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2014年11月アーカイブ

 ここ何日か、少し時間があるとつい眺め入ってしまうのが古いメンクラなんだよね。

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 実は、ボクやうちのスタッフ達がいつも社員食堂みたいに使わせて頂いている三茶イタリアンの名店「イルピアット・カチャトラ」のオーナーシェフ「カドハマさん」にお願いしてドサッとお借りして来たものなんだよ。(そろそろお返ししなくちゃいけないんだよね・・汗)伺ったところによると、最近ちょっとした縁が有ってまとめて入手する事が出来たんだって。正直言ってかなり驚いたんだよね・・初めて見たよ。半生記以上前の雑誌、それもメンクラだよってなもんで一般的な価値は、まァ・・確かに古雑誌だったりするのかも知れないけれどボク達みたいなメンズアパレルの業界に長く居る者に取っては計り知れない程の希少な、そして相当貴重な情報価値が有るモノだと思うもんね。 
 「イルピアット」・・ボク達、いつもいきなりドヤドヤと押しかけて行ってあれこれ食い散らかして帰るんだけど、お料理はシェフのお人柄そのもののとってもハートフルな美味しいお店で我々の業界にもここのお店のファンの方がスゴく多いんだよ。ハウスカードもセンスが良くてスゴくオシャレだよねェ、ボクこういう画風も大好きだなァ。

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あ、そうそう、このイラストは"AMERICAN TRAD HANDBOOK"でもお馴染み、現在超売れっ子のイラストレーター「ソリマチアキラさん」の手によるモノなんだよね。 

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そうそう「イルピアット」の店内の壁にはこのハウスカードの原画が飾ってあって、そしてソリマチさん直筆のサインも有るんだよ・・おっと、その左側には綿谷画伯が・・(笑)
 他にもアパレル業界等を中心にメディアや雑誌で著名な方やタレントさんのサインが紹介しきれないくらい店内の壁にびっしりと書かれていて、それだけでも一見の価値が有ると思うよ。因みに綿谷画伯のサインはトイレの入り口の脇というなかなかに鋭く計算された小粋なポジション、そしてその隣をバッチリ狙った巧者のソリマチさん・・おまけに右隣りは政近準子さんだよ・・なかなかに考えたねェ!なんて、そんなワケは無いか。 
 ところで今回お借りしてきたメンクラ、この中でも古株の第10集、1958年だってさ。スゴいよね、56年前だ。その時ボクはまだ3才だよ。おまけに表紙が何と石原裕次郎だもんね。おまけに中面に登場する専属モデルは菅原文太だし・・驚きを超越して何だか手を合わせて拝んでしまっちゃいそうだったよね。

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ボクは、今までにも色々な所で「昭和のアイビー事情」を語る際には事ある毎に「昔のメンクラでは・・」なんて言う言い方をしていたんだけど、本当は昔先輩の家に有った65、66年辺りくらいからしか知らなくて、こんなに初期の時代のメンクラを何冊も見る事が出来たのは今回が初めての事だったんだよね。 
 実はボクの手元には前にメンクラの付録だった創刊号からの表紙を並べてあるポスターが今でも有って、それぞれの号の表紙は何となく認識していてね。だからずっと前から、もし機会が有れば何としてでも中味を見てみたいものだと思っていたんだけれど、ようやくこの年齢になって思いが叶う事になったんだよ。シェフから最初話しを聞いた時はあんまり嬉しくて、興奮して声が裏返しになっちゃったんだもんね。 

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当時のメンクラ、どれもこれも内容はとても興味深いものだった。これまでボクは遡れば遡る程にメンクラはアイビー一辺倒だと思っていたんだけど実際は少し違っていてね、アイビーというスタイリングは他に当時の呼び方でトランス・アメリカンやコンチネンタル、そしてアンバサダーなど様々なスタイリングと一緒に紹介される中の一つのカテゴリーとして扱われている事も多く、VANの商品も紹介はされているんだけどアイビーっぽく無いアイテムが数多く存在していたのが目からウロコの大発見だった。このVANのオープンシャツが1000円だってさ・・ 

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そう言えば前に穂積先生とお茶を飲んで話している時に先生は「石津さんの始めたVANの服、最初の頃は新劇の俳優さん達が好んで着るようなちょっと尖ったファッションで全然アイビーじゃ無かったんだよ。でもその頃はアイビー自体が何だか誰も良く分かってもいなかったからね。」って仰っていた。

