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2016年3月アーカイブ

 やっと春が来たよね。毎年今頃になるとようやくボクは足元を気にするようになると言うか、基本的に超寒がりだから冬場は「とにかく寒くない靴」をキーワードに選ぶのでローファーの出番なんて、ほとんど無いよ。 
 だけど春の訪れと共に、ようやくスニーカーやローファー、デッキモカシンなんかの事を「さて、この春はどうしようか?」なんて考え始めるんだよね。ボトムのロールアップも出来るし、ソックスのカラーや柄まで考え出すと楽しくてキリが無くなっちゃうけどね。 
 そんな事をここ数日考えていたら、つい先日SEBAGOのビーフロール・ローファーを買ってご機嫌で履いているスタッフの大津くんがこんな格好をして来た。 

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 「お~!そう来るか、久し振りに見るド直球(笑)だけど最近ボクはそちら側に振れた事が一度も無かったよ。」その太目のLEVI'S#501をちょいとロールアップして、そしてブラックのピカピカのビーフロール・ローファー!いいねェ・・別に新しい格好でも何でも無いんだけど、とても新鮮に見えちゃった。確かにここ最近はボクも割りと細っこいボトムが多くて太目のデニムなんか穿いて無かったからね。 
 「よし!オレもアレをやるぞ!」早速負けずにSEBAGOのビーフロールのブラックを買っちゃったもんね。 
 
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 「ビーフロール・・やっぱり顔付きがいいよね!久し振りだよ。」と言うか、以前から持っているSEBAGOのビーフロールはサイズが小さくってね。唯一何とか履けるのが右側のフラット・ストラップ・ペニーなんだよ。 

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 勿論、BASS WEEJUNSのようなフラット・ストラップも大好きだけど、今回はSEBAGOのビーフロールが気分なんだよ。で、負けずに同じ格好をしてみたんだもんね・・・ 
 一応ね、自分の中の感覚ではフラット・ストラップのブラウンのローファーが、言わばアイビースタイルで優しい顔付きの「お坊ちゃんローファー」だとしたら、もう少しヤンチャな野郎臭い「あんちゃんローファー」は当然、磨き上げたブラックのビーフロールにトドメを刺すだろうという、何だか分かるような分からないような定義を昔から何となく持っているんだよ。あ、ボクが勝手に言っているだけだからね・・・ 
 ところで去年だったかに雑誌の取材の合間に雑談をしていたら若いエディターさんがうちの事務所に積んであるSEBAGOのボックスを見ながら「SEBAGOって結構昔から有名なんですか?」って聞くから、分かり易いかな?って思って自分の本のローファーに付いて書いたページをお見せしたんだよね。そして「ビーフロール・ローファーはSEBAGOがプロトタイプなんだよ。」って言ったら「へェ~!そうなんですかァ・・」って。 

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 ついでに参考になればと思って数年前だったかにイギリスで出版された"THE IVY LOOK"っていう本もお見せしたんだよね。 
 ちゃんと紹介されているんだよ。1957年にスタン・ゲッツとジェリー・マリガンが共演した名アルバムのバックカバーはボタンダウンを着たスタン・ゲッツとそしてSEBAGOのビーフロール・ローファーを履いたジェリー・マリガンの写真なんだよね。 

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 テキストに、ちゃんと"SEBAGOのビーフロール・ローファーを履いたジェリー・マリガン"・・と解説してあるんだよ。 
 勿論、日本でも何度と無くファッション誌等に色々と紹介はされているんだけど、ボクが知っている一番古いSEBAGOに関する記事は1973年に発刊された、くろすとしゆき先生の「トラッド歳時記」なんだよね。 
 ちょうどボクがSEBAGOというアメリカ製のローファーを生まれて初めて買ってしばらくしてこの記事を読んだものだから嬉しくなっちゃって「やったァ、オレの選択は間違っていないよ!当然、無理はしたぞ・・」なんてね。 

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 話は飛ぶけど、ちょうど80年代の中頃だったかに何度か仕事でL.L.Beanや幾つかのハンドソウン・モカシンメーカーのあるメイン州に行った事が有るんだよね。ニューヨークのラガーディア空港から1時間半くらい。PORTLAND INT'L JET PORTっていう小ぢんまりした空港に到着するんだけど、そこのロビーにSEBAGOのショーケースが有って、その中には製品と一緒にヒストリーを書いたパネルや、写真、制作途中のローファーなどが展示されていたんだよね。さすが靴のメッカだと感心したのを思い出した。   

