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第25回「事の発端」

 コラムニストの「いであつしくん」に過日貸したままになっていた本が戻って来た。たまたま別の方から「是非拝見してみたいんですが、お持ちですか?」と聞かれ、そう言えば・・と、ようやく思い出し送って頂いた。「トラッド歳時記」という本。あの「くろすとしゆき先生」が70年代に著された名著である。本棚にずっと放り込んだままだったのでもう何年も開いてみなかったんだけど、あらためてパラパラと眺めながらある事を思い出した。


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 初版が73年1月となってるから高3の後半の頃だけどね。メンクラの広告を見てたから発売されてすぐ購入したんだけど実はその頃ボクは髪も伸びててガチガチのアイビーやトラッドというのからだいぶ気持ちが離れ始めてた頃だったのでやや距離感を感じながら読んだ記憶がある。ただ唯一、あるアイテムの白黒写真が、どうにもこうにも気になり始めてね。


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 画像のヤツ、そうBARACUTAである。(自分の記憶では国内の雑誌や書物にBARACUTAが初めて掲載されたのは、おそらくこの写真じゃないかなと勝手に思ってる。)ところがボクはVANやKENTのSWING TOPは着てたから分かるけど、写真のモノは白黒なので色が良く分からないなりに裾と袖口がリブになってて裏地がチェックなのが、やたらカッコ良く思えてね、でも今まで見た事が無かったんだね。それで一緒に写ってるのがVANのランチコートやダッフルコートだったので最初はVANかKENTあたりの商品だと思って、良く通ってたショップに本を持って行って店員のお兄さん達にも聞いたりしたんだけど、やっぱり分からなくてね。それでず〜っと気になったまま暫く経ったある日、東京に行く機会があった。事件はその時だった。


 アイビーが大好きという共通項でたまたま知り合った東京の明大生だった先輩が、初めて会ったその時に何とあの白黒写真のモノと思われるSWING TOPを着てたんだよ、紺色のをね。早速聞いたら先輩もくろす先生の本の写真の事を知ってて、これがそうだと言うんだね。まさか輸入物だとは思ってなかった。やっぱりメチャクチャにカッコ良くてね、お願いして脱いでもらってそのBARACUTA(バラクータ)という変な名前(という印象だった。)のヤツをじっくりと眺めさせてもらった。赤いタータンチェックの裏地が付いた、そして何とイギリス製だったSWING TOPはシビレるくらい美しいと思った。


 それで、どうしても同じモノを買いたいという話しをすると、先輩がBARACUTAを扱ってるという店まで、それから連れて行ってくれるという事になってね。そして初めて大井町の「みどりや」さん(原宿キャシディさんの原点)の存在を知る事になったんだよ。


 果たしてBARACUTAはガラスケースに何枚か収まっていて何色か色違いが存在するのも分かってね。店主の方(現原宿キャシディさんの会長さん)は、その日NATURALを着ておられた。ところが欲しかったNAVYは残念な事に在庫が無く、ケースに有ったのはBRITISH TANやGOLDという色だった。NAVYを是非と尋ねると、暫くしたら入荷の予定があると言われたので京都の実家の電話番号をお伝えして、その日はCONVERSEのALL-STARやFARAHのコットンパンツを購入して帰る事にした。せっかく出会ったのに在庫が無かったのはものすごく残念だったけど名残惜しさも有ってね、他のモノを試着させてもらったりして、お店でグズグズしてると外出から戻って来た別の店員のお兄さんやバラバラと訪れるお得意様と思えるお客様のほとんどがBARACUTAを着てるのに正直、かなりビックリしてしまった。帰りに目撃した近所の商店のお兄さんまでが着てた。やはり東京は、とてつも無くスゴイところだと、この瞬間に思い知った。