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確かに11集夏号の表紙なんか見ると56年前の58年にこの格好だよ。かなりヤバいよね・・リゾートスタイルとは言え、新劇の俳優さんと言うよりどう見てもそこいらの遊び人だもんね。きっと当時うちの近所にこんなヤツが居たりしたら絶対いけないウワサが立っちゃったかも知れないよ。だけど現実的には当時メンクラには何人くらいの読者が居たんだろうかね?この本を買ったヒトがどんなハイカラな人種だったのか・・すごく知りたい。 
 ところでVANがアイビーに徐々に変化し始めて行ったきっかけは当時まだ一般的には入手が困難だったアメリカの"MEN'S WEAR"を定期購読していた穂積先生が、そこで紹介されているアイビーファッションに目を付け「これからはこのアイビースタイルがカッコいい!」と当初よりメンクラにイラストを描いていたのが縁でVANの石津先生に持ち込んだ・・というのが真相のようだった。因みにアイビーの教祖様くろすとしゆき先生は最初穂積先生の教えるスタイル画講座の生徒さんで、そこで互いに服好きが分かり意気投合し行動を共にするようになったんだって。更には最初くろす先生にアイビーの細かいディテールを絵解きしながらレクチャーをしたのが穂積先生だったと、とっても貴重なお話しを伺う事が出来たんだよね。もう、どれもこれも昭和の伝説・・感動してしまったよ。 
 メンクラは56年の第6集で「アイビー・ルック」特集を組んだのを皮切りに徐々に「アイビーのメンクラ」の体を成して行ったみたいだった。そして63年には最初の「アイビー特集号」と銘打った33集が発刊され、それが後のメンクラの立ち位置を決定したんだね。

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せっかくなので特に興味深かった部分をあれもこれもと、ここで紹介したいと思うんだけどスペースの都合が有るから幾つか選んでみたよ。 

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まず27集と書かれた62年の春号には「アイビーのすべて」っていう特集が組まれていてここに貴重なカラー写真の見開きが有るんだけど、どう?50年以上前のファッションカットだと思えないよね?

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右側は基本に忠実なヘリンボーンのアイビーモデルのスリーピース。古さが全く感じられないのがスゴい事だよね。傍らにはコットンギャバジンと思しき素材のVANのバルカラーコート。一方左側は2トーンジャケットにボタンダウン、オフホワイトのコットンパンツ、そしてハイカットのバッシュー。そしてカレッジストライプのマフラー。昭和37年も52年後の今も基本は変わっていないんだよね。ただただ驚くばかりだよ。

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32集は63年の夏号。これを見てボクは今回腰を抜かす程驚いちゃった記事を見付けたんだよね。

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何と現在もボクの定番、ピケ素材のWHITE LEVI'Sの紹介記事が有ったんだよ。まだ当然直輸入物の時代で因みに表記は「リバイズ」だってさ。おまけにボクが自分の本でも書いたけどWHITE LEVI'Sのキャペーンソング♪WHITE LEVI'S♪の初めて見るレコジャケが紹介されていて更には唄っていたグループが女の子の4人組「Majoretters」だと今回初めて知る事になったんだよね。ボクそこまで知らなかったから、もうビックリだった。 
 そして更に左側のモデルのトップスが何とこれもボクのお気に入り、MUNSINGWEARのポロシャツなんだよね。㈱デサントさんがMUNSINGWEARとの契約をスタートしたのがこの号が出た翌年の64年だから、これも完全に直輸入品だろうと思うけど、やっぱりアメ横で買ったんだろうか、いやァ・・参っちゃったねェ・・「何だ、このペンギンのマークは?」とか言って気が付いたヒト何人居たんだろうね。第一「マンシングのポロシャツ」なんて何人くらいのヒトが知っていたんだろうね。興味の無いヒトには、それがどうした?みたいな話しだろうけどボクはブッ飛んだよ。50年前に一体どれくらいの読者がこれを真剣に読んで認識したんだろうかと思って想像すると楽しくなっちゃうよね。 
 そして今でもボクはWHITE LEVI'SとMUNSINGWEARのポロシャツの組み合わせという日が普通に有るよ・・それこそが本当に素晴らしい事だと思うんだよね。 

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記事の中に写真が無いから説明が難しいけど20集は60年の春号。アメ横に関する記事が有ったよ。「国電の御徒町駅」だってさ!若いヒト分かるかなァ・・JRがまだ国鉄と呼ばれていた時代だね。因みにJRでは国電を「E電」と名付けて愛称にしようとして大々的にキャンペーンをやり、ものの見事に浸透しなくて大失敗した事が有ったんだよ。「イーデン」ねェ・・やっぱ少し違和感あるなァ・・

