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2015年8月アーカイブ

第105回「産地にこだわる・・」

 って書いたら、何だか果物とか野菜みたいだなァ。と思いつつ、ボク達の業界では今でも原産国表記はアイテムを語る際にとっても大切なファクターになる事も多いよね。特にボクくらいの世代はとにかくアメリカ製品に弱いんだよ。(ただ、あくまで今現在のアメリカという国家が好きだという意味では無いからね・・・)勿論イギリス製やフランス製、イタリア製にも同じような思いは有るよ。だけどボク個人としては、まずはやっぱり"MADE IN USA"・・アメリカ製なんだよね。要するにモノが良いとか悪いとか品質や感度が高いとか、また日本製は認めないだとかいう話しでは無くて、単なる個人的な「好きとか嫌いとかのレベル」の話しだよ。

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多分こうなったのも仕方が無いと思うんだよね。ボクの両親は一番感受性の強い年代に戦中戦後を過ごし戦勝国、最強国としてのアメリカをある意味ポジティブに受け止め、決して多くは無い戦後の娯楽だって野球観戦に始まり、観に行く洋画もアメリカ製が多くを占め、そして日々真空管ラジオから流れて来る洋楽もアメリカ製のジャズに始まり、映画音楽、そしてロックンロール、加えて和製ロカビリー・・。母親はミッキー・カーチスが好きだった。
 普段は長屋の四畳半に折りたたみ式のチャブ台でご飯を食べているクセに、ひとたびお出かけしたら映画を観た後ちょっと背伸びしてレストランという所に行き器用にフォークとナイフで洋食を食べ、食後にはコーヒーを飲むのがオシャレだと信じ、ボクにはクリームソーダが来た。父親のタバコは普段の「缶ピース」じゃ無くて、お出かけ用のパチンコで取って来た虎の子の"LUCKY STRIKE"・・そして役者さんからの頂きモノのZIPPOのオイルライターで火を付ける。(ボクは最初ZIPPOが白金カイロの小さいヤツかと思っていた)母親は帰りに"LUX"や"CAMAY"の石鹸とドーナツを買って帰る。ボクはそんなのを小さい頃に横で見ていた。
 そしてまだ始まって間もないテレビ放送(うちは父親の仕事が東映だった事も有り、おまけに超見栄っ張りだったからテレビの購入は冷蔵庫やストーブよりも早く、金曜日の夜8時には近所の人達が力道山のプロレスを観に来ていた。)においては連日ゴールデンタイムに放映される「サンセット77」や「うちのママは世界一」みたいなアメリカ製ドラマの洗脳教育を真正面から受け留めて来たという、そんな両親の元に育ったんだからね。

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画像は同文書院発行の「アメリカTVドラマ劇場」という書籍からの抜粋だけど、東京オリンピックが開催された1964年5月16日(土)のラテ欄が載っていたよ。試しに分かりやすいようにアメリカ製のドラマやマンガ等にマーカーを引いてみたけれど要するにこんなだったワケだよ。 
 デビッド・マッカラムの「アウター・リミッツ」を観ちゃうとデビッド・ジャンセンの「逃亡者」が観られないし、コニー・スティーブンスの「ハワイアン・アイ」を終わりまで観ちゃうとルシール・ボールの「ルーシー・ショー」が観られないというようなスゴい事になっていて10時になったらようやくクリント・イーストウッドの「ローハイド」だ。そして11時を過ぎたら子供は寝かされ、そして大人達はウォルター・マッソーの「ダイヤル7000」を観、そしてボクは観た記憶が無いけど「87分署」が12時から始まる。

