気が付いたら、ボクのこのブログも100回目なんだってさ・・ビックリするよね。うちのストア・マネージャーの小山くんに言われるまで、ボク自身が知らなかったもん。だけど、よくもまァ毎回こんな内容のブログを思い付きと勢いだけで100本も書いて来たよね。読者の皆さん、いつも根気良くお付き合いを頂いて本当に有難うございます。あ、でも、まだまだこれからもネタが有れば機会を見付けて書くからね~!!
ところで、もう既にご存知のヒトが多いと思うんだけど、あのSHIPSがとうとう40周年を迎えたんだよ。ただただ一言・・スゴい!40年だよ!めちゃくちゃにカッコいいよね。本当におめでとうございます。これからもずっと、ずっと、とびきりカッコいいアイテムとスタイリングを世界中の感度アンテナの高いヒト達に提案し続けて欲しいなァ・・何せ、SHIPSはボク達インポート・セレクト業界の言わばパイオニアだもんね。
つい先日の事だけど、その昔ボクがアメ横の「る~ふ」に入った時には既にお隣の「ミウラ」に居て、当時は超ロン毛で花柄シャツにフレアパンツだったけど、今現在は業界の大重鎮になっちゃった仲良しの友達とゴハンを食べながら話していたんだよ。
思い返してみれば、ボク達の居たアメ横の何軒かのショップも元々は本当に一握りのトガッた連中が、周囲からは「かなり変わったヒト達」と言われながら現在進行形のアメリカンカルチャーを体現したくて、巷では入手はおろか目撃さえも結構困難だった様々なアメリカ製品を1坪くらいの小さなお店で、それこそ宝物のように積み上げて取り扱っていたのが今やこんな業界になる原動力の一つになっちゃったんだもんねェ、ホントにビックリだよ。2人で、何だか40年くらいでスゴい事になっちゃったよねェ・・ってさ。
ところで、ここ最近の雑誌やネットの記事を見ていて、あらためてSHIPSの生い立ちや創業時の記述に触れる事が出来たんだけど、ちょうどボク自身が高3になった頃VANのアイビーからどんどん気持ちが離れ始めてもっとリアルなアメリカを意識し始めた頃の事でも有るんだよね。本物のアメリカを求めてあちこちウロウロし、随分と時間やエネルギーを使った色々な事を何十年振りにとっても懐かしく思い出したよ。
高3の頃なんて当然インターネットなんか無いからアメリカンカルチャーの情報源は主にテレビや映画、そして一部の情報誌や音楽誌くらいだったけれど、その頃の情報量は恐ろしく少なかったからファッションでも音楽でも本当にボクは生のアメリカの情報にスゴく飢えていたんだよね。当時ファッション誌はと言うと「メンズクラブ」と「男子専科」しか無かったし、それよりは「平凡パンチ」や「アサヒグラフ」なんかで時折見る事が出来たアメリカの風俗紹介ページなんかの方が俄然興味が持てたような気がするもんね。
そして更に具体的なブランドやアイテムの情報となると本当に数少ないショップやショップスタッフ、そしてアメリカ物に詳しい先輩等に頼るしか無かったんだよね。ところがその後の2~3年の間にそういったファッションを扱う雑誌等の登場によって情報源も急激に変化し、東京以外の地域にも全く同じ情報が送り込まれるようになった頃、渋谷に「ミウラ&サンズ」はオープンしたんだよ。1975年5月・・・丁度40年前の事だね。
い機会だからボク達インポート業界の黎明期と言うか夜明け前、あの猛スピードで駆け抜けた一瞬の時代を思い出して書いてみようと思うんだよね。
40年前というとボクが上京して来た翌年の1975年という事になるんだけど、実は今や伝説と化してしまった業界ジジィ達のバイブル"MADE IN U.S.A CATALOG"が発刊された年でも有るんだよね。そして翌年1976年に増刊号の"MEN'S an・an"として、あの"POPEYE"が創刊され、原宿にBEAMSがオープンしたんだよ。そしてこの辺りから突如全国区となった西海岸ブーム、そしてスポーツカジュアルやサーファースタイル云々に付いては色々なヒトがあちこちで書いているからここでは割愛するね。
ところで余り話題になった事が無いのだけど"MADE IN U.S.A CATALOG"が出る1年前の74年春に創刊された"CHECKMATE"が、実はアメリカ製品やそれらを取り扱うショップを割りと積極的に紹介していたんだよ。考えてみれば当時、京都から出て来て東京の右も左も分からないボクにとっては貴重な情報源のひとつだった。
そんな時代背景の中、アメ横の「ミウラ」が渋谷で昭和20年代から営業している「さかえや」の有った袋小路の向かい側、「麗鄕」の横の階段を上がって行った左側に「ミウラ&サンズ」をオープンしたのが1975年だった。でも本当はアメ横の「ミウラ」って、もっと古いんだよ。(↓ 画像はアメ横のミウラ 商品からするとたぶん73~74年辺りかな?)
