って書いたら、何だか果物とか野菜みたいだなァ。と思いつつ、ボク達の業界では今でも原産国表記はアイテムを語る際にとっても大切なファクターになる事も多いよね。特にボクくらいの世代はとにかくアメリカ製品に弱いんだよ。(ただ、あくまで今現在のアメリカという国家が好きだという意味では無いからね・・・)勿論イギリス製やフランス製、イタリア製にも同じような思いは有るよ。だけどボク個人としては、まずはやっぱり"MADE IN USA"・・アメリカ製なんだよね。要するにモノが良いとか悪いとか品質や感度が高いとか、また日本製は認めないだとかいう話しでは無くて、単なる個人的な「好きとか嫌いとかのレベル」の話しだよ。
多分こうなったのも仕方が無いと思うんだよね。ボクの両親は一番感受性の強い年代に戦中戦後を過ごし戦勝国、最強国としてのアメリカをある意味ポジティブに受け止め、決して多くは無い戦後の娯楽だって野球観戦に始まり、観に行く洋画もアメリカ製が多くを占め、そして日々真空管ラジオから流れて来る洋楽もアメリカ製のジャズに始まり、映画音楽、そしてロックンロール、加えて和製ロカビリー・・。母親はミッキー・カーチスが好きだった。
普段は長屋の四畳半に折りたたみ式のチャブ台でご飯を食べているクセに、ひとたびお出かけしたら映画を観た後ちょっと背伸びしてレストランという所に行き器用にフォークとナイフで洋食を食べ、食後にはコーヒーを飲むのがオシャレだと信じ、ボクにはクリームソーダが来た。父親のタバコは普段の「缶ピース」じゃ無くて、お出かけ用のパチンコで取って来た虎の子の"LUCKY STRIKE"・・そして役者さんからの頂きモノのZIPPOのオイルライターで火を付ける。(ボクは最初ZIPPOが白金カイロの小さいヤツかと思っていた)母親は帰りに"LUX"や"CAMAY"の石鹸とドーナツを買って帰る。ボクはそんなのを小さい頃に横で見ていた。
そしてまだ始まって間もないテレビ放送(うちは父親の仕事が東映だった事も有り、おまけに超見栄っ張りだったからテレビの購入は冷蔵庫やストーブよりも早く、金曜日の夜8時には近所の人達が力道山のプロレスを観に来ていた。)においては連日ゴールデンタイムに放映される「サンセット77」や「うちのママは世界一」みたいなアメリカ製ドラマの洗脳教育を真正面から受け留めて来たという、そんな両親の元に育ったんだからね。
画像は同文書院発行の「アメリカTVドラマ劇場」という書籍からの抜粋だけど、東京オリンピックが開催された1964年5月16日(土)のラテ欄が載っていたよ。試しに分かりやすいようにアメリカ製のドラマやマンガ等にマーカーを引いてみたけれど要するにこんなだったワケだよ。
デビッド・マッカラムの「アウター・リミッツ」を観ちゃうとデビッド・ジャンセンの「逃亡者」が観られないし、コニー・スティーブンスの「ハワイアン・アイ」を終わりまで観ちゃうとルシール・ボールの「ルーシー・ショー」が観られないというようなスゴい事になっていて10時になったらようやくクリント・イーストウッドの「ローハイド」だ。そして11時を過ぎたら子供は寝かされ、そして大人達はウォルター・マッソーの「ダイヤル7000」を観、そしてボクは観た記憶が無いけど「87分署」が12時から始まる。
そしてその後は立命館大学に通う事になったからと、うちの狭い長屋に下宿をするようになっていた従兄弟が次々とボウリングやコカ・コーラ、パーカーの万年筆。そしてジーパンやアイビー、ドーナツ盤のレコードといったその後のアメリカをどっさり持ち込んで来た。
だからボクにとって、ガイジン(外人)と言えばアメリカ人の事で舶来品(輸入物)と言えばアメリカ製品の事。そしてガイシャ(外車=輸入車)と言えばアメ車の事だったというちょっと極端な時代を過ごして居たんだよ。
ちょっと調子に乗って書いていたら前置きが長くなってしまったんだけど、まァそんな自分のルーツも有って数年前に#8301というオックスフォードのボタンダウンシャツの名品を生み出した、あのアメリカの老舗シャツブランド"SERO"が復活した時は70年代当時から大好きなブランドだったから本当に嬉しかったんだけど、実はほんのちょっとだけワガママ言わせてもらうとすれば、出来たらアメリカ製で有って欲しかった・・というのが少しだけ本音だったんだよね。
そしたら最近になって大人の裏事情で一体何が有ったのか詳しくは知らないけど、とうとうめでたく大陸の北側から国境を越えてアメリカ製で登場する事になっちゃった。「やったァ~!」ってなもんで、スゴいよね、こんな事も有るんだと思ったよ。ただ、このまま南下して南側に国境を超えないで欲しいなァと願うばかりなんだけど。
だけど"SERO"って変な名前だよね?これね、ある記録を見ると"SERO"はイエール大学のお膝元、コネティカット州のニューヘブンに誕生したオーダーメイドを専業とするトラディショナル・シャツメーカーの「パーエックス・カンパニー」が母体で、その創業者を父とするシーモア・シュピロウが1957年に入社した時から"SERO SHIRTS MAKERS"の歴史がスタートしたという事だった。この"SERO"という名前は彼の名前から"SE"を、そしてかれの妻のロザンナから"RO"を取って名付けられたんだそうだよ。だからちょっとアメリカのネーミングでは無いような不思議な感じがするんだね。
ちょうど80年代の中頃過ぎ、アメリカに住んでいた時に近所に有って何度か立ち寄った、IZODやGANT等のメンズアパレルだけでは無くOSH KOSHの子供服やら女性下着やら何でも有りのアパレルのディスカウントショップで"ROSS"っていう店が有ったんだけどそこで偶然見つけたのが画像の筆記体ロゴが付けられたボタンダウンだったんだよね。
それまでに知り合いの古着屋さんで1~2度見た事が有ったタグなので古そう・・という事だけは分かったんだけど少し調べてみたら60年代のモノらしかった。だけどこの筆記体ロゴ、すごくカッコいいと思ってボク自身はとっても気に入ってしまったんだよね。
そんな事も有って、今回突如アメリカ製の"SERO"が実現したと思って単純に喜んでいたある日、ある企み事を思い付いたんだよね。
せっかくだからダメ元で、うちのオリジナルシャツをアメリカ製の"SERO"にお願いしてこの筆記体タグを復刻して付けたいなァ、そしてどうせならうちのオリジナルシャツらしくペンスロット付きのフラップポケットにして、更にはアイビーシャツのお約束である衿の後ろのバックボタンも付けたいよねェ。そして昔の"SERO"のシャツには必ず付けられていた左裾のスタンプも復活させたいんだよ・・などと、超ワガママな要望をとりまとめて、代理店にお願いしに行ったのがちょうど今年の春頃のことだったんだよね。
そしたら先日サンプルが上がって来た。もしホントにこの企画が上手く行ったらかなりカッコいいシャツが完成すると思うんだけどなァ・・・。