トップ > 入荷情報

新着情報

tamakiblog

 先日業者の方と話してる中で「もう今はアメリカも含めてアメトラやアイビーのブームだし、一時は古着で探さなくちゃお目に掛かれなかったような当時のアイビーアイテムも今では、マーケットのどこかに必ず存在してて、みんなあらゆるアイテムを普通に着てますもんねェ。」なんて自分で言ってた。


 ところが、良く考えたら全部が全部そんな事も無かった。いささか個人的な好みの話しになってしまうけど別にそれが無いために業界が困ったり、またアメカジのスタイリングが出来なかったりするワケでは全然無いんだけどね。意外だと思う方もいらっしゃるかも知れないけど、実はプリント柄のボタンダウンシャツである。これが今でもまだまだ市場に少ないのかなァ、なかなか着てるヒトにお目にかかれないんだよ。ボク個人的にはプリント柄のボタンダウンシャツは大好きなんだよね。カッコいいと思うしね。


 先日、いつもすごくお世話になっている雑誌「2nd」の編集企画で、あの伝説(失礼!)のイラストレーター「穂積和夫先生」が当店にいらっしゃる事になり、せっかくなので周りの編集者の方も含めてウケを狙ってやろうと思い、先生が60年代に描かれたお馴染みVANのアイビー坊やのポスターを引っ張り出して来た。

b9_40_01.JPG

画像のように、それこそ当時「TPO」と呼ばれた「お約束」に沿ってアイビーの定番アイテムが並んでいて、懐かしさもあり久しぶりにじっくりと眺めてたら、発見してしまった。やっぱりそこにちゃんと定番アイテムとして「小紋釦止しん(ころもへんに親)衣」(小紋ボタンダウンシャツ)が描いてある。

b9_40_02.JPG

これだよねェ、当時小紋の他にペーズリーだとかバティックプリントなんかも有ったよね。白黒画像だけどVANのシャツもこんなだった。

b9_40_03.JPG

b9_40_04.JPG

ほとんど市場にモノが無い所為なのかこういうのを今みんな着ないんだよね。せっかくカッコいいのにねェ。画像のシャツは個人的に集めたものだけど、実は自分では渋めの割とクラシックなのが好きなんだよ。
b9_40_05.JPG

b9_40_06.JPG

 せっかく真夏はシャツで勝負出来るんだからちょっとクセのあるプリントシャツを一枚くらいワードローブに組み入れると楽しいと思うけどなァ。それでなくてもアメトラやアイビーは無地のボトムが多いからね。だからトップスにインパクトがあればバランスもいいと思うしね。
いや何もクールビズに取り込んだら?みたいな提案でも無いし、いきなりド派手なアロハを着たら?と言ってるワケでもないんだよ。だけどウィークエンドやバケーションアイテムとしてだったらちょっとだけ主張が強くてきっといいカンジだよ。女子ウケもするかも知れないし、だいいちポロシャツやTシャツではマネ出来ない着こなしが出来るもんね。
b9_40_07.JPG

b9_40_08.JPG

b9_40_09.JPG

b9_40_10.JPG

b9_40_11.JPG

b9_40_12.JPG

b9_40_13.JPG

 

b9_40_14.JPG

以前はね、と言うと「ほら、始まった・・お得意の昔話し。」と言われそうだけど60年代から70年代初め頃までのアイビーの時代には画像にあるようにペーズリーや小紋が定番だった。b9_40_15.JPG

b9_40_16.JPG

b9_40_17.JPG

そして時代の流れと共にテキスタイルデザイナーのヒト達が競い合って色々なプリント柄を発表し、その後ヒッピーやヘビーデューティー、そしてサーファー、ディスコなんていう時代くらいまでにメンズのプリントシャツは可能性を求めて行くところまで行った感があった。そして80年代に入りプレッピーの時代になった時に、ようやく60年代アイビーの時代に存在していたクラシックなプリント柄がリバイバルするのかと思ってたら、全然まともには登場しなかった。


b9_40_18.JPG

 唯一と言うと、いささか語弊があるかも知れないけど異端児ではありながら当店では毎年のスタンダードである優等生のREYN SPOONER。このブランドは、あーだこーだと外野からは色々と言われながらも頑なに当時のスタイルを守り通していて、その姿勢がステキだよね。LAHAINA SAILORという時代を超えた超定番柄に加えて毎シーズン色んなプリント柄を発表してくれて楽しませてくれてるけど、個人的には画像にあるような往年の名作プリントを是非とも幾つか復活させて欲しいと思ってる。

