2010年9月アーカイブ
- 「BASS」のローファーのところで「誰かウォークウォーバーも復刻させてくんないかなあ〜」と書いたが、なんとホントに『ウォークウォーバー』が復刻された。まったく何度も言うけど、世の中アメカジ景気である。
確かこのニュースを確認したのは1年ぐらい前の「ビギン」でピッティの会場に展示してある記事を見たのが最初である。なんでもイタリアのアメカジ好きな業界オヤジが権利を買って復刻させたとかナントカって書いてあったのだが、それを読んで「なんだよ、イタリア製かよ!」とガックリした。写真を見ると踵にWALK〜OVERなんて刻印が入ってるわ、ソールはダイナイトソールだわ、まぁ、イタリア製のウォークウォーバーのダサイったらなかったねぇ。イタリアオヤジがアメカジをやると、ついあれやこれやと余計なものをいろいろと過剰に乗っけすぎてヘンなもんになっちゃうという、典型的な例だ。
どうもそう思ったのはワレワレ日本人だけではなかったと見えて、それから半年ぐらいしてすぐに、J.プレスのクリエィティブディレクターのマーク・マクナイリーが手掛けるメイドインU.S.A.でウォークウォーバーが復刻されるというニュースを聞いたのだった。セプティズで売っているウォークウォーバーがそれである。いささか昔のモノに比べるとフォルムがぽっこりしていて、値段も安くはなくなっちゃったけど、ちゃんとレンガソールだし、インソールに刻印されてるブランドネームも昔のやつだし、アメカジオヤジの琴線をそそるには申し分ない出来といえよう。
ダーティーバックスもいいし、サドルシューズもいいけど、やっぱウォークウォーバーといったらホワイトバックスだよね〜。
このウォークウォーバーを復刻させたマーク・マクナイリーというオヤジは、このところの世界的なアメトラブームを担っている1人で、禿げ頭にウェリントンメガネをかけて素足にオールデンという、ウッディアレンっぽいナードな今どきのプレッピースタイルが似合う、なかなかにオシャレで格好いいやつである。以前、たまたま新宿の伊勢丹メンズ館のJ.プレスを覗いたときに本人が来日していて見たことがあるのだが、ベージュのコットンジャケットに白いB.D.シャツで紺のニットタイを締めて、ギンガムチェックのパンツをロールアップして穿き、クツは素足にアディダスのソールがグリーンのテニスシューズ(名品ロッドレイバーね。)というスタイルを見て、「お、なかなかやるじゃんか、このオヤジ」と思ったものである。
しかしさっきからオヤジオヤジと書いてるけど、実はマーク・マクナイリーって1961年生まれでオレと同い年でやんのね。ということは、生まれは日本とアメリカの違いはあるにせよ、たぶん同世代のオレと似たようなファッション遍歴を辿ってきているに違いない。
なのに、禿げ頭でウェリントンメガネのウッディアレン顔。しかもアメリカ人なくせしてウォークウォーバーを復刻させちゃうというコテコテのアメトラオタク。きっと若い頃は、まわりの友だちがみんなアルマーニだとかなんだって着てるときでもJ.プレスとかを着ていて「なんだ、おまえのそのオヤジから借りてきたような格好は(笑)」なぁんて言われて、モテなかったんだろうねぇ〜、マーク・マクナイリー。ちなみにトム・ブラウンもそうだったみたいよ。
マーク・マクナイリーが(たぶん)モテなかった同じ20代の頃のオレはというと、今じゃとても信じられないとは思うけど、体重も今より10kgぐらい痩せていて、ゴルチェを着ちゃうようなフレンチスタイルだったのだ。その頃に付き合ってる彼女もトキオクマガイのハイヒールにイリエのミニスカートを穿いちゃうような女の子だったのだ。
ある日のデートの時のオレの格好。ジャンポール・ベルモンドを気取ったアニエスベーの千鳥格子のジャケットに、黒いフレンチラコポロと、黒いゴルチェのコットンパンツ。そしてそのときに履いていた靴が、当時渋谷にあった「ビリー・ザ・キッド」で買ったレンガソールのホワイトバックスであった。そしたらデートの帰りにドシャ降りの雨にあっちゃって、すると彼女が「そのまっ白い靴じゃ濡れちゃって帰れないでしょ(ハート)」と言って、オレは彼女のアパートにそのまま一泊した。ホワイトバックスの汚れを知らない白さがやけに目に染みる夜だったぜ...。
