビー特集号"の中程に石津祥介先生が解説をしている「アイビー・スクラップ」というコーナーなんだけど、"M"のイニシャルの可愛いおネーちゃんを見つけたよ。 
 だけど当時、この写真を見たメンクラ読者はこういうセーターは女のコの服だと思うよね。だって、男が着ていないもん・・・まァ、一応は53年前に紹介されていたという事実だった。 
 ところでボクに関して言うと71年の春、高校生になったその年の冬にレタードカーディガンを買ってもらったんだよね。VANが69年から72年頃まで、ライセンス生産をしていた"SPALDING"のヤツ。 
 京都河原町のBALの中に有ったテイメンで、ボディがオフホワイトのヤツ。そしたら値段はVANやKENT以上に高いクセに、何と素材がアクリル100%だったから母親が洗濯表示を見ながら「あ、家で洗えるんだ。じゃァ、白っぽいのでもいいか・・・。」って、ちょっと呆れながら言っていた。 
 画像のは赤いカラーだけど、これの色違いで白いボディにネイビーのラインが入ったヤツだった。イニシャル"S"のシェニールに"SPALDING"と書いて有るのが自慢だったんだけど、その後全く同じ企画のまま商品群は、ボクが高3の頃に"VANSPORTS"というブランドに変化を遂げたんだった。 
 上京した頃にはまだ手元に有ったんだけど、アイビーっぽい格好はもうしないからって、"る~ふ"に入った頃、立教の学生で守屋商店でバイトをして居た、F原くんが欲しい!って言うからあげちゃったんだよね。後に、プレッピーの時代が到来した時に「あ、アレ着られるじゃん!」そう思って、ちょっと後悔したけどもう遅かったよ。 
 VANのライセンス生産(最初ボクは直輸入モノだと信じていたんだけどね)ではあったけれど、"SPALDING"はかなり気に入っていたブランドで、特にロゴのデザインがカッコいいと思っていた。今はスタジャンだけが奇跡的に残っているよ。 

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 まァ、そんなような事で昨年くらいからこの先ボクがジジィになっても着る「究極」のレタードカーディガンを作りたいと思っていてね。ショールカラーネックって言うのかな?あの襟型が絶対カッコいいと思うし、欲しいんだよ! 
 で、ようやく入荷して来た。いやァ~嬉しいなァ・・・イメージ通りに出来上がったもんね。コロンビアブルーにホワイトのラインはアイビーっぽさが溢れていると思うよ。 

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 FELCOの代理店さんに、またもや今回もワガママ言ってこの別注企画をSKOOKUMで生産してもらってトリプルネーム仕様にしてもらったんだよ。(数量が少ないから次回から、こういうのは、もう勘弁して!・・・と、釘も刺されたけどね 苦笑) 
 勿論素材は100%ウールで結構な重量級、ボタンループ付きの袋編みショールカラー。そして袖口はターンバック(折り返し)仕様で、クラシックな6ボタンフロント。左袖のラインとポケットの中のカラーを合わせて有るんだよ。シェニールは"FELCO"の"F"で、この"F"という文字の形が何だか昔から親しみが有って好きなんだよ。(水原監督時代の東映フライヤーズの帽子をガキの頃に持っていたからだよなァ・・・たぶん) 

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 トップボタンをループに留めるとこんな感じ。襟を立ててしまうとマフラーなんか要らなくなるからね。そして特にボクお気に入りの仕様、ブラインドパッチのエルボー部分。  
 外側から見ると何となく「楕円形」の凹凸が分かるんだけど、同じ部分を裏返しにした右の画像を見ると分かるよね?同じニット素材で裏側から補強してあるんだよ。コレすごくない?結構乱暴だけど、こういう部分に古き良き時代の質実剛健なアメリカ人の仕事を感じるんだよね。 

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 左から、今ボクが一番着たいと思っているカラー、ダートマスグリーンのボディにホワイトのレター。これはホワイトジーンズにベージュのデザートブーツなんかが気分だよね!シャツはオックスフォードのブルーかなァ・・・真ん中も、コレいいでしょう?ブラックボディにオレンジのレター・・・そう!プリンストンカラーだね。そして右はネイビーボディにグリーンのレター・・・実はうちのお店"SEPTIS"のハウスカラーなんだよね。 
 WEBアップには、もう少し時間が掛かるみたいだけど、お店にはもう並べられているので、どなたかモノ好きなヒト、実物を触りに来ないかなァ・・・絶対カッコいいと思うんだよ! 
 あ、値段は¥47,520(税込)なんだけど。


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