 


b9_40_19.JPG

b9_40_20.JPG

b9_40_21.JPG

 

 そんなカンジの事を以前から考えてたら、昨年たまたまアメリカ製の生地を買える機会があって、どれどれ・・なんてサンプルを見てたらこれが結構渋いのからポップなものまで楽しいプリント柄が時々見つかるんだよね。それで嬉しくなっちゃって、それらの生地を買い付けては結局全部オリジナルのボタンダウンにしちゃった。これが今、なかなかに好評でね。


で、さっそく自分でも着てみたら、やっぱり結構気に入っちゃってね。毎朝行く銀行の女の子やコンビニのおネーさんなんかがカワイイと言ってくれたりもするし(ひょっとして半分バカにされ・・いや、断じてそんな事は無い・・と思う。)で、たかがシャツ一枚だけど一日中ウキウキとかなり楽しく過ごせる。


 ホワイトやブルーの無地の次はカラー物、そして次に当然柄物、でもストライプやチェックあたりで満足してるんだったら勿体ない。是非一度プリント柄をお試しあれ。絶対カッコいいから。

 

 最近シグネーチャーというアーカイブコレクションのようなカテゴリーラインが発売されて、すごく話題になってるという話しを聞いた。筆記体の時代のタグを復活してね。今ちょっと気になってるんだよ。ぜひ過去の名品を復刻してくれないかなァ。
b9_39_01.JPG

 L.L.BEANが、どういうブランドなのかを最初に知ったのは76年に発行された「MADE IN USAカタログ2」を見てからだったんだけど、その前にたぶん麻布の「スポーツトレイン」あたりで幾つかL L BEANのタグが付いたアイテムは目撃してたんだよね。ただそれまではうっすらとブランド名は認識してた程度で(最初はエルエル・・って言うからサイズの事かと思った。)その「MADE IN USAカタログ2」で紹介されているような、あんなデッカい店を構えててトータルで色々なものを扱ってるブランドだというのは初めて知ってね、そのスケールに正直びっくりしたと同時に、BROOKS BROS.やJ.PRESSなんかのガチトラとは違うタイプのタフなアメリカンスタイルを強烈に感じてちょっとハマってしまった。
b9_39_02.JPG

b9_39_03.JPG 

b9_39_04.JPG

b9_39_05.JPG

 

b9_39_06.JPG

最初に買ったのはフィールドシャツ。画像のものは無地だけど、こんなデザインのT/Cのチェックのエポーレットの付いた半袖のダブルフラップポケットのシャツ。結構値段は高かったような記憶があるけど、これはカッコいいと思って粋がって着てたらちょうどその頃にテイジンが発売した「パスポートシャツ」っていうのがサラリーマンの間で、やたら流行っててね。偶然なのか、何だかそれにデザインが似てたので友達からチェックのパスポートシャツと言われて思い切りショックだった。
b9_39_07.JPG

ちょっと解説するとそのテイジンの「パスポートシャツ」というのは今でいうクールビズキャンペーンみたいなのをやってて、夏の時期に上着を脱いでそのエポーレット付きのシャツにタイをすると、ちょっとパイロットみたいになるワケ。それで少し大きめのパスポートが入るというサイズのフラップポケットが(当時パスポートのサイズは今より一回り大きかったんだよね。)両胸に付いててね。その頃は一瞬だけどそんなのが多分カッコ良かったんだよ。


b9_39_09.JPG

 その後「る〜ふ」に入ったばかりの頃、ちょうど山の手線の田端だか西日暮里の駅の近くに「る〜ふ」の卸の取引先で「B.B」という名前のインポートショップが当時有って、そこにもL.L.BEANが売ってるという話しを業者の方から聞いて早速休みの日に行ってみたんだよね。そしたらシャツやバッグ類、キャンバスベルト、そしてアウターなんかも少し有ったのかな。色々と見てたら丁度画像にあるARCTICREELというショルダーバッグが目に入って、スゴく気に入ってしまった。釣り上げた魚の寸法を測るメジャーがプリントされててね、すごくカワイイの。それでそのバッグとJ.PRESSオリジナルのようなフラップポケットでちょっとだけロングポイントのT/Cのオックスフォードのボタンダウンシャツを買って、かなりご機嫌だった。
b9_39_08.JPG