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そしてその後は立命館大学に通う事になったからと、うちの狭い長屋に下宿をするようになっていた従兄弟が次々とボウリングやコカ・コーラ、パーカーの万年筆。そしてジーパンやアイビー、ドーナツ盤のレコードといったその後のアメリカをどっさり持ち込んで来た。
 だからボクにとって、ガイジン(外人)と言えばアメリカ人の事で舶来品(輸入物)と言えばアメリカ製品の事。そしてガイシャ(外車=輸入車)と言えばアメ車の事だったというちょっと極端な時代を過ごして居たんだよ。
 ちょっと調子に乗って書いていたら前置きが長くなってしまったんだけど、まァそんな自分のルーツも有って数年前に#8301というオックスフォードのボタンダウンシャツの名品を生み出した、あのアメリカの老舗シャツブランド"SERO"が復活した時は70年代当時から大好きなブランドだったから本当に嬉しかったんだけど、実はほんのちょっとだけワガママ言わせてもらうとすれば、出来たらアメリカ製で有って欲しかった・・というのが少しだけ本音だったんだよね。
 そしたら最近になって大人の裏事情で一体何が有ったのか詳しくは知らないけど、とうとうめでたく大陸の北側から国境を越えてアメリカ製で登場する事になっちゃった。「やったァ~!」ってなもんで、スゴいよね、こんな事も有るんだと思ったよ。ただ、このまま南下して南側に国境を超えないで欲しいなァと願うばかりなんだけど。
 だけど"SERO"って変な名前だよね?これね、ある記録を見ると"SERO"はイエール大学のお膝元、コネティカット州のニューヘブンに誕生したオーダーメイドを専業とするトラディショナル・シャツメーカーの「パーエックス・カンパニー」が母体で、その創業者を父とするシーモア・シュピロウが1957年に入社した時から"SERO SHIRTS MAKERS"の歴史がスタートしたという事だった。この"SERO"という名前は彼の名前から"SE"を、そしてかれの妻のロザンナから"RO"を取って名付けられたんだそうだよ。だからちょっとアメリカのネーミングでは無いような不思議な感じがするんだね。
 ちょうど80年代の中頃過ぎ、アメリカに住んでいた時に近所に有って何度か立ち寄った、IZODやGANT等のメンズアパレルだけでは無くOSH KOSHの子供服やら女性下着やら何でも有りのアパレルのディスカウントショップで"ROSS"っていう店が有ったんだけどそこで偶然見つけたのが画像の筆記体ロゴが付けられたボタンダウンだったんだよね。
 それまでに知り合いの古着屋さんで1~2度見た事が有ったタグなので古そう・・という事だけは分かったんだけど少し調べてみたら60年代のモノらしかった。だけどこの筆記体ロゴ、すごくカッコいいと思ってボク自身はとっても気に入ってしまったんだよね。

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そんな事も有って、今回突如アメリカ製の"SERO"が実現したと思って単純に喜んでいたある日、ある企み事を思い付いたんだよね。
 せっかくだからダメ元で、うちのオリジナルシャツをアメリカ製の"SERO"にお願いしてこの筆記体タグを復刻して付けたいなァ、そしてどうせならうちのオリジナルシャツらしくペンスロット付きのフラップポケットにして、更にはアイビーシャツのお約束である衿の後ろのバックボタンも付けたいよねェ。そして昔の"SERO"のシャツには必ず付けられていた左裾のスタンプも復活させたいんだよ・・などと、超ワガママな要望をとりまとめて、代理店にお願いしに行ったのがちょうど今年の春頃のことだったんだよね。
 そしたら先日サンプルが上がって来た。もしホントにこの企画が上手く行ったらかなりカッコいいシャツが完成すると思うんだけどなァ・・・。