ラッキーな事にボクはSHIPSの原点、商店時代の「ミウラ」をかろうじて知ってるよ。最初は、まだ高校3年だった時。73年に初めて東京のアメ横に行き、「ミウラ」や「る~ふ」「守屋」「マルビシ」辺りを中心にアレコレ見て回ってね。「る~ふ」では靴を買ったんだけど、「ミウラ」ではネルシャツか何かを買ったよ。(↓右側は懐かしい守屋のオジサン)
とりわけ「ミウラ」は衝撃的だった、関西ではまだまだ珍しかったCONVERSEのカラースエードや直輸入のLee、LEVI'Sも揃っているし、初めて見るような様々なアメリカの服が積み上がっていて、そこにはお行儀の良さそうなアイビーなんかじゃ無い現在進行形の、もっとバタ臭い本物のアメリカが存在していてね。そして何よりも上から下まで全身アメリカ製で固めたヒッピーっぽいと言うか本当にアメリカのロック・ミュージシャンみたいな風貌のヒト達が販売スタッフをしていて、かなり異質な空気が漂う空間だった。ちょっと攻撃的?な接客はガキのボクにはおっかなかったけど、やっぱりアメ横は全然スゴいや!と思ったよ。そして地元では結構アメリカンを気取って頑張っていたつもりでも、まだまだアイビーっぽさが残る自分の格好がとても中途半端で幼稚に思えた程だったもんね。
それまでボクはアメリカ製品がなかなか手に入らない京都のショップに飽き足りなくなって先輩に教えてもらった大阪や神戸のショップに足を伸ばすようになっていてね。心斎橋の「シンコー」や「ROKU」。三宮の「RED」元町の「Mr.BOND」辺りが割りとアメリカ製品を扱っていて一時は通ったりしていたんだよ。だけどその頃、関西のトガッた連中の間ではニュートラと呼び始めたスタイルがだんだんと本流になって来て、ボクも初めて大阪の阪急ファイブのショップで買ったFARAHのフレアパンツを皮切りにニューアメリカンスタイルを気取って髪を伸ばし始め、そんな格好を追いかけ始めたんだよね。
ところがその後ニュートラはネーミングこそ新しいトラディショナルとは言うものの、どちらかと言うとアメリカンと言うよりは、ほんの1年も経たないうちにヨーロッパのブランドなんかも混ぜ込んだテイストに進化して行き、関西独特のガラパゴス的な無国籍ファッションに走り始めていてアメリカンテイストからはどんどん遠ざかって行ったんだよね。
そんな頃、アメ横に一度行った事が有るという先輩から聞いた「アメ横には、アメリカのホンマもんが、その辺にゴロゴロうなってるで~!こっちとはスケールが全然ちゃうわ。」という言葉に背中を思い切り押されて、アメ横日帰り弾丸ツアーを強行したんだった。
初めてのアメ横探索では、現在進行形の若いヒップなスタイルの「ミウラ」と少し年令が上のアメリカンメンズスタイルが主流の「る~ふ」がスタッフのスタイリングもカッコ良くて突出していると思ったけど「マルビシ」と「守屋商店」の物量にも本当にぶったまげてしまったよ。だって、あんなに沢山のアメリカ製品を目の当たりにしたのは生まれて初めてだったからね。そして翌年に上京してからは、お金も無いクセにアメ横は勿論のこと、バイト先の先輩から教わって下北沢や渋谷を始め都内のそれらしいショップに片っ端から行ってみたり、また先輩のボロボロの窓が開かないシビックに乗せてもらって横須賀や福生、横浜にも連れて行ってもらった事も久しぶりに懐かしく思い出したよ。