ああ、いまにして思えば、あのホワイトバックスを履いていた頃のオレが、わが人生で最初で最後のモテキだったのかもしれない。もしもタイムマシンがあったらあの頃に戻って、そのとき履いてたホイトバックスをウォークウォーバーのホワイトバックスに履き変えて、白いB.D.シャツにネイビーのVネックのラムズウールセーターを着てリーバイスのホワイトピケパンツをはき、「のっぽ物語」のアンソニー・パーキンスみたいな格好で、もう一度オレのモテキをやり直したいなぁ〜。ちなみにいま履いてるウォークウォーバーはブルーのダーティーバックス。このウォークウォーバーじゃ、ドシャ振りの雨に遭っても何も起こりそうにもない。すっかりモテキを過ぎちゃってるし。トホホ...。
- いまや日本だけでなく世界中で勢いを増してるアメトラ景気であるが、その追い風を受け調子に乗っていろんな懐かしブランドが復活しているというのは、ワシのようなアメカジオヤジにとっては嬉しい限りである。そんで、久しぶりに「セプティズ」に顔を出したら、玉木さんが「また懐かしいのが復活したよ」と言って、これを見せてくれた。
うおおう〜、こここ、これは「セロ」のB.D.シャツではないか!あら懐かしやぁ〜...。
セロのB.D.シャツといったらアータ、あれは確か70年代も終わりに近い頃。銀座にシップスが開店して、世の中のアメカジが、西海岸から突如として東海岸に変わってしまったときに、アメリカのB.D.シャツといったらばブルックスブラザーズぐらいしか知らなかったワシらの前に、なんだか知らないアメリカのB.D.シャツがたくさん現れた中のひとつであった。確か他にも「ノーマン」なんてぇブランドも一緒に現れたのだが、オレの中ではノーマンのB.D.シャツはチェック柄で、セロは無地のオックスフォードというイメージがある。ちなみに「ギットマンブラザーズ」ならギンガムチェックね。
そういった見たことも聞いたこともないアメリカのB.D.シャツに、パンツは「トムソン」のツータックのチノパンで、ベルトは「トラファルガー」のリボンベルト(色は赤かグリーンね)、そいでもって靴は「コールハーン」のグローブレザーのローファーというのが、西から東へと大幅変換するときの間違いのないコーディネートであったのだ。
そんなセロが、なんとまぁ復活するなんて。
しかも値段も当時とさほど変わらないというのがまたウレシイではないか。いやぁ〜、人間、長くアメカジやっとるもんである。
ところで以前にも書いたが、「アイクベーハー」のアイクベーハー本人や「インディヴィジュアライズドシャツ」の社長にも会ったことがあるんだけども、ワレワレが大好きなアメリカのB.D.シャツを作っているカレらは、もうホントに赤ら顔で小太りで色白の典型的な普通のアメリカ人で、べつにオシャレでもアメトラでもアメカジでもないんだよね。そんなカレらに「アメリカでもこんなに人気があるんですか?」と聞くと、アイビーが流行した60年代ならまだしも、いまやもうアメリカではB.D.シャツなんて誰も着ていなくて、むしろ人気があるのは「イタリア製のファブリックを使ったワイドスプレットのドレスシャツだ」と言っていた。
それで確信したのは、世界でいちばんアメリカのB.D.シャツが好きなのはワレワレ日本人であるということである。もっというと、世界でいちばんアメリカのB.D.シャツをオシャレに着ているのはワレワレ、アメカジ好きな日本人なんである。
ところがここにきての、トム・ブラウンやエンジニアドガーメンツがGQ・CFDAを受賞して以降から始まった世界的なアメトラ・アメカジ景気。なんでも最近では本国アメリカでもB.D.シャツが最高にクールなファッションアイテムになっているらしいのだ。セプティズの玉木さんも「ニューヨークでいま話題のJ.クルーのお店の「リカーストア」も、ウチと品揃えが結構似てたりしない?」と言ってたけど、まったくもってそのとおりだよなぁ〜。いまや「アメカジ」は、スシ、テンプラ、カラオケに次いでアメリカでも通じる日本語なのだ(たぶん)。
でも、ニューヨークの「リカーストア」でB.D.シャツとかを買ってるアメリカ人よりも、三軒茶屋のセプティズでB.D.シャツを買ってるワレワレのほうが、絶対アメカジが似合う。って言うか、オシャレだ。なにしろワレワレ日本人はセロのB.D.シャツまで復刻させちゃったんだかんね。こちとらアータ、アメリカ人よりアメカジやってる年期が違うのだよ。
