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 30年以上前のハナシだけどね、アメ横ローカルと言うか、たぶん守屋商店独自レベルだろうと思える超ローカルB級アイテムがあってね。70年頃からのLeeのファッションラインとして存在したスモールタブにLeeでは無くLEEと表記された商品群があったんだよ。だけどそれらが後日ビンテージとして話題になった事は多分一度も無いように思うんだね。


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 これはLEVI'SのキャピタルEとは全く性格が異なっていて、創業以来ワークウェアのブランドとして名を馳せて来たLeeが、新たにファッションを意識してマーケットに投入したカテゴリーだという事みたいだった。それらは結局その当時売れたのかどうか全然知らないんだけど、守屋商店には何故か当時一杯有って、LEVI'SのセカンドモデルみたいなポケットのGジャンや、どう見ても変な形?にしか見えないジャケットやら#411というフレア、そしてボクが大好きだった#400という、少しローライズのテーパードストレートなんかが存在したんだよ。


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 最初はLeeってホワイトサテンのウェスターナー以外は、全然興味が湧かなくてね。でも守屋商店のおじさんがやたらに「あんた、これ穿きなさい。」なんてしきりに薦めるから、だんだん気になって来てね。で、最初にデニムの #400を買ったんだよ。シルエットはLEVI'Sの#606の股上が浅くなったようなカンジだったのかな。結構細身だったね。

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でも一番の特徴はバックポケットに普通は入っているレイジーSとか言うLee独特のニョロ〜としたステッチが入って無くて、そしてスモールタブにLEEと表記してある事だった。


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そして細かいハナシなんだけど、普通デニム素材なら裾もオレンジの糸でステッチングしてあるんだけど、この#400のデニムは最初から黒糸でステッチングしてあって、おまけに新品はトラウザーのようなたたみ型になっているんだよね。で、それらのかなり特殊な部分をもってこのパンツがファッションパンツである所以だとおじさんから教えられてね。


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で、買った時に「あんた、オレンジの糸で裾を縫っちゃダメだよ。」なんて言われて、おまけにセンターをプレスして穿けと言うんだよね。それで、本当にその通りにしたら、おじさんがそれ見て「そうだよ、そうだよ、うんうん。」なんて、正直言ってブルーデニムのプレスは最初かなりの違和感だったけどね、周りはみんな「変じゃない?」って言うし。


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 ところが、良く見るとちょっと違う・・みたいなアイテムを見るとボクはすぐ欲しくなる悪いクセがあって、結局何本か買うハメになってしまったんだよ。当時みんなほとんどLEVI'Sを穿いてた時にわざわざLeeの、それも大文字のLEEのスモールタブがバックポケットに付いてる #400のデニムやらコットン100%でやたら縮むミッドウェールのコーデュロイとかパーマネントプレスのオフホワイトやオリーブを好んで穿いてた時があってね。ローファーやデザートブーツなんかにカッコいいんだよ。買わなかったけど#411のラインにはフレアのニットパンツなんかも存在してたねェ。それで、大文字の付いたLeeはボク達から特別に「デカリー」(デカいLEE)と当時呼ばれてたんだよ。


 ところがボクは、せっかく気に入ってたのに時間と共にだんだんとそのご自慢の「デカLEE」が穿けなくなって来てね。要するに太っちゃったんだよ。アハハだね、2サイズくらい変わって全部穿けなくなっちゃった。それでサイズの大きいのを買おうかと思ったら、その頃には守屋商店にもタマが随分少なくなって来て全体的に値段が上がっててね、特に31とか32なんていうサイズは、29なんかより全然値段が高くなってしまってたんだよ。廃番商品で後が無いデッドストックだから仕方がないよね。断念したよ。で、結局それ以来愛用してた「デカLEE」は、その後穿ける事は一度も無く家の中で、どこか行方不明のままなんだよ。多分何かと一緒にバザーに出されたか、捨てられたんだね。

 

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 何が好きってTOP SIDERのキャンバスオックスフォードが大好きだね。当店の定番アイテムとして毎シーズン欠かさず展開してるんだけどカッコいいよねェ、特に紺色の色が擦れて落ちて来たカンジが大好きだなァ・・・。実は70年代の黄金期を知るボク達の業界の重鎮達にもファンがすごく多いんだよね。