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 左のイラストのオジさんは、SEBAGOがまだ小さな町工場だった頃から宣伝を担当していたジャック・へイビ-という方なんだそうだよ。そして右側はボクが初めて買ったSEBAGOのソックシート・ロゴ。(履き潰して、最後捨てる時に中敷きだけ記念に剥がした。) 
 そう言えば、その空港に隣接したAVISレンタカーのオフィスに貼って有った観光案内ポスターを見てSEBAGOというのは実はメイン州に有る有名な湖の名前だと言う事も同時に知ったんだけどね。それこそ、「へェ~!」ってなもんだった。

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 「わァ、久し振りだよねェ・・・K-SWISS」届いたボックスを開けて懐かしい顔付きを眺めながらコイツにまつわる色んな事を次々と思い出したよ。 
 ボクがLAに住んでいた時(LAって言っているけれど、正しくはカリフォルニア州ロスアンゼルス郡トーランス市と言うエリア。近くにはトヨタやホンダ、パナソニックなんかが有って当時は多くの日本人が住んでいたんだよ。)はまだ、そんなに朝の渋滞も無くって東西に走っている91番というFREE WAYを使って通っていたオレンジ・カウンティのアナハイムという所にボクの勤務先だったバイイング・オフィスが有ってね。ディズニーランドと言うよりはナッツベリー・ファームの近くだった。 
 そして、そこのボスのお気に入りだったのがK-SWISSのCLASSICだったんだよね。洗車を一度もした事がないBMWのトランクにいつも入っていたし、秘書のおネーちゃんにも買い与えて?いた。 
 「典型的な紳士のスポーツがテニスだから、紳士のオレは白いテニスシューズを履くんだよ、当然だろ。だからお前もその下品な色のバスケットボールシューズはやめてK-SWISSにしろ。」ボクの色褪せたグリーン・スエードのALL STARを指差して言っていた。その割にはプロレスやアメフトに結構詳しくて、ダラス・カウボーイズのファンだったけどね。 
 それまでボクが持っていたK-SWISSはアメリカに引っ越す時、さすがに全部持って行くのはバカだと思い、色々なガラクタを処分したり、カリフォルニアでは必要の無さそうなムートンやダウンのコート、履かないウェスタンブーツや靴、レコード、ビデオテープ、雑誌、ギターなんかを京都の実家に送る準備をしている時、頼みもしないのに「ボク手伝いますから~!」後輩がアパートに来て、冷蔵庫から勝手に出したビールを飲みながら、結局あれこれひっくり返して散々邪魔をした挙句、Gジャンやスタジャン、スウェットなんかと一緒に「コレも、下さ~い!」同様にせしめたCOSBYのギアバッグに詰め込んで持ってっちゃった。おまけに冷蔵庫まで取られたし・・・ 
 そもそもK-SWISSとの最初の出会いはね、まだボク達が居たアメ横がバラックの頃(78年くらいだったと思うんだけど)立教の学生で守屋商店のバイトの●川君という後輩が居て、UCLAに短期留学したんだか単に遊びに行ったんだか忘れたけど、LAで買って来たという5本ラインの白いレザースニーカーをLEVI'S #684 BIG BELLのコーデュロイの水色とSURF LINEのアロハに合わせて、「る~ふ」まで見せびらかしに来やがってね。 
 「わァ、カッコいいじゃん!見た事が無いんだけど、それ何ていうスニーカー?」聞いたら「ケースミス」初めて聞く名前だった。(●川君に脱いで中まで見せてもらったワケじゃ無いから、一瞬はその名前をボクも信じてしまった。しかし、今考えたらその後アイツは本当のブランド名にいつ頃気が付いたんだろう?) 
 その後「る~ふ」にも一度K-SWISSのCLASSICが10足程度入荷した事が有ったんだけど、先輩がMAGICに出張の時に当時良く行っていたダウンタウンのリトル・トーキョーの中のスポーツショップで分けてもらったハンドキャリー品だったのかな。確かスポットビルトとかナイキなんかと一緒に持って帰って来たんだと思うんだよね。 
 「あ、アレだ!5本ラインだ・・・」思ったボクはブランド名を見て「何だ、スイスじゃん!スミスじゃねェじゃん!」 
 そして事務所で試しに足を突っ込んで鏡に映してみたら結構カッコいいんだよね。ところが、横で見ていた先輩から「数が少ないから社員買いは、今回禁止!」言われてしぶしぶボックスに戻したんだけど、「後から買って、わざわざ後輩の●川とカブるのも、かなりダサいよなァ・・」割りと冷静になって考えていた。そしてK-SWISSは思った通り、お得意様を中心に2~3日で売れて無くなっちゃった。 
 結局、K-SWISSを買ったのは、それから随分と時間が経ってからだったんだよね。 アメ横の火災が有って、その後センタービルも竣工し「る~ふ」もアメ横プラザという線路の下のエリアに引っ越してしばらく経った頃だけど、友達から今度のポール・マッカートニーの新譜が結構いいよって聞いていて「買ってみるか・・・」帰りに上野駅近くの「蓄晃堂」というレコード屋さんに寄ってみたんだよね。 
 ボクはその頃のポールの音楽に付いては、割りと好き嫌いがはっきりしていたんだけど、やっぱり基本的にはポールが好きだから・・・と買って帰った。"PIPES OF PEACE" 
 それから、何ヶ月?1年?もっと?どうして裏ジャケに気が付かなかったんだろうね・・ 
「やっべェ、ポールが履いてるよ~!」   