 その後、翌年くらいだったのかな、ロサンゼルスにいるエキスポーターの方が来日された時にL.L.BEANを扱いたいと言ったら、少量なら買い付けが出来る(要するに個人オーダーのレベルだったんだろうと思う。)という話しをされたのでボクは喜んじゃって、カタログの中からトートバッグやらキャンバスのリングベルト、フィールドコート、モカシン、2,3種類のシャツなんかを発注させてもらった。とても待ち遠しくてね。

b9_39_12.JPG

 

 


b9_39_10.JPG

それで、いざ入荷したらあっと言う間に売れて無くなってしまい自分のものも買えなくて、その人気にちょっとビックリしてしまった。ただ少量しか発注出来ないと言われたので、それから少しずつ何度かに分けてオーダーリストを作ってはTELEX(これも死語だ。)を打ってもらい、入荷するとバラバラとお店に並べたりしてた。(画像は当時のお気に入りだったWOOLRICH製のプルオーバージャケット。ロゴが変わる最後の方のものだったと思うけど最近ではこの筆記体のタグのL.L.BEANを持ってるとマニア君達の間では「どや顔」が出来るらしい。)

b9_39_11.JPG

丁度そんな事をやってた頃だと思うけど、銀座のSONY PLAZAでL.L.BEANが買える事になってね。早速リサーチと称して銀座まで見に行って、ついでに自分のものを買って来て先輩に思い切り怒られたりしてた。それからも相変わらず少量しか注文出来ないんだけどSONY PLAZAがやらなさそうな、ヒネったアイテムを選んで発注しようなんて結構工夫もしてた。


ある時カタログにカッコいいダウンパーカが載っててね、自分も欲しかったからそれを注文したらL.L.BEANのタグじゃ無くって、普通のNORTHFACEのタグで入荷して来やがった、やられたね。ウールプレイドのスタッグジャケットなんかも、WOOLRICHの普通のタグのものが送られて来たりで、悔しくってね。ある時なんか、カッコいい靴だと思って注文したんだけどメンズじゃなくてレディスの方のサイズが送られて来たりと色々と大変だったけど、それなりに毎回発注する度に本当にワクワクした。


それから何年か経って80年代の後半にしばらくロサンゼルスに住んでた時も時々下手くそな英語でL.L.BEANに電話をしては服や靴だけにとどまらず時には、ちょっとした家具やハウスウェアなんかも買ったりしてたので、そのうちカスタマーサービスのBethさん(仮名)という女性と仲良くなってしまった。彼女は、もう既に30年くらい勤務してるというベテランで、ボクが日本に帰国すると言った時も「今度は時差もあるから、注文はFAXで大丈夫よ。私もSUSHIの注文をFAXで送るから。」なんて言ってた。


帰国してからも、たまに電話を掛けては買い物をしてたんだけど、ちょうど92年か93年頃だったのかなァ、とうとう東京にL.L.BEANの店がオープンする事になったので、その事をBethさんに電話で話したら、その話しだけは会社から聞いているらしくて、仕事場の仲間に見せるから是非写真を送ってくれという。そんな話しをしてたら、たまたま仕事でBOSTON付近まで行く機会が出来たので、週末のオフを利用し思い切って足を伸ばして久しぶりにMAINE州のFREEPORTまで行きBethさんに会ってみる事にした。


それまでL.L.BEANのFREEPORTの本店は3度程訪れた事は有ったんだけど、(実は新婚旅行の時にもわざわざ立ち寄る程お気に入りだった。)今回はBethさんと一度は実際に会ってみたかったからランチを一緒にしようと提案してね。そしたら約束の時間にお店の入り口で待っててくれた。Bethさんにはランチの前に仲良しのスタッフの方を紹介して頂いたり、店内で一緒に写真を撮ったりね。その後、パンケーキとクラムチャウダーが美味しいレストランがあるとBethさんがいうので、そこに連れ立って行きランチをとる事にした。そして持参したL.L.BEANの自由が丘店を大きく取り上げた記事の載った雑誌を2冊程、日本からのお土産にと浅草の仲見世で買って来た扇子と一緒にプレゼントしてね。