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 画像のモノは30年ほど前に守屋商店で2本(3本だったかな?)まとめて大人買いをして、とても気に入っていたピケ素材のLEVI'Sのホワイトジーンズなんだよね。だけど残念な事に2~3年ほどヘビロテで穿いていて、その後アメリカへ行った時に大好きなハンバーガーとピザとドーナツとコーラのせいで太っちゃったからそれ以来ウェストのボタンが止められないままなんだよね。ジッパーも半分くらいしか上がらないし。(悲)だから帰国してからも大きめのサイズがどこかに残っていないかアメ横や渋谷を探してもみたんだけど同じモノに巡り会う事は一度も無かったよ。
 だけど、そのうちに痩せる事もきっとあるよね~、だから取って置こうっと!なんて超お気楽な甘い事を夢見ながら手元に残していたら、その後行方不明になってすっかり忘れていてね。それで気が付いたらとうとう今になっちゃってた。何やってんだかねェ・・そんなに穿きたければさっさと痩せればいいじゃん・・言うのは簡単だけどね。まァ、結果的に穿けずじまいで今に至ったという事なんだよ。本当に残念だったね・・ってカンジだ。  
 このホワイトジーンズは85年か86年くらいだったのかな?LEVI'Sの復刻アイテムが未熟ながらも、ようやく少しずつ世の中に登場し始めた頃に発売されたモノで、別に昔のアーカイブに存在したアイテムでは無いと思うんだけどね。だけど、仮に「作っちゃいましたアイテム」だとしてもボクはとにかく昔からホワイトジーンズが何よりも大好きで、おまけに元アイビー小僧としては3度のゴハンより好きな尾錠付きと来れば、これはもう大人買いしか無いでしょ!ってなもんだった。  
 その前に、ちょうど「る~ふ」に入る直前の76年頃だったか年が明けていたのかな?にLEVI'SのMOVING' ONっていうシリーズでBUCKLE BACKという尾錠付きのフレアパンツが一度発売されていてね。大井町の「みどりや」でライトオンスのウォッシュデニムとカーキツイルのモノを買ったんだけど、それはどこかに行っちゃった。後輩に譲ったような気がするなァ・・。ただサンドカラーのピケは無かったんだけどね。  
 上のピケのパンツは確か#201という品番が付いていたと思うんだけど、ちょっと怪しそうに見えると言うか何だかテレくさいからウェスト部分のパッチは外しちゃったんだけどね。当時このシリーズで同じピケ素材のオーバーサイズシルエットの1st.ジャケットなんかも発売されていてね。当然バックにシンチベルトが付いていたからコレも欲しいなと思い試着させてもらったら、ちょっと大きいサイズしか残っていなかったのかなァ・・サイズ感がガバガバで、さすがにコイツは断念したんだよ。  

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 一方、アイビー時代の象徴として語られる尾錠付きパンツは元々50年代のある時期から60年代中頃くらい?までにアメリカで実際にアイビーアイテムとして存在していたパンツをVANが焼き直して発売したみたいだね。61年のメンクラにその新発売の広告が掲載されていたよ。結構登場は日本でも早かったんだね。「あらゆる条件をそなえていよいよ国内販売を開始しました」なんて書いてあるよ。 

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 だけど残念な事に、そのVANの尾錠付きパンツの原体験をボクはしていないと言うか初めて尾錠付きパンツを穿いたのは、実はVANもアイビーも何だか良く分かっていなかった6年生くらいの時(67年くらいかな?)に血縁者の中で一番オシャレで遊び人だと言われていた8つほど年上の従兄弟からサイズが小さくなったからって、もらったVANのバミューダショーツだったんだよね。割りとまだ新しくてボクはとっても気に入って確か中2くらいまで穿いていたと思うんだよね。  
 それで、その尾錠が付いているという他には類を見ない特別に思えるディテールが事のほか気に入っちゃってその後VANショップだとかに行って探したんだけど時既に遅しというかとっくに生産なんかしていなくて手に入れる事は出来なかったんだよ。ところが高1の頃に発売されたメンクラのアイビー特集号を見るとやっぱりアイビースタイルのアイコン・ディテールとしての尾錠が付いたパンツが紹介されているワケなんだよね。あらためてどうしても欲しくなっちゃってさ・・。  

