1960年制作の「のっぽ物語」(原題:TALL STORY)というアンソニー・パーキンスが主演した映画を知っているヒトはどのくらい居るのかな?きっと若いヒトは、知っているヒトがほとんど居ないかも知れないね。だけど現在50才代半ば~60才代で、学生時代からVANのアイビー・ファッションにどっぷりと浸かり愛読書は「メンズクラブ」でした・・というヒトは、おそらく当然のようにこの映画のタイトルを知っていると思うんだよね。
だって、当時の「メンクラ」では何かにつけて、本場アイビースタイルのお手本として引き合いに出されていたのが、その「のっぽ物語」という映画と、そしてそれに主演していたアンソニー・パーキンスや「卒業」のダスティン・ホフマンなんかだったもんね。
ボクも高校1年の冬(72年)に買ったアイビー特集号で初めてその「のっぽ物語」という映画のタイトルとアンソニー・パーキンスの存在を知ったんだよ。(黒い表紙が72年、赤いのが73年、そしてモノクロの表紙が65年のアイビー特集号なんだよね。)
おまけに81年のPOPEYEでもやはり同様の紹介記事が載っていたよ。
「卒業」は、68年の公開よりだいぶ遅れて高校生になったばかりの時、二本立て映画館に友達と観に行ってね。最初はダスティン・ホフマンのアイビースタイルを目で追いかけるのに一生懸命で、おまけにキャサリン・ロスが目が大きくてとってもキレイなのと、大好きだったサイモン&ガーファンクルによるサウンドトラックでお腹一杯になっちゃって・・・
それに、まだガキだったからストーリーなんかあんまり良く分からなくてさ。まァ、その後年齢を重ねると共にVHSやDVDでも何度か観ているから、今はあのような「いけない」大人の男女事情も理解出来るようになったけどね。
ところが、「メンクラ」のアイビー特集号が出る度に、必ずアイビーのバイブル的な映画として紹介されている「のっぽ物語」だけは、テレビの洋画番組での放映や京阪神地区での再上映に一度も遭遇(果たして再上映をした事が有ったのだろうか・・)した事が無くて、その後国内ではVHSもDVDも発売されていなかったように思うから、何年もの間ずっと「一度で良いから、観てみたいなァ・・」と、何かの時には思っていたんだよね。
同じアンソニー・パーキンス(通なヒトはトニパキと呼ぶみたいだよ)の作品でもアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」は、後に神戸で観る事が出来てね。だけど初めて見るトニパキは顔がすごく小さくて手足がヒョロ~と長くてコーデュロイ?のアイビースーツを着たりしていたんだけど、ちょっと変質的な役柄のせいか取っ付き難そうで「え?こんな変な感じのヒトなの?」なんて実は、思っていたりもした。
結局そんなこんなで「のっぽ物語」を観る事が出来ないまま何年も過ぎ、数年前のある時にたまたまイラストレーターの綿谷画伯と雑談している時にボクが「ところでさァ、画伯は「のっぽ物語」って観た事ある?」って聞いたら「え?ウソ・・アレ観た事有るの?オレ一度も無いよ・・」って言うから「いやァ、オレも無いんだよ。」
『一回、観てみたいよね~!』思わずユニゾンで発声してしまった。
「ねェ、ひょっとして鈴木晴生さん(注:現在はSHIPSの顧問でボクがとっても尊敬している業界の大重鎮のお一人だよ)が持っていたりするんじゃないの?」「あ~、そうだよね!きっと持っているかも知れない、ちょっと聞いてみようよ。」などと会話が有って、暫く経った或る日その鈴木氏と画伯とボクの3人、晩ゴハンを食べる機会が有ったんだよね。
(画伯は画伯で、若い頃に同じ会社で鈴木氏と一緒に仕事をしていたという事も有って実は結構古いお付き合いなんだそうだよ。右の画像はうちのお店の10周年記念パーティの時の画伯と鈴木氏、そして画伯の師匠の穂積和夫先生もご一緒というかなりレアな写真だね。)