すごくにこやかな白人で、ニューイングランドの田舎の気さくなオバサンというカンジのBethさんだったけど一生懸命記事を見ては質問をしてくる。「東京は土地がすごく高いって聞いてるけど駐車場は広いの?」「いや東京のL.L.BEANには駐車場が無いからお客様はみんな電車で来るんだよ、自由が丘という駅がすぐ近くにあってね。自由が丘というのはHILL OF FREEDOMっていう意味だよ。ここはFREEPORTだからPORT OF FREEDOMかな?アハハ」「・・・・・・」せっかく考えたジョークは思い切りスベった。


「これが入り口のゲート?」「いや、お店の全景だよ。たぶんここのレストランの方が全然広いよ。」「オゥマイガッ・・・」説明するんだけどご当地FREEPORTの、どデカいショップには霧の濃い時にはクルマが探せないほど(一度経験した。)広大な駐車場があるし24時間営業の店舗だって体育館を3つ4つくっつけたような規模でおまけに建物の中に「NO FISHING PLEASE!」なんてサインが立てられた魚の泳ぐ池まであるような状況だから、そんな環境にずっと居るBethさんには、どうにも想像がつかない様子だった。「じゃァ、夜中に来るヒトも電車で来るの?」「いや東京のL.L.BEANは24時間営業じゃ無いんだよ。」「じゃァ夜中に釣りに出たりするヒトは寄って行ったり出来ないわよね。」「うん、そういうヒト来ないから。」「みんなカヤックとか自転車とか買ったら、まさかそれ持って電車に乗って帰るの?」「いや、そんなのはみんな買わなくて、一番人気があるのは洋服やビーンブーツ、トートバッグだよ。」「トートバッグ、あれは安くて丈夫でいいわよね。」「いや、ここでは10ドルくらいなのが東京じゃ20ドル以上になるんだよ。」「へ〜。」そんな感じのとても楽しい会話だったけど日米格差の壁は厚かった。もうあれから20年くらい経つけど、元気なのかなァ・・また会ってみたいね。

 

SEPTISスタッフブログ

こちらの商品に関連した記事を掲載しています。どうぞご覧ください。

「こんな靴を眼精疲労を忘れるほど見つめてしまいました。」

 つい最近も何かの雑誌の企画で見た事があるんだけど、よくある「アレは私が企画しました。」とか「実はアレ、私が仕掛けたんです。」みたいなハナシ。確かに業界の中に居てバイヤーや企画開発等の仕事をしていると多かれ少なかれ、そのような機会というのに何度か遭遇する事がある。いわゆる別注というヤツ。最近はアメリカやヨーロッパのメーカーも以前とは比較にならないくらい日本に対して柔軟に対応する所が増えたと思う。


 ひとつには今現在、ファッションにおいて世界的な巨大マーケットに成長した日本市場を最重要視する考え方が年月と共にメーカーやクリエーターに定着して来た事。そして更に日本人が持つアイテムに対するこだわりの深さや繊細さ、そして何よりも感度の高さが欧米諸国で認められるにつれ、きちんと対応すれば大きなビジネスになる可能性があるという事がようやく分かって来たからなんだろうと思ってる。


 でもボクが仕入れをさせてもらった最初の頃は全然そんなんじゃ無かった。アメリカ現地のショーに行くと全てのメーカーがそうだったワケじゃ無いけど、ただ単に袖丈を各サイズ1インチずつ短くして欲しいと言ってるだけなのに「じゃァ各サイズ60着ずつオーダーしろ。勿論カラーは別だ。」なんて要は「アジアから来たお前達が発注する少ないオーダーに対してそんな面倒臭い事はやりたく無いんだよ。」と露骨に意思表示されてるのと同じだった。かと思えばPRE-PACKと言ってシャツなんかを発注したいと思っても、あらかじめ柄やサイズがアソートになった12枚のセットになってたりする。不要な柄は入ってるしサイズバランスは、Lサイズが多いアメリカ国内向けだしと、欲しいけどとても手が付けられない。「Sサイズ中心で柄も抜かせて欲しい。」と言うと、「不要な柄やサイズはお前達が他の業者にRE-SALE(転売)すればいい。」なんて調子だった。たかだか30年くらい前のハナシだよ。


 でも、それよりもう少し前の70年代中頃にあのCONVERSE社を相手に対等に渉り合いジャパン企画のシューズの企画をCONVERSE社に持ち込み、そして見事実現させ往年の名品と言われる幾つかのアイテムを誕生させてしまった方が居たんだよ。
 藤岡さんという方で、現在も時々時節柄のご挨拶や、時に仕事のちょっとした相談等で連絡を取らせて頂いてるけれどボクにとっては業界の師であると共に人生の師でもある。もう随分ご高齢なのだけど変わらずお元気でいらっしゃる。


