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最初ボクはLACOSTEよりもMUNSINGの方が好きだったかも知れない。初めて袖を通したワンポイントマークのアイテムが従兄弟のお下がりのMUNSINGのカーディガンだった事もあってきっと特別な思いがあるんだなァ。もらった時には、すでに結構ボロだったけど周りが「ええの着てるやん。」みたいな事を言うから、更に調子に乗って母親を説き伏せて同じペンギンのワンポイントが付いたハイネック(死語か?)をデパートの輸入物が売られてる特選売り場で買ってもらってね、ネックのところに一本ラインが入ってるヤツ。一時は気に入って、ほぼ一日おきに着てる状態に近かった。VANのボタンダウンじゃなくてカーディガンにはハイネック、そしてベルトレスのパンツが最先端でカッコいいと本気で思ってた。
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その頃からボウリングが大ブームになって色々とテレビ番組が有ってね、人気プロボウラーがハイネック着てたから多分流行ってたんだよ。ポロシャツも有ったけど、「あんなんは、オッサンの服やんけ。ヤングはハイネックやでェ。」その時はそう信じてた。実際、父親がポロシャツを着てたからね。


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その後空前のワンポイントブームも一息ついたかと思えた頃、ちょうど上京して来た。手元にはMUNSINGやLACOSTEのポロシャツやハイネックが何枚かあったけど、自分の中では「ちょっと、終わった感」がしてたんだよね。ところがアメ横にすぐ通い始めたんだけど、「る〜ふ」や「マルビシ」の界隈で見られる、ボクより年上のカッコいいアメリカンなヒト達が結構MUNSINGを着てるんだよ。これは驚きだった。セーターやハイネック、ポロシャツもそうだったけど、特に画像のようなスタンドカラーのナイロンのウィンドブレーカーは、とりわけカッコいいヒト達が着てたように思う。こういうのをプレスのパンツやニットフレアに着てたんだよね。(本当に当時アメリカで、そういう格好をしてたかどうかは疑問だけどね。)遅ればせながら、ボクも早速買ってマネして同じような格好をしてた。
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暫くアメ横に通って、だんだん分かって来たんだけどMUNSINGは随分色々な店で売られていてね。「る〜ふ」にも有ったけど、その近くの「丸高商店」さんや特に「玉美」さんのお向かいにあった「林実業」さんなんかはMUNSINGの専門店みたいで、アメリカ製のMUNSINGがドッサリ積み上げられてて度肝を抜かれたね。おまけにMUNSINGのペンギンのデッカイぬいぐるみまで売ってた。「やっぱりアメ横はMUNSINGだよ。」
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で、結局ボクは終わってしまったと思った事なんか、どこかへやってしまって再びMUNSINGを着る事にして、何着かまた増えた。先に書いたウィンドブレーカーや、襟の真後ろにボタンが付いた古いポロシャツなんかも見つけたりしてね。ところがある時にそのMUNSINGのワンポイントがボウリングをしてるペンギンの柄のハイネックを見つけてねェ、その余りの可愛さに衝動買いした事があったけど、かなりお気に入りだった。(画像をお見せ出来ないのが本当に残念。)本当にペンギンがボウリングのタマを投げてるんだよ。あれ、後で後輩に上げちゃったような気がするんだけど、今有ったら是非欲しいなと思う。
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その後アメ横に入って「る〜ふ」でもMUNSINGを扱ってたけど、その頃のMUNSINGのポロシャツのワンポイントは色が付いていて「カラーマンシング」なんて呼んでた。その頃日本のライセンス生産のMUNSINGは単色のワンポイントだったと思うから、カラーなのは明らかにアメリカ製だというのが分かって、すごく人気があったんだよ。
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画像の古そうなポロシャツは、前に「る〜ふ」の先輩から譲り受けたヤツだけど70年代前半のヤツで、ボクは知らなかったんだけどペンギンの居ないMUNSINGもあったんだね。
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そういえば日本でも当時相当売れたと思うんだけど、カサのワンポイントマークでお馴染みの著名プロゴルファー「アーノルドパーマー」の写真を雑誌で見た事があってね、何とMUNSINGを着て笑ってた。これが、いわゆる「大人の事情」というヤツだなァ・・。


