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2014年8月アーカイブ

 今はいいよねェ、何がって・・・バッグの話しね。ブランドもアイテムもありとあらゆるカッコいいのが一杯有るからスタイリングや用途に合わせて選び放題だもんね。  

 ちょうど高校生になった頃ね、私服通学がメチャクチャ嬉しくてさ・・・毎日寝る前に次の日着て行くアイテムを考えていたよ。ところがね、困った事に学校に持って行くカッコいいバッグを持って無かったんだよね。中学の時は制服だったし、通学バッグだって黒い合皮の醜悪なヤツを持たされていて、とにかくスゴく嫌だった。 

ところが高校に入って「やった~、アイビーで学校に行ける!」なんて思った途端、通学バッグに困っちゃってね。だから最初は仕方が無いから父親が時々使っていた小型のボストンバッグみたいなのを内緒でちょいと拝借して持って行く事にした。恐らく安物だったけど部分的に怪しいタータンチェックみたいな柄が使って有って、かなり無理して言えば家中で一番アイビーっぽいテイストのバッグだったんだよね。でもタバコ臭くて、中なんかショートピースの粉だらけだったから裏返しにして干して、一応叩いてキレイにしてさ。  

 多分それを暫く使っていたと思うんだけど、何かアイビーっぽいカッコいい新しいのがずっと欲しくってね。だけど行きつけのショップに行っても、KENTのコーナーにディスプレイしてある007のジェームズ・ボンドみたいなアタッシュケースだとか旅行バッグみたいなデカいのしか売って無いしデザインだって正直言ってあんまり好きになれなかったんだよね。アイビー好きの仲良し悪ガキ連中もスチールの赤い工具ケースにVANのステッカーを貼って使っているヤツ以外は、みんな本当に超適当だった。 
第一、TAKE IVYを見ても写っているアチラの学生達はキャンパスの中だからほとんど本をハダカで抱えているだけだし、かと言って日本の高校の教科書なんてハダカで持つには余りにもルックス的に最低だったしさ。当然メンクラの「アイビー特集号」を見たりしても通学やカジュアルに持てるバッグの紹介や定義なんて、ほとんどなされていなかったから結局どういうバッグならカッコいいのかも全然分からなかったんだよね。あ、そうそうメンクラ見てブックバンド(みんな知ってるかなァ?)を買って時々使っていた事も有るよ。

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 そんなある日、友達が新しいバッグを持って来てさ。ネイビーカラーのスポーツバッグで何と英語で"MADISON SQUARE GARDEN"って書いてあるんだよ。ボクは6年生くらいの時からプロレスが好きだったから「ゴング」とか読んでいてね、すぐピンと来て「スゴい!ブルーノ・サンマルチノやペドロ・モラレスが出ているニューヨークのWWWFの総本山だ!」ってなもんで、その時は咄嗟にアメリカ製の輸入バッグだと一瞬思い込んじゃったんだよね。ところが友達に値段を聞いたら「え?そんなので買えるの?」って言う位高いモノでは無かった。  

 友達が買ったと言うお店の大体の場所を聞いてすぐに買いに行ったらね、京都市内の四条に有る寺町通りだか新京極辺りの全然普通の「カバン屋さん」なの。店頭に様々なカバンがドヤっと積み上げられて居て、軒下からもヒモで繋いだカバンがぶら下がっていてさ、果たしてその「マジソンバッグ」もその中の一番目立つ所にくっついていたんだよね。「あれれ、コレひょっとして日本製なの?・・・」などと思いながらもデザインが気に入っていたから早速買って来ちゃった。

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 それから、その「マジソンバッグ」は結構な期間をボクと共に過ごしたんだけど、その間に持ち始めるヤツが増えて来て、学校中で色んなヤツが持ち歩くちょっとしたローカルブームになっていたよ。 
ところが「マジソンバッグ」、ボクにとっては、ちょっとサイズがデカいという難点が有ったんだよね。だからTAKE IVYと2,3冊の教科書しか持って行かない土曜日に、ブックバンドじゃない時は「みゆき族」のお兄さん達みたいに行きつけのショップの紙袋に入れて抱えて持って行っていたんだよ。その紙袋も急な雨で濡れたり、スリ切れて破れないようにSPALDINGのスウェットが入っていたビニール袋を外側に被せてカバーにするという涙ぐましい努力をしていた。  