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- セプティズの玉木さんから「35サマーズの寺本さんとマイティマックについて情報交換会を開くんだけど、いでくんも参加しない?」というお誘いがあった。まあ、情報交換会といったって早い話がウンチク好きなアメカジオヤジたちの飲み会なんだけんどもね。
35サマーズの寺本さんというオヤジは、最近セレクトショツプや雑誌でよく見かける、肩にレザーのウエスタンヨークが入った70年代後半〜80年代前半のアメカジブームの頃に売っていたロッキーマウンテンフェザーベッドのダウンベストを復刻させた人である。
しかしレザーのウエスタンヨークが入ったダウンベストなんてアータ、昔だったら下手したらなぎらけんいちか萩原流行になっちゃう恐れがあった本気ウェスタンアイテムで、青山のキラー通りの「ベイリーストックマン」とか六本木の「アウトポスト」や「シェラマドレ」あたりでしか取り扱ってなかった、当時はあんまり人気がなかったマイナーブランドだ。確かポパイで「アーバンカウボーイ」のファッション特集があった時に、一瞬買おうかと迷ったことがあったけど、結局トニーラマのカウボーイブーツだけに留めといて、買わなくてよかったぁ〜という記憶がある。それがどうよ、いまやその野暮ったいウエスタンヨークが他のダウンベストにはないアイコンでカッケーってんだから、いやはや時代ってのは恐ろしいっす。
その35サマーズの寺本さんが、今度はなんと、あの『マイティマック』を復刻させたらしい。おいおい、またまた当時でもマイナーだったブランドをよくまたみっけてきて復刻させたよねぇ〜。ていうか、アンタも好きねぇ〜(ⓒ加藤茶)。そのマイティマックのウンチク話を肴にして、セプティズの玉木さんと一杯飲りましょうってわけである。こりゃたいへんな状況になるということは、行かなくても目にみえてわかる。う〜む、ここは同じアメカジウンチクオヤジとして、やはりオレも行かないわけにはいかんだろう。ってことで、不肖いであつしも参戦して参りました。
場所は、玉木さんのホーム、三軒茶屋の行きつけのイタメシ屋。私用で30分ほど遅れて到着すると、現場はすでにもうワイン片手にホロ酔い気分のウンチクオヤジたちが、マイティマックのウンチクを肴にしてアゲアゲに盛り上がっていた。
玉木さん「もともと本来はヨット用のブランドですからね、昔のマイティマックにはフードの後ろにドローコードがついていて、そいつをキュッと絞って着るとちゃんとフードの前部分が調節できるようになっていて、それがまたカッコよかったんですよ」
寺本さん「まさにおっしゃるとおり!ガハハハッ、ちゃあんとそれも付けましたがなぁ〜」
玉木さん「あ〜、ホントに!嬉しいなぁ」
寺本さん「それよりお借りした、玉木さんが今でも持ってらっしゃった当時のマイティマックの取り扱い説明書付きのフラッシャー。どこかに誰かまだ持ってる人はいないかなぁって探してましたんや。いやぁ〜、たいへんに貴重なもんをお借りできまして、大感激ですわ。ガハハハッ!」
玉木さん「たまたま、友達の手元に残っていたんですよね。あのフラッシャーに描かれているオヤジの写真の格好あるでしょう、あれが本当のマイティマックの正しい着方なんです」
うおお〜、すでにもうマイティマックのウンチク話はかなりディープなところまで進んでいるみたい。京都出身の玉木さんと神戸出身の寺本さん。ヘンにドスの効いた関西弁とミョウに冷静な京都弁イントネーションのマイティマック談義に、素人のオレなんか入れる余地もない。知らないことばっかだよ。
ていうか、そもそもマイティマックって、やっぱり確か70年代後半〜80年代最初の頃に、アメ横の「る〜ふ」とかオープンしたばっかりの銀座の「シップス」で売っていたんだけど、当時はあんまり人気が出なかったマイナーなコンサバブランドなんだよね。あのT字型のでっかいジップがなんか野暮ったくてさぁ、同じコンサバなブルゾンならバラクータのほうがメジャーだったのだ。
でもやっぱりこれもまた時代ってのは恐ろしいもんでして、今みると、あの野暮ったかったT字のジップが逆にカッケー。なんか欲しくなってきちゃったよ。色がタンのマイティマックのインに、白いオックスフォードのBDシャツの衿をチラ見せした同色のVネックのシェツトランドセーターを着て、丈を短めにはいたチノパンとかウールパンツをはいてクラークスのデザートブーツからアーガイルのソックスをチラ見せ、なぁんてどうよ?