今もMUNSINGは、「バーニーズ ニューヨーク」とのコラボ企画なんかもやってて、健在だよね。ボク達の業界と、現在は少し違う位置づけだと思うんだけどボク個人的には、今でもやっぱり気になるブランドのひとつだね。

 

 

 

 昔から尊敬している業界の先輩に先日お食事をご馳走になる機会があって、色々な懐かしい話で盛り上がる中、その先輩が「70年頃のオレ達の頃はALDENなんかまだ知らなかったし、憧れの靴って言ったらJOHNSTON&MURPHYかFLORSHEIMだったよなァ、カッコ良くてさァ、とにかく値段がやたら高かったけどね。」と仰ってた。ボクも「へェ〜。」なんて、相槌を打ちながら、初めてFLORSHEIMの靴を買った時の事を思い出した。

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 現在FLORSHEIMというと「THE IVY LOOK」にも取り上げられているCASHMERE SCOTCH GRAINのLONG WING-TIPや、画像のコードバンのコブラヴァンプが名品と言われて良く知られてると思うんだけど、ボクのスタートは全然違うアイテムからだった。


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初めてFARAHやLEEなんかのフレアパンツを穿き出した頃、実はそれに合うと思える靴が、なかなか無くてねェ。アイビーの時代に揃えたVAN REGALの靴や、SEBAGOのヴァンプ、神戸まで行って買ったご自慢のBASSのローファーなど、どれもこれもフレアパンツには、何か変てこりんだった。要するに全然カッコ悪いんだよ。仕方が無いのでCONVERSEのスエードやKEDSのバッシュー、REGALが出してたBATES FLOATERSのコピーなんかを合わせてたんだよね。


 そんな頃たまたま友達がSEARSだかのカタログをどこからか持って来てくれて、喫茶店でメンズアイテムのページを「いいねェ・・」なんて言いながら見せてもらってたら、あるページに目が釘付けになってしまった。フレアパンツにバックルとストラップが付いたジョージブーツやモンクストラップを合わせて履いてたんだよ。「そうか、こういう靴履くんだァ。」(画像:こんなカンジの画像だった。)
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 当時の唯一のバイブル、メンクラにはそういう靴が紹介されて無かったのか、見落としてたのか分からないんだけど、そういうデザインの靴の存在を全く知らなかった。地元京都のショップでは見た事が無かったからね。それからそのデザインの靴の事がずっと気になってたある日、友達と久しぶりに神戸に買い物に行こうという事になって、神戸に行けばアメリカの靴が結構売ってるから何か有るかも・・という期待が少し有ったんだよね。


 神戸の三宮や元町は、地元京都では見られないようなアメリカ製品が売ってるからいつも楽しくてね。高架下やらセンター街やらをグルグルと洋服や靴や輸入レコードを物色してる間に詳しい場所は忘れたんだけど三宮駅の辺りの靴屋さんを見てたら、目に飛び込んで来たのが画像のFLORSHEIMのブラウンのジョージブーツだった。(画像のモノは後日同じアイテムを再度購入したもの。本当にこの形が大好きである。)「これだァ。やっぱり売ってる!」と思いガラスケースの外側からドキドキしながら、しばらくあっちこっち角度を変えて眺めたあと店員さんに見せて欲しいとお願いしたんだよ。手に取って舐め回すように眺めた後、値段を聞いたら何と3万円以上だった。一瞬買ってしまおうと思い切った気持ちがフッ飛んでしまって一挙に悩んでしまってね。こっそり友達に幾らか都合が付かないか聞いたら、自分も欲しいモノがあるからダメだと言う。店員さんは、高校生が二人でボソボソやってるから、とても試着をさせてもらう空気では無かったね。


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 当時買って間もないBASSのローファーが一万円を超えてて、とんでも無く高い買い物をしたつもりだったけど、それを遥かに超越した存在を知って正直驚いてしまった。勿論FLORSHEIMという名前も初めて聞く名前だった。(でも店員さんは確か"フロッシャム"と言ってたけどね。)本当はその頃品質も何も分からないんだけど、アメリカ製で値段が高いんだから絶対いいモノでカッコいいに決まってるなんて思ってね。結局その日は目に焼き付けて帰る事にした。それから何日か悩んだ挙句、後輩達にVANのコートやCPO、KENTのセーターなんかを譲ったり母親におねだりしたりと、せっせと資金作りをし、今度は一人で神戸まで行ったんだね。