 そんなこんなで3年の頃だったかな?母親が仕事でハワイに行った事が有ってね、少しアイビーから気持ちが離れ始めてニューアメリカンスタイルを目指していたボクは、ここぞとばかりにCONVERSEやKEDSを始めSWEATやTシャツなんかをあれこれ頼んだんだけど、それとは別にお土産に沢山のチョコレートやそして「洋モク」のカートンなんかをみんなのお土産に持って帰って来たんだよね。そしたら免税店でカートンを複数買いするともれなく付いて来るプレミアムの塩化ビニール製でLARKやMARLBOROのデカいロゴが入った小型の手提げバッグが付いているのを見つけちゃってね。またそれがやたらにカッコいいんだよ。プレミアムの言わばおまけグッズとは言え、やっぱりテイストはバリバリにアメリカンしていてさ。で、結局2つ共頂いて自分のモノにしてしまった。  

 本当にカッコ良かったよ、おまけに文字という文字が当たり前だけど全部英語で書いてあるから友達も欲しがっちゃってね。"DUTY FREE"なんて書いてあってもほとんど悪ガキ連中は意味なんて分からないから「全部英語?カッコいいっ!」ってなもんだった。実は今考えてみたら、それがボクが一番最初に手にした「インポートのバッグ」と言えば、間違い無くそうだったよ。  

 上京してからも暫くその「洋モクバッグ」や神戸の骨董屋さんで買った中古のレザーのショルダーバッグなんかを使っていたんだけど、ある時発刊されたばかりの「MADE IN USAカタログ」を見ていたらバックパッキング・ギアの紹介ページが有ってデイパックが載っていたんだよね。確かにアメ横でも、それらしいアメリカンな格好をして持っていたヒトの記憶が有って最初は「え?リュック?子供の遠足みたい・・」って、かなり違和感を覚えたんだけど、何か友達も買うって言うし、結局ボクも欲しくなってバイト代が出るのを待って友達と一緒に買いに行ったんだよね。 

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 ところが、アメ横に行ってみたらSIERRAとかKELTYとか思っていたより全然値段が高いんだよ。で、結局ビビってバッグじゃ無い他のモノを買って来ちゃった。それで結局ボクがグリーンのデイパックを買えたのは、何だかんだでそれから1年以上経ってからだったと思うんだよ。画像のオレンジのデイトリッパーは、かなり年期が入ってるけど実は長いこと友達から借りっぱなしのヤツだったよ。(一体、何年借りたままなんだよって・・・) 

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 その頃にはデイパックもアメ横辺りに行くと「ミウラ」や「る~ふ」だけで無く、ようやく周辺の登山用品のお店やスポーツショップに国産モノなんかも登場して様々なブランドが並ぶようになっていたんだよね。ところがこの「デイパック」という名称がまだまだ正しく浸透していなかったんだろうね、「デーバッグ」「D-BAG」などはまだ惜しい方で、もっと怪しい名称を書いたPOPがあちらこちらで横行していたよ。中でもボクは「ヤンキーリュック」が一番気に入った呼び名だった。あれは、どこのお店だったんだっけね?  