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 それで一計を案じて、たまたま弟が穿けるかも?と思ったのか母親が処分せずに取って有ったそのバミューダショーツから尾錠を外し、新しいコッパンを買って来て脚が短い分、裾上げの時に出来る端布を使ってその金具を生かし、新たに尾錠を作って取り付ける事が出来るか母親に相談をしてみたら「結構簡単に出来る」って言うんだよね。  
 「やったァ~」ってなもんで、さっそく何とかお小遣いを工面してKENTのコッパンを買って来た。(その頃は何だか同じアイテムでもVANよりも少し価格の高いKENTを買う方がカッコいいと思っていたんだよ。)そしたら母親が古いバミューダショーツの尾錠を外してその布ベルト部分を器用にバラして広げ、アイロンをかけ直して簡単な型紙を引き・・・そしてめでたく憧れの尾錠付きコッパンは出来上がった。しかし余りに気に入って穿き倒した為にそのKENTのコッパンは恐ろしく短命に終わってしまったんだけどね。  
 そう言えばその前に、バックルさえもっと手に入ればいっぱい尾錠付きパンツが作れると思って洋裁の仕事で母親が付き合っている材料屋さんに聞いてもらったんだけど、この手の金具はちょっと取り扱いが無い・・というような当時の話しだったんだよ。   

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 その後VANからでは無くて、伊藤紫朗さんのMacBethやGQ MensWearと言うブランドからようやく尾錠付きのパンツが発売されるようになって、それらが売られているショップまで見に行ったりもしたんだけど、細かい話しがどうしても尾錠のルックスが少し細くて、そして金具も小さ目だったから実はあんまり好きになれなかったんだよね。(73年のメンクラに紹介画像が有ったよ。)   

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 仕方が無いからもう一度KENTのコッパンから金具を外して次のパンツを買って来て再び移植をお願いするか・・などと考えている間に実はボクの気持ちが段々と基本的にアイビーから離れ始めていたんだよね。そう、FARAHのフレアパンツや#646のデニムを穿くようになっちゃったからね。ただホワイトジーンズは相変わらず穿き続けていたけれど、この頃から髪も伸ばし始めてガチガチのアイビーはもういいや・・と思い始めていた。  
 でも、そうこう言ってもやっぱりこの年になって結局尾錠付きのパンツが基本的には大好きなんだよね、75年くらいには尾錠付きのSMITH'Sのペインターパンツを見てLeeやDEE CEEじゃ無くて、どうしてもそれが欲しくなっちゃったり、その後プレッピーと呼ばれたリバイバル・アイビー時代の少し後半頃だったけどアメリカのパンツメーカーに尾錠付きのチノパンを別注しようと古い資料や私物を持ち込んで担当者やプロダクトマネージャーを説得したりしたのも久しぶりに懐かしく思い出したよ。  
 ただ、それまで尾錠付きパンツとホワイトジーンズは、自分の中でどちらも共に超お気に入りと言えどもあくまで別扱いの引き出しだったんだよね。だから守屋商店でこのLEVI'Sを見つけた時には、予想もしていなかった理想の恋人に突然出会ったような気持ちになって異常に興奮したよ。こんなのが有るんだァ!ってさ。  
 あれから随分と時間が経っちゃったんだけど、たまたま2年程前に冒頭で紹介したLEVI'Sが家の中で発見されてね、それで急にまた同じモノが穿きたくなっちゃって何とか同じ仕様のホワイトジーンズが別注出来ないものかと幾つか業者さんにも相談してみたりしたんだけどすごく数量的なハードルが高くてずっと諦めていたんだよ。  
 そしたらここ数年、着実に頭角を現して来ていて、その少しマニアックでツボを上手く押さえたアイテム群で知られているKEATON CHASEさんに、春頃この企画を相談してみたら意外に面白がってくれて協力してくれる事になったんだよ。まァ実際は進めて行く中でそれなりに細かい苦労も有ったんだけど、ともあれ先日ようやく、かなり満足出来る理想的な出来で入荷して来たよ。  
 まァ、このアイテムについても服好きの皆さんから色々なご意見は頂く事になるだろうけど、とりあえずボクは自分のモノをまず先に確保したよ、理屈じゃ無くて本当にずっと欲しかったんだからね! 
 コレを穿くとさァ・・やっぱり尾錠を見せたいからシャツをタックインしたくなるよね。ベルトも何か新しいのが欲しくなっちゃうし・・。