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 ようやく手に入れたFLORSHEIMは、磨くと本当にピッカピカになるしフレアパンツにバッチリ合ってくれるばかりか、従来のアイビーのパンツやホワイトジーンズにも行けるという事を発見し、たちまち虜になってしまった。それからである、ボクのモンクストラップやジョージブーツ好きに火が付いてしまったのは。


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 もうあれから40年近く経つというのに、いまだに感覚はその時のままなんだよね。今回FLORSHEIMの画像を撮ろうとしてあちらこちらからゴロゴロと引っ張り出して来たら、まァ見事に一つの方向性を示しているのに自分ながら唖然とした。WING-TIPなんかも持ってたんだけどねェ、どこに行っちゃったんだろう?

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 更にバックルの大きいジョージブーツは、黒だったらスーツなんかにもカッコいいし、またブラウン系のモンクストラップは、細身のチノパンなんかにもカッコいいけど#646のデニムなんかに合うんだよね。
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 ただ冒頭、コブラバンプが名品と書いたけど、ボクがそれよりも実は秀逸なアイテムだと思っているのが、コンポラのスーツなんかに合わせるとカッコいい、当時先輩なんかがロケットヴァンプと呼んでいたモカ縫いが見えない尖ったヴァンプなんだよ。

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これはINVERTED SEAM MOCと言う内側で縫い止めしているデザインで60年代中頃を中心に流通していたタイプでね。これをボクは、わざわざ80年頃に何を思ったか、髪を7:3に分けパーマネントプレスの細身のパンツにこれを履き、T/Cの汚い色のボタンダウンシャツにアルパカのゴルフカーディガンを着るような、ちょうど「奥様は魔女」のダーリンみたいな、お父っつあん臭い格好を自分ではめちゃくちゃカッコいいと思って粋がってやってた時期がある。傍から見れば時代錯誤で思い切りズレた変なヤツに見えてたろうね。今思うと、かなりヤバかったと思う。でも靴は今見てもめちゃくちゃカッコいいね。今だったらタイトなスーツに十分カッコ良く行けるよ。ボク着(れ)ないけどね。
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 今でもお付き合いをさせて頂いているアメ横「る〜ふ」時代のお客様だった方がいらっしゃってね、現在も当時と変わらずジーンズ関係のお仕事をされている。その頃MIGHTY MACやらIZODやらと色々と購入して頂いたり、とてもご贔屓にして頂いた。その方から先日頂いたメールの中に「ここ最近、ジージャン人気が再燃しつつ・・」とあって、ジージャンねェ・・と考えてたら確かに自分で何着かは持ってるけど圧倒的に出番が減ってるというか全く無い事に気が付いた。


 その前に思うんだけど、その「ジージャン」という呼び名に何か基本的に違和感があって今でもなかなか馴染めなくてね。正しくは何と呼ぶのか、いまだに自分では分かってない。「JEAN JACKET?」それとも「WESTERN JACKET?」なのかな・・アメリカ人でアパレル業界の人間のクセに何でもかんでも「LEVI JACKET」なんて呼ぶヤツも居たけどね、だったらLEEやWRANGLERはどうなるんだよ?みたいなカンジだよね。


元々「Gパン」という呼び名は戦後の進駐軍時代アメリカのGIが穿いてた事に由来する「GIパンツ」略して「Gパン」と、アメ横にある超老舗ジーンズショップ「マルセル」さんの創業者、桧山健一氏が名付けたという定説である。その「Gパン」と同素材の上着(ジャンパー)だから安直に「Gジャン」になったんだろうなァ。でもその通り「ジージャン」と言うと通用するから、ここで論議するほど大きい問題では無いけどね。


 その昔「メンズクラブ」なんかが提唱していたアイビーのワードローブには、「ブルージーンズ」や、その「ジージャン」の定義がなされてなくてね。当たり前だよね、60年代中頃くらいまでのアメリカでは作業服だったんだからね。かのアイビーリーグでも当時学生にブルージーンズの着用を禁止していたという話しがあって、その為にそのアイビーリーグを含む戦後のベビーブーム世代の学生達の一大マーケットに向け、それでも何とか彼らにジーンズを穿かせたかったLEVI'Sが生み出したのが「WHITE LEVI'S」だったと何かの文献に書いてあった。