 75年だったと思うけど、ちょうどテレビ局でバイトしてる時、そのバイト先の先輩が割とアメリカ物に詳しくってねェ。ボクがKEDSを履いてるのを見て「いい靴履いてるけど、スタジオは白い靴なんかスグ真っ黒になるよ。」と初めて声を掛けてくれて以来、話しをするようになったんだよ。それである時にボクがアメ横で見たCONVERSEのボートシューズ(おそらくDECK STARとかSEA STARとか言うやつ)の紺色がカッコいいから欲しいという話しをしたら「通は、やっぱりTOP SIDERでしょ」と言うんだよ。

 ボクはそれまでは、CONVERSEやKEDSを履いてて、特にCONVERSEが気に入ってたんだね。ところがTOP SIDERという名前は、実はその時まで知らなかったんだよ。TOP SIDERという靴をそれと意識して見た事は一度も無かったんだけど何だか急に欲しくなってね、たぶんその時大井町の「みどりや」さんにはちょうど無かったんだろうなァ、それでアメ横に行ったんだよ。そしたら「根津商店」で売ってて、白いハコのTOP SIDERを初めて買ったんだよ。すごく気に入ってね、紺色がハゲて真っ白になるまで履いてたね。ところがボクは靴のハコだとかは、すぐ捨ててしまうから残念な事にその後のマークの些細な違いに全然気が付かなかったんだね。

 

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 「る〜ふ」に入った頃には2足目のTOP SIDERだったと思うけど靴のボックスは既にブルーに変わってたね。その頃はCONVERSEなんかもコロコロとハコのデザインが変わってたからハコが変わるくらいは余り気にも留めて無かったんだよ。そしたらある時に「る〜ふ」の先輩の履いてるTOP SIDERのヒールパッチが自分のモノと少し絵柄が違う事を発見したんだよね。何と先輩のTOP SIDERのヒールパッチは、周りが少し消えてるけどTOPという文字の位置が違うし、それに何とカモメが2羽飛んでるんだよ。それに靴そのものもボクが履いてるのよりオデコが狭くて形も細身で全然カッコ良く思えてね。

 

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 いやァ、参ったね。最初に履いてたヤツがたぶんそうだったかも?(真相はナゾのままだけど)と思っても、もう遅かったね、とっくにゴミになってたからね。それからアメ横の色々なお店を探したりしたけど白いハコのカモメが飛んでるTOP SIDERは売れ残りの小さいサイズぐらいしか無くて、悔しい思いをしたんだよ。もっと早く気が付いてれば良かったよね。友達なんかも、聞くとやっぱり存在を知ってるヤツが居て仲間内では「幻のシーガルパッチ」なんて呼んだりしてた。

 あれから、もう何年も経っちゃったけど地方の靴屋さんやら時々古着屋さんで見つけたり、また先輩や他の方からも譲り受けたりしてTOP SIDERは履きもしないクセに色々と集まってしまってね、でもやっぱりオデコが狭くて細い木型のカモメの飛んでるパッチが付いたキャンバスオックスフォードの新しいのが欲しいな。そして毎日履きたいねェ。そうそう当時コーデュラナイロンのオックスフォードも有ったんだよ。やっぱり紺色だよねェ・・カッコいいのは。

 ちょっとおバカな事を思い付いたんだけど、ヒールパッチとボックスの変遷を順番に並べて(こんな事やるから、やっぱり超B級なんだよなァ。)みたんだよ・・・。

 

 

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 ボックスは左からシーガルの時代(〜74年くらい)2番目は白いボックスの最終型でカモメが居なくなってロゴが変更になったモノ。(〜76年くらい)3番目が良く知られているブルーボックス(〜80年くらい)そして一番右がアメリカ製の最終型(〜82年くらい)でロゴがヨットのマークになって、みんな思い切りガッカリしたヤツ。


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ヒールパッチはね、一番左が古くてたぶん70年代初めくらいかも知れない。(良く分からないんだよ。)そして2番目が問題のシーガルパッチ(〜74年くらい)3番目はブルーボックスの時代で一番有名だよね。(〜80年くらい)そして一番右がヨットのマーク(〜82年くらい)
その後は原産国が韓国に変更され木型も変わってしまった時点でTOP SIDERの数年間の黄金時代は終わってしまったんだよ。

第13回「一発屋!BBCのポロシャツ」

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 よく瞬間的にもてはやされて、ブームが終わった瞬間には影も形も無くなり、あれは一体何だったんだろう?みたいな現象があるよね。エリマキトカゲのCMとか、インベーダーゲームとか古いハナシだとグループサウンズとかダッコちゃんとかね。(だいぶ古いか・・汗)そんなアイテムがボク達の業界にも時々ある。先日FARAHの原稿を書いてる最中に「そう言えば・・」と思い出したのがBBCのポロシャツの事だった。これこそ超B級の名に恥じない堂々トップレベルのアイテムじゃないかなと思って。