 先日、「玉美」さんの社長と焼き肉を食べる約束をしてね、久しぶりにアメ横に行ったんだよ。(ボク自身の中では、行ったと言うよりもアメ横に帰ったと言うカンジ。)それで閉店間際に行ってお店の前で暫く待っていたら、お向かいのお店の軒下でスゴいものを発見しちゃってね。下の手描きカンバン・・『わァ!有った、有ったよね~!良く憶えてるよ!このカンバン。ずっと前から有るんだよ・・』写真撮って来ちゃった。 

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「マンシング」に「ラコステ」、そして何と「クロコダイル」に「トロイ」だよ。スゴいよね!これ多分70年代の初めくらいに付けたカンバンだろうなァ・・ボクが「る~ふ」に入って、ここに有ったお店のお姉さんとよく喋りに来ていた時にはたぶん有ったもんね。 
 ボクの本の中でも少し触れているんだけれど70年代には直輸入の「マンシング」や「ラコステ」等をそれこそ山積みにして当時のワンポイントブームを牽引していた「林実業」さんのカンバンだった。今は全く様変わりしてしまって別のお店になってしまっているのだけれど「林実業」さんも、当時はなかなか素通り出来ないチェックポイントだったんだよ。ポロシャツの他に直モノのB.V.DやJANTZEN、ARROWなんかの珍しいセーターやカーディガン等も時々扱っていてね、美人のお姉さんも含めてちょっと目が離せなかった。  
 そんな懐かしい70年代始め頃のワンポイントブームの事を久しぶりに思い出していたら、ちょうど発売したばかりの雑誌「BEGIN」の蔡俊行さんの名物コラムで蔡さんが奇しくも「ラコステ」と「クロコダイル」の事を書かれていた。「東のラコステ・西のクロコダイル」だってさ・・やっぱり上手い事を言うなァ、さすがだ・・と感心してしまったもんね。 
 まァ実際に両者は、ある時期まで大人の事情に依る市場共存をしていたんだけど、間違い無く胸にワニのマークを付けたシャツを発売したのはクロコダイルよりもラコステの方が30年程早いというのが事実みたいだよ。クロコダイルのワニはアタマの向きがラコステと逆で、目が白目をむいているのが特徴だった。そしてラコステはワニのワッペンを身頃に縫い付けてあるのに対してクロコダイルのワニは身頃にワニが直接刺繍されていたんだよね。ボクが高校生になった頃、これはこれで友達の間でも結構流行っていた。 
 友達の中にも最初は間違えているヤツが居てね、ラコステの安い店を見つけた・・とか言ってシャツだけに留まらず、ソックスとかニットヴェストまで買って来た事が有ったよ。  
 ワンポイントブームの頃には、まず一番カッコいいのが「マンシング」と「ラコステ」だった。但し値段も飛び抜けて高くてね。それで同じワニのマークの「クロコダイル」が安過ぎず高過ぎずという巧みなポジショニングでそれなりに一時期は人気が高かったんだよね。特に関西の都市部では、ちょっと突っ張ったお兄さんやお姉さん達がアベック(注:死語 カップルの事)で愛用している事も多かった。ボクも一度、心斎橋の「エーコー」でハイネックシャツとカーディガンを買った事有るよ。ところでその頃の「クロコダイル」の広告は何故か全部英語で、輸入物だと思っているヤツも確かに居たように思うな・・・。 