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 で、翌日「マルキン」(当時、アメ横の中ではピカ一の品揃えを誇っていたインポート・シューズの言わばセレクトショップで大概のブランドは揃っていた。)にK-SWISSを買いに行ったら、顔なじみの先輩から「何だお前、今頃陸サーファーを卒業して今度は、なんちゃってテニスか?もうブームは、とっくに終わってるゾ!」言われた。 
 その後K-SWISSが大ブレイクしたのは85年~86年くらいだったと思うけど、その頃ボクは輸入商社に勤務していて40フィートのコンテナで入荷するK-SWISSがものの一週間も持たないで無くなってしまうのに驚きながらも、シューズの担当者が次のコンテナを組む為にあちこち電話営業だけでホイホイと決めてしまうのを横でビビりながら見ていたんだよ。 
 そんなボクのおバカなエピソード付きのK-SWISSに付いて、今回ブログを書こうと思ったんだよね。ところが結局後輩にあげちゃってその後買ってないからモノも無いし古い資料も無いんだよね、雑誌も幾つか見てみたけどあんまり大した記事も無かった。 それで友達に電話して「ねェ、昔のK-SWISSってまだ持ってる?」聞いたら「ちょっと待ってて探すから・・」 
 そして電話が有り「ボックスじゃダメ?割りときれいだよ。」「肝心の中味は?」「無いみたい・・」 
 下の画像は80年代?のボックスとブランド紹介記事。その頃はロゴ部分に"WEARING IS BELIEVING"(「履けば分かるよ」って感じかな?)というキャッチコピーが書かれていたんだよね。 

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 そして下の画像は81年のPOPEYEからだけど、テニスの特集記事で当時K-SWISSは高級品だった。「フィット感と丈夫さでは最高峰」と書きながら「クレイコートでは少々すべる」ってさ。ボクはテニスなんて一番の得意技がサーブの空振りだったから、滑ろうが何しようがあんまり関係無かった。 

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 ところで、LA時代のボスの名前もポールだった。だけどポール・マッカートニーが履いていたのは知らなかったみたいだ。ボクはそれを言うと更に調子に乗るからと思ってずっと最後まで黙っていた。



