あの頃は、基本的にカッコいいモノが無かったんだよねェ・・
- 2014.08.31
- 玉木朗の超B級アーカイブ
今はいいよねェ、何がって・・・バッグの話しね。ブランドもアイテムもありとあらゆるカッコいいのが一杯有るからスタイリングや用途に合わせて選び放題だもんね。
ちょうど高校生になった頃ね、私服通学がメチャクチャ嬉しくてさ・・・毎日寝る前に次の日着て行くアイテムを考えていたよ。ところがね、困った事に学校に持って行くカッコいいバッグを持って無かったんだよね。中学の時は制服だったし、通学バッグだって黒い合皮の醜悪なヤツを持たされていて、とにかくスゴく嫌だった。
ところが高校に入って「やった~、アイビーで学校に行ける!」なんて思った途端、通学バッグに困っちゃってね。だから最初は仕方が無いから父親が時々使っていた小型のボストンバッグみたいなのを内緒でちょいと拝借して持って行く事にした。恐らく安物だったけど部分的に怪しいタータンチェックみたいな柄が使って有って、かなり無理して言えば家中で一番アイビーっぽいテイストのバッグだったんだよね。でもタバコ臭くて、中なんかショートピースの粉だらけだったから裏返しにして干して、一応叩いてキレイにしてさ。
多分それを暫く使っていたと思うんだけど、何かアイビーっぽいカッコいい新しいのがずっと欲しくってね。だけど行きつけのショップに行っても、KENTのコーナーにディスプレイしてある007のジェームズ・ボンドみたいなアタッシュケースだとか旅行バッグみたいなデカいのしか売って無いしデザインだって正直言ってあんまり好きになれなかったんだよね。アイビー好きの仲良し悪ガキ連中もスチールの赤い工具ケースにVANのステッカーを貼って使っているヤツ以外は、みんな本当に超適当だった。
第一、TAKE IVYを見ても写っているアチラの学生達はキャンパスの中だからほとんど本をハダカで抱えているだけだし、かと言って日本の高校の教科書なんてハダカで持つには余りにもルックス的に最低だったしさ。当然メンクラの「アイビー特集号」を見たりしても通学やカジュアルに持てるバッグの紹介や定義なんて、ほとんどなされていなかったから結局どういうバッグならカッコいいのかも全然分からなかったんだよね。あ、そうそうメンクラ見てブックバンド(みんな知ってるかなァ?)を買って時々使っていた事も有るよ。
そんなある日、友達が新しいバッグを持って来てさ。ネイビーカラーのスポーツバッグで何と英語で”MADISON SQUARE GARDEN”って書いてあるんだよ。ボクは6年生くらいの時からプロレスが好きだったから「ゴング」とか読んでいてね、すぐピンと来て「スゴい!ブルーノ・サンマルチノやペドロ・モラレスが出ているニューヨークのWWWFの総本山だ!」ってなもんで、その時は咄嗟にアメリカ製の輸入バッグだと一瞬思い込んじゃったんだよね。ところが友達に値段を聞いたら「え?そんなので買えるの?」って言う位高いモノでは無かった。
友達が買ったと言うお店の大体の場所を聞いてすぐに買いに行ったらね、京都市内の四条に有る寺町通りだか新京極辺りの全然普通の「カバン屋さん」なの。店頭に様々なカバンがドヤっと積み上げられて居て、軒下からもヒモで繋いだカバンがぶら下がっていてさ、果たしてその「マジソンバッグ」もその中の一番目立つ所にくっついていたんだよね。「あれれ、コレひょっとして日本製なの?・・・」などと思いながらもデザインが気に入っていたから早速買って来ちゃった。
それから、その「マジソンバッグ」は結構な期間をボクと共に過ごしたんだけど、その間に持ち始めるヤツが増えて来て、学校中で色んなヤツが持ち歩くちょっとしたローカルブームになっていたよ。
ところが「マジソンバッグ」、ボクにとっては、ちょっとサイズがデカいという難点が有ったんだよね。だからTAKE IVYと2,3冊の教科書しか持って行かない土曜日に、ブックバンドじゃない時は「みゆき族」のお兄さん達みたいに行きつけのショップの紙袋に入れて抱えて持って行っていたんだよ。その紙袋も急な雨で濡れたり、スリ切れて破れないようにSPALDINGのスウェットが入っていたビニール袋を外側に被せてカバーにするという涙ぐましい努力をしていた。