マイティマックの詳しいディテールの知識やらブランドの背景やらをあんまり知らないオレは、しかたないんで消費者代表として、こっち方面から参戦することにしたのだ。
いで「えーと...、マイティマックっていったら、オープンしたばっかりの頃の銀座のシップスっていうイメージだよなぁ。確か銀座のシップスで売ってたのは茶色のコーデュロイ地で袖と裾がリブ編みのフード付きブルゾンで、フランスのイスランとかのシャツにボーダー柄のニットタイを締めてグレンクロフトのフェアアイルニットベストを合わせて中に着てさ、それにバリーブリッケンのツータックのウールのサキソニーのグレイパンツとかをはいて、靴はコールハーンのグローブレザーのローファー。なぁんてコーディネートで着てたんすよ、店員が」
玉木さん「うんうん、そうそう」
寺本さん「へぇ〜、そうなんでっか。玉木さんもいでさんもええ時代を知っていて、ぼくなんか羨ましいですわ。そのお話、そっくりそのまま今のシップスの若い兄ちゃんたちに聞かせてやりたいでっせ。ガハハハッ!」
うんうん、よしよし、どうだどうだ、オレも一発かましてやったぞ。よっしゃあ〜、このペースでもう一発かましちゃる。
いで「当時は値段もけっこうしたんすよねー。
銀座のシップスよりもアメ横とかシモキタのる〜ふのほうが安く売ってたから、そっちで買おうかと思ったけど、結局、バラクータを買っちゃったな。マイティマックって、アメ横のる〜ふとかに行くとバラクータと一緒に店の軒下の高いとこにハンガーで掛けてあってさ、あのヨットハーバーみたいなのが描いてあるイラストタグがカッコよくて、目に入ったんだよね。でさ、よく見せてよっていうと店員のお兄ちゃんが先っぽにフックがついてる長い棒を器用に使って、枝切り鋏みたいにしてハンガーからとって見せてくれたんだよ」
しし、しもうたぁ~、このアメ横のフリはまずかったみたいだ。話はそれから玉木さんの当時のアメ横はいかにすごかったかというウンチクになり、さらにはヨット繋がりでマイティマックからトップサイダーのウンチクにと、どんどん広がって盛り上がっていってしまったのだ。「トップサイダーの旧タグでカモメが飛んでいる幻のタグがある」だとか、
「トップサイダーの旧型と同じやつをパリのアナトミカのピエールに作ってやってる」だとか、もはや玉木さんと寺本さんのウンチク談義は誰も止めることができない。
最初はがんばって参加していたオレも、さすがに疲れてきちゃって、だんだんうなづくだけになってきた。ていうか、すっかりワインで赤ら顔の玉木さん、そのトップサイダーのカモメが飛んだって話、さっきもしたよ。
夜の7時頃からスタートしたマイティマックのオフ会が終了したのは、お店が閉店して客はワレワレしかいなくなっちゃった11時も過ぎた頃。おいおい、マイティマックで4時間かい。驚いたことに、このあと寺本さんは玉木さんの「近くに遅くまでやってる古着屋があるんですよ」という一言で、そこに寄ってフルーツオブザルームのポケTを買って帰ったのだ。しかも古着屋でもこの2人、まぁだウンチクを語り足りないのか、夜の11時過ぎだというのに、お店の若いおねえちゃんにえんえんとウンチクを語る。
オレはというと、寺本さんが一緒に連れてきた、オヤジたちのウンチクにずーっと静かに黙ってひたすらつきあっていた信岡くんという小室哲也似の35サマーズの若いプレスのいまどきのハンパ丈パンツをはいてるお兄ちゃんに、小声で「このウンチクオヤジたちは古着屋殺しだね」と耳打ちしたのであった。いやはや、上には上がいるってもんです。チカリタビィ〜。
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- いやはや大変な人気である。なにがって、『シェラデザインズ』のマウンテンパーカである。
確かオレが初めてマウンパを見て欲しいなぁ〜と思ったのは、ポパイで北村勝彦氏がやった「ワイルドシック」で北上純がツイードジャケツトに羽織ってたページだ。そのマウンパはシェラのロクヨンじゃなくてウールリッチだったけどね。マウンパ、マンパという呼び方もポパイが言いだしっぺだ。
まさかそのシェラのマウンパが30余年も経ってこんなにもまた人気が復活するとは、オジサン、思いもよらなんだったよ。