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 1960年制作の「のっぽ物語」(原題:TALL STORY)というアンソニー・パーキンスが主演した映画を知っているヒトはどのくらい居るのかな?きっと若いヒトは、知っているヒトがほとんど居ないかも知れないね。だけど現在50才代半ば~60才代で、学生時代からVANのアイビー・ファッションにどっぷりと浸かり愛読書は「メンズクラブ」でした・・というヒトは、おそらく当然のようにこの映画のタイトルを知っていると思うんだよね。 
 だって、当時の「メンクラ」では何かにつけて、本場アイビースタイルのお手本として引き合いに出されていたのが、その「のっぽ物語」という映画と、そしてそれに主演していたアンソニー・パーキンスや「卒業」のダスティン・ホフマンなんかだったもんね。 
 ボクも高校1年の冬(72年)に買ったアイビー特集号で初めてその「のっぽ物語」という映画のタイトルとアンソニー・パーキンスの存在を知ったんだよ。(黒い表紙が72年、赤いのが73年、そしてモノクロの表紙が65年のアイビー特集号なんだよね。) 

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 おまけに81年のPOPEYEでもやはり同様の紹介記事が載っていたよ。 

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 「卒業」は、68年の公開よりだいぶ遅れて高校生になったばかりの時、二本立て映画館に友達と観に行ってね。最初はダスティン・ホフマンのアイビースタイルを目で追いかけるのに一生懸命で、おまけにキャサリン・ロスが目が大きくてとってもキレイなのと、大好きだったサイモン&ガーファンクルによるサウンドトラックでお腹一杯になっちゃって・・・  
 それに、まだガキだったからストーリーなんかあんまり良く分からなくてさ。まァ、その後年齢を重ねると共にVHSやDVDでも何度か観ているから、今はあのような「いけない」大人の男女事情も理解出来るようになったけどね。 

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 ところが、「メンクラ」のアイビー特集号が出る度に、必ずアイビーのバイブル的な映画として紹介されている「のっぽ物語」だけは、テレビの洋画番組での放映や京阪神地区での再上映に一度も遭遇(果たして再上映をした事が有ったのだろうか・・)した事が無くて、その後国内ではVHSもDVDも発売されていなかったように思うから、何年もの間ずっと「一度で良いから、観てみたいなァ・・」と、何かの時には思っていたんだよね。 
 同じアンソニー・パーキンス(通なヒトはトニパキと呼ぶみたいだよ)の作品でもアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」は、後に神戸で観る事が出来てね。だけど初めて見るトニパキは顔がすごく小さくて手足がヒョロ~と長くてコーデュロイ?のアイビースーツを着たりしていたんだけど、ちょっと変質的な役柄のせいか取っ付き難そうで「え?こんな変な感じのヒトなの?」なんて実は、思っていたりもした。 

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 結局そんなこんなで「のっぽ物語」を観る事が出来ないまま何年も過ぎ、数年前のある時にたまたまイラストレーターの綿谷画伯と雑談している時にボクが「ところでさァ、画伯は「のっぽ物語」って観た事ある?」って聞いたら「え?ウソ・・アレ観た事有るの?オレ一度も無いよ・・」って言うから「いやァ、オレも無いんだよ。」 

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 『一回、観てみたいよね~!』思わずユニゾンで発声してしまった。 「ねェ、ひょっとして鈴木晴生さん(注:現在はSHIPSの顧問でボクがとっても尊敬している業界の大重鎮のお一人だよ)が持っていたりするんじゃないの?」「あ~、そうだよね!きっと持っているかも知れない、ちょっと聞いてみようよ。」などと会話が有って、暫く経った或る日その鈴木氏と画伯とボクの3人、晩ゴハンを食べる機会が有ったんだよね。 
 (画伯は画伯で、若い頃に同じ会社で鈴木氏と一緒に仕事をしていたという事も有って実は結構古いお付き合いなんだそうだよ。右の画像はうちのお店の10周年記念パーティの時の画伯と鈴木氏、そして画伯の師匠の穂積和夫先生もご一緒というかなりレアな写真だね。) 
 3人で酔っ払って鶏鍋を囲みながら他愛のない雑談を楽しんでいたんだけれど、頃合いを見計らって聞いてみた。「鈴木さんは、まさかトニパキの「のっぽ物語」ってお持ちなんですか?」「あ、持ってますよォ~」「やったァ!」画伯とボクはVサインとハイタッチをしながら鈴木氏に「それ、貸して下さ~い!自分達は、まだ一度も観た事が無いんです・・お願いしまァ~す!」 
 そして他にもまだボクが長年観る事が出来ないでいる、ポール・ニューマンの「都会のジャングル」だとかジョージ・ハミルトンの「ボーイ・ハント」、トロイ・ドナヒューの「二十歳の火遊び」など、ボクが思い付くまま幾つか並べると見事に全部お持ちなんだよね。「ひえェ~!」って感じだった。 
 下の画像は少し前に㈱ワールド・フォト・プレスから発刊された「映画の中の"ヴィンテージ・スタイル"」を扱った秀逸なムックなんだけど、巻頭で鈴木晴生氏の取材記事が掲載されているんだよね。 
 ボクは一緒に掲載されているコレクションに、ただただ唖然とするのみだったよ。 