そんなこんなで3年の頃だったかな?母親が仕事でハワイに行った事が有ってね、少しアイビーから気持ちが離れ始めてニューアメリカンスタイルを目指していたボクは、ここぞとばかりにCONVERSEやKEDSを始めSWEATやTシャツなんかをあれこれ頼んだんだけど、それとは別にお土産に沢山のチョコレートやそして「洋モク」のカートンなんかをみんなのお土産に持って帰って来たんだよね。そしたら免税店でカートンを複数買いするともれなく付いて来るプレミアムの塩化ビニール製でLARKやMARLBOROのデカいロゴが入った小型の手提げバッグが付いているのを見つけちゃってね。またそれがやたらにカッコいいんだよ。プレミアムの言わばおまけグッズとは言え、やっぱりテイストはバリバリにアメリカンしていてさ。で、結局2つ共頂いて自分のモノにしてしまった。
本当にカッコ良かったよ、おまけに文字という文字が当たり前だけど全部英語で書いてあるから友達も欲しがっちゃってね。”DUTY FREE”なんて書いてあってもほとんど悪ガキ連中は意味なんて分からないから「全部英語?カッコいいっ!」ってなもんだった。実は今考えてみたら、それがボクが一番最初に手にした「インポートのバッグ」と言えば、間違い無くそうだったよ。
上京してからも暫くその「洋モクバッグ」や神戸の骨董屋さんで買った中古のレザーのショルダーバッグなんかを使っていたんだけど、ある時発刊されたばかりの「MADE IN USAカタログ」を見ていたらバックパッキング・ギアの紹介ページが有ってデイパックが載っていたんだよね。確かにアメ横でも、それらしいアメリカンな格好をして持っていたヒトの記憶が有って最初は「え?リュック?子供の遠足みたい・・」って、かなり違和感を覚えたんだけど、何か友達も買うって言うし、結局ボクも欲しくなってバイト代が出るのを待って友達と一緒に買いに行ったんだよね。
ところが、アメ横に行ってみたらSIERRAとかKELTYとか思っていたより全然値段が高いんだよ。で、結局ビビってバッグじゃ無い他のモノを買って来ちゃった。それで結局ボクがグリーンのデイパックを買えたのは、何だかんだでそれから1年以上経ってからだったと思うんだよ。画像のオレンジのデイトリッパーは、かなり年期が入ってるけど実は長いこと友達から借りっぱなしのヤツだったよ。(一体、何年借りたままなんだよって・・・)
その頃にはデイパックもアメ横辺りに行くと「ミウラ」や「る~ふ」だけで無く、ようやく周辺の登山用品のお店やスポーツショップに国産モノなんかも登場して様々なブランドが並ぶようになっていたんだよね。ところがこの「デイパック」という名称がまだまだ正しく浸透していなかったんだろうね、「デーバッグ」「D-BAG」などはまだ惜しい方で、もっと怪しい名称を書いたPOPがあちらこちらで横行していたよ。中でもボクは「ヤンキーリュック」が一番気に入った呼び名だった。あれは、どこのお店だったんだっけね?
でも信じられないかも知れないけど、実際にボク達は75年くらいまで、デイパックもトートバッグも存在すら知らなかったんだよ。
ちょうどそれくらいの頃だったのかな?”POPEYE”が創刊されて、それまでアメリカンを気取っていた尖った連中がみんな西海岸スタイルにどんどん変わって行った時期でね。アイテムでは、とりわけボクの中ではラグジャーがカッコ良くて、実はソレ風のNORMANの太いボーダーのポロシャツにコーデュロイのブッシュパンツ、そしてPRO KEDSのスエードを履いてデイパック。自分は世界一カッコいいと思っていたもんね。
そしてもっとチープなイージーアイテム「サイクルパック」というのを”る~ふ”で初めて見てね。文字通り向こうの大学生なんかが自転車に乗る時にヒョイと背負うヤツね、やっぱり”UCLA”のロゴがカッコ良くってコレは安かったから秒殺で買っちゃったんだけど、こいつは中にちゃんとモノを形を整えて入れておかないとクニャクニャとしていて自立してくれないからルックスとは裏腹に実際はかなり使いにくかった。変にそのまま喫茶店のテーブルの上に置いたりすると中身が全部出ちゃったりするしね。
画像のモノは先輩が当時の新品のまま奇跡的に保存していたモノなんだけど、今存在している事自体がスゴいよねェ・・一体取っておいて、後日どうするつもりだったんだろうね。そこのところを聞いて来なかったけど、今更聞いて機嫌損ねちゃうとちょっとおっかないから聞けないや。
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