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ところで内容はどうしてアメ横には舶来品(死語?・・輸入品)が集まるのか、どういうルートを辿るのか、そのからくりは?税関の抜き打ち手入れの事や、安いヤミ値の納税証紙が有って・・などと結構詳しく触れて有って、読んでいて楽しくなっちゃった。昔アメ横の長老から聞いていた話しだよ。当然、ボクが居た70年代なんかよりもっと以前のアメ横はそれこそお金さえ有れば何でも手に入るという宝の山だったみたいだよ。是非行ってみたかったなァ。 
 そして更にアメリカのセコハン(SECOND HAND 死語・・中古)衣料の流通に付いても触れてあってね。売っている場所が渋谷の百軒店の店なんて書いてあるから、あァこれは後に「ミウラ」が「MIURA&SONS」を出した場所の階段の下の「麗鄕」の前の袋小路を入った右側の「さかえや」左側の「みどりや」の事だろうなァなんて懐かしく思ったよ。

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29集は62年の秋号。ここで見つけたのは何とBROOKS BROTHERSの紹介記事。これもビックリしたよ。50年も前に、もうブルックスの紹介記事が有ったなんてメンクラはやっぱり先見の明が有ると言うか、スゴいの一言だよ。

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今ではアメリカも随分近くなったけど、ボクが初めて行った頃だってそりゃアメリカに行くと言うだけで周囲は大変な騒ぎだったから62年当時の感覚からするとアメリカって遥か彼方の宇宙旅行に行くくらいの感覚だったんじゃ無いのかなァ。 
 そして記事の内容がふるっているんだよね。ブルックスの洋服は30年は変わらない、だとかアメリカへの入国の際の税関検査はトランクを開けた一番上にブルックスのシャツを何枚かバサッと入れて置けば、それが身元の確かさの証明になってすぐパスしてくれるだとか書いてあるワケ。この頃から既にブルックスの神格化が始まっていたという事なんだよね。参りました!って感じだもんね。 
 本当はもっといっぱい興味深い特集や記事が有ったんだけど、また何かの機会にここで紹介するね。あれもこれもと結構な量の画像を撮っておいたから。 
 メンクラは1954年の創刊だという事だから、今年で何と60周年だよ。だけど現在もちゃんと書店に並びメンズ誌の長老として様々なファッションやライフスタイル情報を発信し続けてくれている事実がやっぱりスゴいよね。確かに現在は感覚的に別テイストのメディアにはなっちゃったけど、ボク達の昭和の時代・・VANのアイビー、そしてメンクラの神格化されたバイブル的存在とその洗脳教育?によって見事に信者さんとなり、人生を変えられてしまったのは多分ボク一人だけじゃ無くてボク達の業界に君臨する?長老達の中にもいっぱい居るんだろうなァ・・。
 去る11月18日のちょうどお昼頃に友達からの連絡で知ったんだよね。「健さんが死んじゃった!今、YAHOOのトップに出ているよ・・」「ウソ~!!」もう半信半疑でYAHOOの画面を見たボクは一瞬自分の目を疑ってしまったんだよね、でも残念ながら事実だった。 
 ボクは普段余り健さんの事を気にした事は無かったのだけど、健さんは、健さんという不死身の存在みたいにボンヤリと思っていてボク達凡人とは違って年を取ったりしないんだよ・・くらいに思っていたから、今度ばかりは超ショックだった。
 もうかれこれ40年近く前にアメ横の「る~ふ」に入りたての鼻たれ小僧だったボクはフラリと現れた想像よりもはるかに長身の(当時は、まだバラックだった「る~ふ」の天井も低かったんだよね、きっと・・苦笑)健さんを見上げて思わず「わァ、本物だ・・」とか言っちゃったんだけど、黙って立っているだけで無条件にカッコ良かったよ。 
 健さんとお付のヒトには主に先輩がいつも対応していたんだと思うけど、自分の記憶が間違って無ければ、その当時まだ日本の輸入元ではラインナップされていなかったBARACUTA #G-9のブラックが本当は有ると思うので探してくれますか?というような事をボクの方を向いて言ったと記憶しているよ。当時は時々お付のヒトから電話が有って、「BARACUTAは今どんな感じで在庫が有りますか?」って。それで在庫帳を見ながら、アレとコレと・・と1着づつ確認しながらお取り置きをしていくんだよね。
 健さんが着るサイズは当時44。だけど、他に38とか40とか色違いも含めて時に何着も買って行くんだよ。最初は、スゴいなァ何かの衣装にでもなるのかなァ?・・と思っていたら他のサイズは気に入ったヒトにプレゼントしちゃうんだって聞いた。 
 今でこそBARACUTA #G-9の一番似合うスターは当然のようにスティーブ・マックイーンって事になっているけどボク達の時代、本当は健さんだったんだと思うんだよね。以前、当店のサイトで連載?していた、いであつしくんの 「メイドイン フント二モー」でもBARACUTAの巻が有って、いであつしくんがちょうどボクが「る~ふ」に居た頃くらいに放映されていた「あにき」というドラマでBARACUTAを着て出て来るクールな健さんを熱く語ってくれていたんだよ。そしてその原稿の中では、CASSIDYの八木沢さんもやっぱり「BARACUTAと言えば、我々の世代はマックイーンじゃ無くて健さんですよね。」と仰っていたと書いてあった。 
 久しぶりに、いであつしくんに電話をして健さんの事を話していたら彼曰く、「今回の訃報を聞いて、あらためて映画の作品や人柄に付いて何人もの著名な方が熱くコメントしているんだけど、実は健さんのハイレベルなファッションに付いて語っているヒトが誰も居ないんだよ!」。事実、ここ2,3日ボクも同じ事を思っていたんだよね。実際ファッションに深く携わっていれば時に感動すらおぼえる健さん独特のUNDERSTATEMENT(誇張せず、さり気なく控え目な主張・・実はこの言葉、今日いであつしくんが教えてくれたんだけどね。)の精神に基づくアイテムの選定やツボを押さえた着こなしは、いつ見ても超カッコ良かったもんね。 
 聞けば今もなお、いであつしくんの所にはそれこそ現在ボク達のインポートやセレクト業界の重鎮である、聞けば驚くようなビッグネームの方々が、その健さんのファッションと具体的なアイテムや着こなし、そして実際の接客等での自分との関わりに付いて熱っぽく語るコメントが殺到していて大変な事になっていると言っていた。 
 ここで、当時連載?していた「フントニモー」に掲載された、あの綿谷画伯のイラストをもう一度再掲載してみるね。当時「あにき」に出演していた頃の健さんのBARACUTA #G-9の着こなしなんだよね。そう言えば、一昨日綿谷画伯からも連絡が来て「ボク達の昭和は遠くなりにけり・・だね。」と寂しそうに言っていた。