 結局何日か経った頃、直接京都までお電話を頂き、たまたま上京の機会があったので再び「みどりや」さんに引き取りに行って、やっと初めて手に入れたのがNAVYのBARACUTAだった。価格が12800円だったと思うけど当時VANのコットンスーツが9800円だったからかなり高価な買い物だったけどね。でもあんまり嬉しくて、買ってすぐその場で着て鏡の前で震えるくらいメチャクチャ興奮したね。帰りの新幹線の中でも窓ガラスに映して見たり、着たり脱いだり、またタグをうっとりと眺めたり匂いを嗅いだりと、ハタから見るとかなり危ないガキだったと思う。その時のBARACUTAは余りに着すぎて最後は色がグレーになっちゃって、袖口や裏地もボロボロになって「る〜ふ」に入った頃くらいにゴミになってしまったんだけど、取って置けば良かったと今さらながらに後悔している。


 大げさな話しでは無くて、本当に初めて手に入れたこの一着のBARACUTAのお陰でボクは本当にこの業界に入ってしまった。とにかくBARACUTAが好きで好きで仕方がなくて、「る〜ふ」にどう?という仕事のお誘いを受けた時に「る〜ふ」はBARACUTAを扱ってるという理由だけで決めてしまったという経緯も本当の話しなんだよ。


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 画像のBARACUTAは後日探して入手したモノだけど、ボクが最初に「みどりや」さんで購入したモノと全く同じ大体73年〜74年くらいのモノで、実はあの赤峰幸生氏がWAY-OUTをスタートされた時にBARACUTAを輸入し市場に紹介されたという話を聞いた事があったけど、その時のモノだろうと思う。当時他には銀座の阪急や横浜の信濃屋さんなんかでも売られていたようなんだけど、あの大井町の「みどりや」さんで初めてBARACUTAに出会ったのがその後の人生を大きく決定付けてしまうとは思ってもみなかった。


 現在も当店の「ド」が付くくらいの定番商品であるBARACUTAだけど何度も繰り返されるマイナーチェンジの結果、見た目は変わらないけれども明らかな仕様の違いが幾つかあるので、ここで分かり易い違いを2〜3紹介してみようかと思う。


 まずFOURCLIMESの時に書いた事があるんだけど、タグの大きさが75年くらいを境に8cm四方くらいの大きさに変わり、ほぼ現在に至るんだけど元々は5cm四方くらいの小さめのタグだったんだよね。裏地のRED FRAZERと呼ばれるタータンチェックも現在のものよりは、色が鮮やかで、格子のピッチがやや細かいのが特徴なんだね。


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 そして一番の違いがアンブレラカット、肩からの水滴をスムーズに落す役割とそして通気性を兼ね備えた・・と説明される部分。本来はこの部分が本気で通気を考えたベンチレートスリットになっていて、画像のように本当に内側から外側に開口してたんだよ。

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古着屋さんでたまに見られるVAN HEUSENのBARACUTAは、この部分をオリジナル通り踏襲しているからかなり後期のモノまでこの仕様になっていると思うんだけど、実はこれがオリジナルの仕様だよ。そしてBARAPELという撥水や汚れ防止加工のサブネームがスリット付近に付くんだね。

 


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 ジッパーはこの時代はほぼAEROのものが装着される事が多かったと思うんだけど何故かYKKのジッパーが装着されてるのを1〜2度目撃した事があってね。理由は全く分からないんだけど。

 

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また時々アメリカの衣料のようにジッパーの差し手が日本とは逆の左差しなんていうのも存在した。イギリスもおおらかだったんだよね、きっと。もしくは本当はFOURCLIMESのタグが付いてアメリカ向けの商品になるモノだったのかなァ。

因みにフロントの裾の部分も現在は切り返しになってて裏地が寸断されてるケースが多いんだけどこの部分も変更されてしまった仕様なんだね。

 

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あと細かいハナシなんだけどポケットの袋布も当時はアウターシェルと共地が使われていたんだよ。ちょっとだけ残念かな・・・。

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今度はこのモデルを完全復刻したいなァ。
 

 

