むかし、むかし、そのむかし メンクラは・・・

むかし、むかし、そのむかし メンクラは・・・

 ここ何日か、少し時間があるとつい眺め入ってしまうのが古いメンクラなんだよね。

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 実は、ボクやうちのスタッフ達がいつも社員食堂みたいに使わせて頂いている三茶イタリアンの名店「イルピアット・カチャトラ」のオーナーシェフ「カドハマさん」にお願いしてドサッとお借りして来たものなんだよ。(そろそろお返ししなくちゃいけないんだよね・・汗)伺ったところによると、最近ちょっとした縁が有ってまとめて入手する事が出来たんだって。正直言ってかなり驚いたんだよね・・初めて見たよ。半生記以上前の雑誌、それもメンクラだよってなもんで一般的な価値は、まァ・・確かに古雑誌だったりするのかも知れないけれどボク達みたいなメンズアパレルの業界に長く居る者に取っては計り知れない程の希少な、そして相当貴重な情報価値が有るモノだと思うもんね。 

 「イルピアット」・・ボク達、いつもいきなりドヤドヤと押しかけて行ってあれこれ食い散らかして帰るんだけど、お料理はシェフのお人柄そのもののとってもハートフルな美味しいお店で我々の業界にもここのお店のファンの方がスゴく多いんだよ。ハウスカードもセンスが良くてスゴくオシャレだよねェ、ボクこういう画風も大好きだなァ。

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 あ、そうそう、このイラストは”AMERICAN TRAD HANDBOOK”でもお馴染み、現在超売れっ子のイラストレーター「ソリマチアキラさん」の手によるモノなんだよね。 

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 そうそう「イルピアット」の店内の壁にはこのハウスカードの原画が飾ってあって、そしてソリマチさん直筆のサインも有るんだよ・・おっと、その左側には綿谷画伯が・・(笑)

 他にもアパレル業界等を中心にメディアや雑誌で著名な方やタレントさんのサインが紹介しきれないくらい店内の壁にびっしりと書かれていて、それだけでも一見の価値が有ると思うよ。因みに綿谷画伯のサインはトイレの入り口の脇というなかなかに鋭く計算された小粋なポジション、そしてその隣をバッチリ狙った巧者のソリマチさん・・おまけに右隣りは政近準子さんだよ・・なかなかに考えたねェ!なんて、そんなワケは無いか。 

 ところで今回お借りしてきたメンクラ、この中でも古株の第10集、1958年だってさ。スゴいよね、56年前だ。その時ボクはまだ3才だよ。おまけに表紙が何と石原裕次郎だもんね。おまけに中面に登場する専属モデルは菅原文太だし・・驚きを超越して何だか手を合わせて拝んでしまっちゃいそうだったよね。

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 ボクは、今までにも色々な所で「昭和のアイビー事情」を語る際には事ある毎に「昔のメンクラでは・・」なんて言う言い方をしていたんだけど、本当は昔先輩の家に有った65、66年辺りくらいからしか知らなくて、こんなに初期の時代のメンクラを何冊も見る事が出来たのは今回が初めての事だったんだよね。 

 実はボクの手元には前にメンクラの付録だった創刊号からの表紙を並べてあるポスターが今でも有って、それぞれの号の表紙は何となく認識していてね。だからずっと前から、もし機会が有れば何としてでも中味を見てみたいものだと思っていたんだけれど、ようやくこの年齢になって思いが叶う事になったんだよ。シェフから最初話しを聞いた時はあんまり嬉しくて、興奮して声が裏返しになっちゃったんだもんね。 

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 当時のメンクラ、どれもこれも内容はとても興味深いものだった。これまでボクは遡れば遡る程にメンクラはアイビー一辺倒だと思っていたんだけど実際は少し違っていてね、アイビーというスタイリングは他に当時の呼び方でトランス・アメリカンやコンチネンタル、そしてアンバサダーなど様々なスタイリングと一緒に紹介される中の一つのカテゴリーとして扱われている事も多く、VANの商品も紹介はされているんだけどアイビーっぽく無いアイテムが数多く存在していたのが目からウロコの大発見だった。このVANのオープンシャツが1000円だってさ・・ 