「ゼネラルワールドスポーツ」という社名で日本で初めてCONVERSE社のエージェントをされていた方で、実はこんな話しがある。
あのNIKE社の創業者フィリップ ナイト氏がまだブルーリボンスポーツ社を立ち上げたばかりの頃MADE IN JAPANでNIKEブランドのシューズを作りたくて来日した際に、その相談相手になってはみたものの藤岡さんご自身が既にCONVERSE社と契約をしてしまったのでNIKE社の生産を請け負う事は出来ないという事で、思案の末ご自身がフィリップ氏の身元保証をし当時の日商岩井㈱(現、双日㈱)の知人のところに彼を連れて行ったという実話である。(この相談、実は藤岡さんとフィリップ氏は神戸市内で食事をした後、連れ立って行ったサウナの中で行われたと伺った。何か生々しくてスゴイね。)元々藤岡さんは、その前の年にニューヨークのアストリアホテルで開催されたシューズショーでフィリップ ナイト氏と初めて出会い意気投合し、それが縁で後に藤岡さんを訪ねて日本までやって来たという事だった。そんな経緯の後、当時の「日本ゴム㈱」(現、㈱アサヒコーポレーション)において初めてMADE IN JAPANのNIKEが誕生した。その後のNIKE社の大躍進はここで書く必要は無いけど何かシビれるような本当の話しなんだよ。


実はその藤岡さんが、企画を持ち込みCONVERSE社に採用されたニューアイテムがCONVERSE社が初めてフランスのADIDASに対抗して高度なテクノロジーを駆使して生み出したと言われた76年に登場する「スターファイアー」そして翌年発表された「ワールドクラストレーナー」である。特に「スターファイアー」のグリーンは丁度同年に創刊されたPOPEYEに紹介され、そこで「青リンゴ」と記載された事によって今でも「青リンゴ」と呼ばれているよね。


b9_38_01.JPG

b9_38_02.JPG

b9_38_03.JPG

b9_38_04.JPG

 

当時のデザイン画、設計図そして仔細に書かれた仕様書等を一部お借りして来たけどデザイン画なんか、今みたいにマックなんか無いから全部精密な手描きである、スゴイよね。実際ここに描かれているワールドクラストレーナーはボクが「る〜ふ」に入った時にも少し取り扱ってて、U.S.NAVYに正式に採用されているトレーニングシューズです。なんて接客の時にエラそうに言ってたけど、そのシューズが生まれた経緯などは何も知らずに売ってたけどね。


b9_38_05.JPG

b9_38_06.JPG

b9_38_07.JPG

 

その当時まだまだ日本市場に対してとても「上から目線」だったアメリカで、時に彼等に従わなきゃビジネスが前に行かなかった事なんかを思い出すと、今のバイヤー君達はとても幸せだと思う。そして一方で藤岡さんのように何十年も前にアメリカ人と堂々と対等に渉り合ってビジネスをされてた方も存在していた事はある意味痛快でもあるし、だいいち今とは仕掛けのレベルが全然違うよね。本当にあらためて尊敬してしまう。

 こうも暑くなって来ると実際、何を着てても暑いよね。本来、こういう時期にこそ最適だと思われるLACOSTEなんかのポロシャツの襟の存在でさえ、時に暑く感じるもんね。こうなったら後はTシャツしか無い。ボクはタンクトップは着ないからTシャツが最後の砦である。     
今シーズン当店では、現在もアメリカ製で頑張ってるFELCOGOOD WEARのポケTの人気が結構高くてね。無地のTシャツの胸にパッチポケットが付いただけのヤツ。ポロシャツの胸にパッチポケットが付くとかなりオヤジ入るけどTシャツの胸にパッチポケットが付くとアクティブなアメリカンスタイルでカッコいいよね。(あくまで手前勝手な自説だけどね。)ホワイトなんか特にポケットが付いてないと単なる下着に見えちゃうから、たかがポケット一個とはいえその存在はかなりポイント高いんだよ。


