とうとう発売されてしまった!(冷や汗・・・)

とうとう発売されてしまった!(冷や汗・・・)

 何かブログを中断してから随分と時間が空いちゃったねェ。長い間すみません!皆さん本当にご無沙汰しちゃいました。

 いやはや初めての経験とはいえ本一冊を出すのに想定外の苦労をしました。何がって、元々国語の成績は悪かった(国語に限らずだけど)上にちゃんとした原稿を書く仕事なんて人生の今まで一度もやった事が無かったからねェ。だから最初㈱光文社さんからお話しを頂いた時には簡単にあのブログをコピペしてそのまま本になるんだと思っていて「やった~!楽勝だね・・・早く出ないかな~」なんて簡単に考えていたら現実はそんなに甘いもんじゃ無かったよ。と、言うか世の中を知らな過ぎたんだよね。

 確かに考えてみたらボクが書いていたブログは、どう考えても文章自体がヒドいし言葉遣いも乱暴で写真なんか超テキトーだから、そりゃァ天下の㈱光文社さんが、それをそのまま本にして世の中に出そうとするワケが無いよねェ?ってな事で基本的には写真を全部プロのカメラマンさんに撮り直しをしてもらって、そして原稿は残念ながら誰も手伝ってくれないから原文の使える所は無理やり残しながらもかなりの部分を自分で書き直しをするハメになっちゃった。ところがギリギリのスケジュールの中、担当の方がなかなかOKを出してくれない事も多くてねェ・・・。使っちゃいけない言葉とか表現も有ってさ、何回も書き直しをしながら一時は半分眠りながら夜中や明け方にキーボードをパチパチやってたよ。

 だけどいざ終わってみたら、何か達成感みたいなのが有ってね。振り返ってみれば割と楽しく書けた時も有って、とってもいい経験をさせて頂いた。所々書き直しを繰り返した結果、自分の書いた文章じゃ無いみたいなところも有るけど仕方が無いよね。元々文章力が有るワケじゃ無いし、ましてや独自の文体やスタイルが有るワケでも無かったからね。だけど書籍になって世の中に出て書店に並ぶという事はそういう事なんだと今回大いに勉強をさせてもらった。本当にこんな機会を与えて頂いて自分は何て幸運なヤツなんだろうかと思っている。

 ところがどうしてもひとつだけ悔やまれる事が有ってね。せっかく75年当時のモノも有って、絶対に写真を載せたかったアイテムだったのに色々と大人の事情が有って載せる事が出来なかったモノが有るんだよね。だからこのブログであらためて紹介する事にしたよ。きっとこういうのが本当の意味での超B級アイテムだと思うんだよね。

MICKY BELT.jpg

 だけどこの手のモノは本当に取り扱いが難しいんだって・・・ボクがこのアイテムの掲載について何か言いかけた時も担当の方は議論を先回りして「玉木さんが何と言おうが㈱光文社的に断じてNGです。アハハ、絶対にコイツはダメですからねェ~」「え~、どうしてェ?」「だって、ほらァ・・・怪しいじゃないですかァ~」だってさ、残念だった。当時を語る上でアイコン的なアイテムでもあるのにねェ。あの頃る~ふで5,800円もしたんだよ。

 そんなこんなで今回とてもお世話になった㈱光文社のご担当をして頂いた方は平山さんと仰って、何も知らなかったボクは本当に短期間の間に出版に関する色々な事を教わったんだよ。まァ、ド素人のボクをある時はおだてたり、そして時になだめたりと様々な陽動作戦に陥れて(苦笑)ついに最後まで原稿を書かせちゃったんだもんね、ともあれ本当に有難うございました。滅多に無いような体験をさせてもらったのに様々な面倒を掛けちゃったからごめんね。

 この平山さん、ボクより年齢はほんの少しだけ若いんだけど実は元「JJ」の名物編集者だった方なんだよね。最初は知らなかったんだけど、途中で話しを聞いて「へ~!」ってなもんだった。おまけに学生の頃からアメ横に入り浸っていて、同級生が守屋商店やミウラでバイトをしていた事もあって結構当時のアメ横に詳しいんだよ。

 そしてBARACUTAの話しのところに、ちょうど80年の「JJ」に掲載されたる~ふの取材記事が載っているんだけどこれは㈱光文社の持出厳禁の社内資料として保管してあった膨大な量の「JJ」の中から探し出してくれたページなんだよ。掲載時期等についてもボクは何となくボンヤリとしか記憶が無かったんだけど、実は何を隠そう後で分かったら平山さんがまだ新入社員時代にその時の「JJ」編集部で、その「アメ横特集」の担当編集者だったというオチが付いていたんだよ。だから探す時に何となく狙いが付いていたのかなァ。だけどあの山のような資料の中から本当に良く見つけたよねェ、ビックリしたよ。長い事生きていると色んな事があるけど、こういうのもヒトとの縁だよねェ・・・ホントに。感動的だったよ。

 そのほか、本当に色々な方にお世話になった。元SHIPSのファッション番長、「キューピーくん」こと中澤芳之さん、当時のアメ横の話しをして居る時はいつも懐かしさでいっぱいだよ。本当にボク達はあの頃何もかもが楽しくて、そしてお互いにまだ若かったよね。

 そして綿谷画伯と「フントニモー」のいであつしくんもボク達の依頼に二つ返事で引き受けてくれて最高に楽しい鼎談の原稿にしてくれたしね。

 また業界の黎明期を知る数少ない重鎮でボクのアメ横時代からの大先輩、土屋正彦さんにはとっても貴重な当時の「お宝」を快くお貸し頂いた。初めてお目に掛かった時から数えてあと何年かでそろそろ40周年を迎えるんだよ。だけど、いつも本当にカッコ良くて時折シャレで見せてくれるスタイリングではKENNINGTONの所に書いたけど、そのヒネリの効いた70年代スタイルに「本日も参りましたァ~、アハハ・・・降参!あれ~・・許して~ぶたないで~!」ってなカンジで本当にいつも有難うございます。

 他にも、当時隣のミウラのスタッフで毎朝アメ横のヒビ割れだらけのコンクリート通路の掃除をボクと一緒にやっていた面来洋行さん、そしてる~ふの後輩の三上哲生くんも含め本当に色々な方のご好意を頂きました。そして何よりもこの本の完成を応援し、心から楽しみにして頂いた方々にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。

 皆さん本当に有難うございました。繰り返しますけど、ボクは本当にラッキーなヤツです。