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 そう言えば前に穂積先生とお茶を飲んで話している時に先生は「石津さんの始めたVANの服、最初の頃は新劇の俳優さん達が好んで着るようなちょっと尖ったファッションで全然アイビーじゃ無かったんだよ。でもその頃はアイビー自体が何だか誰も良く分かってもいなかったからね。」って仰っていた。

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 確かに11集夏号の表紙なんか見ると56年前の58年にこの格好だよ。かなりヤバいよね・・リゾートスタイルとは言え、新劇の俳優さんと言うよりどう見てもそこいらの遊び人だもんね。きっと当時うちの近所にこんなヤツが居たりしたら絶対いけないウワサが立っちゃったかも知れないよ。だけど現実的には当時メンクラには何人くらいの読者が居たんだろうかね?この本を買ったヒトがどんなハイカラな人種だったのか・・すごく知りたい。 

 ところでVANがアイビーに徐々に変化し始めて行ったきっかけは当時まだ一般的には入手が困難だったアメリカの”MEN’S WEAR”を定期購読していた穂積先生が、そこで紹介されているアイビーファッションに目を付け「これからはこのアイビースタイルがカッコいい!」と当初よりメンクラにイラストを描いていたのが縁でVANの石津先生に持ち込んだ・・というのが真相のようだった。因みにアイビーの教祖様くろすとしゆき先生は最初穂積先生の教えるスタイル画講座の生徒さんで、そこで互いに服好きが分かり意気投合し行動を共にするようになったんだって。更には最初くろす先生にアイビーの細かいディテールを絵解きしながらレクチャーをしたのが穂積先生だったと、とっても貴重なお話しを伺う事が出来たんだよね。もう、どれもこれも昭和の伝説・・感動してしまったよ。 

 メンクラは56年の第6集で「アイビー・ルック」特集を組んだのを皮切りに徐々に「アイビーのメンクラ」の体を成して行ったみたいだった。そして63年には最初の「アイビー特集号」と銘打った33集が発刊され、それが後のメンクラの立ち位置を決定したんだね。

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 せっかくなので特に興味深かった部分をあれもこれもと、ここで紹介したいと思うんだけどスペースの都合が有るから幾つか選んでみたよ。 

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 まず27集と書かれた62年の春号には「アイビーのすべて」っていう特集が組まれていてここに貴重なカラー写真の見開きが有るんだけど、どう?50年以上前のファッションカットだと思えないよね?

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 右側は基本に忠実なヘリンボーンのアイビーモデルのスリーピース。古さが全く感じられないのがスゴい事だよね。傍らにはコットンギャバジンと思しき素材のVANのバルカラーコート。一方左側は2トーンジャケットにボタンダウン、オフホワイトのコットンパンツ、そしてハイカットのバッシュー。そしてカレッジストライプのマフラー。昭和37年も52年後の今も基本は変わっていないんだよね。ただただ驚くばかりだよ。

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32集は63年の夏号。これを見てボクは今回腰を抜かす程驚いちゃった記事を見付けたんだよね。

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 何と現在もボクの定番、ピケ素材のWHITE LEVI’Sの紹介記事が有ったんだよ。まだ当然直輸入物の時代で因みに表記は「リバイズ」だってさ。おまけにボクが自分の本でも書いたけどWHITE LEVI’Sのキャペーンソング♪WHITE LEVI’S♪の初めて見るレコジャケが紹介されていて更には唄っていたグループが女の子の4人組「Majoretters」だと今回初めて知る事になったんだよね。ボクそこまで知らなかったから、もうビックリだった。 