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 様々なメディアが健さんの訃報とそして著名人からの賛辞の言葉を伝える中、唯一11月19日付けの東京新聞朝刊の記事くらいがきちんと、ボク達の言う健さんのそのストイックな哲学に裏付けられたファッションに付いて触れていたのでここに紹介するね・・と言いながら良く読んで見ると、そうそう・・そうなんだよね、スゴく良い事書いて有るよ。 と思ったら、なァ~んだ、ちゃんといであつしくんが絡んでいるんじゃないか。サスガだ。 

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 スタジャンねェ・・もう何年も着た事が無いんだよ。って言うか肝心のスタジャンそのものが手元に残っていなかったんだよ。昔、ダメだって言うのに「帰りに寒いから貸してよ~」とか言って友達が着てっちゃって結局戻って来なかったり、気に入っていたGOLDEN BEARなんか、全然着て無いじゃん・・という理由だけでボクが知らない間に#MA-1と一緒に教会のバザーか何かに出されちゃったりしてね。  唯一奇跡的に残っていたのが、もうサイズが小さくて着られないんだけど高校生の時に初めて買ったSPALDINGのスタジャン。

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これ、実はVAN JACKETの国産ライセンス製品だったんだけど、ショップのお兄さんが「アメリカのSPALDINGだよ、知ってる?」なんて言うし、袖もレザーで値段がVANのヤツよりも2倍くらいしたから最初の1年間くらいは完全にアメリカ製だと思い込んでいてね。それでよせばいいのに友達とか後輩に自慢しては、見せびらかしたりしていたんだよ。だけど後でVANの作った国産スタジャンだったという真相が判明してメチャクチャにバツの悪い思いをした事が有るよ。みんなゴメンね~!ホントに知らなかったんだから・・