2年前にビギンで原宿のいまどきのアウトドアショップへ取材に行った頃は、まだそれほどでもなかったはずである。お店にズラリと並んでたシェラのマウンパを見て、画伯と「お、懐かしいねぇ、小林泰彦氏のヘビアイじゃん」なんてノンキなこと言ってたもんな。しかしいま思えば、その時に既にもう予兆はあった。
まず、高1になる画伯の息子さんが「親父ぃ〜、マウンパ買ってくれない?」と欲しがっていたのだ。ヘビアイ世代のお父さんはよくぞ言ってくれましたとばかりに「マウンパなら、お父さんがいいやつを持ってるよう〜。LLビーンのやつ。しかもいま着たら超レアな筆記体の旧ロゴだぜ。おまえにあげるよ」と言って喜んで譲ってあげると、「うーん...、でもサイズとか丈とか色とか微妙〜」と言われて、あえなく却下されてしまったのだ。
画伯にそれを聞いたオレは「フントニモー、まったく親のヘビアイ心、子知らずとはこのことだね」と原稿にも書いたのだ。それから、久しぶりにシェラのマウンパを試着してみたら、これがまたアータ、日本サイズのSしかなくて、袖なんかピチピチだわ、前のチャックは閉まんないわ、またまた画伯と「これじゃ下にダウンベストとか重ね着できねーじゃんか」とイカッタのだった。しかもなんだか丈が昔のやつより短いような気もするし...。しかも真っ黒とかグレイとか昔は見たこともない色もあるでないか...。すると、ビギンの担当カナモリくんが「なにいってんですか、いでさん、これがジャストサイズっすよ〜。ダウンベストは上に羽織ればいいんすよ〜。色も着るんならやっぱ黒かグレイっすよ〜」などと言うではないか。なにをいってるのだ、ダウンベストは下に着るのっ。シェラのマウンパといったら色はタンかオレンジかグリーンなのっ。しかもさっきからいったいなんなんだ、このパナミントジャケットみたいな短い丈は。
しかしそれは昔はなかったショート丈のシェラのマウンパで、結局、画伯の息子さんも後日このお店で黒のシェラのマウンパを買ってもらったのだ。
あれから1年...。いまじゃオレもすっかり改心いたしまして、セプティズでシェラのロクヨンのマウンパを久しぶりに買いました。しかもショート丈、しかも色は王道のタンとかグリーンじゃなくて70年代の復刻版カラーのコーラルブルー(ブルーストーン)を着まくってまぁーす。
そしたらこの間の冬、ビギンの取材で担当のカナモリくんと格好がカブってしまった。カナモリくんが着ていたのはシェラじゃなくてザ・ノースフェイスのパープルレーベルのやつなんだけど、あれ、でもおかしいな? 同じマウンパなのに、どう見てもカナモリくんのほうがスマートでカッコいいのだ。同じマウンパを着てるとはとても見えないのだ。オレはちゃんとインナーにシェットランドセーターを着こんで襟元からギットマンのギンガムチェックのBDなんぞをチラリと覗かせてるのに、カナモリくんときたら、マウンパの下はスウェットパーカにロンTなんか着てやがる。なんなんだ、この温度差は?しかもカナモリくんはあえて小さめサイズを着ていて前のチャックが全然閉まんない。なのにそれでいいのだといいやがる。しかも寒くなってきたら、リュックからダウンベストを取り出して、なんとマウンパの上に着やがるのだ。それじゃ意味ないじゃん。
画伯と「無理しないで下に着なよ〜」と何度忠告しても、寒い中、頑なにダウンベストをマウンパの上に着てる。そうしてカナモリくんはオレのマウンパを見て「なんすか?いでさんのマウンパの色。袖に○△興業って刺繍してありそうっすね(笑)」と言いやがるのだ。
フントニモー、あのね、このコーラルブルー(ブルーストーン)は70年代のシェラのマウンパに一時期だけあった幻のカラーの復刻版なんだかんねっ。 あんまりグヤジイんで、2人並んで、画伯にどこがどう違うのかを冷静に見てもらったところ、どうもオレのジーンズのはき方がおかしいらしい。同じジーパンでも、カナモリくんはリーバイスを思いっきり腰ばきで穿いてるのだが、オレは思いっきりジャストで穿いてるのがおかしいらしい。え、でもこれ、ラルフのいまどきのローライズのやつだよ。あわてて、ラルフのジーンズを下げてみたのだが、それでもやっばりなんか違う...。そもそも、マウンパのインナーに厚着してるところからして違うのだ。うーむ、あぶないあぶない、いくらまたシェラのマウンパが流行ってるからといって、ついつい小林泰彦氏のイラストみたいな着かたをしてしまうアメカジオヤジは気をつけましょう。いやぁ〜、勉強んなりました。ていうか、勉強します...。