3人で酔っ払って鶏鍋を囲みながら他愛のない雑談を楽しんでいたんだけれど、頃合いを見計らって聞いてみた。「鈴木さんは、まさかトニパキの「のっぽ物語」ってお持ちなんですか?」「あ、持ってますよォ~」「やったァ!」画伯とボクはVサインとハイタッチをしながら鈴木氏に「それ、貸して下さ~い!自分達は、まだ一度も観た事が無いんです・・お願いしまァ~す!」
そして他にもまだボクが長年観る事が出来ないでいる、ポール・ニューマンの「都会のジャングル」だとかジョージ・ハミルトンの「ボーイ・ハント」、トロイ・ドナヒューの「二十歳の火遊び」など、ボクが思い付くまま幾つか並べると見事に全部お持ちなんだよね。「ひえェ~!」って感じだった。
下の画像は少し前に㈱ワールド・フォト・プレスから発刊された「映画の中の"ヴィンテージ・スタイル"」を扱った秀逸なムックなんだけど、巻頭で鈴木晴生氏の取材記事が掲載されているんだよね。
ボクは一緒に掲載されているコレクションに、ただただ唖然とするのみだったよ。
ボクも自称「かなりの洋画フリーク」のつもりだったけど、全く足元にも及ばないと思い知ったね。世の中、上には上がちゃんと居らっしゃるものだ。本当にビックリしたよ・・・
鶏鍋の日から2~3日経って、鈴木氏からうちの会社に段ボールが届き、お願いしていた他の作品と一緒に「のっぽ物語」の、何とVHSが入っていた、それも全部英語のパッケージの本場モノ。当然、字幕なんかも有るワケが無いよねェ・・
「アハハ(汗)そう来たかァ・・」それで、すぐ画伯に電話して
「イエ~ィ!綿さん、「のっぽ」が来たよ!」
「え?ホントに?それで、もう観たの?」
「あのさァ、ちょっと相談なんだけど、ひょっとして画伯ん家はVHS観られるの?」
「観られるワケ無いじゃん。」
「ありゃァ・・うちもプレーヤー壊れたままなんだよねェ・・どうしよ。」
で、仕方が無いので業者さんに持ち込み、DVDに焼くことをお願いし、待つ事1週間足らず。
そしてめでたく連絡が有り、引き取りに行って、その日の仕事の帰りに隣の町内の画伯の家に寄って1枚届け、ようやくボクも長年の夢だった「のっぽ物語」をやっとこさ観る事が出来た。字幕が無い分、映像に集中出来るという事もあらためて再認識出来たけれど、ストーリー展開に付いては今だにあんまり良く分かっていないんだよね。だって、英語じゃ何を言っているんだか分かんないんだもん。
だから内容に付いては、詳しい方があちこちで書かれているので差し控えるけれど、ボクの目が釘付けになったのは、まずタイトル曲のクレジットがボビー・ダーリンだった事。オールディーズが大好きなボクのお気に入り曲"MACK THE KNIFE"を唄ったシンガーだもんね。まさか、タイトル曲を唄っているとは全然知らなかったんだよね。嬉しくなっちゃった。
それともう一つ、実はCONVERSEのキャンバスALL STARの登場だったんだよね。メンクラでは、シアサッカーのジャケットやボクも好きなレタードカーディガン姿のスチル写真ばかりが紹介されていたから、ALL STARが出て来るとは全く知らなくてさ。
日本で半世紀以上前の公開当時、ジェーン・フォンダをはじめとして初めて見るピチピチのチア・リーダーの女のコ達に度肝を抜かれながらスクリーンを凝視し続け、そしてこの星のマークのバッシューに気が付いた日本人は果たして何人居たんだろうね。でも見つけたヒトはきっと、「カッコいい!!欲しい~!」(あ、女のコじゃ無くて、バッシューの方ね)と思ったんだろうなァ。
今や時代も変わって、CONVERSEのバッシューくらいあちこちで普通に買えるようになったけどね・・・
「のっぽ物語」・・・最初に知った時から何と40年以上の歳月が経っていたよ。