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 でもコレを見ていると思い出すのは、貯めこんだお小遣いやらバイト代を握りしめ母親や兄弟にも内緒で「日帰りアメ横初見参弾丸ツアー」を強行した日の事だよ。あのアメ横に行くんだから!って思って、その日の勝負アウターとしてこのSPALDINGを着て行ったんだよね。その頃ご自慢だったスエードのCONVERSEを履いてさ。 
 ちょうど高3の冬が近かったのかな?世の中は第一次オイルショックの真っ只中、狭い玄関に母親が買い集めたトイレットペーパーの段ボールやら洗剤が積み上がっているのを音を立てないように、そうっとどかしながら明け方に出かけたのを懐かしく思い出すよ。京都から早朝の新幹線に乗って東京に行き、ゴハンも食べないでアメ横中をうろつき最終の新幹線で帰って来るという超呆れた強行軍だった。一応途中で買ったパンを帰りの新幹線の中で食べたけどね、まァ・・若かったんだよね。 
 初めて行くアメ横には本当に興奮したよ。だけど平凡パンチで見た記事以外には全く情報が無かったから、アメ横に行った事が有るという先輩が喫茶店の紙ナプキンに書いてくれた乱暴な略図を唯一の生情報として大事に折りたたんで財布に入れて行ってね・・・だけど先輩の書いてくれた略図には「守屋」や「る~ふ」「ミウラ」とかの名前は書いて有ったと思うけど全然間違っていたから実は全く役に立たなかった。
 その後、上京して大井町の「みどりや」で買ったのがGOLDEN BEARのスタジャンだったんだよね。ボディがダークグリーンでスリーブがクリームのヤツ。そしてその袖口が傷まないようにレザーのプロテクトガードが付いているのがいかにも本場モノという感じで、一発で気に入ってしまってね。そしてその瞬間から主役の座は入れ替わり、SPALDINGはお蔵入りになってしまったんだよ。
 ちょうどその頃アメ横でもアメリカ製のスタジャンはチラホラと売っていて、GOLDEN BEARの他にEMPIREやDELONG、亀のマークのHOLLOWAYなんていうブランドを見る事が出来て、店頭で触ったりタグを見たりするだけで本当にワクワクしたよ。

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 また、「る~ふ」か「マルビシ」だったと思うけどCALIFORNIAのALBIONっていうブランドが有って、それがまたメチャクチャにカッコ良くってさ、襟と袖口のニットがダブルで折り返しが出来るんだよ。そのディテールにスゴく憧れちゃってねェ・・・ボクのGOLDEN BEARは残念ながら襟がシングルだったからね。ところで今回あらためてタグを見ていたら住所がGARDENAなんだね。そうか、そうだったGARDENAに有ったんだよね、ボク後年隣のTORRANCEとGARDENAの境目に住んでいたからきっとご近所さまだったよね。。

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 ってな事を思い出していたら拙書「超B級アーカイブ」の編集担当者として、その節はとってもお世話になった方が先日突然電話を掛けて来られて「クローゼットを整理していたら昔若い頃アメ横で買ったモノで多分玉木さんが良くご存知の懐かしいアイテムが出て来ましてね、もう自分はこういうのを絶対着ないので(注:その担当の方、現在はかなり気合の入ったガチのハイエンド・イタリアンスタイル。)処分しようかと思ったんですけど、もし保存資料として何かのお役に立つようでしたらと思いお電話をしてみました。宜しければ一度お持ちしてみますけどご覧になられますか?」 
 実は自宅がすぐご近所なので数分後に現れたその担当の方、手に持っていたのはあの70年代の名作FOX KNAPPのスタッグジャケット、そして何とALBIONのスタジャンだったんだよね。シュニールレターは付いて無いけど、襟と袖口がお約束のダブルのヤツ。ほとんど着用感が無くってスゴくキレイなの。驚いちゃったね。「え~、ホントに頂いちゃっていいの?」「どうぞ、どうぞ。あんまり美しく無いですけど・・」で、有り難く頂戴する事にしたけど何だか妙~に嬉しかったよ。 
 試しに着てみたら、「あれま!」サイズがちょうどなんだよね。保存資料じゃ無くてボクが着られるよ。ひょんなところから今になって往年のALBIONが向こうから転がり込んで来たみたいでさ、長く生きていると面白い事に遭遇する事もあるもんだと思ったね。 
 ところでALBIONと言えば、今でも思い出すのはその昔先輩が得意気に着ていたUCLAのロゴが付いたALBION。