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 ボクも自称「かなりの洋画フリーク」のつもりだったけど、全く足元にも及ばないと思い知ったね。世の中、上には上がちゃんと居らっしゃるものだ。本当にビックリしたよ・・・ 
 鶏鍋の日から2~3日経って、鈴木氏からうちの会社に段ボールが届き、お願いしていた他の作品と一緒に「のっぽ物語」の、何とVHSが入っていた、それも全部英語のパッケージの本場モノ。当然、字幕なんかも有るワケが無いよねェ・・ 
 「アハハ(汗)そう来たかァ・・」それで、すぐ画伯に電話して 
 「イエ~ィ!綿さん、「のっぽ」が来たよ!」 
 「え?ホントに?それで、もう観たの?」 
 「あのさァ、ちょっと相談なんだけど、ひょっとして画伯ん家はVHS観られるの?」 
 「観られるワケ無いじゃん。」 
 「ありゃァ・・うちもプレーヤー壊れたままなんだよねェ・・どうしよ。」 
 で、仕方が無いので業者さんに持ち込み、DVDに焼くことをお願いし、待つ事1週間足らず。 
 そしてめでたく連絡が有り、引き取りに行って、その日の仕事の帰りに隣の町内の画伯の家に寄って1枚届け、ようやくボクも長年の夢だった「のっぽ物語」をやっとこさ観る事が出来た。字幕が無い分、映像に集中出来るという事もあらためて再認識出来たけれど、ストーリー展開に付いては今だにあんまり良く分かっていないんだよね。だって、英語じゃ何を言っているんだか分かんないんだもん。 
 だから内容に付いては、詳しい方があちこちで書かれているので差し控えるけれど、ボクの目が釘付けになったのは、まずタイトル曲のクレジットがボビー・ダーリンだった事。オールディーズが大好きなボクのお気に入り曲"MACK THE KNIFE"を唄ったシンガーだもんね。まさか、タイトル曲を唄っているとは全然知らなかったんだよね。嬉しくなっちゃった。 
 それともう一つ、実はCONVERSEのキャンバスALL STARの登場だったんだよね。メンクラでは、シアサッカーのジャケットやボクも好きなレタードカーディガン姿のスチル写真ばかりが紹介されていたから、ALL STARが出て来るとは全く知らなくてさ。 

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 日本で半世紀以上前の公開当時、ジェーン・フォンダをはじめとして初めて見るピチピチのチア・リーダーの女のコ達に度肝を抜かれながらスクリーンを凝視し続け、そしてこの星のマークのバッシューに気が付いた日本人は果たして何人居たんだろうね。でも見つけたヒトはきっと、「カッコいい!!欲しい~!」(あ、女のコじゃ無くて、バッシューの方ね)と思ったんだろうなァ。 
 今や時代も変わって、CONVERSEのバッシューくらいあちこちで普通に買えるようになったけどね・・・ 
 「のっぽ物語」・・・最初に知った時から何と40年以上の歳月が経っていたよ。

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 先日、ようやく丸一日お休みが取れたので、まだ外は明るいのに調子に乗ってビールを飲みながら久し振りにロバート・デ・ニーロの"タクシー・ドライバー"を観たんだよ。
 大好きな作品の1つで、映画館で最初に観たのは多分「る~ふ」に入る直前くらいだったと思うから、76年の暮くらいだったのかな?試しに指折り数えてみたら、ちょうど40年くらい前の事なんだよね。ありゃァ~・・数えなきゃ良かった。

