やっべェ、ポールが履いてるよ~!

やっべェ、ポールが履いてるよ~!

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 「わァ、久し振りだよねェ・・・K-SWISS」届いたボックスを開けて懐かしい顔付きを眺めながらコイツにまつわる色んな事を次々と思い出したよ。 

 ボクがLAに住んでいた時(LAって言っているけれど、正しくはカリフォルニア州ロスアンゼルス郡トーランス市と言うエリア。近くにはトヨタやホンダ、パナソニックなんかが有って当時は多くの日本人が住んでいたんだよ。)はまだ、そんなに朝の渋滞も無くって東西に走っている91番というFREE WAYを使って通っていたオレンジ・カウンティのアナハイムという所にボクの勤務先だったバイイング・オフィスが有ってね。ディズニーランドと言うよりはナッツベリー・ファームの近くだった。 

 そして、そこのボスのお気に入りだったのがK-SWISSのCLASSICだったんだよね。洗車を一度もした事がないBMWのトランクにいつも入っていたし、秘書のおネーちゃんにも買い与えて?いた。 

 「典型的な紳士のスポーツがテニスだから、紳士のオレは白いテニスシューズを履くんだよ、当然だろ。だからお前もその下品な色のバスケットボールシューズはやめてK-SWISSにしろ。」ボクの色褪せたグリーン・スエードのALL STARを指差して言っていた。その割にはプロレスやアメフトに結構詳しくて、ダラス・カウボーイズのファンだったけどね。 

 それまでボクが持っていたK-SWISSはアメリカに引っ越す時、さすがに全部持って行くのはバカだと思い、色々なガラクタを処分したり、カリフォルニアでは必要の無さそうなムートンやダウンのコート、履かないウェスタンブーツや靴、レコード、ビデオテープ、雑誌、ギターなんかを京都の実家に送る準備をしている時、頼みもしないのに「ボク手伝いますから~!」後輩がアパートに来て、冷蔵庫から勝手に出したビールを飲みながら、結局あれこれひっくり返して散々邪魔をした挙句、Gジャンやスタジャン、スウェットなんかと一緒に「コレも、下さ~い!」同様にせしめたCOSBYのギアバッグに詰め込んで持ってっちゃった。おまけに冷蔵庫まで取られたし・・・ 

 そもそもK-SWISSとの最初の出会いはね、まだボク達が居たアメ横がバラックの頃(78年くらいだったと思うんだけど)立教の学生で守屋商店のバイトの●川君という後輩が居て、UCLAに短期留学したんだか単に遊びに行ったんだか忘れたけど、LAで買って来たという5本ラインの白いレザースニーカーをLEVI’S #684 BIG BELLのコーデュロイの水色とSURF LINEのアロハに合わせて、「る~ふ」まで見せびらかしに来やがってね。 

 「わァ、カッコいいじゃん!見た事が無いんだけど、それ何ていうスニーカー?」聞いたら「ケースミス」初めて聞く名前だった。(●川君に脱いで中まで見せてもらったワケじゃ無いから、一瞬はその名前をボクも信じてしまった。しかし、今考えたらその後アイツは本当のブランド名にいつ頃気が付いたんだろう?) 

 その後「る~ふ」にも一度K-SWISSのCLASSICが10足程度入荷した事が有ったんだけど、先輩がMAGICに出張の時に当時良く行っていたダウンタウンのリトル・トーキョーの中のスポーツショップで分けてもらったハンドキャリー品だったのかな。確かスポットビルトとかナイキなんかと一緒に持って帰って来たんだと思うんだよね。 

 「あ、アレだ!5本ラインだ・・・」思ったボクはブランド名を見て「何だ、スイスじゃん!スミスじゃねェじゃん!」 

 そして事務所で試しに足を突っ込んで鏡に映してみたら結構カッコいいんだよね。ところが、横で見ていた先輩から「数が少ないから社員買いは、今回禁止!」言われてしぶしぶボックスに戻したんだけど、「後から買って、わざわざ後輩の●川とカブるのも、かなりダサいよなァ・・」割りと冷静になって考えていた。そしてK-SWISSは思った通り、お得意様を中心に2~3日で売れて無くなっちゃった。 

 結局、K-SWISSを買ったのは、それから随分と時間が経ってからだったんだよね。
アメ横の火災が有って、その後センタービルも竣工し「る~ふ」もアメ横プラザという線路の下のエリアに引っ越してしばらく経った頃だけど、友達から今度のポール・マッカートニーの新譜が結構いいよって聞いていて「買ってみるか・・・」帰りに上野駅近くの「蓄晃堂」というレコード屋さんに寄ってみたんだよね。 

 ボクはその頃のポールの音楽に付いては、割りと好き嫌いがはっきりしていたんだけど、やっぱり基本的にはポールが好きだから・・・と買って帰った。”PIPES OF PEACE” 

 それから、何ヶ月?1年?もっと?どうして裏ジャケに気が付かなかったんだろうね・・ 

「やっべェ、ポールが履いてるよ~!」

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 で、翌日「マルキン」(当時、アメ横の中ではピカ一の品揃えを誇っていたインポート・シューズの言わばセレクトショップで大概のブランドは揃っていた。)にK-SWISSを買いに行ったら、顔なじみの先輩から「何だお前、今頃陸サーファーを卒業して今度は、なんちゃってテニスか?もうブームは、とっくに終わってるゾ!」言われた。 

 その後K-SWISSが大ブレイクしたのは85年~86年くらいだったと思うけど、その頃ボクは輸入商社に勤務していて40フィートのコンテナで入荷するK-SWISSがものの一週間も持たないで無くなってしまうのに驚きながらも、シューズの担当者が次のコンテナを組む為にあちこち電話営業だけでホイホイと決めてしまうのを横でビビりながら見ていたんだよ。 

 そんなボクのおバカなエピソード付きのK-SWISSに付いて、今回ブログを書こうと思ったんだよね。ところが結局後輩にあげちゃってその後買ってないからモノも無いし古い資料も無いんだよね、雑誌も幾つか見てみたけどあんまり大した記事も無かった。それで友達に電話して「ねェ、昔のK-SWISSってまだ持ってる?」聞いたら「ちょっと待ってて探すから・・」 

 そして電話が有り「ボックスじゃダメ?割りときれいだよ。」「肝心の中味は?」「無いみたい・・」 

 下の画像は80年代?のボックスとブランド紹介記事。その頃はロゴ部分に”WEARING IS BELIEVING”(「履けば分かるよ」って感じかな?)というキャッチコピーが書かれていたんだよね。 

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 そして下の画像は81年のPOPEYEからだけど、テニスの特集記事で当時K-SWISSは高級品だった。「フィット感と丈夫さでは最高峰」と書きながら「クレイコートでは少々すべる」ってさ。ボクはテニスなんて一番の得意技がサーブの空振りだったから、滑ろうが何しようがあんまり関係無かった。 

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 ところで、LA時代のボスの名前もポールだった。だけどポール・マッカートニーが履いていたのは知らなかったみたいだ。ボクはそれを言うと更に調子に乗るからと思ってずっと最後まで黙っていた。