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 最初POPEYEの創刊号で見たんだよ、もうヨダレが出る程カッコ良くてね。強烈に憧れたよねェ・・アイビーのアイコン、東のYALEなんかに対して西のUCLAの登場は言わばウェストコースト・スタイルの新しいアイコンだったからね。とにかく先輩と同じスタジャンがメチャクチャに欲しかったんだよ。だけどその後も機会が無くて結局最後まで買えなかったけど。 
 それで、せっかくだから今回そのALBIONの画像をブログに載せられないかと思って、先輩に電話をしたら何とまだ普通に着てるよって言うんだよ。それで先輩に無理言ってそのALBIONを撮影用に借りて来ちゃった。

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スゴイよね、もう40年近く経つのにほとんど傷んで無くって全然現役なんだよ、ビックリだった。 
 ところでボクが働いていた「る~ふ」ではGOLDEN BEARの他にALBION、そして更に高級品だったシカゴのメーカー、KAYE BROS.というスタジャンも扱っていてね。これは価格が高い分ボディのメルトンが分厚くて裏地もモノグラム入り、そして袖のレザーも柔らかくて高級感が有ったから、ちょっと年配のアイビー卒業生の人達がとても気に入ってくれたんだよ。

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 そのKAYE BROS.のスタジャンで忘れられないのは当時、既にミスター・タイガースと呼ばれ始めていた阪神タイガースの掛布が来てボクが一生懸命薦めたKAYE BROS.のスタジャンをスゴく気に入ってくれて買ってくれた事だった。

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ところが、事あるごとに筋金入りの阪神ファンを自称していたボクだったのに、あんまりハシャギ過ぎて実はサインをもらうのを完全に忘れちゃったんだけどね。 
 そう言えばGOLDEN BEARは最初ボクが買った頃は布製のタグだったんだけど、80年頃だったのかな?「る~ふ」にはレザーにエンボスのロゴのタグのモノが入って来てね。

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それを「る~ふ」の先輩は絶対今度のタグがカッコいいって言うんだけど、ボクは何だか全然好きになれなくって密かに嫌っていたのを久しぶりに思い出したよ。倉庫に行って布製のタグの付いた古い在庫の中から自分のサイズを一応確認に行ったりしてね。どれかを買ったのかどうかはもう忘れちゃったけど。

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画像の派手なベタベタワッペンのスタジャンはマニアだった「る~ふ」の後輩からブログ用に写真を撮りたいからと言って借りたヤツなんだよね。実は自分のモノが手元に何も無いからと思って撮影用に何着か貸して?って言ったら、アイツはデカい段ボールいっぱいのスタジャンをこれ見よがしに送って来やがった。 
 ところで映画の中のスタジャンと言うと、すぐ幾つか思い出すんだけど強烈に存在を印象付けた感じがするのは、87年頃に公開されたエディ・マーフィー主演の「ビバリーヒルズ・コップⅡ」なんかはそうだよね。アメリカの刑事は本当にスタジャンを着たあんなカジュアルな格好で拳銃をブッ放すのかどうか知らないけれど、あの映画を観て初めて"DETROIT LIONS"って言うNFLのチームを知ったんだもんね。そしてその頃はまだフランス製だったADIDASのCOUNTRYもエディー・マーフィーが確か「ビバリーヒルズ・コップⅠ」の中で履いてた事によって再注目され、リバイバルヒットのようになった事が有ったんだよ。

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 あのスタジャン、映画の公開直後にアメリカでも人気が出ちゃったんだろうね。ちょうどMAGICという当時はまだL.A.で開催されていたアパレルのコンベンションに行ったらCHALK LINEというスポーツウェアのブランドのブースでその"DETROIT LIONS"のロゴ入りスタジャンが展示されていてね、調子に乗ってボクは結構な枚数を発注して帰った気がするよ。 
 そしてスティーブ・マックイーンのファンの間ですら余り話題にならないと言われる、知る人ぞ知る59年製作の日本未公開作品「セントルイス銀行強盗」。

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まだ若々しい20代後半の彼の姿が観られるとても貴重な作品なんだけど、確か問題を起こして退学になった元大学の花型フットボウラーという設定で"O"(ゼロじゃ無いよ)のイニシャルレターの付いたスタジャンを着て出て来るんだよね。ストーリー的に派手さは無い作品だけれどザラついたモノクロの映像の中、マックイーンのスタジャン姿や、そしてそれを着た彼の若々しい身のこなしはうっとりするくらいヤンキー臭くてカッコいいんだよ。やっぱりスティーブ・マックイーンは特別だよ、無敵だね。

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