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 この映画を観てボクは、ロバート・デ・ニーロの大ファンになったんだよ。だからその後の"ディア・ハンター"は公開が待ち遠しくて、観に行った日は朝からソワソワとして、やたらと興奮した事を思い出すよ。
 でも、映画って不思議だよね?繰り返して観る度に映像の中に新しい発見をしたりする事が有るんだよ。
 最初はどうしても字幕を追いかけながら、主役や助演者の表情なんかを認識するのに目一杯だから周囲の景色まで目が行き届かないんだけれど、何度か観ているとストーリーの展開も大体憶えちゃうから妙に視野に余裕が出て来て、オフィスのシーンで映り込むデスクの上の小物や窓の外を走っているクルマとか向かいのビルの看板、群衆の中に面白い格好したヤツを発見したり、ダイナーのキッチンに無造作に貼られているメモとかさ、観ながら「へェ~、あんなの有ったっけ?」「こんなヤツが映っていたんだァ・・」などと楽しい発見をしては、2本目の缶ビールを開け独り言を言いながら観ていたりするワケだよ。 
 だけど、映画の制作を担当する演出家やスタッフのヒト達は、あくまで違和感無く自然に見えるように画面に映り込む以上の範囲にわたって様々なモノをレイアウトしたり、光を計算したり、動きをシンクロさせたりと大変なんだよね、きっと・・・いつも、プロはスゴいなと思うよ。 
 特に衣装に関しては、その時代や人種、季節感や役柄の生い立ちだとか経済状態など様々な要素から決められて行くんだろうけど、ただ着せるだけでもダメだし、例えばお金持ち役ならきちんとしたモノやブランド物をバリっと着せていればOKかも知れないけど逆に、ほとんど毎日着ている感じとか汚れ方、擦り切れかかっているジーンズの裾やヒザの感じ、手入れもしないまま履き倒しているように見えるブーツだとか、相当苦労するんだろうねェ・・ジ~っと見入っちゃうようなボクみたいな困ったヤツが居るからさ。 

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 ボクは、劇中のデ・ニーロの少し屈折した影の有るカッコ良さにシビレまくったこの映画がきっかけで、劇中で彼が着ていた軍の放出品っぽいジャケットが欲しくなり、すぐに中田商店に行ったんだよね。(モデルガンやホルスターを買ったり、モヒカン刈りこそしなかったけれどね。) 
 だけどジャケットの呼び名が有るのかどうかも分からなかったから、多分映画館でもらったチラシか雑誌の切り抜きを持って行ったんだよ。(後日、このサングラスは買ったよ。AMERICAN OPTICALという似たヤツでRAY-BANじゃ無かったんだけど。) 
 それで写真を指差して、「コレと、おんなじジャケットって有るんですかァ?」そしたら「あ、#M-65ね。」「へェ~、そういう呼び方なんだ・・」初めて知ったんだよね。そして「新品と中古とどっちにする?」って聞かれて、値段を見たら中古の方はウソみたいに安いワケ。だけど、中古って事は元の持ち主が居るって事だし、やっぱりちょっとドキドキするから結局新品の方を買ったんだよね。照れ臭いからワッペンは付けなかったよ。 
 だけどピカピカなのは恥ずかしいから2回ほど洗濯機でガバガバと洗ってね。それからボクは得意になって、それをLEVI'Sの#502に合わせたりしていた。靴はALL STARのブラックのハイカット・・ちょっと足元が変だったか?まァ、いいやね。 

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 ところが、その頃はデ・ニーロが冒頭から着て出て来るタンカース・ジャケットの事をボクは何も知らなくて、認識はしていたけれど多分あんまり興味を持たなかったように思うんだよね。きっとその時はタクシー会社のユニフォームみたいに思っちゃったのかも知れない。
 で、今回DVDを見終わったボクは早速「確か前に、どこかへタンカースをブチ込んだままだよねェ・・どこだっけかねェ・・」あっちこっちひっくり返して探し出して来た。そして最近も何度か仕事に着て来たけれど、案の定うちのスタッフ達は誰も興味を示さなかった。多分ルックスがさえないからだよなァ・・きっとボクが着ると全然カッコ良く見えなかったんだよ。 
 その、デ・ニーロが着ていたショート・ジャケットが何なのか判明したのは、映画の後、何年か経って「る~ふ」に良く来ていたサープラス好きのお客様と、たまたま「タクシー・ドライバー」の話しをしていたら、そのジャケットの話しになって「アレは大戦中の戦車兵用のモノでベトナム戦で着ていたワケでは無いんだよ。」教えてくれた。 