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そう、ホワイトジーンズだよね。そしてLEVI'Sは、わざわざ当時最先端だったツイストのリズムに乗ったロックンロール曲「WHITE LEVI'S」というヒップポケットに入るサイズのレコードを作成しプレミアムにして、そのWHITE LEVI'Sを発売したというマーケティングだったとね。確かに「TAKE IVY」のどのページを見てもみんなホワイトジーンズを穿いてるから、その時のLEVI'Sのマーケティングは見事に成功したんだろうね。


 で、ボクも当初はジーンズと言えば、当たり前のようにホワイトジーンズだった。(最初はLEEのウェスターナーだったけどね。)ところが高校生の頃にはアメリカの新しいファッションムーブメントが次々と訪れて、ベルボトムやワークブーツ、オーバーオールと同じくして気の早い友達の中にはスマイルバッジや星条旗のワッペンを付けてジージャンを着始めるヤツも居たんだけど、ボクは正直なかなか手が出なかったんだよね。


 ところが、暫く経ってFARAHのフレアパンツやLEVI'Sの#646を穿き始めた頃にちょっと羽織るアウターに悩んでいたらジージャンを着るとカッコいい事を発見してしまったんだよ。フレアパンツにいけるアウターとしてコーチジャケットの次に発見したのがジージャンだった。でもボクの場合はオフホワイトのジージャンで、ブルーデニムのジージャンは最初どうしても馴染めなかった。多分その頃初めて買ったアメリカ製のデニムパンツがLEVI'Sの#646だったんだけど上下デニムというスタイルにまだまだ抵抗があったんだろうと思う。デニムのジージャンやストームライダーを着るようになったのは、もう少し後のアメ横の時代になってからだった。


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 最初に着てたのはLEEのウェスターナーのジャケット。画像のモノは後日守屋商店で購入したモノだけど、アイビーの時代にホワイトジーンズとしてずっと愛用していたのはLEEのウェスターナーが多かった。だからきっと素材感なんかに安心感があったんだよね。

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LEEのジャケットは着丈が短くてチビのボクでも十分カッコ良く見えてくれてた。特にLEVI'Sの#646のコーデュロイやデニムには相性が良くて本当に使い回しが利いたんだよ。インナーにはチェックのウェスタンシャツやフードパーカなんかを合わせてね。


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 そして地元の京都ではまずお目にかかれなかったLEVI'Sのホワイトピケのジャケットは、その後上京してアメ横に行き始めた頃やはり守屋商店で買ったモノなんだよね。このピケのジャケットもとても気に入っててね、着てると周りが「いいねェ」って言うからちょっとだけ得意になってたら、ある時後輩がタグを見せてくれというので脱いで見せたんだよ。

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そしたら、「この時代のモノはビンテージとは言わないっすよね。」と、ぬかしやがった。いいよ、別に古さで勝負してるワケじゃないからね。でも色々な価値基準と尺度があるもんだと思った。


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 カッコいいかどうかの問題だし、十分ステキだと思ってるけどね。だからもっと着ないとダメだよね。オフホワイトのジージャンは、最近のスタイルだとアーミーカーゴパンツなんかにバッチリなんだよね。と、言いつつボクは今年の春アウターだってほとんどBARACUTAかMIGHTY MACしか着てないからなァ。本来なら春の今頃が一番丁度いいんだよ、この2着のフロントのボタンがちゃんと閉まれば、の話しだけどね。

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 前回GORDONのボタンダウンの事を書いたら、ある方からご意見を頂いた。「玉木さんは、結局それ以来SEROのシャツは着なくなっちゃったんですか?」あらら、ちょっと表現がマズかったよねェ。全然そうじゃ無かったんだけど。


ちょうどアメリカ製にハマリ出した頃は、混紡素材(いわゆるT/Cね。)のロングポイントの襟のシャツがほとんどでね、更にはその頃数少ないボタンダウンシャツだってロングポイントだった。そんな時期を通過して来たから、その反動でまずコットン100%のSEROやGANTに感動して舞い上がり、そして更にショートポイントの襟ですこぶる出来のいい高級品のGORDONのシャツを見た時は、超新鮮なインパクトがあって本当に嬉しくなってしまったんだろうと思うんだよね。


