「70年代には渋谷PARCOでSEARSが買えたんだよ」

「70年代には渋谷PARCOでSEARSが買えたんだよ」

いつも工事中の渋谷・・・駅の移転に伴う迷路のような地下街、新しい高層ビルや商業施設、そして消えて行く懐かしいお店や昭和の香り漂う街角。おかげで、ボクなんかしょっちゅう地下で迷子になっているよ、年寄りはヤだねェ~。だけどこの先、渋谷という街は一体どうなって行くんだろうねェ・・・スクランブル交差点の信号を待ちながら、随分昔に同じ場所に立って居た事を思い出していた。

高3の時に受験で東京に来た時、東京に暫く住んでいたという先輩から渋谷駅で売っている「くず餅」というのを買って来て欲しいと言われ、帰る日に生まれて初めて渋谷に行く事になったんだよね。小学生の時「ハチ公物語」を読んだ事が有るから駅名だけは知っていて、すご~い!渋谷だァ!ってなもんで、何だか意味も無くワクワクしてさ・・それでアメ横で買い物をした後、地下鉄で渋谷に向かったんだよ。

ところが、いざ着いてみると地下鉄の銀座線の駅があんなに高い所に有るなんて知らなかったから電車から降りたあと地上に出る階段を探してウロウロしながら正直ちょっと焦ったんだよ。地上の国鉄の駅に行くのにどうして下りる階段しか無いんだろうと思ってさ。

で、不安を抱えたままみんなにゾロゾロとついて階段を下りて行ったらようやくカラクリの謎も解け「こんなもん地下鉄ちゃうやん、空中鉄やで」と心の中で思いながらも、やっぱり東京は何だかスゴいなァ・・と妙に感心し、京都に帰ってからも友達には必ず自慢げに渋谷の「空中鉄」の話しをするという関西の田舎モンぶりを思い切り発揮していた。

そうこうしながら国鉄の渋谷駅に辿り着いたボクは、まず「くず餅」屋さんの場所を確認し、そしてお約束の「ハチ公像」を見に行ったんだよね。「ハチ公物語」の本に載っていた白黒写真と全く同じだったけど思っていたよりも立派だった。そして「ハチ公」を撫で回した後、駅前から交差点を渡って歩き始め坂道を上がって行ったらいきなりPARCOが出現した。パルコ初見参だった。

 

1階の雑貨屋さんでカラフルなフランス製のライターとか細々としたものを友達へのお土産として幾つか買ったけれど、渋谷で他に見るべき所も全然知らなかったので結局駅の方に戻り、駅前に有った「NOW」というVANショップ(一番右の画像で看板が付いている。現在はセンター街入り口の本屋さんになっている所ね)に立ち寄ってみたんだよね。でもMr.VANのコンチ(注:コンチネンタル・ルックの事でアイビーの対極に定義されたヨーロピアンスタイル。他にはEDWARDSやJUN、PLAYLORD等が有名だったと思う)の商品ばっかりだったからガッカリして早々に引き上げた後、先輩の「くず餅」だけは忘れずに買って、そして今度は国電で東京駅に向かった。

その後、東京に出て来てあちこち出歩くようになって、時には渋谷へも行くようになったんだよ。(注:毎回アメ横にばかり行っていた訳でも無いからね)そして立ち回り先も幾つか出来た。

今も時々ゴハンを食べに行く台湾料理店「麗郷」の向かいの袋小路を入った奥の右側に有った「さかえ屋」はバイト先の先輩に初めて連れて行ってもらった店でPXからの流出品やその他のアメリカ製品(アメ横と同じモノも見かける事が有った)と何故か時々輸入盤の中古レコードが段ボール箱にバサバサと突っ込んで売られている事が有ってそれも結構お目当てだった。

「さかえ屋」は店の奥にあるテレビでアメフト観戦を始めたら客の相手をしなくなるというオバハンと、時々双子のようなオッサン達が取り巻き連中と一緒にコップ酒を飲みながら店番をしているという結構ワイルドなお店だった。

そして向かいには似たような佇まいの「みどり屋」というお店が有ってラベルカットした訳アリ(安い!)のLeeやLEVI’S、中古の革ジャンやコンポラスーツ等を売っていた・・・と思うけど記憶が両店で少しごっちゃになっているかも知れない。

 

そして伝説の「ミウラ&サンズ」が暫く後にその「麗郷」の脇の階段を上った左側にオープンしたんだけど下北沢の「る~ふ」を想像して同じような支店だろうと思っていたら、アメ横の「ミウラ」を遥かに超えた商品量にびっくりして、即座にボクの渋谷周回コースに組み込まれた。

そこには元々アメ横の「ミウラ」に居てちょっとだけ顔見知りのスタッフの人も居たんだけど、パッション溢れる攻撃的な接客には更に磨きがかかっていてバンダナ1枚買うのにもやっぱり勇気が必要なお店だった。

更に消防署の向かいに有った(後のファイアー通り)「文化屋雑貨店」もかなり楽しいお店で、行くと何か買っていた。全く役に立たないけどデザインが気に入ったアメリカ製のネズミ捕りとかインチ目盛りの定規、そしてカッコいい横文字のプリントが入った灰皿や用途不明のでっかい木製の洗濯バサミなんかを買った事が有るよ。ミッキーのオイルライターを見付けた時はすごく嬉しかったのを思い出したけど結局何かの時に無くしちゃった。