第24回「ロクジューヨンジュー」

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 最初何の事か分からなくてねェ。シェラデザインのマウンテンパーカの事だったんだけど、以前はボクより年上の方なんかは「ロクジューヨンジュー」と呼ぶヒトが多かった。一度かなり古いSIERRAのマンパを見る機会があったんだけど、それにはSIERRAのタグが無くて、またスナップボタンもシルバーのロゴ無しのツルツルで、身頃の裏に一枚だけ60/40というタグが付いたモノだった。古くからSIERRAのマンパをご存知の方はそれを知ってるから、そのせいじゃないかなァ。
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当店にいらっしゃる「もうこれで3着目なんですよ。」なんて仰るSIERRAのマンパのリピーターさんであるオッサン(失礼・・ボクもだ。)なんかの中には、やはり「ロクジューヨンジュー」と呼ぶ方がいまだに少数いらっしゃる。そこまで愛される理由は本当に色々あるんだろうけどアメリカの生んだ偉大なアイテムのひとつだと思うし、当店でも入荷が続く限りずっと定番アイテムとして扱って行きたいと思ってる。


 ところが当店の定番などとエラそうに言ってるけどボクのSIERRAデビューは割と遅くて80年に入ってからくらいだったと思う。それまで全く興味が無かったのかというと、そうでは無いのだけど「る〜ふ」に入った時に在庫で有ったのはCAMP7のマンパでね。ところが紺色が欲しかったんだけどCAMP7のそれは、明るい青い色で全然好きになれなかったんだね。翌年になってSIERRAが入荷しては来たんだけどSIERRAのネイビーもやっぱり明るめの紺色。それでどうしても濃いネイビーカラーのマンパが着たくて友達から譲ってもらったのがNORTH FACEのマンパだった。しばらくは気に入って着てたんだけど、たぶんその頃公開された映画「ディアハンター」でロバートデニーロが鹿狩りに行く時着てたオレンジのマンパが

 

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「あれはSIERRAじゃないか?」という仲間内の話になって「やっぱマンパはSIERRAだよねェ。」なんて言ってさっさとSIERRAに乗り換えてしまった。「タクシードライバー」以来なんだけどロバートデニーロはカッコ良かったからねェ。ファッションの動機なんて単純なものである。ただ値段はすごく高かった、今と同じ4万円くらいだったからね。

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 現在はショートパーカという何年か前にパナミントジャケットにフードを装着したようなスタイリッシュにモデファイされたアイテムに人気が集まっているけれども、SIERRAというとやはりマウンテンパーカといわれるプロトタイプに止めを刺すと思う。 

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数年前には40周年記念モデルというゴールドのスナップボタンが装着されたモデルが限定数量で発売されてかなり好評を博したのが記憶に新しいんだけど、実は20周年記念モデルというのがあった。画像のヤツである。

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ちょうど80年代の中頃にやはり限定でSIERRAのロゴ入りの記念の木製ハンガーを付けて販売されていたものなんだけど、このカラーも今は生産中止となってしまったTANという元々は超定番色でね。個人的にはTANというカラーは大好きで、人気も高かったカラーなのにどうして中止してしまったのか未だにナゾなんだよ。是非復活させて欲しいなと思う。


 ついでに言うとこのアイテムは、たまたま超B級の名に恥じないアイテムになっている。と言っても要は不良品でスナップボタンが一個だけシルバーのものになってしまっているんだけどね。おまけにそのシルバーのスナップボタンが実はL.L.Bean。どうだ参ったか、というか当時のL.L.Beanの生産を一部請け負ってた証しにはなるんだけど、まだまだその頃のアメリカは、すごくおおらかでステキだった。