 

 

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 もう30年も前の事だから、業界の中でもほとんど知ってるヒトが居ないんじゃないか?と思うんだけど、BBCというブランドのポロシャツがあったんだよ。50歳くらいの業界の重鎮クラスの方なら多分覚えてるかも知れないなァ。ボクも全然そのブランドの事知らなくてBBCと言うからイギリスの放送局関係のブランドか何かと最初思ったんだけど、実はフランスのブランドだった。多分70年代の終わり頃の夏だったと思うんだけどきっかけは、おそらく雑誌POPEYEに紹介された事だったと思うんだね。その頃のPOPEYEはボク達の業界にもかなり強力な影響力が有り、POPEYEが取り上げるとヒットするというような神話が有ったんだよ。

 

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BBCと胸にワンポイントが付いてるだけで確か8800円。画像のポケット付きは9800円だったのかなァ。IZOD LACOSTEやU.S.MUNSINGがまだ6800円だったから、FRANCE LACOSTE並みに結構な高級品だった。ところが「る〜ふ」の卸の事業部が先に展開し始めてたので新しいブランドとして認識はしてたんだけど、売れるモノなのかどうか全く分からなかったから、店でもそんなに多くの数量をやってなかったんだね。

 

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それが、いざ蓋を開けてみるとマークが可愛い、素材の品質が良い、LACOSTEなどに比べて襟が小さくてオシャレなどと言われ、他の雑誌やら女性誌なんかにも掲載されて、あれよあれよという間に売れ、あっという間に一年目は売り切れて無くなってしまったんだよ。それで翌年にはだいぶ多めに発注したんだけど、昨年買えなかったヒト達を中心にまだ肌寒い春からかなりの勢いで売れて正直ビックリした。

 

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BBCは、コットン素材なんだけどとても伸縮性に富んだピケ素材(鹿の子織り)で肌触りも良くLACOSTEなんかとはちょっと違って、ソフトな素材感だった。ただ最初はいいんだけど、洗濯を繰り返すとそのうちに襟がテロテロになって波打つようになって来るのが分かったので、「ドライに出して頂いた方が良いかも知れませんねェ。」なんて途中から接客の際に言ったりしてたね。でもそんな状況にもかかわらずスゴいヒットアイテムになってしまったんだね。

当時は、ようやくプレッピースタイルのブームが登場する直前くらいの時期で、少しずつボタンダウンシャツやペインターパンツ、チノパンツ、マドラスチェックのショーツやネイビーのブレザーなんかを仕入れ始めてはいたけど、まだまだニュートラやヘビアイ、またサーファーもディスコも一緒くたという目まぐるしさだった。そんな中で突然、瞬間的なヒットを記録したアイテムだったんだよ。

 

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だけど次第にアイビーっぽい流れ(プレッピーの事ね)が訪れて、行くところまで行ったフレアボトムもビッグフレアのANGELS FLIGHTなんていうブランドがもてはやされた頃をピークに真っ先にボトムのシルエットがストレートに変わり、そしてトップスもアメリカのブランドにほとんどが偏り始めてBBCは翌年には急激に失速してしまったような気がするんだね。その後BBCは一体どうなったのか良く分からないんだけど、あの瞬間的なヒットは、かなり強烈だったね。「泳げたいやきくん」の唄みたいだったよ。

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 FARAHのフレアパンツと聞いてピピッと反応してしまうヒトは間違い無く70年代のあの一瞬のブームを通過したオヤジである。数年前にリバイバルというかFARAHの商標の権利を獲得しプロモーションを始めた英国の会社が懐かしいアイテムを再び世の中に出してくれた。長い間この仕事をやってるとこんな事もあるんだなァと思う。前回のブームが余りに強烈だったので、実はもう二度とリバイバルは有り得ないと思ってたからね。

 私服通学だったから途中くらいまではアイビーで決めて行ってたけど、周りの気の早い連中なんかは、すでにオーバーオールやジーンズを穿き始めててタイダイ(絞り染め)のTシャツなんかを自分達で作ってたりし始めてたね。ところがボクはビートルズの「アビーロード」のジャケットでジョージハリスンがベルボトムのジーンズを穿いてるのは認識してたけどホワイトジーンズ以外のジーンズには、最初全然興味が湧かなくてね。友達なんかはバギーだベルボトムだと地面を引きずりながら穿いてるのも居たけど、関係無いよってカンジだった。