 でも信じられないかも知れないけど、実際にボク達は75年くらいまで、デイパックもトートバッグも存在すら知らなかったんだよ。 
 
 ちょうどそれくらいの頃だったのかな?"POPEYE"が創刊されて、それまでアメリカンを気取っていた尖った連中がみんな西海岸スタイルにどんどん変わって行った時期でね。アイテムでは、とりわけボクの中ではラグジャーがカッコ良くて、実はソレ風のNORMANの太いボーダーのポロシャツにコーデュロイのブッシュパンツ、そしてPRO KEDSのスエードを履いてデイパック。自分は世界一カッコいいと思っていたもんね。

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 そしてもっとチープなイージーアイテム「サイクルパック」というのを"る~ふ"で初めて見てね。文字通り向こうの大学生なんかが自転車に乗る時にヒョイと背負うヤツね、やっぱり"UCLA"のロゴがカッコ良くってコレは安かったから秒殺で買っちゃったんだけど、こいつは中にちゃんとモノを形を整えて入れておかないとクニャクニャとしていて自立してくれないからルックスとは裏腹に実際はかなり使いにくかった。変にそのまま喫茶店のテーブルの上に置いたりすると中身が全部出ちゃったりするしね。

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 画像のモノは先輩が当時の新品のまま奇跡的に保存していたモノなんだけど、今存在している事自体がスゴいよねェ・・一体取っておいて、後日どうするつもりだったんだろうね。そこのところを聞いて来なかったけど、今更聞いて機嫌損ねちゃうとちょっとおっかないから聞けないや。      
  昭和の時代の話ね。いつも古くてゴメンなさい!あの頃まだまだ遠かった憧れの地、アメリカのプロゴルフのスーパープレーヤー、アーノルド・パーマーの人気は、日本でもそりゃァ凄かったんだよ。テレビにバンバン出て来るからボク達みたいな子供でさえN.Yヤンキースのミッキー・マントルは知らなくても普通にアーノルド・パーマーの名前は知っていたもんね。
当時、もはや戦後では無い・・と言う言葉を旗印に高度成長期に突入していた日本でも東京オリンピックの頃くらいか、もう少し経ってからだったのかな?カラーテレビやクルマ、クーラーの三種の神器に加え、少しずつ出て来たレジャーを楽しむというささやかな経済的余裕の中、ゴルフも結構なブームになったんだよ。

 そんな中で「帝王」と呼ばれたジャック・ニクラウスやゲーリー・プレーヤーなんかも人気は高かったと思うけど、庶民派ムードでいつもニコニコしているアーノルド・パーマーの人気はやっぱり突出していたと思うよ。何とかアーニーズ?だっけか・・っていう親衛隊の存在も有名でパーマーの後ろにくっついて一緒にコースをぞろぞろと団体で移動して行くんだよ。

パーマーは実際にゴルフの実力は勿論ピカイチだったと思うけど、それまでのアイビースタイルをルーツとするアメリカンファッションとは、また別の生い立ちを持つそのカラフルで躍動感のあるカッコいい彼のスポーツファッションを次世代の新しいアメリカンスタイルだと解釈してボクの従兄弟なんかも良く真似ていたもんね。パーマーの出演しているテレビ番組を何度か無理やり一緒に観せられたりしていたよ。
その従兄弟が打ちっぱなしの練習に行く時には、わざわざハイネックに着替えてカーディガンを羽織り、そしてベルトレスのパンツを穿いてそれっぽい格好をして行くんだよ。その時は、一応身内だけど割りとカッコいいかなと思っていた。ただ乗り物がちょっと残念でさ、スーパーカブなんだもんね。器用に何本かクラブを持って乗っかって行くんだよ。
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ここに当時のMUNSINGWEARの広告があるけど、従兄弟が目指していたのはこんな感じの格好だった。ボクも何度かスーパーカブの後ろに乗せてもらって練習場について行ったけれど格好とは裏腹に従兄弟の腕前はとんでもなく下手だった。

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画像は握手をするジャック・ニクラウスとアーノルド・パーマー、パーマーはお約束の「カサ」のマークだけど、ニクラウスは・・おっとコレは「GOLDEN BEAR」じゃ無くって、まだMUNSINGWEARのペンギンだねェ。
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 その「カサ」のマークのポロシャツをボクが認識し始めたのは多分中学3年の頃だったと思うんだよね。でもボクはどうしても従兄弟が着ていたMUNSINGWEARの方が欲しくて、結局買ってもらわなかったけど友達が黒い学生ズボンに合わせて得意になって着ていたような気がするよ。