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- セプティズの玉木店長が「こんなのが入荷したよ。懐かしいでしょ」と、『セントジェームス』のボーダーのバスクシャツを見せてくれた。
よく見ると、襟元のタグが昔のやつ。「へぇ〜、よく見つけたね。デッドストック?」と聞くと、どうも違うらしくて、最近の日本人のアメカジオタクな業界の波にのって、セントジェームスも昔のタグの復刻版を少量発売したらしい。
まぁたセントジェームスもオレみたいな往年のアメカジオヤジの琴線をくすぐるよーな細かいことをしてくるねぇ〜。
うんうん、そうそう、昔のセントジェームスのタグってこれだったよね。洗って着込んでくとタグのプリントが白ッちゃけてきちゃつて文字が読めなくなっちゃうんだけど、それがまたアジがあったんだよ。うんうん、そうそう、袖についてるタグも小文字で「Stjames」ってやつで、シンプルでいかにもフランスのワークウェアっぽいんだよね。
セントジェームスのバスクシャツは、洗いざらしの着込んでボーダーの色なんか色あせちゃったくらいのやつを、他には何にも飾りをつけずに素肌にそのままシンプルに着るのがいちばんカッコいい。でもそうすっといまのタグだとしっかりしていて洗ってもなかなかへたれないもんで、四角いカドのトコロがチクチク首元にあたっちゃって肌の弱いオレにはちょーっと痛いんだよねぇ。
まぁでも、このご時世にセントジェームスのバスクシャツは今もメイドインフランスってところが嬉しいじゃないですか。値段も昔からそれほど変わってないし、丈夫だしね。なによりラコのポロといっしょで、昔っからアメカジとも相性がいいのだ。下にシャンブレーのシャツとかラコのポロシャツを着るっていうのも、昔っからある王道のコーディネートである。
そういえば昔、綿谷画伯と初めて会ったときも、画伯はセントジェームスのバスクシャツの下にラコを着て白いカーペンターパンツにジャックパーセルだった。セントジェームスのバスクシャツってのは、そういうコンサバな定番アイテムなのよね。
でも意外とぼくがけっこう好きなのが、ゴルチエとかピカソみたいな着かた。コテコテのアメカジじゃなくて、おフランスの香りがしてくる着こなしってやつね。パリのモンパルナスあたりにいる毎日バスクシャツばーっかり着てるパリジャンの貧乏画家みたいな?わかりやすくいうと『ドレステリア』の森さんみたいな格好ね。森さんって、よくそういう感じでおしゃれにバスクシャツを着てるんだよなあ。しかし実際のところですね、アメリカに行ってもアメカジがいないのとおんなじで、パリに行っても、日本人みたいにファッションでボーターのバスクシャツを着てる人なんて全然いやしねぇんだよ、これがまた。
昔、初めてパリに行ったときに、向こうでパリの街を案内してくれた友人にも「いでさん、恥ずかしいですから、くれぐれもバスクシャツなんか着てパリを歩かないでくださいね。生肉屋さんに間違えられちゃいますから」と言われてしまった。
なんだよう〜、せっかくモンパルナスの貧乏な画家みたいにセントジェームスを着ようと思ってたのにぃ〜。ていうか実際、パリの街にはボーダーシャツなんてどこにも売ってなかった...。ビックのライターもどこにも売ってなかった...。フントニモー、パリはちっとも燃えていなかっただよ。
あれから10余年。去年の冬、カミさんが仕事でフランスのバスク地方とノルマンディに行ってきたのだが、「あのさ、本場のバスクシャツが売ってたらお土産で買ってきてよ。もちろん紺白のボーダーね」と柄まで指定して頼んだら、「零下何度だったし、そんなの着てる人なんて誰もいなかったわよ。そういえばノルマンディにセントジェームスのお店があったけど、シーズンオフで閉まってたわよ」と言うではないか。あーねー、そうなんだ...。
ちなみに真冬のノルマンディは、カミさんが撮ってきた写真を見せてもらったら、二時間ドラマに出てくる真冬の能登半島の東尋坊にソックリであった。
やっぱセントジェームスは、日本でアメカジで着るにかぎる。
セントジェームスのアイテムはコチラ
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