b9_37_01.JPG


b9_37_02.JPG

 夏場の勝負アイテムとしての無地のポケTはアピール度においてちょっとパワー不足に思うヒトも居ると思うんだけど個人的にはコレがなかなかにカッコいいと以前から思ってる。アメ横に通うようになった頃はHANESのパックに入ったヤツや画像にあるような名品SPRUCEのポケTなんかを時々買って着たりしてた。LEVI'Sの#646のデニムにポケTを着て上にネルシャツやシャンブレーシャツを羽織ってたりね。でも通好みなアイテムだとは言っても、まだまだ地味な存在だった。

b9_37_03.JPG  b9_37_04.JPG

 背中にプリントを入れたポケTが一挙に主役に躍り出たのは少し後のサーフブームの時だったよね、きっと。ボクはサーフィンについてはエラそうに語れない。何度かやった事がある、というレベルである。そう、自慢じゃ無いがメチャクチャに下手だった。だから元祖「丘サーファー」みたいなもんだった。仲間うちでは、サーフTはバックプリントでポケット付きだというようなお約束があってね。最初の頃は画像にあるようにポケTの背中にハイビスカスやらサーフシーンなんかをプリントしたバックプリントが主流だったように思うんだけど、その後LIGHTNING BOLTなんかも登場し、そして77年くらいだったか、サーフショップやらボードやウェアのロゴなんかをでっかく入れたパターンが増えて来たのかな?ちょっと記憶の前後が曖昧だけど。

b9_37_05.JPG

b9_37_06.JPG

 

b9_37_07.JPG

b9_37_08.JPG

 

b9_37_09.JPG

b9_37_10.JPG

その頃になるとボディ本体のポケTの主流はアメ横ローカルヒットかも知れないけどボクらの間では断然STEDMANのHI-CRUがカッコいいという事になっていた。STEDMANというブランドは、きっともう無くなってしまったと思うんだけど、このHI-CRUと名付けられたたポケTが大好きでね。

b9_37_12.JPG

その名の通りクルーのネック部分が他のブランドよりも高くなっていて、一目でそれと分かるディテールだった。お気に入りついでに「る〜ふ」のスタッフTシャツまで、ハイクルーで作ってた。
b9_37_11.JPG

b9_37_13.JPG

b9_37_14.JPG

 

 その頃パンツは、というとLEVI'SのMOVIN' ONなんかのファッションパンツなんかも増えては来てたけど、周りではやっぱりLEVI'Sの#646のコーデュロイが人気でね。特にボクのお気に入りはライトブルーやオフホワイト、あと「トースト」と名付けられた金茶色やインクブルーだった。それでプリントのポケTを着てTOP-SIDERやADIDASのTOBACCO、BOLTの稲妻マークの付いたBEACH COMBER(ビーチサンダルの事)なんかを履いて、出来もしないのにちょっとだけサーファーを気取っててね。おまけに#646のお尻のポケットにアメリカ製のGOODYのクシを突っ込んで(でもボクは元々天パーなので髪を長くすると、あっちこっち跳ねてるからクシが引っ掛かってちゃんとスムーズに通らなくてねェ。)そして反対側のポケットには開閉時にバリバリと音がするカラフルなベルクロ財布の「レインボーパス」というのを突っ込んでね。そんなカンジで格好だけは一人前だった。時々ケツにクシを突っ込んでるのを忘れて、その辺に座るとクシがポキンと折れちゃったりしてね。そしたらアメ横の中の化粧品屋さんに売ってるからまた懲りずに買いに行くワケね。


当時アメ横に来てた、ボクなんかよりもっと本気でなり切ってるヤツなんか航空会社のマークのショルダーバッグ(人気は何と言ってもHAWAIIAN AIRだったね。)なんか持っちゃって、首にプカシェル(ハワイのお土産屋さんに売ってるような白い穴の開いた小さな貝殻を並べて繋いだだけのようなネックレス。ボクは最初る〜ふだかミウラで見て、結構値段が高かったので原宿で1000円くらいのパチもんを買って付けてた。)付けてね、そして腕にはSEIKOのエキスポートバージョンのダイヤルがオレンジのダイバーウォッチなんかがご自慢でねェ。そしてジョーバンのムスクだとかグラスオイルなんていうコロン?を体中に振りかけてた。(なりきりクン達の為にそんな小道具がアメ横には全部揃ってた。)それで、何故か連れてる女がテニスラケット持っててね、それもDONNAYとかPRINCEのデカラケ。(アメ横のどこでテニスしてたんだろうか?)そしてバッグの中には雑誌「JJ」が入ってるの。結構、丘サーファーの人口は多かった。