 確かに一時期GORDONのシャツに「はしか」の感染のように染まって行ったんだけど、時間の経過と共に、やっぱり元々アイビーだったボクの本質が頭をもたげて来たと言うか、非の打ち所が無い!なんて思ってたGORDONのシャツにも、勿論欠点では無いんだけどボクにとっては、ちょっとした不満な点が判明してしまってね。
実はカラーが小さすぎて襟のロールが出来ないんだよね、ある時にVネックのニットを着ながら鏡でVゾーンから顔を出してる襟を見た時に気が付いた。そうすると現金なもので、やっぱり正統派アイビーのロールドボタンダウンはSEROだよ、なんて言って再評価したりね。実は、長年こんな事ばっかり繰り返して、もう30年以上だよ。


 現在SEROは見事に復活を遂げて、当店でも大人気のシャツである。当時のモノと違ってフィッティングが細身なので、今風ですごくカッコいいんだよ。ただ小デブのボクにはボディラインがバッチリ出てしまうのが個人的な悩みだけどね。そして今はCANADA MADEで、アンダー¥10,000からと、とても購入しやすい価格設定になってる。そうだった、そうだった、元々高級品というよりは当時から学生向けのリーズナブルなシャツというイメージは変わってないからね。


当時を知る業界の重鎮の方々にその頃のお気に入りのボタンダウンシャツの話題を振ると、幾つかブランドが出て来る中で、まず間違い無く名前が挙がるのが、やっぱりSEROなんだよね。SHIPSの中澤さんもSEROだって仰ってたしね。
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 ボクが最初に購入したSEROはAT EASE(当時LAのウェストウッドやニューポートビーチにあった、ニュートラディショナルテイストのセレクトショップ。ボクもその後はLAの出張の都度立ち寄っては買い物をしてた。)のダブルネームのものだったと思う。コットン100%のオックスフォードのボタンダウン。俗に言う現地の店頭買いのハンドキャリー品だったんだよね。ところが、その時ボクはまだそれが何だかよく分かってないから、最初はそういうブランドなんだと思っててね。それで後日「る〜ふ」に入荷した時か、SHIPSで見たのか忘れたけどAT EASEと書いて無いSEROを見て、ありゃァそうだったのか・・みたいなお粗末さだった。


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 画像のアイボリーのものが、自分のSEROの中では多分一番古いと思ったけど適度にロールする襟や、プリーツでは無くギャザーが取ってあるカフス周りなんかがお気に入りだったんだよね。

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そうそう当時は左の裾部分に横文字でスタンプが打ってあって、何かその部分だけでもアメリカのシャツを着てるんだぞォみたいな気分にさせてくれてポイント高かったね。
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 奇跡的にプルオーバーのシャツも手元に残ってた。(と言ってもボロボロだったけど。)SEROのプルオーバーのシャツは当時から大好きで、オックスフォードやらマドラスチェックやらと入荷するたびにいわゆる「大人買い」をしてたけど年月と共にスリ切れてゴミになった枚数も結構あったと思うなァ、毎年夏になると順番に引っ張り出して着てたんだよ。
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当時SERO社ではこのPULL OVERないしはHALF-PLACKETと呼ばれるシャツを独自に「POP OVER SHIRTS」と名付けてたんだよ。ステキなネーミングだよね。
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それにチェックやストライプの柄なんかもすごく種類があってね、バタ臭い柄を見るとついつい買ってしまうから一時は結構な枚数が溜まってしまったけど、90年代の初め頃だったろうか、ついにSEROは消滅してしまってね。

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一番最後の頃のヤツがグリーンのギンガムのヤツ。タグのデザインも時代と共に変わってしまったけど、ボクにとっては、やっぱり現在復刻版でも使用されているタグが一番SEROらしいと思う。


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そうそう「THE IVY LOOK」の本の中にもSEROのボタンダウンのクレジットがあるんだよ。ステキだよね、このストライプ・・いいねェ、欲しい・・。8ドルだって!「1ダース下さい!」
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 何年か前に思い出して久しぶりに取り扱ってみたんだけど、やっぱり案の定人気が無かった。今の若いヒト達はこのブランドが何だか分からないから仕方が無いと思う。ここのシャツの素晴らしさやブランドの背景なんかが全然継承されて来なかったからねェ。現在はアメリカ国内でインディビジュアライズドシャツやトロイシャツ等を傘下に持つビッグカンパニーになってると聞いているんだけど、ボクが初めてこのブランドを知ったのは多分78年くらいだったと思う。