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 カラーの話しをついでにすると確か80年代のある時期にのみ存在したと思ったけど古くからのファンの方にはとても不評だった濃いグリーンがあってね。画像のパナミントジャケットがそうなんだけど、このカラーも個人的にはかなり気に入っててねェ。こいつも是非復活させて欲しいと思うんだけど、元々不評だったこのカラーこそ無理だろうなァ。
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 と最初に聞いてね。誰からだったか忘れてしまったけど。バイトの時の先輩だったかも知れない。が、本当にしばらくはそう呼ぶんだと思い込んでたし、また友達にもエラそうにそう言ったような気がする。
今ならSCHOTTのBOMBER JACKET(ショットのボマージャケット)って呼ぶんだろうから、今さらながらに思い出してもちょっと恥ずかしい。ちょうど75年か76年頃だったかなァ。

 

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 でもその頃は、まだまだアメリカ製品なんかの情報は本当に少なくてね、物知り顔して先に言ったモン勝ちみたいなカンジで、結構怪しい呼び名が一人歩きしたりする事が多かったと思う。雑誌でさえ、ブランドの読み方なんか今聞くと「え〜〜??」みたいなのが一杯あった。REYN SPOONERは「レイン スポーナー」、TRETORNなんか、「トレトロン」だよ、ちょっとスゴイよね。

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更にはCARHARTTは「カーハーット」(言いにくそう)IZODは「イゾッド」HANESは「ハンス」とか「ハーネス」、ALDENは「アルデン」BARACUTAは「バラキューダー」ちょっと楽しくなってしまうよね。今ならお笑いネタになるかも知れないけど残念ながら本当にそんな感じだった。まァそれぞれカタカナに置き換える時点で既に正しくないと言えば、確かにそうなのだけど。

 

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逆もあってね、アメリカものに割と詳しいのが居てそいつが雑誌には「ナイキ」ってちゃんと書いてあるのにNIKEの事を最初「ナイク」って呼んでて、こっちも本当はちゃんと知らないから信じちゃってね。おまけにCORTEZをそいつが「コテッツ」と言うもんだから、ボクも「ナイクのコテッツだァ・・・小鉄っちゃんみたいだァ」・・・なんて、ヒトの事なんか言えないよね。

 SCHOTTは、渋カジ世代以降のヒト達はライダースジャケットを中心にどちらかというと量販品のように表現する事が多いように思うけど、ボク達の頃は憧れのレザーアイテムの筆頭ブランドだった気がする。他にもレザーアイテムのブランドは幾つか有って当時の70年代っぽいラムレザーのスタイリッシュなレザージャケットならADLERやSILTONなんていうブランドも人気は高かったけど、一方武骨なアメリカンスタイルの本格的なレザージャケットというとやっぱりSCHOTTだったように思う。

 

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SCHOTTのボマーと言えば、去年の暮れ頃だったかなァ、DVDを探しにフラッと立ち寄った近所のBOOK OFFで偶然見付けてしまった・・「スタスキー&ハッチ」を。いやァこんなのが出てたんだね、全然知らなかったよ。早速買って帰って、家でビール飲みながら観たよ。

 

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 「スタスキー&ハッチ」はちょうど70年代の後半、「る〜ふ」の頃だけど夜10時くらいからだったかな?TVで放映されててよく観てた。結構好きな番組で当時の現在進行形のアメリカのカッコいいファッションが色々出て来てね、それが楽しみだった。時々ひどい格好も有ったけどね。

 一方DVDになってる映画は2004年の製作なので、当時とキャスティングも違うんだけど70年代を再現するのに結構工夫したんだろうね。クルマや街並み、髪形や女性のお化粧なんかもなかなかに雰囲気出してた。そして肝心のファッションだけど、驚いたね。冒頭、スタスキーが何とSCHOTTと思しき(いや、アレはたぶんSCHOTTだよ、同じのを着てたもん。)ボマージャケットを着て登場するんだよ、いやー懐かしい・・と言うか、ちょっと嬉しくなってしまった。

 