その頃アメ横の中に「ラストリゾート」っていう、ウィンドウにスダレが下がってて店の中にヤシの木が生えてるみたいなトロピカルムードがバリバリの喫茶店があってね、何か雑誌に載ったとかで、そういう店って女にウケるワケ。そこに行くと、なりきりカップルがトロピカルドリンク飲みながら、うじゃうじゃ居てね、台東区じゃないみたいだったよ。ボクらは昼休み、男同士でアイスコーヒー付きのドライカレーなんかを突っつきながらインベーダーゲームに熱中してた。名古屋撃ち!なんてね。


 そして極め付きはポケTのポケットに洋モク(死語か?)のメンソール。その頃はメンソールを吸ってるヤツは必ずインポになるという都市伝説みたいのがあってね、でもお構い無しにサーファーはメンソールだよ、みたいなお約束だった。当時、国産のメンソールは確かSOMETIMEっていうのが有ったと思うんだけど基本はやっぱ洋モクでSALEMかKOOLしか当時は無かった。だけど周りにSALEMを吸ってるヤツは居なくて、みんな何故かKOOLだった。ボクも時々KOOLを買ってた。でも内緒だけど、そのKOOLのパッケージをクシャクシャにならないように出来るだけ大事にして、中身を全部吸っちゃったら代わりにハイライト入れてたね。ライターはみんなBICの100円のヤツ、アメ横のタバコ屋さんにいつも売ってたから。それにOFF SHOREとかOPとかのシール貼ってね。半信半疑でコーラで髪洗ったり、みんな色々と頑張ってたんだよ。楽しくて、いい時代だった。
 

【GOODWEAR(グッドウェア) ポケットTシャツ】

【FELCO(フェルコ) ポケットTシャツ】

何が40周年かって、別に大した事では無く個人的なハナシでね。高校生の時に初めてLACOSTEを買ってからたまたま計算したら40年経ってた。当時はすでにワンポイントブームの真っ最中でね。ボクも最初は「カサ」だ「パイプ」だ「金熊」だと言ってる友達を尻目にMUNSINGを得意になって着てたんだけど、ある時仲のいい同級生が紺色のLACOSTEを着てたんだよ。それも体育の時間の卓球の試合の時。参ったね、それがエラくカッコ良く見えてすぐにでも欲しくなってしまってね。

b9_36_01.JPG

b9_36_02.JPG

 それである時友達と連れ立って、確か大阪の梅田の阪急でやってたVANのバーゲンセールに行った時だったと思うけど、ついでに特選フロアにある輸入物の売り場に行ってみたらやっぱり売ってた。ガラスケースにLACOSTEが陳列されててね。中でも薄いイエローのヤツが気に入って、ガラスケースの向こう側にいる化粧の濃い真っ赤なお口のおネーさんにお願いして見せてもらった。値段が結構高かったので躊躇してたんだけど、そのお口の赤いおネーさんが思い切り眼力でプレッシャーをかけるので、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで初めてLACOSTEを買った。

 LACOSTEをそれと認識したのは、もう少し前の事だったけどゴルフを始めたばっかりの従兄弟がLACOSTEのカーディガンとゴルフキャップを持っててね。カーディガンはオッサン臭い変な柄物で、そしてそのキャップはと言うとフロントにでっかいワニのワッペンが付いていてね。そのワニのワッペンが、結構グロテスクで全然カッコ良く思えなかった。だから最初は、あんまりLACOSTEは気にしてなかったんだね。ところが卓球の試合で同級生が着てたポロシャツは、生まれて初めて見た実物のLACOSTEのポロシャツだったんだけど全然カッコ良くて一発で気に入ってしまったんだよね。それと、それまでオッサン臭いと思ってバカにしてたけど初めてポロシャツというアイテムがカッコいいと思った瞬間だったかも知れないね。だって買った事は無かったけどVANのポロシャツなんかとディテールが全然違ってたしね。

b9_36_07.JPG

 実はそれまでにLACOSTEの目撃談があって、それは映画の中だった。ちょうど68年のメキシコオリンピックのすぐ後くらいにテレビで放映されたトロイドナヒューやサンドラディー出演の59年制作「避暑地の出来事」という映画の中でね。観た時期を特定してるのは別にボクが記憶力が良いワケでは無くて、ちょうどメキシコオリンピックを機に我が家のテレビがカラーテレビになって、そしてその映画の冒頭、トロイドナヒューが真っ赤なパーカを着てたのがすごく印象的だっただけなんだけどね。だから画像の記憶に色が付いてたからというワケ。