 そして更に左側のモデルのトップスが何とこれもボクのお気に入り、MUNSINGWEARのポロシャツなんだよね。㈱デサントさんがMUNSINGWEARとの契約をスタートしたのがこの号が出た翌年の64年だから、これも完全に直輸入品だろうと思うけど、やっぱりアメ横で買ったんだろうか、いやァ・・参っちゃったねェ・・「何だ、このペンギンのマークは?」とか言って気が付いたヒト何人居たんだろうね。第一「マンシングのポロシャツ」なんて何人くらいのヒトが知っていたんだろうね。興味の無いヒトには、それがどうした?みたいな話しだろうけどボクはブッ飛んだよ。50年前に一体どれくらいの読者がこれを真剣に読んで認識したんだろうかと思って想像すると楽しくなっちゃうよね。 

 そして今でもボクはWHITE LEVI’SとMUNSINGWEARのポロシャツの組み合わせという日が普通に有るよ・・それこそが本当に素晴らしい事だと思うんだよね。 

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 記事の中に写真が無いから説明が難しいけど20集は60年の春号。アメ横に関する記事が有ったよ。「国電の御徒町駅」だってさ!若いヒト分かるかなァ・・JRがまだ国鉄と呼ばれていた時代だね。因みにJRでは国電を「E電」と名付けて愛称にしようとして大々的にキャンペーンをやり、ものの見事に浸透しなくて大失敗した事が有ったんだよ。「イーデン」ねェ・・やっぱ少し違和感あるなァ・・

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 ところで内容はどうしてアメ横には舶来品(死語?・・輸入品)が集まるのか、どういうルートを辿るのか、そのからくりは?税関の抜き打ち手入れの事や、安いヤミ値の納税証紙が有って・・などと結構詳しく触れて有って、読んでいて楽しくなっちゃった。昔アメ横の長老から聞いていた話しだよ。当然、ボクが居た70年代なんかよりもっと以前のアメ横はそれこそお金さえ有れば何でも手に入るという宝の山だったみたいだよ。是非行ってみたかったなァ。 

 そして更にアメリカのセコハン(SECOND HAND 死語・・中古)衣料の流通に付いても触れてあってね。売っている場所が渋谷の百軒店の店なんて書いてあるから、あァこれは後に「ミウラ」が「MIURA&SONS」を出した場所の階段の下の「麗鄕」の前の袋小路を入った右側の「さかえや」左側の「みどりや」の事だろうなァなんて懐かしく思ったよ。

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 29集は62年の秋号。ここで見つけたのは何とBROOKS BROTHERSの紹介記事。これもビックリしたよ。50年も前に、もうブルックスの紹介記事が有ったなんてメンクラはやっぱり先見の明が有ると言うか、スゴいの一言だよ。

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 今ではアメリカも随分近くなったけど、ボクが初めて行った頃だってそりゃアメリカに行くと言うだけで周囲は大変な騒ぎだったから62年当時の感覚からするとアメリカって遥か彼方の宇宙旅行に行くくらいの感覚だったんじゃ無いのかなァ。 

 そして記事の内容がふるっているんだよね。ブルックスの洋服は30年は変わらない、だとかアメリカへの入国の際の税関検査はトランクを開けた一番上にブルックスのシャツを何枚かバサッと入れて置けば、それが身元の確かさの証明になってすぐパスしてくれるだとか書いてあるワケ。この頃から既にブルックスの神格化が始まっていたという事なんだよね。参りました!って感じだもんね。 

 本当はもっといっぱい興味深い特集や記事が有ったんだけど、また何かの機会にここで紹介するね。あれもこれもと結構な量の画像を撮っておいたから。 

 メンクラは1954年の創刊だという事だから、今年で何と60周年だよ。だけど現在もちゃんと書店に並びメンズ誌の長老として様々なファッションやライフスタイル情報を発信し続けてくれている事実がやっぱりスゴいよね。確かに現在は感覚的に別テイストのメディアにはなっちゃったけど、ボク達の昭和の時代・・VANのアイビー、そしてメンクラの神格化されたバイブル的存在とその洗脳教育?によって見事に信者さんとなり、人生を変えられてしまったのは多分ボク一人だけじゃ無くてボク達の業界に君臨する?長老達の中にもいっぱい居るんだろうなァ・・。