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 ちょうど「る〜ふ」に入る少し前くらいだったと思うけど、雑誌POPEYEの表紙に確かボマージャケットがイラストで描かれてて、特集記事にはボマージャケットの由来やら色々とウンチクが書かれてたんだと思う。それ以来欲しくてねェ・・それで入社した時にはお店にまだ何着か在庫があって先輩に聞いたら社員割引で買っていいというので、思い切って買う事にしてね。

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 やっぱり本場モノは違ってた。最初硬くて腕がすんなり曲がらないし、まして革自体が分厚くて重量も結構あったから肩が凝りそうでね。それでもご自慢のアウターとしてその冬は結構活躍してくれた。襟とか身頃の裏にはアクリルだったけどボアが張ってあって暖かいし、何よりもデニムパンツに相性が良かった。当時はデニムって言ってもLEVI'Sの#646を穿いてる事が多かったから、やっぱり70年代の格好だよね。H bar Cのウェスタンシャツ着てRAY-BANのSHOOTERかけて、隣の「ミウラ」にいた先輩から譲ってもらったFRYEのブーツ合わせたりね。鏡に写してみて「お〜行けてるよ〜」なんて。

 

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 SCHOTTのボマーには当時、US NAVYの#G-1のレプリカも存在してて、こっちもかなりカッコ良かったんだけど、裏地がボアやキルティングじゃ無かったから、あのクソ寒いアメ横には、全く不向きだった。だから暖かくなってからインナーにシャンブレーのシャツやプリントのTシャツを着て、羽織るくらいがカッコ良かったね。

 

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 そんな頃SCHOTTのシープスキンの#B-3なんかを買ってくれる割と裕福なお客様も居たけど、ボクらにはとてもじゃ無いけど手が出なくてね。お店に並んでる#B-3を同僚と交代で何回も試着しては鏡に写して「これ、いいねェ・・やっぱ」なんて言ってるだけだった。「陳列品を中古にするなよ!」って先輩に怒られてね。

 

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 個人的にも懇意にしてるお店の一つに「KENT SHOP青山」さんがある。ご存知の方も多いと思うんだけど、東京でVAN JAC.やKENTの純血種の商品が唯一ここでは購入出来るとあって全国の往年のアイビー少年?達の聖地として、いつも賑わいを見せている。そして最近のファッションの流れも手伝ってか意外に若いお客様も来てるのがスゴイところで、今さらながらにVANブランドの懐の深さを感じると共に、昭和の時代の功績の偉大さを再認識させられる。


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 過日、近くで展示会があったので、少し足を伸ばして久しぶりにお邪魔してみた。そこのスタッフの伊藤さんという女性とも随分長いお付き合いになるんだけど、実はこの女性がスゴイ。何と今年還暦を迎えられたというんだけど、ボクが知る限り格好は昔からずっとIVYギャル一筋。穂積和夫先生の「IVYギャル図鑑」から抜け出て来たように、一度もブレずにずっとそのままなんだね。


今では知らない方も多いだろうけど廃刊になってしまった雑誌「Mc.SISTER」(MEN'S CLUBの女の子版)を創刊(1966年だよ)号から、未だに全部持ってるというスジ金入りなんだよ。最近では先月くらいの雑誌「BEGIN」の綿谷画伯といであつしくんのコラムにでっかいイラスト入りで登場してた方である。ボクが高校生の頃は第二次IVYブームと言われてボタンダウンを着てローファーを履いたIVYギャルもそこかしこにワンサカ居たんだけど、今となっては大変貴重な存在(失礼・・)だと思う。

 

だけど、一本スジの通ったファッションに対するポリシーは感動に値すると思う。そして更に、ボク達がついつい忘れがちなファッションの接客業に対する信念みたいなのをいつも感じさせて頂いて本当に有り難く思ってる。