b9_36_10.JPG

そしてその映画の中で娘役のサンドラディーの父親を演ずる、いかにもタフそうなアメリカ人というルックスのリチャードイーガンという俳優がLACOSTEのネイビーやホワイトを着て出て来るシーンがあってね。ところがボクは、ようやくVANだJUNだといい始めた頃なので映画に出て来るファッションには、それなりに興味があったものの、まだその頃はLACOSTEの事なんか全然知らなくてね。それで大人のクセにワニのワッペンをシャツに付けてるんだァ、くらいに思ってた。丁度小学校の頃のワッペンブームを思い出してね。だから当時は「鉄人28号」や「鉄腕アトム」なんかに加えてクルマや花や犬なんかのワッペンも有ったから、それと同じように思って、このオッサンは大人のクセにワニのワッペンが好きなのか・・くらいの感覚だった。そしたら何年か後でそれが何だったのかようやく判明したんだけれど、その時が本当の意味でFRANCE LACOSTEとの初めての出会いだった。 

b9_36_06.JPG 

映画と言えば、オールドファンの方には懐かしいジャンニ・モランディのヒット曲「サンライトツイスト」(ゴーカートツイスト)がテーマの62年のイタリア映画、カトリーヌ・スパーク主演の「太陽の下の18才」というのがあって、カトリーヌスパークは超カワイイので一見の価値はあるけど、内容は大した事はなくリゾート地における若い男女のドタバタ恋愛というような、よくありがちなストーリーなんだけどね。ただそこに出て来る、やんちゃな脇役クン達3名程がホワイトやピンクのフランスラコステを着て出て来るんだよ。60年代の初頭にはすでにイタリアでもLACOSTEはかなりメジャーなアイテムだった事がこの事からも分かるよね。ところが映画を観ると分かるけどせっかくカッコいいLACOSTEを着てるのにスタイリングは涙が出そうになるくらいメチャクチャにダサくてね。全然カッコ悪いんだよ、初めて観た時はちょっと絶句したね。あれ、当時はカッコ良かったんだろうかね。

b9_36_09.JPG

 今当店には、今年も大人気のここ数年のド定番、FRANCE LACOSTE ITALIAN FITというのがあるんだけど、ちょっとタイト気味にイタリア的に着こなすイタリア人の解釈というのはとても洗練されててオシャレなイメージがあるのに、あの映画のスタイリングはもう少し何とかならなかったんだろうかね?今だったら、このITALIAN FITを商品リースするよ、ボトムなんかももう少しスッキリとしたウェスト周りのセンスのいいヤツと一緒にね。シャープな若い体型だったらITALIAN FITは、パチッとボディラインが決まって絶対カッコいいのにね。ボクは理由があって袖を通した事が一度も無いけどね。

b9_36_04.JPG

 ところで画像のようにFRANCE LACOSTEのワニにも以前は(と言うか、かなり前のハナシだね。)「LACOSTE」の文字が入っていたんだけど、あれどういう事情だったんだろうね。詳しくは無いんだけど商標権か何かの要因なんだろうか。日本のLACOSTEには数年前まで文字が入っていて、そこが見分けられるポイントだったりしたんだけど、今は同じになってしまったから、どっちだか分からないよね。というか見分けてそれで、そのあとどうなるワケでも無いけどね。

b9_36_05.JPG

 ワニついでに言うと、FRANCE LACOSTEのワニ自体も古い時代のは、今のより尻尾が上に向かって上がってたように思っててね。(10年程前に雑誌BEGINの取材で画伯といであつしクンが来た時にこれを言ったら、記事になっちゃった事があってね。でもこれはあくまで個人的な見解なので正しいのかどうか、それとも個体差レベルなのかは今でも真相は分からないんだよ。)

b9_36_08.JPG

ただ事実ここ近年のものは尻尾が上に上がって無くて猛々しいイメージがちょっと優しく変わってしまったように見えるんだよ。やっぱ時代の流れなんだろうね、最近はワニも草食系になったんだよ、きっと。

b9_36_03.JPG

前の5件 5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15

features

いであつしのMADE IN フントニモー

SEPTISオーナー玉木朗の超B級アーカイブ

SEPTISスタッフのブログ