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 つい先日もアメ横時代の先輩で当店のオリジナルのベルトを制作して頂いている方が「あの頃VANのシャツが2000円くらいで他の服より高いって言ってたけどWASHINGTON DEE CEEのシャツなんか6000円くらいしてね、でも生地も縫製も大した事無くって、洗ったらパンクしちゃってさァ。」なんて仰っててね。同感、同感、本当にそんな感じだった。


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アメリカ製品にどっぷり浸かり始めた最初の頃は少ない資金の中MADE IN USAと書かれたシャツに、それこそ一枚ずつ思い入れと共に袖を通して来たけど、ルックスのカッコ良さとは裏腹に薄々気が付いてたのが縫製があんまり良くなかった事だね。(まァその当時日本では数少ない直輸入物の高級品だったのかも知れないけどアメリカ本国においては、おそらくT/C素材の二流品なんだろうと思えるモノばっかり着てたからだろうなァ。)それが、アメリカ製のシャツでも素材がコットン100%で脇部分も本縫い仕立てになってるオックスフォードのボタンダウンがあると聞いて早速買いに行ったのがSEROやU.S.GANTだった。SEROは最初アメ横の「マルビシ」で7800円くらいで買ったんじゃなかったかなァ。それで暫くは、一番いいシャツだと思って満足してた。
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 ところがその後「る〜ふ」に入って翌年かな?登場したのがGORDONのボタンダウンやポロシャツだった。画像のモノはその時のポロシャツなんだけど、タグにGORDONとしか書いてないからボクらはGORDONという覚え方をしててね、KENNETHというオーナーのファーストネームがタグに入るようになったのは、翌年か2年後くらいじゃなかったかな?
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 その頃「る〜ふ」でもSEROやNORMANのシャツは扱ってたけど、オックスフォードで9800円というエラく高い値段で登場したGORDONのシャツを初めて見た時にはビックリした。アメリカ製のシャツなのに、おそろしく手の込んだ縫製仕様になっていてね。 

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小ぶりなショートポイントの襟にはピッチのかなり細かいデリケートなステッチがダブルトラックって言ったかな?ダブルステッチで入っていて、

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そしてお約束のセンターボックスプリーツ、そしてヨーク部分はスプリットヨークと呼ばれるセンター部分で割って裏も表も2枚仕立てになっている凝った仕様になっててね。

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でもこの仕様が何なのかしばらくは知らなかったけど、何かそれだけで他のシャツより高そうに見えるから自分でも気に入ってて、お客様にもかなり凝った仕様ですよ、なんてエラそうに言ってた記憶がある。先輩からヨークのセンターを割るのは肩部分のフィット感を高める為のオーダーのシャツのやり方だとか聞いたのは少し後だった。


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 最初に買ったGORDONのシャツを家で広げてあれこれ研究してね。カフス周りや剣ボロの仕様、ポケットのフラップやペンスロットの緻密な処理なんかもすごくいいカンジに凝ってていっぺんにファンになってしまった。

 

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と同時にSEROやGANTを着るのがちょっとお留守になったりしてね。GORDONはスコットランドのクランタータンの名称にもある通りおそらくGORDON家の事で、元々はスコットランドからの移民の方がルーツなんだろうと思う。だから一時GORDONのワンポイント刺繍のアイテムなんかまで出現してね、バグパイプを持ってスコッチタータンのキルトを穿いた、あんまり可愛くないキャラクターだった。結局ワンポイントの人気は今ひとつだったので、案の定すぐ消滅したけどね。
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 ちょうど同じ頃、同じ値段で登場したのがGITMAN BROS.だったんだけどGITMANは隣の「ミウラ」がバッチリ積み込んでたから、「る〜ふ」はGITMANで出遅れた分、GORDONの方をガッツリやってたように思う。折しもプレッピーの流れに乗って人気も高かったGORDONは、次第にネクタイやセーターなどにもアイテムが広がりイタカジブームが到来する82年くらいまではIKE BEHARやGITMAN 等と共にアメリカ製の高級ボタンダウンシャツの花形だったんだけど、次にブレイクするのは80年代後半の渋カジブームまで待たなくちゃいけなかった。


 どこかのショップで、まだ残ってるかも知れないから、(うちは残念な事に全部セールにして売っちゃった。)ボタンダウンシャツの好きな方は、もし見つけたら是非一度袖を通してみて欲しい。かなりいいシャツだよ。

 

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