ほぼ毎週くらいに色々な所に行ってアメリカンな服や靴などを見ると、たとえ毎回は買えなくても触るだけで本当にワクワクしてそれだけで楽しかったんだよね。だけどテレビ局のバイト代が入ってもすぐ服やレコードを買っちゃうから、自慢じゃ無いけどボクはいつも貧乏だった。だからその頃は彼女が出来ても女の子を誘って行くようなオシャレなエリアや、それこそカッコいい喫茶店も美味しいレストランも何も知らなかったし、デートの時の話題もファッションと音楽と洋画以外は何も無いという、今考えると偏りが激しくて興味の無いコに取ってはかなりつまらない(苦笑)ヤツだったのかも知れなかったねェ。
そして当時住んでいたアパートが大井町の「みどりや」(現 「キャシディ」の原点)のすぐ近くだったから、給料前で全然お金が無い時はお店の前をわざと避けて遠回りをしたりしていたんだよ。もし運悪く店の前を通って不用意にマスターと目が合っちゃったりすると絶対に手招きされるし、結局モノを見ると必ず何か買いたくなっちゃうし・・で「給料日まで取り置きしてあげっから!」と言う言葉に、マジで何度も深~い墓穴を掘った。
そしてそんな事を繰り返しながら76年の暮頃かな?どうしてもインポートの業界に入りたかったボクはちょうど原宿店(現HOMEGROWNの所)を新しく出した「みどりや」に入社したいと思ってマスターと話しを進めていたんだよね。ところが年が明けて少し経ってからマスターに呼ばれ何も聞かされないまま、いきなり電車に乗ってアメ横に連れて行かれて着いた所は「る~ふ」の事務所だった。そして「る~ふ」の社長を交えて3人、「東京苑」という近くの焼肉屋さんで話しをしている時に「とにかくBARACUTAが大好きなので、アレを販売する仕事をしたいんです!」って言ったら、何故か突然ボクは「みどりや」では無く「る~ふ」に入る事になった。そして同じ日に「る~ふ」の面接を受けに来ていた別の人が「みどりや」に入る事になった。
その「みどりや」に入った別の人と言うのが実は、業界の至宝・・八木沢博幸さん。ボク達は本当に77年のあの時、大人の事情?で入れ替わってしまい、今こんな風になっちゃった。
ありゃァ・・だけど、考えてみたらちょっとマズいねェ、このままだと・・・ボク、もっと頑張らなくっちゃね。
そして、そんな事件の有った同じこの年「ミウラ」は銀座にSHIPSという、更にカッコいい強烈なショップをオープンした。そしてSHIPSの快進撃はまだまだ続く・・・
そして最後にとっても懐かしいボクの古巣、アメ横の「る~ふ」の画像だよ。75年だから、ボクはまだその頃は商品を触ってばかりいて余り買えないお客さんだったんだけどね。
良く見てみると、おデコの狭いTOP SIDERやPRO KEDSが見えるし、ADIDASの扱いも「る~ふ」は早かったよね。下段にうっすら見えるのはスクエアビットにタッセルやモンクストラップのBASS WEEJUNSで、下の写真には懐かしいミッキーのバックルとかハワイのプカシェル(ネックレス状のモノ)が写っているよ。そして店の奥に見えている棚の背中のちょうど壁板一枚反対側が「ミウラ」だったんだよ。
「る~ふ」は80年代の初め頃に大人の都合で突然無くなっちゃったんだけど、まァ、長いこと生きていれば、そりゃァ時間と共に多少なりともそれなりに色んな事があるもんだよね。だからこそSHIPSの40周年は、本当にスゴいと思うんだよ。