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その頃アメリカの映画を観に行っても、アメリカのドラマをテレビで観ても、アメリカが舞台になっているのに、アイビーな格好をしてるのが端役で出て来るお父つァんくらいで、若いのは誰も居なくなってたね。

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 それで映像の中に見られる新しく思えるファッションは、それぞれ何に属するのか、また名前の付いた風俗なのかどうかも全然分からなかったんだけど、デニムなんかのジーンズでは無くて明らかに今までの認識と違う折り目がピシッと通ってヒザ下が少し広がってるシルエットのパンツを穿いたカッコいい兄さんが時折出て来てすごく衝撃的だったね。だって足が長く見えるんだよ。

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 ボクは当時痩せてて小柄で足も長くなかったからかなりコンプレックスが強かったかなァ。アイビーのパンツはシルエットがストレートで丈を長くして穿かないし、また途中で横須賀マンボ(通称スカマン)なんていう変なパンツの穿き方(裾幅を17センチくらいに細くしてダブルの折り返しは2〜3センチ、そしてオーバーウェストのものをいわゆる腰穿きにして1センチ幅くらいのコードバンのベルトをし、裾付近は長い丈をグシャグシャにたるませて穿く。本当に横須賀がルーツなのかどうか未だに不明。)なんかが流行ったりしても、どれもこれもやっぱり短足にしか見えないから全然納得出来なくてね。

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 そんな頃にたまたま友達と遊びに行った大阪の梅田の阪急ファイブにあったショップの店員のお兄さんが腰のあたりに「F」と書いた小さい黄色いマークが付いた細身でヒザから下が少しだけ広がっているパンツをCONVERSEのスエードに合わせて穿いてたんだね、でそれを見たとたんに「あれだっ!」という事になりそこで扱っているFARAHというパンツだとそのお兄さんに教えてもらって、ホップサックという素材のものを試着させてもらった。イメージ通りのシルエットで、はしゃぐボクを見て目が点になっている友達をよそに鏡に映る自分の姿を見て狂喜感涙だったね。

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 それから結構短期間の間に何本か揃えてしまう程気に入ってしまったのだけど、関西はその頃ニュートラと呼ばれる流れが一挙に来て、そのマストアイテムとしてFARAHのホップサックやダブルニットは流れに敏感な連中の間であっと言う間に広がって行ったんだよ。その現象を追うように、登場の前後は分からないけど、VANからSEVEN DAYSというブランドでニットフレアなんかが発売されたりHAGGERっていうFARAHのライバルみたいなブランドが上陸して来たりね。

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その後上京して面白かったのは東京では友達や先輩がホップサックのパンツを「ジンスラ」(死語)と呼んでたんだよね、ジーンズのようなスラックスという意味だったらしいけど、関西から来てそんな言い方を知らなかったから、最初「え?」というカンジだった。巣鴨の地蔵通り商店街で「モンスラ」(モンペのようなスラックス??・・おばあさん達が穿くらしい)というのが売られているのを見て、そのチャーミングな名前に爆笑した事があったけど、考えてみたら似たようなもんだな。

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FARAH、東京ではそれまで穿いているヒトは割とトラッド系の大人のヒトに多いように思っていたけど(多分トラッド系の店で割と売られてたからかな?)、本当の意味で爆発的なブームになったのは、ボクが「るーふ」で働き始めてしばらく経った78年頃からだった。俗にいうサーファーや、その後のディスコブームの時で、もっと年齢が若い大学生や高校生なんかも含めたとんでもないブームだった。

「る〜ふ」ではボクが入社した頃はさほど売れなかったのが、翌年のピークの頃には入荷しても入荷してもモノが足りない状態になってしまって商品の確保が大変だった。一時は同じテキサス出身(FARAH社はテキサス州エルパソで創業)のプロレスラー、テリーファンクを起用し雑誌の広告なんかを派手にやったりしてたけど、その後チェック柄やら類似品やらがあちこちに出回るようになって市場が混沌とし始めた頃、本当に嵐が去ってしまうようにFARAHの時代はあっと言う間に終焉を迎えてしまったんだね。

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時々懐かしくて穿いてみる事もあるけど、ワラビーなんかに合わせた時のフレアボトムの妙〜な安心感は、若い頃に刷り込まれた感覚なんだろうかね。ボク個人的には最初の頃(73年頃かな)に穿いてた幅の広いループが付いた、股上が浅くてヒザ幅が狭いLEVI'Sの#646に近い細身のシルエットの時のものが好きだな。