バイト先で知り合った輸入物好きの友達と渋谷に行く時はよく買い物の後でPARCOの向かい側の並びに有った「時間割」とかライブハウスの「ジャンジャン」の斜め前のビルの2階に有った「Tea For Two」なんかでコーヒーを飲みながら買って来たものをお互いに袋から出して品評会をするのが常だった。

そしてその友達が後に見つけて来たんだけど、丸井の前のビルの5階くらいに「天城」という喫茶店が有って、ここはコーヒー1杯でトーストが食べ放題という、いつも余りお金を持っていないボク達には時にとても有難く心強いお店だった。

そしてそいつから教えてもらったのがPARCOの5階に有ったSEARSだった。余り広くも無い売り場だったけどバラバラと並べられた家庭用品や雑貨に混じって少しだけ洋服やCONVERSE製の“WINNER”というスニーカーなどが置いてあって友達がそれを買ったんだよ。キャンバス製でサイドに4本ラインが入っていて、ちょっと見ADIDASみたいに見える(4本線の間に3本見える)から、ボクは帰りに寄った喫茶店で「アディバース」と名付けて、そいつを茶化していた。

 

そしてボクが買ったのが1冊1000円で売られていたSEARSのカタログだった。この手のカタログは高校の同級生が何度か学校に持って来た事が有ってアメリカ人の生活が詰まっているのは知っていたからPARCOで見つけた時は嬉しくってね。

早速喫茶店で眺めていたら、やっぱりそこには現在進行形のアメリカがぎっしり詰まっていたんだよ。(ボクは利用した事が無いけれど、確かPARCOのSEARSではカタログから注文して1点でも輸入をしてくれるというサービスだった。)

最初にメンズファッションのページを見始めたんだけど、いわゆるブランド物のトレンドアイテムが並ぶファッション誌ではなくアメリカ人が普段に着ているような言わば量産品を網羅しただけのカタログなのにカッコいいアイテムがいっぱい載っていて見ているだけで興奮していた。そしてプライスを見ては300円位を掛けて心の中で「いいなァ・・・全色欲しいな」などと友達を無視して独り言を言っていた。そして当たり前だけど自転車やギター、家電も食器も何もかもが本物のアメリカンだった。

その頃は本当に本場の情報に飢えていたから家でも時間が有るとジャンル問わずほとんどのページを何度も食い入るように見ていたと思う。だけど教科書にもそれくらいエネルギーを注いでいれば、もっとマシな人生になったんだろうなァ・・・たぶん。

その後SEARSのカタログは1~2度買いに行ったように思うけど、ある時に先輩が教えてくれたのは、そういったカタログの古本を手に入れる方法だった。神保町の靖国通り沿いに「東京泰文社」という洋書専門の古書店が有って、話しかけてはいけないようなムードのオジサンがいつも奥に座っていたお店だった。

そこではSEARSやJ.C.PENNYなどのカタログが入り口近くに積んであって500円もしないくらいで買う事が出来たんだよ。60年代の古いモノも時々見つかったりするし、他にL.L.BeanやEddie Bauerなどもたまに見つける事が出来た。だから行くと必ず何冊か買っちゃって一時は結構な数が家に積まれていたんだよ。

ところが安く買った古本だからと思って気にせず仕事場に持って行ったり友達に貸したりすると大概戻って来ない事も多く、気が付いたら手元には何冊も残っていなかった。

 

最近は取材等で話しをする際にも感じるんだけど、ボク自身はファッションを60年代とか70年代という10年刻みで分類する事は基本的に無理が有るとずっと思っていて、せめて前半頃とか中頃とか終盤頃などともう少し細かく分類して説明した方が絶対に分かり易いと思っている。

良く言う70年代っぽいテイストって言っても71年と79年では全く別物だと思うし、少なくとも自分自身の中では大阪万博の開催された70年や71年頃、関西では第2期アイビーブームとも言われていた時だと思うし事実ボクはVANやKentを着ているアイビー少年だった。そして79年ボクはアメ横に居てプレッピーブームのど真ん中だった。だからボクに取っての70年代はアイビーに始まってアイビーに終わったという単純な言い方なんだけど、実際は73年辺りから輸入物に目覚め、ガラパゴス的にそのあとの5年間くらいが激しくジグザグに変化をして行った時代だったんだよね。

まァそんなような話しをする際に本場アメリカの流れを辿る事が出来るSEARSのカタログは、ある意味格好の資料のはずなんだよ。

ちゃんと年号が書いて有って、その年のシーズンごとのファッション提案(量産される普及品だけど)が網羅されているんだからね。そして靴のデザインの変遷やパンツのシルエットや素材の変化、タイの幅やシャツの衿の大きさでさえ変化が有って、今パラパラと眺めていてもついつい時間を忘れてしまうよ。

だけど今は年号が飛び飛びだから結局ちゃんと繋がっていなくてね。もっと大切にしておけば良かった・・・失敗しちゃったね、もう遅いけど。

ボク自身がお気に入りの1964年カタログから少し紹介してみるね。前回の東京オリンピックの年(昭和39年)で56年前だよ・・・ボクはまだハナを垂らした小生意気な小学生だった。その年はボクの地元が観光地だった事も有って開通したばかりの東海道新幹線に乗って来たアメリカ人?を近所で良く見かけたけれど、こういう格好をしていたんだろうかね・・・(注:当時のボク達の感覚では舶来品と言えばアメリカ製品で外車と言えばアメ車。外国人と言えばアメリカ人という、とても単純な時代だった)

今でも全く問題無く通用するカッコ良さだと思うし、女の子もカワイイよねェ。