いやね、ずっと前から思っていたんだけれどアイビーの時代、60年頃のアメリカ人ってきっとオフホワイトや明るいベージュが好きだったんだよね。真っ白でもカーキでも無くってその中間くらいの色。モノクロ時代の写真を見てもひと目でそれと分かるようなアイテムをポール・ニューマンやらスティーブ・マックイーンなんかが身に付けて写っているのがザクザク出て来るもんね。
ボクもホワイトジーンズやコットンパンツが大好きだから、今でもやっぱりコーディネートの基本色として外す事なんか有り得ないと思うよ。特にオフホワイトに付いてはアイビーの時代のアメリカを強烈に感じる独特のカラーとしてボクは認識しているんだよね。
画像の上段右端はハーバード大卒のアイビーリーガー、ジャック・レモン。そして下段の左端は「くたばれ!ヤンキース」のタブ・ハンター。そしてTVドラマの名作「逃亡者」のリチャード・キンブルでお馴染みデビッド・ジャンセン。そしてジェラード警部ことバリー・モースも居るね。みんなオフホワイトや明るいベージュだ・・・
そう言えばそんな話を確かどこかで、たぶん著名な方が書いていたんだよなァ・・と、以前から思いながらどうしても思い出せなくてね。そしたらようやく先日見付かったよ。
81年に中牟田久敬(なかむたひさゆき)氏によって著された名著「トラディショナル ファッション」の中に記述が有ってね、そうそうここに書かれていたんだった。
スタンフォード大に留学された50年代後半当時の事を書いておられるのだけれど、そりゃァ、あの時代にご当地アメリカで既にパイプドステム・シルエットが主流のアイビーパンツに周りを囲まれたらアジアの島国から持ち込んだマンボ・ズボンはかなり目立つよね。笑ってはいけないけれど中牟田氏が恥ずかしかったのも良く分かるような気がするよ。
因みにここに書かれている「マンボ・ズボン」と言うのは50年代に全米はおろか世界中で大ヒットを記録し人気絶頂の渦中、1956年に初めて来日した「マンボの王様」ペレス・プラード楽団が着用していた今で言う「サルエル」みたいなワタリ周りがダブダブで裾に向かって極端なテーパードがかかったパンツの事なんだよね。
当時は、日本でも太陽族と呼ばれた若いヤンチャ系のお兄ちゃん達を中心にかなり流行していたと、昔母親から近所のお兄ちゃんのズボンを何本か裾に向かって極端に細く直してあげたという話しと一緒に聞いた。(まァ、太陽族のファッションは?と言うと下に有る画像のような、いわゆる不良っぽい格好でマンボ・ズボンにアロハシャツ、そして慎太郎刈りにサングラスというお約束だったのだけれど、真面目な慶応大の学生だった中牟田氏にまで波及するほど流行っていたという事なんだろうねェ・・因みに「慎太郎」は「石原慎太郎氏」の事だからね。)
更に余談だけど中牟田氏は70年代初頭に日本で初めてBARACUTAの代理店契約を締結され、その独占販売権を獲得した"DESMOND INTERNATIONAL"という会社の社長をされていた方なんだよ。(氏が留学されていた50年代後半当時、アイビーと共にモダンジャズも全米的に隆盛を極めていてちょうど59年に発表されたデイブ・ブルーベック・カルテットがヒットをさせた"TAKE FIVE"という曲の作曲者でも有りアルトサックスの名プレーヤーだったポール・デスモンドから社名にちゃっかりと名前を頂いたんだよと、過日中牟田氏本人より直接伺ったよ。)
ちょうどその中牟田氏の本が発刊された81年頃ボクは、たまたま取引先の1つだった「る~ふ」の仕入担当者として、大した用事が無い時も五反田に有ったその会社に足繁く通ってはショールームのBARACUTAをあれこれといじくり回していたのがとても懐かしい思い出なんだよね、長時間先方の担当者を質問攻めにしたり、時々内緒で珍しいサンプルを譲って頂いたりもしたよ。
そして何年か前に当時"DESMOND INTERNATIONAL"の社員だったある方を介して中牟田氏にお会い出来るような機会が偶然出来たので連絡を取らせて頂き、何十年振りに懐かしくお話しを色々とさせて頂く事が出来たんだよね。
ちょっと懐かしい話しにどんどん転がっちゃったけれど、ちょうどその"DESMOND INTERNATIONAL"の当時BARACUTA担当だった方がある展示会の時に「この#G-8と言うコットン・ギャバジンのバルカラーコートのこの色はアメリカ向けの色なんですよ。あちらじゃこの色はコートの定番カラーですからね。」って教えてくれたのが左端の画像の白っぽいコートなんだよね。(色の呼び名は忘れちゃったけれど・・何だっけかなァ?)