 今回お邪魔した時も、ちゃんとペニー硬貨を挟んだバーガンディのローファー姿で、ちょっと感動ものだった。「それ、BASSのWEEJUNSですか?」なんてボクもわざわざお尋ねしたりね。そしたら「玉木さん最近出たこの本、知ってますか?」と言われて見せられたのが、「THE IVY LOOK」という本。ボクは「TAKE IVY」が復刻されたのは知ってたけど、この本の存在は知らなかった。パラパラと中身を見せて頂くと、当時の広告やジャズマンの写真なんかが満載でついつい眺め入ってしまう程だったね。これは絶対欲しいと思って、帰ってから早速アマゾンに2冊注文したんだよ。


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 すぐ翌日届いてね。じっくり見たけど、かなり興味深い内容だったと共にあらためてIVYというスタイルが時代を超えた、そしてすごく完成度の高いファッションなんだという再認識をさせられた気持ちだった。そして、更にはこの本が日本では無く、海外(イギリス?)で編纂され出版されたものだという事が今回すごく意義のある事に思えてね。


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 その本には様々なブランドやアイテムが登場する中、目立ってたのはBASS WEEJUNSの扱いが大きい事だった。今さら説明も不要だろうけど、やはりIVYの足元の基本であり、そしてCOCA-COLAやLEVI'Sのように典型的なアメリカンスタンダードなんだね。ボク個人的にもBASSのWEEJUNSはスゴク好きな靴なので今まで見た事が無かった昔の広告にはかなり興奮させられた。


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 またレディスのWEEJUNSの広告がステキでね。学生用のローファーは別にして、今ファッションとしてペニーローファーを履いている女性は、あまり見かけなくなってしまったけど今履いてもすごくステキだと思う。メンズのWEEJUNSは、現在も生産されているので当店でも定番としてずっと取り扱っているんだけど、じつは残念な事に現在はレディスの当時のスタイルのWEEJUNSがG.H.BASS社のラインの中から消えてしまってるんだよね。
 そして現代風にモデファイされた新しいアイテムが登場してるのだけど、人間が古いせいかどうしても80年代くらいまで生産されていたメンズ同様のデザインでシンプルなストラップのWEEJUNSに好感を覚えてしまう。レディスのWEEJUNS、以前は需要も多かったからなのか革底と合成底と2種類用意されてたりしたんだよ。

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 画像のモノは、カミさんが履くかと思って置いてあるモノだけど、やっぱりコレだよねェ。願わくば今回の本をきっかけにG.H.BASS社もちょっとだけ過去の名品を見直してもらって是非ともクラシックスタイルのレディスのWEEJUNSを復活させて欲しいなと思う。少なくともうちは注文するからさァ。

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と、ここまで書いて今思い出した事がある。昨日たまたま、当店のお得意様との会話の中で後のモナコ王妃でアメリカの超美人女優だったグレースケリーの話題になってね。そう言えばと思い出したのが、映画のあるシーンだった。アルフレッド ヒッチコックの作品で有名な映画「裏窓」にジェームス スチュアートと共演してるんだけど、最後のシーンで両足ともギブスで固められたジェームス スチュアートの横で彼女が退屈そうに雑誌を眺めるシーンが出て来るんだよ。そして彼女がその時に着てるのが何と赤い色のボタンダウンシャツ、そして足元にはWEEJUNSと思しきバーガンディーのペニーローファーなんだよ。あの、エレガントなケリーバッグのグレースケリーがね。それがとってもステキなんだよ。

(お時間のない方は「3分30秒」くらいをご覧ください)

 先日、たまたまインターネットで、70年代にボクが好きだった唄のヒットした年は本当は何年だっけ、74年?、あれ75年かな?みたいなカンジで「1975年」などと検索してたら、何やら懐かしいコンテンツがズラズラと出て来て、ついついあれもこれも眺め入ってしまってね。
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そうこうしてたらYAHOOオークションのサイトに引っ掛かって「雑誌1975年(昭和50年)an an」というのが出て来たんだよ。面白そうだったので画像を拡大して良く見たら表紙に「東京=アメ横 神戸=三宮」の文字が見えててね、これはひょっとして!と思った。たぶん東西の高架下商店街の特集か何かだとピンと来て、一か八か落札してみたんだよ。