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その他にも「何だか、それっぽい・・リザード」やどうしても広告が見付けられないんだけど、ワニに月が掛かっている「TSUKIWANI」とかが雑誌なんかに広告を出していたのを何だか懐かしく思い出したよ。「TACHIWANI」という??文字通りワニが立っているのも有ってさ、後日アメ横で発見して見た途端に爆笑したのを思い出したけれどアレいつ頃のものだったのかなァ・・。そしてIZOD LACOSTEブームの後半の頃には2匹のワニが重なって、ちょっとイケナイ景色のFUCK LACOSTEという完全にアウトなモノまで当時アメ横には売っていた。   

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まァ、ブームの頃は、みんなそれらに係わらず「キャッシング」「マクレガー」「アーノルド・パーマー」「トロイ」「ジャック・ニクラウス」「ウェザー・クック」「B.V.D」「プレイボーイ」「ファーストフライト」色んなのを着ていたよ。あ、「フレッド・ペリー」も有るには有ったけどボクの周りで着てるヤツはバドミントン部に居た一人だけだった。  
 ところで、今年ボクは何故かあんまりラコステを着て無いや・・なんて考えながらちょっと別の目的で探している資料画像が有って"HOLLYWOOD AND THE IVY LOOK"っていう写真集を見ていたら、たまたま若い頃のクリント・イーストウッドがラコステを着ている写真が出て来た。 

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そうそう・・60年代頃のスターでラコステを好んで着ているヒト居たよねェ、「おかしな2人」のジャック・レモンとか「避暑地の出来事」のリチャード・イーガンなんかは映画のシーンの中で着ていたよ。なんて写真を見ながら思い出していた。 

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ところでこのクリント・イーストウッドのラコステ、良く見てみるとワニのワンポイントがスゴい不細工と言うかズングリとして不格好なんだよね。キャプションを読んで見ると"IZOD LACOSTE"と書いて有ったよ。グリーンじゃ無いワニと白っぽい4つ穴のボタンが特徴で本国フランスのラコステに付いているボタンはもっとダークカラーで2つ穴だと説明して有った。 
 う~ん、そうなのか・・だけど、これ多分アメリカ別注のフランス製ラコステだと思うんだけどなァ。まァ、どっちでもいいやね。 

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それよりも、今この写真と同じワニのワッペンを付けて世の中に流通させてしまったら「ワニの形がちょっとねェ?・・コレ大丈夫かァ?」なんて絶対にパチもんに見えちゃうだろうなァ・・なんて思ってしまった。もし今、うちのお店で販売したら「このワニ怪しくないですかァ・・?」とか言われちゃうかも知れないもんね。 
 でもどうしてわざわざこんな不格好なワニを付けたんだろうね?だって技術的には元々のグリーンのワニの糸の色を変えるだけだと思うもんね。それとも、一代前のフランスラコステのワニもこういう姿なんだろうか?残念ながらボクには当時のフランス製のラコステのワニがどんなだったか分からないんだよね。ボクの知っている限りでは、70年代の始め頃フランス製のラコステはワニの中に"LACOSTE"の文字が入ってはいるけれどワニそのもののデザインは、すでに今と変わらなかったんだよね。だけどひょっとしたら60年代のフランスラコステのワニはこのようなずんぐりとしたデザインだったのかも知れないね。(以前の日本製ラコステには文字が入っていたという記録をよく目にする事が有るけれど、当時日本で買う事が出来たフランス製ラコステにも実は文字がちゃんと入って居たんだよ。) 

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ラコステのブランドブックには、沢山のレアな写真に混じって1933年の広告?等も載せて有り非常に興味深いんだけど何故か「怪しい?ワニのマーク」も集めて掲載して有った。 
 
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なるほどね、確かにどれも怪しいや・・だけどクリント・イーストウッドの写真のワニも何だかボクにはここら辺のお仲間に見えたりするんだよなァ・・正直、もっと出来のいいのもここに有ったりしてね。あ、逆向きのも有るね・・・ 
 最後にボクが一番気に入っているワニ・・これは古いIZODのボーイズに付けられていたブルーの縁に白いボディのワニだよ。コレ、とってもカワイイと思うんだよ。このワニだけを復刻出来ないものかねェ・・・

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