そして右側のもう一着のコートは名門"LONDON FOG"だけど、これもオフホワイトだよ。一方イギリス本国では"BURBERRY"や"AQUASCUTUM"に代表される、もう少し濃いベージュと言うか、いわゆる「イギリス風のカーキカラー」が基本でオフホワイトというカラーはロンドン辺りでも、まずなかなかお目にかかれないように思うからちょっとした違いだけれども、とても興味深い事だよね。
そしてボクの大好きな映画の世界では「ティファニーで朝食を」の中でカッコいいアイビーを見せてくれたジョージ・ペパードや「シャレード」のケーリー・グラントなんかが明るいベージュかオフホワイトのコートを本当にカッコ良く着ていたのを思い出すね。
そしてコートじゃ無いけれど名作「野のゆり」のシドニー・ポワチェがオフホワイトのお馴染み"LEE"の"WESTERNER"の上下で出て来るのがボクはとっても気に入っているんだよ。極端なジャストサイズ?で窮屈そうなんだけど、やたらカッコいいんだよ。またポール・ニューマンも"WESTERNER"のジャケットを着たプライベート写真?が有ったよ。プレスのパンツもきっとオフホワイトだよね・・・。
そして好きな方々の間で良く話題に上がるのだけど#G-9を着たカッコ良すぎるスティーブ・マックイーンの写真。だけどこれ、どう見ても定番カラーのNATURALじゃ無くてオフホワイトだよね?でも昔から#G-9にオフホワイトというカラーの設定は無いんだよ。おまけに写真を良く見ると素材もコットンポプリンのツヤでは無さそうだもんね?
実は、下の画像はもう少し後の#G-9で当時もレギュラーアイテムでは無かったけれど実際にコート地のコットン・ギャバジンを使ったモノは別注品として存在していた事が有るんだよ。(これは確かBRITISH TANというカラー名のコットン・ギャバジンだった。)
それで、ボクの仮説なんだけど・・・(あくまで想像だよ)
63年の"LIFE"の表紙になったこの白っぽい#G-9はおそらくサンフランシスコの"CABLECAR CLOTHIERS"で購入した可能性が高いと思うんだよね。これは、マックイーンに付いて、かなり詳しいある方の「スティーブ・マックイーンは当時ケーブルカーの上客だった。」という話に基づいているんだけど、当時のBARACUTA社の取引高が全米でも上位だったと中牟田氏の記述も本の中に有るしね。(CABLECAR社のBARACUTAの取り扱いは1951年にスタートしたと記録も有ったよ。)
そうすると毎シーズンかなりの数量を発注するCABLECARm社に対してBARACUTA社は、ちょっとした素材変えの別注くらいは難なくこなして居たのでは無いか?と想像するんだよ。そして元々BARACUTA社はレインコートメーカーだから工場にコットンギャバジンの生地は山と積まれていて、当然アメリカ向けのコート用にオフホワイトの生地も普通に積んで有ったんだろうね。
そこで、それに目を付けたCABLECAR社の担当者が、「このコート用のオフホワイトのコットン・ギャバジンで#G-9をうちの別注として作ってよ。」そしたら、それをスティーブ・マックイーンが買ってっちゃった。
まァ、そんな事を考えながら今回は、TRAFALGAR SIELDでオフホワイトを含めたカラーでコットン・ギャバジンのコートやジャケットを作ってもらったワケだよ。