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 3〜4日してようやく届いたan anを早速見てみると、やっぱりそうだったね。懐かしい・・ボクが通い、そして就職までしてしまったアメ横「る〜ふ」の時代に逆戻りしてしまったね。(この画像はan anからでは無いけど、74〜75年頃の「ミウラ」と「る〜ふ」だよ。当時、何の雑誌から切り取ったのか忘れてしまったけどね。)


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そこに描かれてるのはセンタービルが出来る以前の、まだボク達が居た頃はバラックだった時代(当時、夏は本当に暑く、冬はシビれるくらい寒いというほとんど屋外と同じ状態で、屋根裏にはネズミも猫も住んでて雨漏りはするし、天井からポタポタ落ちて来るのが雨漏りだか猫のオシッコだかみたいなカンジだった。)のアメ横の結構詳細なイラストマップ。そして当時売られていた色々な商品の紹介。
36年も前の女性誌でこんなに懐かしくも楽しい思いをするとは思ってもみなかったら正直、メチャクチャ嬉しくなったね。一方、当然神戸の高架下も高校生の頃随分通ったので、あれもこれもあるけど今回はアメ横の話しだから三宮、元町の話しは、またいつか他の時にでもするね。


 ボクが居た「る〜ふ」は丁度綴じ込みの「ノド」の部分にほとんど隠れてしまってたけど、無理に開くと(最後に写真を撮ろうとして無理に開いたら、本当に雑誌が壊れた。)ひらがなでちゃんと「る〜ふ」と書いてあった。当然お隣は「ミウラ」(注:SHIPSの原点)だけど、あれま!漢字で「三浦」。そうだよね、そのちょっと前まで「る〜ふ」は「小池商店」、そして「ミウラ」は「三浦商店」だったんだもんね。あんまり懐かしくて、あれこれ思い出しながらそこに記載されている商店名を順番に追って行くと、今では断片的に覚えてはいるんだけど途切れ途切れになって曖昧になってた商店の場所や名前が次第に繋がって鮮明に蘇って来てね。そして売られていた商品や働いてた方々のお顔とかもね。


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 「る〜ふ」の近くにあった、今では余り語られる事も少なくなってしまったけど、希少なアメリカ物がザクザクと売られてた当時の名店で名物ママの居た「マルビシ」さんもちゃんとあるし、今ではすっかりアメ横の顔役で老舗の名店「ヤヨイ」さんは、まだ当時はコーヒーショップをやっておられたのでコーヒーカップの絵だね。よくモーニングサービスを出前してもらってたんだよ。


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 ヴィンテージジーンズの草分け「守屋商店」や、今も元気に営業されてる、当時はKEDSやSEBAGOの「ハナカワ」さんなんかの場所も「あ〜・・そうだった、そうだった!」完全に一人で盛り上がってしまってね。 

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そして今でも比較的当時の面影が残ってる御徒町方面のガード下も懐かしい顔ぶれがズラズラと並んでてね、今は別のスタイルのお店になっちゃったけど、当時はHANESのカーディガンやLEVI'S、DICKIESのスラックスなんかがあった「根津商店」さん、KEDSやTOP SIDERも有ったなァ。
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そして「玉美」さんのお向かいでMUNSINGを中心にPLAYBOYやIZOD LACOSTEなんかのワンポイントものを、ちょっとヤンキーっぽいお兄さん(「る〜ふ」にも良く買い物に来てもらってた。)が山積みにして売ってた「林実業」さん。もちろん超名店の「玉美」さんは、やっぱり当時も「玉美」さん。歴史と伝統が全然違うわなァ・・。


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因みに当時の「玉美」さんの商品紹介にはミッキーマウスもの、そうだった、そうだった、玉美さんに一杯売ってたよね〜。