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 そして、ボクも小さい頃大好きで従兄弟と毎週観ていたテレビドラマ「コンバット」のヘンリー少尉(リック・ジェイソン)も着ていたのが同じジャケットだと教えてくれた。「へェ~!」ってなもんで、ますますそのジャケットが欲しくなってしまったんだよね。(後日「コンバット」の再放送か何かでヘンリー少尉が着ているのを確認出来た時は「やったァ!本当だ・・スゴい」と思った。) 
 ところが、そのお客様はタンク・ジャケットって教えてくれたから、ボクもしばらくそう呼んでいたんだよね。 
 でも気が付いたら周りの仲間達はタンカース・ジャケットまたはタンカースと呼んで居るからボクも慌ててみんなにならってタンカースと呼ぶ事にし、いつかは欲しいなァとぼんやり思っていた。 
 だけどその頃は仲間が言う、原宿の方の古着屋さんに有るらしいとか、いやアレは下北沢だ・・みたいなウワサだけで、タンカースのレプリカを生産しているメーカーなんてまだ無かったと思うから、長いことアメ横に居ながらボクはタンカースを一度も見た事が無かったんだよね。 

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 タンカースのレプリカを手に入れる事が出来たのは、もう少し後の事でAVIREX製のレプリカだった。ところが着てみると脇のポケットが妙に高いポジションに切られているんだよね。あれ?と思い、他のも見たら入荷したモノが全部そうなっているワケ。 
 「これ、間違いなのかなァ?絶対変だよねェ・・デ・ニーロのもこんなだっけ?」などと同僚とも話したりしていたんだけど謎は解けないまま、それはそれとして結構気に入って着ていたんだよ。 
 そしたら何かの時にボクが着ているのを見てサープラスに一応詳しい?先輩が「戦車兵は戦車の中でシートに座ってしまうとポケットが使いにくくなるから高い位置に切って有るんだよ。」教えてくれて「なァるほど~!」なんて思ってしばらく信じて、お客様にもエラそうに言ったりしていたけど、またもやそれも数あるアメ横伝説の1つで真相は違っていたみたいだった。 
 何だか洗車兵に限らずアメリカ陸軍は腰の周囲に付ける装備が有り、それを避ける形で脇ポケットが切って有るのでハイポジションになっていると何かに書いて有ったんだよ。
 AVIREXの間違いでは無かった。 

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 去年か一昨年に公開された映画「フューリー」では、ブラッド・ピットが初期型と言われるパッチポケット仕様のタンカースを着て出て来るけれど、あれ観て初期型タンカースが欲しくなって買ったヒト居るのかなァ?だけど、その後もあんまり街中で見た事は無いからカッコ良く見えなかったのかも。実は、ボクもデザイン的には後期型が好きなんだけどね・・・ 

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 そう言えば、随分後になってから観た映画だけど70年くらいの作品でドイツ軍の隠蔽している金塊を強奪するストーリーが楽しくて気に入っているんだけど「戦略大作戦」の劇中でクリント・イーストウッドもタンカースの後期型を着ていて、何だか悔しいけれどバッチリ似合っているんだよね。ボクが着てもこういうカンジにはならないよ。 

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 そして割りと最近では、(最近でもないか・・)WOWOWでやっていた「バンド オブ ブラザース」の第6話で衛生兵のユージーンを演じたシェーン・テイラーが赤十字の腕章を巻いたタンカースを着ていたのがとても印象的だったよ。ユージーンは人間味が溢れていて、とってもカッコ良かったんだけどストーリーも素晴らし過ぎてね・・少し心に重たかったから2回目がまだ観られないんだよ。 
 ところで、あの#MA-1だってリバイバル・ヒットをしたんだから、このタンカース・ジャケットが陽の目を見る事も、そのうち有るかも知れないよねェ?・・その時には、得意になって言っちゃうんだよ「ボクなんて、昔から着てるよ!カッコいいけど、実はあんまり暖かく無いんだよね~」ってさ。ヤなヤツだ・・・
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