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SEBAGOって最近というか、もう何年も余り話題にしなくなってしまったブランドのひとつだね。それでも当店では毎年春夏にSEBAGOの名品DOCKSIDEと言うレザーのデッキモカシンを取り扱ってるのだけど、ボクの若かった頃はBASS WEEJUNSやBOSTONIANと双璧のローファーのブランドというイメージだったね。

SEBAGO、日本では「セバゴ」と呼んでるけど以前アメリカ人にそのままカタカナ英語で言ったら、全く通じなくって紙に書いたら「スィーベイゴゥ」と言いやがった。よっぽどボクの発音がひどかったんだな。

CONVERSEやKEDSは、かろうじて知ってたけど、生まれて初めて見たアメリカの革靴がSEBAGOだった。良く通っていたVANショップがあって、アメリカの製品も少しづつだけど入って来たりするから目が離せなくてねェ。本場モノのカレッジプリントのTシャツやVAN HEUSENなんかのボタンダウン、洗濯すると縮んでチンチクリンになるHANESのスウェットやSIR JACというブランドのカレッジ物のウィンドブレーカーなど見て触れるだけで異常に興奮したね。

それでどうしても欲しいモノがあるとスタッフのお兄さんにお願いして、セコイ話しが1000円だったり2000円だったりという内金を預けて取って置いてもらったりしてた。それからが大変なんだね、まずお小遣いを掻き集めて、そして毎日もらってたお昼代も時にそれに当て、バイト代を今かと待ちわび、何とか集まったところで、ウキウキしながらショップに行く時が、これまた至福のひと時だった。

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そんな時に出会ったのがSEBAGOだったんだね。それまではイギリスのCLARKSは、かろうじて知ってたけどローファーのブランドは日本のREGALしか知らなくて、それもVANとコラボしたVAN REGALやKENT REGALというダブルネームのヤツが最高だと思ってたんだね。そしたらそれの倍くらいの値段のヴァンプが、ある時ウィンドウに並べられていて目をむいたね。

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しっとりと鈍く光るスコッチレザーっぽい革は明らかに本場モノの存在感があってしばらくは目線が固まってしまったような状態だった。それから少々値段にビビりながらスタッフのお兄さんに見せてもらったらインソールにSEBAGOと書いてあったワケ。それよりも本当はそのブランドのロゴの下に書いてあるMADE IN USAという文字にシビレてたのが真実だね。だってSEBAGOというブランド名はそれまで知らなかったからね。

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実はその時もう一種類並べて置いてあったのはビーフロールのローファーでBOSTONIANと書いてあった。そちらは更にもう少し値段も高かったんだけど何かデザインとか革のカンジがSEBAGOの方が気に入ってしまい本当は何か別のものを引き取りに行ったハズだったのにSEBAGOを買うハメになってしまった。残念ながらその時のSEBAGOは、履き過ぎてオシャカになってしまったのでもう手元には無いんだけど、いわゆるスコッチグレイン(型押し)の茶色のヴァンプだった。

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画像のものはそれぞれ時代もちょっとづつ違うのだけど、基本的にボクはビーフロールのローファーは好きじゃないのでVAN REGAL以降は買った事が無い。でも本来ビーフロールのローファーこそSEBAGOがプロトタイプなのだと雑誌か何かに書いてあった。

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余談だけど友人のイラストレーター、綿谷寛氏が何年か前に随分年季の入ったSEBAGOのビーフロールのローファーをネイビーのダッフルコートとホワイトジーンズにコーディネートして、いであつし君と一緒に店に来た事があって、なかなかにやるなァ・・なんて思った事があった。(最近、彼にその時の話をしたら、「あん時のセバゴ?・・捨てた。」と、あっさり言いやがった。アリャリャ〜・・・だね。)

少し異端児なんだけど画像のストラップモカシンが、70年代中頃には活躍してくれたデザインなんだよね。こいつはSEBAGOの中では底が本当に減らない合成底の廉価品だけど、これにLEVI'Sの#646のデニムやFARAHのフレアなんかを穿いてチェックやシャンブレーのウェスタンシャツを着ると、当時のスタイルだね。

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アメ横では、その頃SEBAGOと言えば、「ハナカワ」さんが圧倒的にバッチリ揃えてたから、「る〜ふ」では取り扱った事は無かったけど、時々見に行っては、触らせてもらって何足か購入した。古き良き時代のアメリカの靴として忘れる事が出来ないブランドだよ。

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