丁度アメリカ建国200周年の時だったから、そのオフィシャルキャラクターだったミッキーマウスものは、色々なものがアメ横では売られていた。「ミウラ」からはKENNINGTONのミッキーセーター、「る〜ふ」からはミッキーのバックルが付いたハンドクラフトのベルト(当時ボクも「る〜ふ」に買いに行った。)が紹介されててね。


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 そして、その当時よっぽど「通」で、アメ横にしょっちゅう来てたり、また働いてたりしてないと場所すら分からないような迷路の中にあったお店、「宇佐美商店」。いつもオバチャンがお店番しててね、ガラスケースの中にはARROWのシャツもJARMANの靴もチャイナ服も香水も一緒くたでね、オマケに全部一点モノ。時々しゃべりに行っては安くしてもらったりね。


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 そんな懐かしいアメ横に今でも年に2〜3度行く事があってね。そんな時に必ず寄るのが、とんかつ屋さんの「まんぷく」。ちょっと説明しにくい迷路のような場所にあって、やはりここもバラック時代のアメ横の佇まいを今でも色濃く残しててね、とても懐かしい気持ちになる。この「まんぷく」は「る〜ふ」で働く前、アメ横に詳しい先輩に連れられて来た時以来だから、やっぱり35年やそこらのお付き合いになるんだよ。


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 ボクは「まんぷく」では「メンチかつ定食」に「目玉焼き」、これしか食べない。「る〜ふ」の頃は若かったし、ちょっと余裕が有ったりするとメンチにアジフライ乗せなんてのもやったりしてたけど、看板通りごはんの量も多くて、本当に「まんぷく」になるので、今はとても無理だね。


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この店、本来はとんかつ屋さんなんだけど、ボクは一番最初からメンチだったので自慢じゃないけど一度も、ここでとんかつを食べた事が無い。アメ横出身の業界のヒト達と時々話題になる事も多いんだけど「まんぷく」では、自分もそうだから当然のようにメンチというのが大勢を占めてると思い込んでたら最近「ハムかつ」派が少なからず存在するのが判明した。(ただ、やっぱりとんかつ派は今のところ誰も居ないけどね。)でもボクはメンチに尽きると思うし、揚げ立てをほうばる一口目は何とも言えない幸せな気分になるんだよ。


 「まんぷく」はボクらの業界の方々にもファンがすごく多くて、というか元々アメ横が拠点だった方が多いから現在あちこちで重鎮になられている方から若い方へと順番に伝承されて来て、若いスタッフの方でもアメ横に行ったら「まんぷく」という方が多いみたいだね。


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 「まんぷく」は、以前おじさんに聞いた事があったんだけど昭和30年代くらいから営業を始められたような話だった。今でもカウンターのみ10席くらいの小さな店なんだけど本当に美味しくて大好きな店でね、うちの社員もみんなファンなんだよ。

 

当初はおじさん二人が、いつもケンカしながら切り盛りしてて、あれは双子だ、いや兄弟だとみんなで無責任な事を言ってたけど、随分後で分かったら、そのどちらでも無いらしかった。最近向かって右側のおじさんがリタイヤされて、息子さんなのか若いお兄ちゃんになってしまったんだけど「アメ横超A級グルメ」を守り続けて欲しいと願うばかりだね。


ところで「まんぷく」の電話機は未だにダイヤル式の「黒電話」である。決してレトロ趣味では無い、時間が本当に止まっているんだよ。

 

そう言えば20年程前までは「目玉焼き」のほかに「卵焼き」というメニューもあったんだけど、ある日突然やめてしまってね。それでおじさんに、どうして卵焼きをやめちゃったのか聞いたら「あれ、混ぜなきゃなんないからねェ。」。ぶっ飛んだよ。


 読者の方で「まんぷく」をご存知無い方は是非、「メンチ目玉」ご賞味を。
850円で、ぶっ飛ぶよ! 場所は「二木の菓子」の裏手あたり、定休日は水曜日だからね。

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