実は自分の本にもチラッと書いたけど、そのアーノルド・パーマーも最初はMUNSINGWEARを着ていたんだよ。本には色々と大人の事情で掲載が出来なかったけど画像はこれ。多分当時はパーマー自身が着てテレビを初めあちこちのメディアに散々露出するもんだからアメリカ本土でもMUNSINGWEARは爆発的に売れたんだろうねェ・・。
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 だから勝手な想像だけど、MUNSINGWEARがあんまり売れるもんだからアーノルド・パーマーのワンポイントを作ったら、きっとバカバカ売れるよ~ってな感じになったんだろうなァ。確かに日本では当時爆発的に売れていたもんねェ。

 ところでずっと以前から気になっていた事が有ってさ、このLACOSTEを着て爆笑しているオジサンと一緒に写ったMUNSINGWEARを着ているパーマーの写真をよく見るとね、向かって左側にポケットが付いていてワンポイントはいつものポケットじゃ無くて、向かって右側のポロシャツ本体に付いているという、かなり不思議なポロシャツになっているんだよね。

 どうしてなんだろうねェ?なんて思いながら前に色々と推理をしてみた事があった。まずポケットは大概普通は向かって右側にあるんだけどパーマーは右利きだから何かポケットにモノを入れた時にスウィングの邪魔になるんじゃないか・・・と。だからスウィングの邪魔にならない左側にきっと移動させたんじゃないのかなァって思ったんだよね。だけどペンギンの場所が不思議だよねェ・・きっとMUNSINGWEARのマーキングコンセプトだか何かが有って、ワンポイントは向かって右側に付けるってお約束だったのかなァ。ポケットにくっついた状態でそのまま左に移動しても全然変じゃ無いのにね。

 まァあれこれ考えて一旦はそんな理由でアレはきっとパーマー用にカスタマイズしたスペシャルな特注MUNSINGWEARのポロシャツなんだよ・・とか勝手に決めて納得していたんだよね。

 そしたら最近になって後輩がこんな古着を手に入れて持ち込んで来たんだよ。
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最初見た時にはびっくりしちゃってねェ・・ヒェ~!本当に有るの??ありゃァ、参っちゃったねって感じだった。仮に古着として発見されるという事は当時市販品として相当量が流通していたと考えられるよね。タグを見ると60年代の前半のモノのように思えるんだけど確かに写真の中でパーマーの着ているポロシャツとディテールが同じなんだよ。
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 それで、当時のアメリカンスタイルにとても詳しくて実際にゴルフが趣味のアメ横時代からの先輩にたまたま会った時に「どう、思われます?」って聞いてみたんだよね。それで一応ボクの仮説を話したら先輩曰く、結論から言うとポケットはどちらに付いていてもスウィングには邪魔だと思うからオレはもっと違う意味の当時のアメリカ的発想、奇をてらうとかウケを狙うとかそんな感じだろうと思うよ。見るヒトに、えっ?て思わせておいて、茶目っ気たっぷりに、どうよ?・・みたいな、そんなふうに思うんだけどなァ・・・って、そんなご意見だったよ。 

 それで他にも同じ場所にポケットを付けたMUNSINGWEARじゃないポロシャツを着たパーマーの画像の存在も教えてくれてね。画像の通り、確かに向かって左側なんだよ。
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 そうか・・色々な推理が出来るよねェ、などと思いながら明日の生活に支障が出るような事でも無いし、別にどうでもいい事のように思えるんだけど、いまだに何となく釈然としなくてボクはやっぱり気になって仕方が無いんだよね。

 う~ん・・真相がどうしても知りたい。今度㈱デサントさんの偉い方にでも聞きに行ってみるかね。ところで去年だったかに㈱デサントさんの方に伺ったんだけどMUNSINGWEARが登場したのは1955年の事なんだって。要するにボクと年齢は同じだったよ。これも、ヒェ~!って感じだね。来年で60周年だってさ・・・

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